第8話 麗しき殺戮人形と雷鳴の王子、万能侍女の刃と熱砂の覇者
満月の夜襲から数日が経過した。
アリシアの振る舞った香草とチーズの極厚ステーキにより、理性を保ったまま夜襲を退けることに成功したディオルグラードの獣人たちであったが、彼らの肉体には想像を絶する疲労が蓄積していた。
灰狼の覇王ガルドルフは自ら陣頭に立ち、国境の砦の崩れた外壁を修復し、防衛線の再構築を急がせていた。
強靭な獣人たちであっても、休息なしで戦い続けることはできない。
特使チームの面々もまた物資の配給や周囲の警戒にあたり、束の間の静寂の中でそれぞれの務めを果たしていた。
しかし、狂気の女王フィオレッタが統べるル・サフィール王国は、敵に休息の時間を与えるほど甘い国ではない。
荒野に吹きすさぶ乾いた風が、不自然に止んだ。
空を覆い隠すほどの巨大な影が、国境の砦の上空に静かに滑り込んできたのである。
それは、青い装甲で覆われたル・サフィールの巨大な輸送艦であった。
軍需産業と魔導技術を国家で徹底管理するあの国にとって、空の道を行く巨大な鉄の塊を造り出すことなど造作もないことなのだ。
警戒の鐘が鳴り響く暇すらなく、輸送艦の底部のハッチが開き、無数の「何か」が荒野へと投下された。
重い落下音が土煙を巻き上げ、大気を激しく震わせる。
砂塵が晴れた荒野に立ち並んでいたのは、血肉を持った兵士たちではなかった。
白と青のフリルが幾重にも重なる、恐ろしいほどに美しいドレス。
陶器のように滑らかな白い肌と、一切の感情を宿さない硝子の瞳。
「秩序」と「洗練」を国是とするル・サフィール王国が誇る第三軍団の精鋭――人形兵と呼ばれるオートマタたちであった。
愛らしい少女の姿をした彼女たちの細い腕には、その華奢な体躯には全く不釣り合いな、巨大で無骨な魔導銃槍がしっかりと握られている。
感情も、歓声も、殺気すらない。
ただ無機質な駆動音だけを響かせ、人形兵たちは一糸乱れぬ動きで魔導銃槍を構え、砦に向けて一斉に魔力の砲撃を放った。
激しい閃光と爆発が砦の外壁を抉り取る。
疲労が抜けきっていない狼系の獣人たちが、その圧倒的な破壊力の前に次々と吹き飛ばされていく。
「我ら戦士の誇りにかけて、この砦を抜かせるわけにはいかぬ!」
深緑の鱗を持つリザードマンのゾアが、咆哮と共に最前線へと躍り出た。
彼は身の丈ほどもある大斧を大上段から振り下ろし、先頭にいた人形兵の肩口から装甲ごと深々と叩き割る。
通常であれば絶命するほどの致命傷。
しかし、人形兵は痛みに顔を歪めることもなく、半分砕けた身体のまま残った腕で無表情に魔導銃槍の銃口をゾアの腹部へと向けたのである。
「チッ、ドレスの下は強固な魔導装甲か。厄介な連中だ」
砦の上から援護射撃を行っていたテリオンが、鋭く舌打ちをする。
ダークエルフの狩人が放つ漆黒の矢は、寸分の狂いもなく人形兵の硝子の瞳や関節を狙い撃っていたが、ドレスの下に隠された青い金属の装甲に阻まれ、致命傷を与えるに至らない。
痛みを感じず、恐怖を知らず、ただ命令のままに殺戮を遂行する美しい人形たち。
その異常なまでのタフさと無慈悲な物量の前に、獣人たちと特使チームは徐々に防戦一方へと追い込まれていった。
「エルカイレムを舐めるな! 我が雷鳴の前に、その機械仕掛けの四肢を止めるがいい!」
防衛線が崩れかけたその時、第一王子ミゲルが前線へと進み出た。
常に眉間にシワを寄せている生真面目な彼は、腰の剣を抜き放ち、得意とする高出力の雷魔法を空へと展開する。
彼が剣を振り下ろすと同時に空から無数の雷の槍が降り注ぎ、人形兵たちが構える金属製の魔導銃槍へと直接叩き込まれた。
金属の銃槍を避雷針として高圧電流を流し込み内部の魔導回路を直接焼き切るという、理知的な彼ならではの泥臭くも的確な戦術であった。
雷の直撃を受けた数体の人形兵が火花を散らして機能停止し、その場に崩れ落ちる。
しかし、人形兵の数はあまりにも多すぎた。
ミゲルの雷魔法によって生じた僅かな隙を縫うように一体の完全な状態の人形兵が戦列を抜け、後方で怪我人の手当てに回っていたアリシアの背後へと静かに忍び寄ったのである。
硝子の瞳が、銀髪の王妃を標的として捉える。
白と青のフリルドレスを翻し、人形兵が巨大な魔導銃槍の鋭い切先をアリシアの首元へと容赦なく振り下ろした。
「アリシア!」
ルイが叫び、魔力を展開しようとした瞬間。
「……お嬢様のドレスに、機械の油が跳ねますので」
アリシアの背後の影から、一人の女性が音もなく飛び出した。
栗色の髪をすっきりと一つに結び、メイド服を纏った万能の侍女、クラリスである。
彼女は白緑の瞳に一切の動揺を浮かべることなく、腰の鞘から一振りの短剣を流れるような動作で引き抜いた。
巨大な魔導銃槍の破壊的な一撃。
しかしクラリスはそれを力で受け止めるのではなく、短剣の腹を巧みに使って銃槍の軌道を滑らせるように受け流した。
巨兵の武器が虚しく空を切り、人形兵の体勢が大きく崩れた一瞬の隙。
クラリスの短剣が、冷たい銀色の閃光となって宙を舞う。
彼女は恐ろしいほどの精密さで、人形兵の首、肩、そして膝の関節部分――ドレスの装甲で守られていない僅かな駆動の隙間だけを正確に斬り裂いた。
火花が散り、白と青のドレスを纏った人形兵が手足を完全に切断されて無残に荒野へと転がり落ちる。
「……見事だ、クラリス」
愛する妻の危機を寸前で救われたアストライアの若き王が、静かな怒りを纏って前に歩み出た。
夕焼け色の髪が、彼自身の内側から溢れ出す凄まじい魔力によって逆立っている。
ルイの右手の甲に刻まれた太陽の紋章がこの荒野の強烈な日差しよりもさらに眩しく、暴力的なまでの光を放ち始めていた。
「私の妻にその醜悪な刃を向けたことを後悔するといい」
ルイがエメラルドの瞳を極限まで細め、右手を大きく横へと振るう。
その瞬間、アリシアや獣人たち、そして仲間を覆うように分厚く透明な結界魔法の壁が展開された。
絶対の安全圏を確保した王は、躊躇うことなくその強大な力を解き放つ。
――空気が、歪んだ。
ルイの全身から放たれたのは、炎という形すら保てないほどの、究極の「熱」であった。
荒野の乾いた大気が一瞬にして沸騰し、彼を中心に太陽の表面のごとき超高熱の波動が波紋のように広がり、無数の人形兵たちへと襲い掛かる。
強固な魔導装甲も、巨大な魔導銃槍も、何の意味も成さなかった。
絶対的な熱の奔流に飲み込まれた人形兵たちは、反撃の魔力を展開する暇すら与えられず、その美しいドレスごとドロドロの鉄の塊へと溶かされていく。
荒野の砂塵すらも高熱によって溶解し、冷たい輝きを放つガラスの平原へと変貌してしまった。
一瞬の出来事だった。
ルイの放った魔法により、残存していたル・サフィールのオートマタ部隊は、文字通り跡形もなくこの世界から消滅したのである。
「……これが、アストライアの王の力か」
ガルドルフが、ガラス化した荒野を見つめながら戦慄の声を漏らした。
エルカイレムの使節団と獣人たちは、荒い息を吐きながらもなんとかこの危機を退けることができた。
ゾアもテリオンも、ミゲルも、そしてクラリスも、激戦を終えて静かに立ち尽くしている。
しかし、勝利の歓喜は誰の顔にも浮かんでいなかった。
「……ル・サフィールの女王にとっては、あの美しい殺戮人形たちでさえ、ただの使い捨ての玩具に過ぎないのだろうな」
ルイが熱の残る右手を静かに下ろし、重苦しい声で呟いた。
疲労も恐怖も知らない人形を大量に造り出し、空から一方的に投下してくる軍需産業国家の底知れぬ技術力。
水晶の王宮の奥底で控えるあの底知れぬ闇を宿した黒騎士が剣を抜くまでもなく、ただの人形兵にこれほどの消耗を強いられるという現実。
狂気の女王フィオレッタが支配する国の本質的な恐ろしさが、海を渡った使者たちの心に重く、冷たい影を落としていた。




