表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
店主アリシアは美味しく未来を調理する 〜婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の上客に甘やかされて困ってます〜  作者: 白月つむぎ
第5章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

129/506

第16話 碧空の決別、白銀の招待状が告げる終焉

 昨夜、マルクス団長から語られたヴァレンタイン家の「裏事情」。

 お父様が私を救うために下したとされる(マルクス談では)非情な決断。


 けれど私の脳裏に浮かぶのは、パントリーで「ひぃっ」と震えていた姿や、ワイバーンの背で「私のヴィンテージがぁぁ!」と叫んでいた、あの情けないお父様の姿だった。


(……きっと、お父様のことですもの。「契約書がバレたら、アリシアに何を言われるか分からない!」と泣きべそをかきながら、お母様を塔に隠したに違いありませんわ)


 そう思うと、少しだけ沈んでいた心が「不作法な使命感」で持ち上がってくる。

 私がしっかりしなければ、あの家は今頃、北の公爵にワインセラーごと乗っ取られているに違いない。


 私がキッチンの火を点けようとした、その時。

 森の静寂を切り裂いて、一羽の白銀の伝書鷹が店のテラスへと舞い降りた。


「……来ましたわね」


 鷹の足に結びつけられていたのは、見間違うはずもない、北の公爵の紋章――氷の結晶があしらわれた、白銀の封筒。


 ルイ様、マルクス、そしてゾアやテリオンが、それぞれ武器を手入れしながら私を囲んだ。


「アリシア。開けるのは、私でもいい……君の手を汚す必要はないよ」


 ルイ様が心配そうにエメラルドの瞳を向ける。

 けれど、私は首を振って、その封筒を自分の手で開封した。


『ヴァレンタイン公爵令嬢、アリシア殿。


 北の雪解けを祝う晩餐会へ、貴女を招待する。

 貴女の母君が遺した「白銀の誓約」

 その不備を修正するために。


 追伸。アスター家の生き残りを

 連れてくることを推奨する。

 さもなくば、獄中の母君に二度目の夜は

 訪れないだろう……それから、貴公の

 父上が隠しているヴィンテージ・ワインの

 在庫についても、再考が必要かもしれんな』


 最後の一文に、私は「やっぱり!」と思わず頭を押さえた。

 北の公爵もお父様の弱点を完全に把握している。

 これは招待状などではない。

 お母様の命とお父様のワインを人質に取った、卑劣な脅迫状だ。


「――我を呼んだか、主よ! その紙切れから、不快な冷気が漂っているぞ!」


 店内に、ゾアの巨躯が揺れるほどの声が響いた。

 彼は巨大な斧を肩に担ぎ、黄金の瞳に戦士の熱を宿して私を見下ろす。


「ゾア。不作法な招待状が届きましたわ……私は、グラン・ロアへ向かいます」


「ふん! 我が甘露の作り手を脅すとは……我の斧が、奴の領地ごと叩き割ってくれるわ! そのワインとやらも、我が飲み干してやろう!」


 ゾアが豪快に笑う横で、影の中からテリオンが静かに歩み寄ってきた。

 カメリア色の瞳には、鋭い殺気と、私への消えない想いが同居している。


「……アリシア、私が行く。森の狩人にとって、雪山は庭も同然だ……お前の背後に忍び寄るノイズは、すべて私が射抜く」


 テリオンが、私の銀髪を一度だけ見つめ、すぐに視線を逸らして弓を点検し始めた。

 

「マルクス、鉄衛騎士団の編成は?」


「はっ! 精鋭二十名、既に出発の準備を整えております! アリシア様、ヴァレンタインの誇りを取り戻すまで、一歩も退きはいたしません!」


 マルクスが力強く胸を叩く。

 彼らは私に救われてからというもの、狂信的なまでの忠誠心を私に抱いている。


 ◇


 旅の準備が整うまでの間、私は最後の一仕事を終えるためにキッチンに立った。


 用意したのは、『夏野菜と猪肉の赤ワイン煮込みスタミナ・バロッサ』。


 ゾアが獲ってきた猪肉を、力強い赤ワインと香草でじっくりと煮込み、そこへ夏の盛りを象徴するトマトと、ピリリとした辛みの唐辛子を加える。

 店内に広がるのは、スパイスの香りと肉の脂が溶け合う官能的な匂い。

 一口食べれば、胃の奥から熱がこみ上げ、どんなに凍てつく北の風にも負けない活力を与えてくれる、戦士のための料理だ。


「……さあ、召し上がれ。これを食べ終えたら、私たちの『精算』が始まりますわ」


 大皿に盛られた『夏野菜と猪肉のスタミナ・バロッサ』がテーブルに置かれた瞬間、店内の空気は、煮込まれた赤ワインの芳醇な香りと、焦がし蜂蜜の甘い蒸気に支配された。


「――これだ! この暴力的なまでの肉の弾力、そして舌を焼くようなスパイスの刺激! これこそが我ら戦士が求めていた『命の熱』よ!」


 ゾアが巨大な手でフォークを握り、厚切りの猪肉を豪快に口に放り込んだ。

 咀嚼するたびに、肉汁と蜂蜜のコクが彼の喉を鳴らす。


「主よ! この蜂蜜の甘みが、猪の荒々しい脂を完璧に手懐けておる。泥臭い大地を駆ける獣が、貴殿の手で極上の甘露かんろへと生まれ変わった。これなら、北の冷たい風など我が鼻息で吹き飛ばしてくれよう!」


 ゾアが鼻から熱い吐息を漏らす横で、テリオンは静かに、けれど一切の無駄を削ぎ落とした所作で肉を切り分けた。


「……私が持ってきたハーブが、ソースの奥で静かに息づいている。アリシア、お前はやはり、素材の『声』を聞くのが上手いな」


 テリオンのカメリア色の瞳が、湯気の向こうで私を捉える。


「……この煮込みには、お前の迷いがない。鋭いスパイスの後に残る、この微かな苦味……それは、守るべきものがある者の強さだ。案ずるな。北の雪原に潜むどんなノイズも、私の矢がお前の耳に届く前に仕留めてみせる」


 テリオンの静かな誓いに、胸の奥が熱くなる。

 そんな中、ルイ様は私の隣で、誰に憚ることなく私の手をそっと握り締めた。


「アリシア……赤ワインで煮込まれたこの熱は、君の決意そのものだね。スパイスが喉を通り過ぎるたびに、君の勇気が私の血に溶け込んでいくのがわかるよ……美味しい……君の料理を食べるたびに、私は自分が『王』である前に、一人の『男』であることを思い出してしまう。君を、誰にも、この運命にさえも奪わせはしないとね」


 ルイ様のエメラルド色の瞳に宿る、隠しきれない独占欲と慈しみ。


 握られた手の平から伝わるルイ様の体温。

 ゾアが肉を噛み砕く力強い音。

 テリオンが静かにその滋味を噛み締め、弓を引く指先を研ぎ澄ませる気配。


 私は、そのすべてを自分の感覚に焼き付けた。

 この味こそが、私の誇り。

 この人々こそが、私の守るべき家族。


「……皆様、ありがとうございます。不作法なほど、力が湧いてまいりましたわ!」


 私は最後の一滴までスープを飲み干すと、ルイ様の手に自分の手を重ね、力強く頷いた。

 

 腹の底からこみ上げる熱いエネルギーが、私の震えを完全に消し去っていた。

 次にこのフライパンを握る時は、すべてを精算し、笑顔でお父様とお母様を迎える時だと、自分に言い聞かせながら。


 ◇


 夕暮れ時。

 店の前には、馬を並べた鉄衛騎士団と、ルイ様が手配した豪奢な馬車が待機していた。

 

 私は、扉の鍵を閉める前に、一度だけ店内を振り返った。

 

「……お嬢様。未練は、料理の味を濁らせますわよ」


 クラリスが、淡々と私の背中を押した。

 

「……わかっておりますわ。行きましょう、ルイ様。情けないお父様と、捕まったお母様……不作法な招待状には、最高に不作法な『返礼』を届けてやらなければなりませんもの」


「ああ、アリシア。君の行く道が、たとえ白銀の地獄であっても……私の光が、君を迷わせることはない」


 ルイ様が私の手を引き、馬車へとエスコートしてくれる。

 

 セミの声が止んだ森に、鉄蹄の音が力強く響き渡った。

 真夏の熱気を置き去りにして、私たちは北へ、グラン・ロアへと向かう。

 

 父のワイン、母の罪、そして私の誇り。

 すべてを精算するための旅が、今、始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ