0275 鉄血(てつち)に躙り縊らる救貧ノ院(6)
【鉄使い】フェネスの仲介を受け、まだ力を蓄え切れていない段階で【闇世】の上位爵達と正面敵対せず、あわよくば内側から絡め取る余地まで得るために、俺は自身の「構想」を連中に披露してみせた。
無論、本音を言えば、将来的に敵対しうる実力者どもに一枚噛ませるなど、避けられるなら避けたかった。
……まして今にして思えば、フェネスは確実に200年前――すなわち『迷宮領主イノリ』の活動時期――を知ったうえで動いている。
それでもあの時、死闘の末にリッケルを下し、俺の迷宮もまた力を出し尽くしていたあの局面では、【人体使い】の更なる介入を退けるために、時間を買う必要があった。
ここで言う時間とはすなわち、【闇世】側の本体を、最上位爵どもの庭先から引き剥がすまでの猶予である。
言うことを聞かなければ叩き潰す、といった類の脅しが効く場面というのは、相手の方にそこから逃げることができないような理由があるといった場合などである。
いまの俺は、ナーレフ掌握をほぼ済ませ、次の盤面へ向けた駒の確保と配置と仕込みに入っている。
【闇世】側との勝手や法則の違いは無視できないが、それでも【人世】側での拠点構築は進めてきたのだ。だから、生産の重心がなお【闇世】に大きく傾いているのは確かである。
――だが、いざとなれば。
そこを切って【人世】側へ退き、立て直すという選択肢そのものは、もう、俎上にはあるのである。
要するに、それが”三女”ネフェフィトの興が暴走した結果であるのか、それともフェネスの野郎が最初から「こう」するつもりであったのかはわからないが、そうであるならそれはもはや対峙してやり過ごすべき災厄の類である。
俺は「最悪」に備えて、【闇世】側にも動員を――大規模な【転移】をも想定した急襲の動きへの緊急哨戒や、非常物資の大規模な持ち出し準備、の手前まで指示を下していた。
このタイミングで【鉄使い】が本気で仕掛けてくるかもしれない――そう覚悟した。
だからこそ、この俺自身がアルファら”名付き”衆、ル・ベリ、ソルファイドらを伴って【人世】の襲撃最前線地へ【領域転移】するのは、最悪のケースに備えた前方避難でもある。そしてこれは同時に、そこまで想定して動いているのだという、三女殿への威圧でもあった。
【伴星旅団】をぶつけ、逆にこちらが試してやった武器系眷属どもの戦力からすれば、制圧するには過剰な戦力であるのもいいところだろう。
戦線に参加していないだけで、既に最速で駆けつけていた表裏走狗蟲の一群は元より、救貧院のこれ以上の崩落を防ぐための『土木班』、怪我人への初動の応急蘇生を担う【共生】因子持ちの『治癒班』まで含めて、俺の眷属達は続々とこの場を取り囲んでいた。それでも命を繋ぎ止める最後の綱はリシュリーの『神威』にあったにせよ、少なくともネフェフィトとアシェイリは、既にこの俺の眷属達が囲む腹の中へ入っていたのである。
その存在をどこまで「逆探知」されているか、といった『システム較べ』となると、それはまた別の話なのではあるが。
デウマリッドとネフェフィトとで、戦好き者同士でまさに同好会でも結成しようという勢いでの意気かまでは知らん。
だが、これ以上暴れるならば本格的な敵対行為と見なす他はないのである。
そしてもしそうなったならば、その暁には、少しでも有利な「情報」を引き出すためにも、このじゃじゃ馬めいた魔人の女を捕縛する必要があるだろう。
――そこまでするぞ、という威圧の意味まで込めた【転移】である。
ユーリル少年が「血の魔法爆弾雨」に変えられた余波は、【伴星旅団】達の行動を一時的に鈍らせるには十分だった。が、控えさせていた【矮小化】属性障壁茸達と、響像戦の最中に土中で『地中班』へ急ぎ構築させていた簡易防御魔法陣とが、遅れてようやく発動。
降り注ぐ鮮血の妨害魔法の時雨は、そこで一段、勢いを削がれることとなる。
血塊のまま分離しながらえづきながら再生するアシェイリと、彼女を取り押さえるユーリルを物理的な意味で切り離そうと迫ったネフェフィトの多重の”襲”の刀剣眷属どもが割り込んだデウマリッドの甲冑を超振動兵器の如く貫きながらも動きを止められる、と同時に回り込んだソルファイドの火竜剣が袈裟懸けに振り下ろされるのが鉄球眷属の響像の数体の”襲”に受け止められつつもそれ以上の抵抗を許さぬように押さえつけられ、そこにアルファとデルタが巨体と筋骨の捻れた威容たる在り様そのものを名付けられた威圧として迫りゆき――。
「それ以上やるというのなら――」
それは高揚の熱が響像達をもゆらゆらと揺らすようにこもり始めた戦場を、瞬時に、極低温にまで冷すかのような。
斯様に冷やされた空間に凍てつく刃が差し込まれた、ひりつくかのような、キィンと澄んだ金属に近い底抜けに冷たく鋭く通る、そんな一言であった。
「黙っては、おりませんわよ?」
だが、今更その程度の新手に動じるような、”名付き”の二大先鋒ではない。
冷気だの極低温だの委細構わず、アルファとデルタが、些かおいたの過ぎる【異形:一本角】の『踊り子』然たる褐色の女魔人へ左右から急迫する。躱すソルファイドに、むしろ巻き込まれに割り込むデウマリッド(「襲」刀剣に貫かれたまま)ごと挟み込むように、その生き物じみて躍動する筋肉密度の重圧で。
さしものネフェフィトが驚愕と困惑に顔を顰める――のだが。
すぐに、それがこの俺の迷宮領主としての「世界観」を成す【エイリアン】に初遭遇したが故のものではない、と、知らされることとなる。
「私の可愛い妹に、手出しをさせるわけにはいきませんから、ね?」
その瞬間。
アルファもデルタも、その一閃にまで反応することができなかった。
【心眼】技能によって反応したソルファイドが軽くル・ベリを小突くように己もろとも体をひねらせるや、音もなく凍りついた閃斬と共に、アルファの肩がざくりと骨の硬い部分まで切り裂かれ、デルタの”裂け腕”の1つの手首から先が斬り飛ばされる。
――だが、それ以上に。
まるで半呼吸遅れて届いたかのような、音に遅れて追いすがるような、多重の金属衝撃が剣圧の嵐となって吹き荒れた。
極低音の刃めいた呟きそのものが凄烈なる切れ味を帯び、【おぞましき咆哮】ごとの突撃であるアルファとデルタの突貫を削ぎ、そして確かに止めたのであった。
「あら、頑丈ね。どちらもその首を落として差し上げるつもりだったのに?」
冷凛とした宣告をネフェフィトが構えていた刀剣が発した。
――否。
その刀剣系の眷属のうち、ネフェフィトが自ら振るっていた、実体持ちの得物――俺の【情報閲覧】が通ってその眷属名が【踊る刀剣】であると知れていた存在――その一振りが、まるで姿の見えぬ剣術家によって東洋映画の曲芸師の如き軌道で大仰に空をくるくると無駄に回転しながら飛び出してきた、かと思うや。
「ゔぃ!?」
と、ネフェフィトが素っ頓狂に裏返った声を上げる。
その無駄に洗練された回転軌道に、俺を含め、皆が注目させられたのは、アルファとデルタの質量攻撃が物理的に食い止められたからだけではない。
――その刀剣。
なんと回転中にコ゛キコ゛キハ゛キホ゛キヘ゛リヘ゛リク゛チャク゛キィカ゛チカ゛チキ゛キ゛ィカ゛ァカ゛キンィィンと凄まじい骨と皮と神経だか腱だかがさながらまるで人間の形をした人形を無理やり刀剣の形に捻じ曲げて折って畳んで固めていたかの如き金属製の折り紙作品とでもいうべき畳まれていた重ねられていたものが一気に跳ね返って「戻る」かのように。
少々喩えが飛躍しているが、乾燥した干物が水で戻される際に何倍もの体積に戻るかのような勢いで空中でめちゃくちゃに回転。
仮にそれが体操競技ならば、技名に「空中何百ひねり」だか「何数十ねじり」であるだとか、言語化すれば滑稽さを通り越して異質さと不気味さすら感じるレベルの凄まじい高速なる「ねじれ」をわずか数秒の間に複雑骨折しない複雑骨折のように曝け出して――そして、あまりにも、あまりにも美しい最後には新体操選手のような優美かつ優雅なる有終のフォームで、タンッ、と着地するは、腰まで届く長い艷やかなる長髪を垂らしたる絶世の傾国を思わせる端麗なる魔人。
「ゔぃ――ゔ、ヴィヴィ姉!? が……なんで、ここに――ッッ!? うげぇえ!?」
「お静かに、はしたない」
ソルファイドが静かに火竜剣を構え、何かあれば焔眼馬をも即座に喚び出すかのような厳戒の構えで彼女を眼帯越しに見据えている。
アルファも、デルタも一歩引きつつ、その敵意があるのか無いのか定かではない”新手”に向かい、他の名付き達を制すように低く唸って、まるで盾となるようにその場を踏みしめるように立っていた。
この俺が【エイリアン使い】として召喚した精鋭戦力を前に、三女からヴィヴィ姉と呼ばれた彼女は、まるでちょっと肩が凝ったかのようにゴキゴキと首を鳴らす。
そして器用に腰を180度折り曲げるように振り返りながらネフェフィトの冷や汗と噴き出しかけていた泡を指で丁寧に拭ってやるのであった。
そしてまたぐるりと間違った柔軟体操のような勢いで上半身の向きを180度戻し。
「お初にお目にかかりますわ? 【エイリアン使い】オーマ様。この私が、」
そこまで口上を述べてから、彼女はどこをどうあの刀剣の中にそれも一緒に折り畳まれていたのだと言いたくなるほど、すらりとした姿を見せた。折り目一つ感じさせない、チャイナドレスを思わせる短めのスリット入りの長衣。簡素でありながら、山河をあしらったような銀糸がいくつも走る。
そんな「ドレス」姿にて、ルフェア式の優雅なる一礼。
「【鉄使い】が”長女”。『ヴィヴィエット』と申します、どうぞ、以後お見知りおきを」
先ほどまでの、こちらの心胆をただ寒からしめることだけを意図して発せられた死線の警告から一転。ヴィヴィエットがまるで熟練した外交貴族の子女のような所作立ち居振る舞いにより、一切の敵意と殺気を消した、その陥穽が、猫に睨まれたねずみのように固まったネフェフィトは元より、戦闘大好きクラブ名誉結成会員カッコ暫定であるところのあのデウマリッドをも完全に呑み、飲み込み、血みどろ幼馴染の二人さえもが人間の形を取り戻したまま、それこそ人間が吸血鬼でも見るようなぎょっとした眼で固まり。
要するに、少なくとも、この「戦場」は完全に冷やされて静止してしまったのであった。
――だが、ソルファイドとル・ベリ、アルファ以下が厳戒姿勢を解いていないという事実が確かに、ある。
次いで俺の脳裏に一気に届けられた眷属達からの感知・観測・報告が告げる。その”人間金属折り紙”の全身には、まさにその折り目の間にでも畳み込まれていたかのように、軽く3桁体は下らない実に夥しいと言って余りあるほどの数の「襲」状態の響像達が、居ると。
≪い、一体一体はネフェフィトさんが連れてきたものより……半分くらいの強ささんっぽいけど……≫
≪流石に~あの密度だと、デウマリッドさんの”歌”でも厳しいんじゃない~?≫
なるほど、確かにことフェネスの長女ということだろう。
踊りながら共に舞い、躍動して旋空する三女とは明らかに襲方の思想が違う、と言えた。ネフェフィトが「纏う」なら、ヴィヴィエットは「着る」なのである。
そしてウーノが述べたデウマリッドの【呪歌】だけではない。
ヴィヴィエットという本体を半透明な武器どもが覆っている以上、迷宮領主の【情報閲覧】も通らず、さらに、ユーリルの【血管魔法陣】をその共振効果によって部分的に上書きして乗っ取って見せたような対魔法能力まで備わっている。
やってやれなくはないが、本気で叩き潰そうとするならば、救貧院の完全な壊滅は免れ得ない。それに、このナーレフという都市での俺の正体を隠し続けながら、などというお行儀の良い戦い方などできない。
そして場が冷え、薙ぐ。
【伴星旅団】の団員達は、ヒスコフとルパルトを中心に少しずつ退いていく。
救貧院の裏側で崩落を防ぐために既に活動し始めている俺の眷属達がかさかさと動き回る振動が聞こえるほど、底冷えた静寂が強制的に迷宮抗争の熱をキィンと削ぎ落としていく。
吸血種ユーリルとアシェイリは身体をほとんど再生させつつあったが、既に別動していたゼータら【三連星】とイオータの連携によって、それぞれに確保され、拘束されて制圧下に置かれていた。
デウマリッドもまたアドレナリンが切れたか、戦闘継続が少し厳しいことに悔しそうにうめいてその場に立っている。響像による襲があるため、【鉄使い】の武器系眷属達による一太刀とは、一太刀ではないのである。
わずかでも切先を突きこまれれば、それが肉の内部で微妙に異なる角度に広がり、あるいは波打つことで、フランベルジュに斬られるよりもより3次元的に酷い内部裂傷が無数に刻み開かれるであろう――そういう実態が、デウマリッド内のエイリアン=パラサイトを通した情報として収集と解析が進む。
そんな響像による斬撃で滅多刺しにされたというのに――それでもまだ、その技能で全身から発せられていた「蒸気の鎧」がかなり赤みがかっているのが見えた。戦意そのものは衰えてはいないということだろう。
だが、ヴィヴィエットが新手なら、こちらもまだアルファとデルタを差し向けただけだ。
たとえば、デウマリッドの斬られ具合を見る限り、ガンマを要害化させれば、突き込んでくる響像どもをまとめて捕らえられるかもしれない。魔法ではないエイリアン自身の超常器官――たとえばベータの火焔と爆発なら、むしろ一箇所に固まりすぎているあの響像どもを、まとめて薙ぎ払えるだろうよ。
――それでも、やるか?
と、どこまで俺の立場や思惑や抱える選択肢を想定したのかわからないが、そのような眼差しを込め、俺は物理的な意味での「鉄の女」ことヴィヴィエットに口の端を吊り上げた笑みを向けてやったのであった。
だが、予定違いが単に到着の遅さだけではないことを指弾混じりになじってやろうと、俺が口の端を歪めようとした、その次の瞬間のことであった。
「そこまで! あぁ、シシシシッ、そこまでにしてくれないかな? ご両名さん。いや、ほんと、そこまでそこまで」
と、煩いほどに「そこまで」を連呼しながら、瓦礫の向こうからパンパンと拍手を打ち鳴らし、この冷たい膠着の場であえて己へ視線を傾注しようとする酔狂者が現れた。これぞ、正しい意味での闖入であろう。
すぐさまル・ベリが反応する。
触肢茸を複数”装備”した【八本触手】モードのまま、そのひょろりとした――蛇のように割れた舌先をちろちろ擦らせるような独特の笑いをする男を威嚇するように躍り出る。
「どこから入った? 貴様――」
だが、避ける素振りも見せず、なんならそのまま取り押さえられても良いと言わんばかりに大仰に両手を上げ、わざとらしく尻もちを付く間抜けさは、この場において滑稽さを演じすぎており、むしろ臭すぎる。
ル・ベリもその敵意の無さに気づいたのか、舌打ちをして制圧するように見下ろすのみ。
ヴィヴィエットが妖しく笑みを浮かべているのが、彼女を監視しているソルファイドの警戒として眷属心話を通して共有されたからだ。
俺が命ずるまでもなく超覚腫の誰かが「部下きゅぴ」と連携して簡易的な【情報閲覧】を代行的に発動。酔狂者にして闖入者なる男からは特に抵抗の素振りも無く、すぐにその「名前」が採れた。
採れたのだが――情報閲覧されたのを知覚しているかのように、その【異形:先割れ舌】の男が、埃を払うように立ち上げってからその眼をクルクルと回転させ――。
≪きゅぴぃ! なんか変なお目々さんに視られたので僕たちのキュートな思考で邪魔してやるのだきゅぴぃ!≫
「おっと? 副伯殿とはいえ、やっぱり迷宮領主相手じゃ、何が起きるかわからないね? これは失礼。怖い怖い、シシシシッ」
「そういうお前は、一般人のようだな? ただの、でもなさそうだが」
リュグルソゥム家の今動ける数名の手により、救貧院周辺に取り急ぎの人避けとして【霞がかかる容貌】などの魔法をかけていたところであった。それが通じていないということは、迷宮領主関係ではなくとも、この襲撃と関わりがある者と断定して良いだろう。
反応からして。
本人の得物に扮し、ずっと三女を物理的に見守っていた長女はともかく、アシェイリという【人世】側の人物までがその場に加わっている。
ならば、この「キプシー=プージェラット」とかいう魔人もまた、ただの物見遊山や好奇心の蛇ではなく、そのパーティの一員として、例の【空間】の疵に乗じて侵入してきたと見てよい。
そして吸血種やネフェフィトが暴れるのを横目に、存在感を消したまま、このタイミングでの登場を待っていたわけであろう。
「疑問に先に答えておくとだね、シシシシッ。迷宮領主の【領域】で身を隠すノウハウがなきゃ、この俺みたいな流れ者はこんな稼業をやってけないんでね? フェネス殿の人使いの荒さには困るねぇ! シシシシッ、まぁこれは【闇世】の常識に疎そうなオーマ殿へのお近づきの印のサービスさ」
俺の反応と警戒まで想定済である、と。
そしてフェネスの名を出した以上、構図も、この男の目的と役割もほぼ確定したようなものであると言えた。
「そうか。だが、お近づきの印としては破格過ぎる情報だな? キプシー殿。いや……だが、俺が受けた被害の大きさからしたら逆に安すぎる。そうは思わないだろうか? 逆の立場ならな」
――暗に、その迷宮領主に対する「身の隠し方」のノウハウまで加えた上での、アシェイリと彼女を手助けしたであろうネフェフィトら【鉄使い】側による”疵”の利用だったということまで示されているのだから。
俺の反応を読んだル・ベリが、少なくとも直ちに敵対する相手ではなく”交渉相手”の類であると認識を改めたように、戦闘姿勢を解く。
次いでヴィヴィエットもまた、その足元から底流を冷やしていくかのような氷の如き殺気を消し、ふっと、また妖しく微笑むのであった。
「ゔぃ、ヴィヴィ姉……も、もしかして、ずっとそのまま――? あ、あたし聞いてないぞ!?」
「あら? あなたは私の可愛い妹ですもの。あんな、横暴な迷宮領主殿の言う通りに一人で旅に出させるなんて、そんなそんな、そんなわけないじゃないの――ちなみに発案者はラフィですからね?」
……姉妹同士が仲良く囀り始めるあたり、やはり、こうして場を収めるのが筋書きであったのだろう。眼前の蛇のような舌を眼に五月蝿くチラつかせる、言うなれば人の神経を逆舐めするかのような男キプシーに改めて向き直り、こちらからも一歩近づき、俺は口の端を不機嫌そうに歪めて見せつけてやった。
「かなり色を付けて査定してもらわないといけないな? これは」
「シシシシッ、オーマ殿。俺はただの案内役で、報告役なんだ、それを決めるのはフェネス殿だとも? だが、公明正大に――そして公正にこの俺の眼で見たものを伝えることは保証しようとも。なに、それなりの冒険だったが、そのじゃじゃ馬三女殿をお守りして連れてくるのは大変だっただぜ?」
「まぁ一つ言っておくが、次にその劣化版の【情報閲覧】を発動させたら、命は無いぞ?」
ぎょっとしたように目を見開き、そのくるくると瞳孔を回転させる動きを止めつつ、しかし、キプシーは蛇の笑いで俺の警告を受け止めるのであった。
――ウーヌスの機転により逆探知的に察知し、そして見抜くことができたキプシーの眼光の違和感は、どこか【情報閲覧】技能に近いものであった。完全な【情報閲覧】ではないため、察知が遅れたが……わざとそれすらも俺に晒して怒らせつつ、情報を差し出す意を示しているあたり、交渉の一貫であると考えるかどうか微妙なラインである。
だが、微妙過ぎる、このその場で即座に「副伯とはいえ」迷宮領主たる存在に八つ裂きにされるか否かのギリギリのラインを狙ってきている、そうであると読むことはできる。
フェネスの名を出したのも、この場にヴィヴィエットという真の保護者・警護者がいたということとも合わせ、キプシーはギリギリ、ル・ベリに締め上げられずにその立ち位置を俺の前で保っているのであった。
だが、交渉の前にこの場を一旦収めるための手打ちを済まさねばならない。
既に裏では、エイリアン達の土木部隊、治療部隊、隠蔽部隊が、戦時体制から切り替わって動き出している。また、副脳蟲どもの半数は、ナーレフ全体へ今回の騒動を露見させぬため、『帰還組』達を通した情報操作を実行し始めていた。
その最中、キプシーへ怒りの声を投げかける者が、あった。
「キプシー……お前、これが目的だったのか――! 私を、わ、私を売ったんだな!?」
どういうことだ? という表情をしつつも、おおよその察しがついたように、アシェイリを見やってから同じようにキプシーに警戒の眼を向けるは吸血種ユーリル少年。
「うん? 誰も保証はしなかったはずだぜ、アシェイリ殿。俺は君の、ユーリル殿に会いたい、その近くにいるやばい奴をどうにかしたいって企みをどうにかこうにか叶えてやるために、シシシシッ、こうしてこの身を晒して骨折っただけだぜ?」
「ご、ごめんな……アシェイリ?」
――ヴィヴィエットの登場に肝を潰すほど圧され、そしてそのこの場を制圧するような底冷えた殺気が消えるのと同時に胸を撫で下ろしたかのような様子に見えるネフェフィトだったが、なるほど、アシェイリはその意味ではまさにキプシーがこの状況を生み出すためのダシにされたようなものだったのであろう。
「でも、ほら!? こうしてお前のユーリルとは、再会できたわけだしさ! ちゃんと話し合えばいいじゃんかよ、あのオーマとかいう奴が何かしようとしたってあたしが、うわ、直接見たらやっぱ性格の悪そうな顔をしてやがる――あ痛っぁ!? ごめんなさいヴィヴィ姉! もう汚い口調はしません! つねらないで!」
なんとなれば、イオータに切り刻まれてでも拘束から抜け出し、戦闘を再開させる意思をめらめらに燃えやしていた少女狂戦士アシェイリである。
彼女からも、色々と、事情を聞かねばならないだろう。
だが、今回の被害をもたらされる直接のキッカケが彼女と、そしてユーリルの間の因縁にあったことの責任は取らせなければならない。その意味では、まぁ、確かに俺は迷宮領主として立派に性格も意地も悪いのだろう。
「た、タレーエンにも約束したのに……ちゃんとユーリルを連れ帰るって。また、3人で元の暮らしに帰るって……!」
アシェイリが戦闘意欲を出そうとすれば出そうとするほど、他の名付き達も、そしてル・ベリやソルファイドらも、もう終わりだ、という圧を強めていく。そして戦士であるからこそその不利の急加速化がわかっているであろうアシェイリは、力無く、言葉の勢いを落としながら、少女らしい「泣き言」混じりになっていく。
――だが、俺が声をかけようとすると、キプシーが先に口を挟んだ。
「まぁ、だったら柄じゃなあないんだけどなぁ――シシシシッ。アシェイリ殿にもサービスだ、納得してオーマ殿の軍門に入ってもらうためのな? あ、これはオーマ殿に対するサービスのおまけにもなるなぁ! シシシシッ」
そして俺に「もう1回だけ許してね」と舌を出しながら、キプシー=プージェラットはまず己の眼を、次いでアシェイリを、最後にユーリルを指し示した。そのうえで、例のくるくると瞳孔を回す、劣化版【情報閲覧】技能と思しきものを発動させたのである。
その意図に違和感を覚え、俺もまた、彼に合わせてアシェイリに【情報閲覧】を発し――なるほど、と、納得すると同時に、想像していたよりももう少しだけ事態が厄介であることに、気が重くなったのであった。
「『タレーエン』って名前の吸血種なんて、どこにも居なかったんだよなぁ、ずっとシャンドル=グームからアシェイリ殿の言動がなんかおかしいって思ってたんだよ、この俺は」
【血の狂戦士】として、ユーリル少年の幼馴染であった少女アシェイリ。少なくともユーリルから共有された、彼と彼女の幼き記憶の中に――その”弟妹”達を含めて――『タレーエン』とかいう名前の人物は、いなかった。だから、俺も、そしてユーリルも、その名に心当たりは無いのである。
そしてキプシーが、それこそ性格の悪そうな笑みで、さも考え込んだ結果思い至った答えを聞かせるかのように、アシェイリに宣告するのである。
「アシェイリ殿が『タレーエン』って呼んでいたあの男の子。あれな、ありゃ確かな? 俺の見立てが間違ってなきゃ、シャンドル=グームの怖い怖い吸血種殿達の元締めの、シシシシッ、その中でも特に最近の期待の新星! 成長株最精鋭、”本国”への血の貢献トップ実績! とかなんとかを叩き出していやがる――」
――称号【傀下の血儡】。
――そして「状態」の項において「洗隷(強)」という状態異常状態となっているのが、俺には視える。もっと言えば、その状態異常を仕掛けていた張本人の名前まで。
「『ネイリー』殿、だったはずだぜ? ――いやぁ、流石のこの俺もあの時はすぐに気づかなかったけれどな、シシシシッ」
シシシシッ、という蛇の乾いた笑い声が、この誰にとってのものだったのかもわからない破壊と戦闘と混乱を引き起こし、その暴風も過ぎ去ったただの瓦礫と化して半壊した『救貧院』という場に染み込むように数度鳴り響く。
そしてその名を聞いた瞬間、アシェイリの喉から、怒号にも悲鳴にもならない息が。
ユーリルの三白眼もまた、見開かれ、怒りと困惑に震え、嗚咽めいたうめき声が、それぞれ、漏れたのであった。





