right to buttle ⅺ─再定義
「巫山戯るんじゃないわよ」
息を切らして少女は歩く。金色の髪は紅い鉄錆の液体で汚れていた。
主力武器であるFA MASを置いて来てしまった事に今は本当に感謝している。
背中に負った少年は軽いが、それでも対戦車ライフルよりかは重い。一緒になんて背負って歩けないだろう。
そして今はもう鼻が麻痺してしまったが、歩いた道のりは濃厚な血の匂いが凝っている筈だ。早く行かないと合成獣が寄って来て危ない、けれど背負ったものを放り捨てる気にはなれなかった。
その時不意に背中の上で彼が呻いた。
掠れた声が、壊れた笛の音のような喘鳴と血の匂いとに混じって聞こえた。
「……なん、で……?」
「なんでも何も無いわよ、放っておける訳ないでしょう?ほんと勘弁してよね」
消極的であれどあんなの自殺するようなものだ。そんなのは許さない、私も、そしてきっとあの人も。
「私はアンタの弟さんのことそんなには知らないわよ、けれど6年前にさ、フレッケンシュタインの近く、ソエ川の辺りで会ったアンタに良く似た狙撃手の人が言ってた」
「……え………?」
「アンタと同じ色の澄んだ蒼の眼に、確か黒い髪の人だった。川に落ちたらしくて服をあげたらかわりに鹿を撃って、焼肉にして一緒に食べたんだ、その時にアンタ猟師なのって聞いたらさ、異能者だって言ってて、その時はまだ命懸けで戦う人だってことしか知らなかったから、なんで戦うの?って聞いたら、前で自分の為に命懸けで戦ってくれる人がいるから自分もその人のために命を掛けられるって、さ」
きっとその過程で、彼は死んで、偶然紫苑は体の一部を失うので済んだのだろう。きっとそれは運の問題だ。
だから自分を恨む事はないのにとロゼリエは思う。けれどその感情は抱いた事こそないけれど、あくまで自分の理解の範疇ではあった。
「ねぇ、アンタはさ、今もし自分の弟さんが生きてて、目の前にいたとしたら、自分を恨んで死のうとしてる今の自分を、その人が命を散らせて戦った結果を、見せられる?」
それは余りに残酷な話だ。
静かに少年は首を横に振った。
「それにね、私、嬉しかったんだよ。キレてたとはいってもあんなこと言って、だからあの時アンタはここに来ないって思ってたから、ああこれ、私死ぬなって、それなのにアンタが来てくれたから」
そして息を一つ吸って少女は続ける。
「アンタがもしも自分のこと役立たずって言うんなら、私がそれを否定してやる。アンタが存在価値を疑うんなら、私がそれを再定義してやる、私がアンタの後ろに立つよ、だからアンタも私の前に立ってよ。それにさ、私は嫌よ、自分の所為で他人が死ぬのは。
アンタは自分の為だって言うだろうけど、私が助けられた事には変わりないの」
紫苑の傷に障らないように静かな口調ではあったけれど、その言葉は彼の胸中に凝っていた淀みを消し飛ばすには十分な力を秘めていた。
まだ自分を必要としてくれている人がいる。
それが単純事実であるからこそ、彼女の言葉は少年の中に染み込んだ。
共に戦うのは、相手を守りきるのと同義だ。
守りたいものが守れなかった、助けるつもりで死なせてしまった、壊してしまった。ああ、あんな思いはもうごめんだ。
自分がするのも、他人にさせるのも。
───君は、何かを失っても生き延びたいか…?もしもそうなら私の手を握り返してくれ、違うなら手を離せ。
あの時あの人はそう言った。
自分が生きたいと、マーガレットの手を握ったのは、大切なものを失っても良いからじゃない。
大切なものをもうこれ以上失わないようにするためだ。
そのためなら、生きていけると。
今もう一度やり直せるというのなら。
自分は、
俺は、
まだ。
死にたくない、
いきていたい。
右肩を貸されながら、途切れ途切れにそう言って、己の手を握っている少女の左手を焦点の合わない蒼い目で見遣った。
その手は確かに温かくて、だから彼は手の中のぬくもりをしっかり掴んで握り返す。
もう二度と手放さないように。