28、沙悟浄、流砂河で事態の改善を図る
川の流れが早すぎて橋をかけることも出来ない流砂河を守る、次の頭領になる河童への引き継ぎも済んだ沙悟浄は、本来なら今日は三蔵法師一行の了解を得てから沙胡蝶殿と共に川の流れに乗って海に出て、海の国の者と話し合いをしようと思っていたのになぁと思いながら、目の前で繰り広げられる修羅場の喧しさに頭痛を感じていた。長年住み慣れた静かであるはずの流砂河の河原に立ち尽くし、玉面公主と突然現れた牛魔王が罵りあう痴話喧嘩にため息をつく。
「なによ!いつもいつも私が悪いって!私は悪くないわよ!!あんたが悪いのよ!三蔵法師を食べて不老不死になったら、仙女の奥さんよりも格が上になるかもって言ったのは、あんたじゃないの!なのに、そんな馬鹿を見る目つきで見ないでよね!大体あんたがいつまで経っても奥さんと別れてくれないのが悪いんでしょ!もう何百年も妾のままでいる私の身になっても見てよ!私を本妻にする気がないんなら、もう別れてよ!」
「あんな寝物語を本気にするとは思わないだろうが!それにどんなに徳を積んでても、ただの人間が不老不死の妙薬になるはずがないだろうが!!三蔵法師が海の国の竜王の血を引く者なら、ともかく!……それに俺は見てたぞ!この男に色目を使っていたのをな!!フン!香水臭い化粧お化けの狐女なんて願い下げだとさ!」
「な!何ですって!!何よ、その言いぐさ!?自分の女のことをよくもそんな風に馬鹿に出来るわね!あんただって単なる牛の化生のへたれな爺じゃない!知ってるのよ、私!仙女の奥さんがあんまりにも別嬪で優秀すぎるから、勝手に劣等感を感じちゃって、自分勝手に卑屈になって余所に女作って!何の非もない奥さんに罪悪感で顔を合わせることもできなくて、何百年も家に帰っていない最低な夫なのはあんたでしょ!……なのに奥さんに近づく男が許せなくて、魔力で常時、芭蕉洞の中の気配を探ってるなんて滑稽で情けなすぎるわよね!」
ああ、本当に煩い。沙胡蝶殿誘拐の犯人でないなら、こちらに用はないし、いい加減に帰ってくれないだろうか?これでは玄奘様と八戒の兄者と拙者で、沙胡蝶殿の捜索方法を話し合えないではないか。そう思いながら沙悟浄は、チラリと師となった玄奘の顔色を伺った。
昨日、会ったときから薄々感じてはいたのだが、玄奘の姿は一見すると理性的で思慮深い穏やかな青年僧侶に見えるが、実際は全く違うのだ。本当の玄奘は人間離れした格闘術の使い手の熱血脳筋な青年僧侶であった。きっと玄奘は言葉で語るよりは拳で語ることが得意なのだろうけど、それを直そうとしているのが短すぎる時間でも察せられた。何とか、この煩い痴話喧嘩を止めようと口を挟むのだが、どうも言葉だけの説得に慣れていないのだろうと思われた。
「止めてください!煩いし、近所迷惑だし、どっちもどっちだし!妻がいるのに妾作るのも最低だし、妾になる方も最低です!だから割れ鍋にとじ蓋って感じで二人は最低カップルで、よくお似合いですよ!奥方が気の毒だから慰謝料を沢山払ってあげて、早く自由の身にしてあげるのが、せめてもの誠意って奴ですよ!とにかくうっとうしいから、とっとと失せ……帰って下さい!」
本音ダダ漏れで少々の毒が入っているが、玄奘は必死に頑張っているように沙悟浄には思えた。
「何だ、若造!?俺は妻と別れる気は無いぞ!こいつとも別れないしな!坊主のくせに俺の女達に手を出すとは良い度胸だな!」
妾と痴話喧嘩しつつ、玄奘様を牽制する牛魔王の言い切る発言は最低だった。沙悟浄は三蔵法師が来るのを待ちながら流砂河で陽気な川妖怪達や小動物の化生達とのんびり暮らしていたので、このような輩とは出会ったことがなく、どう対処をすればよいのかわからなかった。大きな図体をしていて、情けないことこの上ないが、彼らの間に割り込んで事態を収拾する術がわからない。沙悟浄は、ここは八戒の兄者に、何とかしてもらおうと彼に視線を送る。
沙悟浄が八戒を見ると、八戒の長い前髪で八戒がどのような表情をしているのかよく分からないはずなのに、八戒は臨界点ギリギリに苛立っている様子なのが手にとるように分かった。何故なら八戒の鼻を押さえる両手に血管がみるみる浮き上がって震えていたからだ。
「……もう耐えられない!鼻ちぎってみるか、焼いてふさいでみるしかない!」
ぎゃ!?八戒の兄者の鼻がピンチだ!と沙悟浄は顔を青くさせた。八戒が我を忘れて自虐の道を歩もうとする前に何とかせねばならないと考えた沙悟浄は周囲を見渡し、とにかく匂いの元である玉面公主を何とかしなければならないと思い立った。
玉面公主の匂いを断つには、どうすればよいのだろうか?流砂河に放り投げてみようか。いや、そんなことをしたら、玉面公主の化粧で川が汚れてしまうではないか!流沙河をきれいにしましょうキャンペーン!推進委員長の自分が率先して川を汚してはいけないだろうと沙悟浄は考えを巡らせる。では玉面公主を燃やしてみようか?いや、今の自分は正式に僧侶の供になったのだ。ただ臭いというだけで殺生をしてはいけないだろう。それに燃やしても悪臭がひどくなる気がするし……。
うーんと腕組みをしつつ、悩む沙悟浄は小脇に挟んだままのそれの存在に、やっと気がついた。急場しのぎだが、団扇で扇いでみるのは良い手ではないだろうか?風上に八戒がいて、風下に玉面公主だったら匂いは軽減されるはずだ。沙悟浄は芭蕉扇を両手で持ち、大きく振り扇ぐことにした。
沙悟浄の動きに気づいた猪八戒は、沙悟浄の意図に気づいて、慌てて沙悟浄を止めようとしたが間に合わなかった。流砂河の河原に、一陣の風が吹く。その風は皆を取り囲み、全身を撫でるように流れていき、猪八戒の前髪を後ろに靡かせていった。皆の前に、八戒の隠された顔が露わになった。
あっちもこっちもドタバタ状態です(汗)




