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店主アリシアは美味しく未来を調理する 〜婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の上客に甘やかされて困ってます〜  作者: 白月つむぎ
第5章

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第13話 三つの視線、一つの火花

 セシルとユリウスを乗せた馬車が森の向こうへ消え、残されたのは北の公爵がもたらす不穏な予感と、相変わらず騒がしい日常の残滓だった。


 夕暮れが森を紫に染める頃、私はその重苦しい空気を一掃するため、特大のフライパンを火にかけていた。


「主よ! 今日は肉だ! 我が喉を焼き、脳を蕩けさせるほどの甘露な肉を所望する!」


 店内に響き渡る地鳴りのような声。

 二メートルを超える巨躯を揺らし、リザードマンのゾアが、黄金の瞳を爛々と輝かせてカウンターを叩いた。

 深緑の鱗がランプの光を反射し、戦士特有の荒々しい威圧感が立ち込める。


「わかっておりますわ、ゾア。そう急かさないで。今日はとっておきの猪肉を、貴方の好きなやり方で調理しますから」


「おお……! 肉の塩気と、溢れんばかりの蜂蜜……それが、我ら戦士の最高の贅沢よ!」


 ゾアが期待に鼻を鳴らしたその時、勝手口の扉が音もなく開いた。


「……随分と、不作法な騒音ノイズが響いているな」


 現れたのは、ダークエルフの狩人、テリオンだった。

 褐色の肌にカメリア色の瞳を宿した彼は、無造作に束ねた黒髪を揺らしながら、肩に担いでいた獲物の鳥を調理台に置く。


「テリオン、戻られたのですわね」


「……ああ。道すがら、質の良い野鳥を見つけた。アリシア、お前の料理にはこの香草ハーブが合うはずだ」


 そう言ってテリオンは、ハーブの束を私に差し出した。

 その指先が僅かに私の手に触れ、彼は一瞬だけ視線を泳がせると、すぐに背を向けた。


 そこにルイ様とウォーレン、さらにはカトリーナやジュリアンまでが加わり、夕食の準備が整う頃には、店内は祝祭の後のような熱気に包まれていた。


 今夜のメインディッシュは、ゾアの要望に応えた『特製厚切り猪肉のロースト・焦がし蜂蜜ジンジャーソース』だ。


 脂の乗った猪肉を厚切りにし、表面を強火でカリッと焼き上げる。

 肉汁を閉じ込めたところで、たっぷりの生姜と、琥珀色になるまで焦がした蜂蜜を投入する。

 

 ジワッ、という激しい音と共に、蜂蜜の甘い香りと生姜の鋭い刺激が店内に充満した。

 仕上げにテリオンが持ってきた香草を散らせば、野性味と洗練が同居した、暴力的なまでに食欲をそそる一皿の完成だ。


「さあ、召し上がれ!」


 大皿に盛られた肉が運ばれると、ゾアは咆哮に近い歓声を上げた。


「ガオォッ! これだ! この暴力的なまでの甘み! 蜂蜜の熱が、戦いで昂った我が血を静めていく……主よ、貴殿の料理はやはり世界一の甘露だ!」


 ゾアが豪快に肉を噛み砕く横で、テリオンは静かに、けれど慈しむように一欠片を口に運んだ。


「……味の調和が取れている……アリシア、この『隠し味』は、お前の優しさそのものだな」


 食卓を囲むルイ様とウォーレンの間には、肉の香ばしささえも焼き切るような緊張感が漂っていた。


「……アリシア。今日の料理も素晴らしい。ただ、君がこれほど多くの男たちのために心血を注ぐ姿を見ていると、少しばかり、その情熱を独占したくなるね」


 ルイ様が、エメラルドの瞳を細めて私の手を取った。

 夕焼け色の髪を揺らし、彼は周囲に見せつけるように微笑む。


「……王様。独占欲を出すのは勝手だが、俺とアリシアの間には、あんたが入り込めない『空白』があるんだぜ」


 ウォーレンが、ワイングラスを傾けながら割り込んだ。

 狼のたてがみを思わせる不揃いな紺青の髪が、ランプの火に照らされて暗い影を作る。


「……空白? 思い出話なら、もう飽きるほど聞いたがね」


「いや、まだ話してないことがあっただろ、アリシア? あの日、花畑で指切りしたあとのこと。もし、俺が道を見失ったら、君がその銀色の髪をしるべにして俺を迎えに来るって約束……覚えてるか?」


 ウォーレンのスモークブルーの瞳が、私を射抜く。

 そんな約束、確かにしたかもしれない。

 幼い頃、暗い森を怖がっていた彼に、無責任に投げかけた言葉。


「ウォーレン、それは……」


「……ほう。迎えに行く、か」


 ルイ様の声が、一段階温度を下げた。

 彼の右手の甲の紋章が、呼応するように微かな黄金の光を湛える。


「……ウォーレン。君の『記憶』には、少しばかり余計なスパイスが混ざっているようだね。アリシアが誰かを迎えに行くなら、それは私の隣へ帰る時だけだ。不作法な狼に、私の標を汚させるわけにはいかない」


「不作法なのはどっちだ。あんたは『今』しか見ていない。けど、俺は彼女が『何でできているか』を知っている――なあ、テリオン。あんたもそう思うだろ?」


 突然話を振られたテリオンは、静かにナイフを置いた。


「……私は、アリシアの作る料理を信じている……それを乱すノイズは、たとえ王だろうと幼馴染だろうと、私の矢が貫く対象でしかない」


 ゾアが「肉だ! 肉を足せ!」と騒ぐ声も、カトリーナの高笑いも、今の私には遠くの音のように聞こえた。


 ルイ様の、すべてを包み込み、焼き尽くそうとする黄金の愛。

 ウォーレンの、過去を楔にして私を繋ぎ止めようとする紺青の執念。

 そしてテリオンの、影の中から守り抜こうとする寡黙な慈しみ。


 夏の夜気の中に、あまりに多すぎる「想い」が混ざり合い、私のキッチンはかつてないほどの熱量を帯びていた。


「……皆様……不作法が過ぎますわよ」


 私は、火照った顔を誤魔化すように、フライパンに残ったソースを激しく掻き回した。


 私が帰る場所は、ルイ様だ。

 それは、揺らぐことのない事実。


 けれど、ウォーレンが語る過去の断片に、私の心臓が不作法に跳ね、テリオンの静かな視線に、胸の奥がチクリと痛む。


「……料理は嘘を吐きませんわ。皆様がこれほど騒がしいのは、きっと私の味付けが、少しばかり『欲深すぎた』せいですわね」


 私は強がって笑い、最後の一切れを全員の皿へ等しく配った。


 夏が緩やかに後半に差し掛かる。

 北の公爵からの影が忍び寄るその前に、私の心は三人の男たちの情熱によって、跡形もなく焼き切られようとしていた。

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