第5話 星燈の夜、揺れる光と交差する視線
国境の森の深奥。
そこにひっそりと佇む古き村は、今宵、一年に一度の「星燈祭」の魔法に包まれていた。
この祭りは、遥か天上の星々を地へと招き、新たな季節の守護を願う古い儀式に端を発するもの。
村の広場を囲む巨大な古木の枝々には、魔導を帯びた淡い光を放つクリスタルが星のように散りばめられ、川沿いには水面に浮いて流れる無数の魔法灯が、揺らめく光の帯を織り成している。
夜の帳が下りるにつれ、森の冷気と祭りの熱気が入り混じり、どこか現実離れした幻想的な空気が村を支配し始めていた。
「……見事なものですわね。この光の魔法はアストライアの宮廷のものとはまた違う、自然に溶け込むような美しさですわ」
私は、今夜のために新調した、森の深緑を映したようなシルクのドレスの裾を揺らしながら、広場を見渡した。
隣を歩くのは、ルイ様。
彼は今宵、王としての正装ではなく、深いワインレッドの布地をあしらった上質な旅装束を纏っている。
夕焼け色の髪が、周囲の魔法灯に照らされて、琥珀色の柔らかな光を帯びていた。
「ああ、アリシア。この村の人々は、魔導を『力』ではなく『光』として大切に扱っているようだ。君の瞳に映るこの景色を見ているだけで、私はここへ来て良かったと心から思えるよ」
ルイ様の穏やかな声が、心地よく私の耳を打つ。
だが、その平穏な空気を不作法に切り裂くように、背後から軽やかな足音が近づいてきた。
「……いい雰囲気だな。だが、祭りの主役は光じゃなくて、それを誰と一緒に見るかだろ?」
現れたのは、ウォーレン・アスター。
狼のたてがみを思わせる野性的な、不揃いな段を重ねた紺青の髪が、祭りの灯火に揺れている。
短剣で無造作に削ぎ落としたような鋭い毛先が、襟足にかけてしなやかに流れる様は、この幻想的な夜景の中で、まるで闇から生まれた精霊のような危うい魅力を放っていた。
白いシャツの襟元を崩した彼の姿は、旅慣れた男特有の余裕に満ちており、私を捉えるスモークブルーの瞳には、隠しようのない熱が宿っている。
「ウォーレン……お一人で散策なさっているのではなくて?」
あえて突き放すような、けれど「他人」ではない話し方に、ルイ様が微かに眉を動かしたのを私は感じ取った。
「まさか……君を一人にするような不作法な真似、俺がすると思うかい?」
ウォーレンは、ルイ様の鋭い視線をさらりと受け流すと、私の目の前で不敵に口角を上げた。
◇
村の喧騒から少し離れた、古き石橋の上。
下を流れる川面には、無数の流燈が星の河のように煌めき、周囲には森の夜露の匂いと、屋台から漂うスパイスの効いた焼きたて肉の香りが混じり合っている。
「アリシア……一つ、賭けをしないか」
ウォーレンが、欄干に寄りかかりながら唐突に切り出した。
スモークブルーの瞳が、月明かりを反射して怪しく輝く。
「賭け、ですって? 私は店主として、確実な取引しかいたしませんわよ」
「はは、君らしい。だが、これは取引以上の価値がある……もし今夜、俺が君の心をほんの少しでも動かせたら――あの花畑で君が言ったことの『続き』をさせてくれ」
私は息を呑んだ。
『続き』。
あの幼い日の無責任な約束。
お嫁さんにしてあげる、という言葉の先に、彼が何を求めているのか。
「……不作法な賭けですわね。もし私が動じなかったら、どうなさるおつもり、ウォーレン?」
「その時は、俺はただの『客』として、君の毒のような料理に一生溺れるだけさ……どうだい? 悪い話じゃないだろう?」
ウォーレンはそう言うと、不意に私の手を取った。
彼の指先は驚くほど熱く、旅で鍛えられた強固な節が、私の手首を優しく、けれど確実に包囲する。
「な、何を……!」
「アリシア、行くぞ。君に見せたい『真実の星』があるんだ」
ウォーレンは私の返事を待たず、迷いのない足取りで森の小道へと私を連れ出した。
◇
「……待て、ウォーレン・アスター」
小道の入り口。
そこには、いつの間にか先回りしていたルイ様が、静かな、けれど圧倒的な威圧感を持って立っていた。
彼の右手の甲の紋章が、呼応するように微かな黄金の光を湛えている。
「ルイ様……お仕事はよろしいのですか?」
「ああ。報告書の整理よりも、今は一人の男として、守るべきものを守る責務があると感じてね」
ルイ様はウォーレンの手から、私のもう片方の手を取り、静かに引き寄せた。
右には、懐かしくも苛烈な執念を燃やすウォーレン。
左には、穏やかな太陽のように温かく、けれど決して退かない覚悟を持つルイ様。
祭りの光に照らされた森の小道で、私は二人から同時に手を取られるという、かつてない不作法な事態に直面していた。
「ルイ……あんた、王様としての余裕はどうした? 没落した狼相手に、そこまで必死になる必要はないだろう?」
「ウォーレン……私は王座は捨てたが、愛する女性を奪われて黙っているほど、物分かりの良い男ではないよ……賭けなら、私も混ぜてもらおう。彼女が選ぶのは過去の約束か、それとも――今の私の熱か」
ルイ様のエメラルド色の瞳が、真っ向からウォーレンのスモークブルーの瞳とぶつかり合う。
周囲を漂う魔法灯の光が、二人の男の影を地面に長く伸ばし、絡み合わせていく。
私は、繋がれた両手の熱さに、顔が火照るのを感じた。
夏の夜の湿った空気が、さらに重く、甘美な緊張感を持って肌に纏わりつく。
「お、お二人とも! おやめなさいな! 私は祭りの夜風を楽しみたいだけであって、お二人の所有物ではありませんわよ!」
「アリシア……」
「おっと……」
私は不作法にその両手を振りほどき、二人の中央に立った。
「……そこまで仰るのなら、私の『心』を動かしてみなさいな。ただし、料理人としての私の舌を満足させる以上の驚きでなければ、認めませんわよ!」
◇
私は二人を伴い、祭りのクライマックスが催される森の広場へと向かった。
そこでは、村の長老たちが一斉に魔法を解き放とうとしていた。
夜空から、何千、何万という「空咲燈」と呼ばれる光の種が、雪のように舞い降りてくる。
それは魔力の結晶でありながら、森の植物の香りを孕んだ、目に見える至福。
光の種が私の髪に、肩に、そして二人の男の頬に触れるたび、優しい温もりが弾ける。
「……きれい」
私が思わず呟いたその時。
左右から、同時に私の手を取る感触があった。
ルイ様は、私の手をそっと包み込み、耳元で囁いた。
「アリシア……君の隣にいることが、私の人生のすべてだ。この光さえも、君の笑顔を照らすための飾りに過ぎない」
ウォーレンは、私の指先を絡めるように握り、不敵に笑った。
「見ていろ、アリシア……不可能と言われた青い薔薇も、君のためなら、この森いっぱいに咲かせてみせる。この賭け、俺の勝ちだ」
降り注ぐ光の洪水の中で、私は二人の男の「熱」のど真ん中にいた。
ルイ様の深い愛情と、ウォーレンの苛烈な執念。
打ち上がる魔法の花火が、夜空を七色に染め上げる。
その轟音と共に、私の心臓もまた、かつてないほど不作法な音を立てて跳ねていた。
「……不作法ですわ……お二人とも、本当に不作法極まりないですわ!」
私は、降り注ぐ光の欠片を振り払うようにして、前へと走り出した。
恋の火花は、打ち上がる花火よりもずっと熱く、私の日常を焼き切ろうとしている。
けれど、この祭りの夜が明け、本当の「賭け」の決着が着くまで、私はまだ、どちらの答えも口にするつもりはなかった。
背後から追いかけてくる、二人の足音。
夏の森の熱気はさらにその深みを増し、不作法な恋物語をより鮮やかに彩っていった。




