99、目から鱗が取れた八戒
※本文に眼球舐めの描写が出てきますが、これは本文の中だけの医療行為なので、ご了承下さい。本来、目に異物が入った場合は、すみやかに医療機関に通院することをおすすめします。
「沙悟浄さん申し訳ありませんが、少しの間だけ八戒さんの体が動かないように後ろから抱きしめていてくれませんか?」
「うむ、承知いたした!」
沙悟浄は、先ほどの沙胡蝶の言葉に驚きすぎて固まっている猪八戒の体を後ろから拘束した。玄奘と孫悟空は、今から沙胡蝶が何をするのかと興味深く思い、その様子を見守ることにした。沙胡蝶はヒールの低い白いエナメルのローファーを脱ぎ揃えて置くと、失礼します、と言って、あぐらをかいて座っている猪八戒の足を自分で少し開いて、その間に入り、猪八戒の顔と自分の顔の位置を合わせるように立った。
「少しだけまぶたを閉じないでいてくださいね」
驚きで目を見開いているのをこれ幸いと、優しく八戒のまぶたを指で上にあげると、沙胡蝶は交互に八戒の両目を舐めた。
ペロ!……プッ!ペロ!……プッ!誰もがそれを固唾を飲んで見守る中、八戒の眼球を舐める度に何かを吐き出した沙胡蝶は、吐き出したそれを自分の持つ懐紙で包んでから、八戒のあぐらから抜け出て微笑んだ。
「ほら、見て下さい。もう治りましたよ」
沙胡蝶は沙悟浄に自分の旅鞄を持ってきてもらうと、中から小さな手鏡を出して八戒に持たせた。鏡の中の八戒の目は、茶色の瞳に蒼い五芒星の虹彩がきらめいていた。
「その五芒星は、天界では浄眼とか聖眼とか呼ばれている、空からの祝福だそうですね。幼い頃に読んだ古文書に、とても重い難病に打ち勝った天界人だけが持つことが出来ると、書いてありました」
「な……で、……え?」
言葉にならない言葉を吐き、沙胡蝶を見つめる猪八戒。沙胡蝶は少しだけ眉を下げ、懐紙で包んだそれを開いて見せた。鮮やかなピンク色のハート型の鱗の破片が二つあった。
「これは多分なのですが、私の父の逆鱗の破片だと思います。竜族では父だけが、このように鮮やかなピンク色の逆鱗を持っていると聞いたことがあるので間違いないでしょう」
沙胡蝶は竜の鱗は逆鱗以外の鱗は難病の薬に使われると話をして、自身の父が天界で、自分の一度目の逆鱗の一部を売り払ったと、大臣達から聞かされたことがあると説明をした。
「前世のあなたは大病を患っていて、それを治すために霊薬を飲んだのではないですか?もしかしたら、その薬の中に父の逆鱗が紛れ込んでしまっていた可能性があるかもしれません」
どこでどうやって紛れ込んだのかは、誰にも分からない。しかし海の王の一度目の逆鱗は、不実な恋を実らせるための媚薬に変化したものだったため、難病を克服した猪八戒の浄眼に面妖な化学変化を生じさせて魔眼に変わってしまったのだろう。沙胡蝶は自分の片目からも、黒い鱗を取りだして見せた。沙胡蝶の鱗のない本当の瞳は孫悟空が言っていたように、萌える緑色をしていた。
「ほら、私も実は黒い鱗を瞳に入れているのです。陸の生き物は海の生き物を怖がるだろうからって、海亀族の長が昔なじみだった始祖の黒竜の形見だという、黒い鱗の一部を餞別にくれたんです。だから八戒さんの瞳にも鱗が入っていると、私は気づけたのですよ!空の祝福は、輪廻転生を繰り返してもなくならないと古文書にも書かれていましたから、きっとその祝福に、父の逆鱗がくっついたまま転生されてしまったのでしょう」
沙胡蝶の父親は、春香天女に執着していた。あの性質が鱗の性質になってしまっていたのなら、そういうこともあるのだろうと、4人の男達は納得した。沙胡蝶は、これで八戒の憂いがなくなり、自分の同行を望む理由がなくなったと、ホッと安心すると、沙悟浄に八戒が顔を洗いたいだろうからと盥に水を入れてもらえないかと頼んだ。自分に目を舐められて不快な気持ちだろうからと。盥は自分が持って行くからと言って、沙悟浄は、その前に沙胡蝶の口を濯がせた。
「もう少し待っていてくださ……?八戒さん?え?痛かったですか!?ごめんなさい!しっかりして下さい!」
振り返った沙胡蝶が見たのは、目からボタボタと涙を大量に流し、鼻水を垂らして大泣きする八戒だった。泣いて泣いてしばらくすると八戒は、両膝を地に着け、胸の前で手を合わせ、沙胡蝶に対して拝み始めた。八戒の奇妙な行動は、さらに続く。
沙胡蝶を見て拝んでいたかと思ったら、急に両目が大きく見開かれて、沙胡蝶を凝視し始めた。頭の先から足のつま先まで、ゆっくり視線が移り、またその視線が沙胡蝶の胸の辺りで止まったまま、じっと見つめている。沙胡蝶は胸を見られているのだと気づき、何だか恥ずかしくなってきたので胸を隠そうと身を後ろ向きにして、そして恥ずかしいから見ないでくれと頼んだ。
玄奘と沙悟浄は、女装のままは恥ずかしいだろうと話しあい、孫悟空が知り合いが沙胡蝶の服を届けに来るという話をし出したころ……八戒は突然大量の鼻血を吹いて、後ろにひっくり返って気絶してしまったのだった。
八戒の瞳のハートの虹彩は、現代で言うなら、”呪われたカラーコンタクトレンズ”という表現が近いと思います。