二章十六話 『対岸からの襲撃者』
魔の満ちる夜も終わり、白み始めた外の世界に続くように、段々と明るくなっていく砂の障壁内。
二日目の早朝。
色を取り戻し始めた小さな世界で、甲高い青年の声が響く――。
「おはようございます、起きてください――」
「「…………」」
中性的な顔立ちの青年が呼び掛ける相手は、同じ調査隊員である新人開拓者の少年少女達だ。
昨晩、如何に気にせぬようと努めようとも、どうしても耳につく魔物の悲鳴に不快感を示し、苦虫を噛み潰したような顔で食事を続けた彼等。レミンに至っては一人早々に食事を済ませ、逃げるように体内へと避難してしまった程である。
残された二人は、表情の晴れぬまま寝床につく事に。
魔鳥車内の長椅子の上、二人は少しでも音が届かぬようにと、薄手の毛布を頭からすっぽりと被り横になったのである。
しかしそれも最初の内だけ。
やはり慣れとは恐ろしいもので、今は就寝前の仏頂面が嘘のように穏やかな寝息を立てている。
「……おーい、朝ですよー」
「「……」」
「…………」
二度に渡るストルドフの呼び掛けにも応答なし。起きる気配はない。
寝坊助で定評のあるジードはまだしも、エレナがこうも起きてこないのは非常に稀なことである。
初めて尽くしの遠征で本人の自覚以上に疲れが出てしまったのだろう。だが、かと言って好きなだけ寝かしておく訳にもいかず、ストルドフは何度か咳払いをおこなったのち、大きく息を吸い込むと――、
「――ジード君っ、エレナさんっ、起きてくださいっ!!」
「「――っ!?」」
「おはようございます。朝食の準備は出来てます。食べたらすぐ出発しましょう」
これでもかと声を張り上げたお陰で、飛び上がるように目覚めた二人。目を白黒させて唖然としている彼等を余所に、ストルドフは低く取り繕った声で朝食の出来上がりを告げるのだった。
***
それから程なくして外に出てきた二人だが、起き抜けの彼等を出迎えたのは、昨晩とはまるで様子が変わってしまった障壁だった。
「――っ。なんだよこれ……」
ジードがそう呟くのも無理はない。
彼等の眼前に渦巻く砂の障壁は、昨晩の砂色一色とは打って変わって、どす黒い砂がまだらに混じり合う不気味なものとなっていたからだ。
「これって……染み込んだ血の色……?」
察しの良いエレナはそれが何を意味するのか気付いてしまったようで、怖ず怖ずと言った様子でストルドフに尋ねる。
「……まぁ、ええ、その通りです。その、昨日も言いましたけど気にしないのが一番です」
出来ることなら否定してくれ――とばかりの視線を一心に浴びたストルドフ。だが彼はその込められた思いを悟ってか視線を逸らし、歯切れが悪そうに答えるのだった。
砂の混じり具合は凡そ半々程度。直径にして二十メートルにも及ぶ砂の障壁の質量は決して少なくない。それを半分も黒く染めるには、一体どれだけの魔物が血肉を飛ばした事か。
唯一の救いと言えば、肉片の一つも残っていない事だろう。仮に、ぐちゃぐちゃになった頭部や身体の一部が一緒に渦巻こうものなら完全な地獄絵図だ。それこそ目も当てられない。
「ささ、昨日と同じで申し訳ないのですが、ちゃっと食べて出発しましょう」
「……あぁ、うん」
「……はーい」
覇気なく応じるジードとエレナ。文句こそ言わないものの、現状に好印象は抱いていないように見受けられる。
そもそもが大前提として、外界で安全に寝れることが、食事に温かいスープが付くことが有り難い事だと言うのを、二人は正しく理解出来ていないようだ。
障壁が無ければ魔物共を相手にするのは自分達だと言う事。それも一斉に襲ってくる訳でなく、タイミングはまちまちだ。見張りの人間は勿論、他の人間も安眠など夢のまた夢の話となる。
食事に至ってもそれは同じで、火を起こせば自ずと魔物を引き寄せる事になる為、通常の野営では焚くことはまずない。月明かりだけが頼りの寝ずの番となるわけだ。
ジルヴェルトという特異な存在がいることや、彼等自身も憑依者である事も相俟って本調査における緊張感が非常に薄い。
言ってしまえば、修行の延長程度の感覚やも知れない。
本来、調査とはもっと大人数で行い、それでも緊迫感極まるものなのだ。
彼等がジルヴェルトの存在に、障壁のありがたみに気付くのはまだ先の話だろう。
***
そうして出発した調査隊一行。
先日の迂回による遅れを取り戻すべく、本日はややハイペースでゲタング達を走らせていた。
軌道修正を踏まえ北北東に進む魔鳥車。しかし、今日も今日とて迂回は必須である。
単身とあらばまだしも、幅も長さもある荷物を牽くとなればそうもいかない。地面の陥没、木々と木々との幅が狭ければ避け、森の中を進むなど以ての外。
荷を牽いての道行きが如何に大変なものかを、新米二人組は身を以て知る事となっていた。
そんな中、今日も魔鳥車の屋根では修行が行われており、その内容には『魔力感知』も継続しつつ『魔質の遠隔操作』も加わっている。
進むにつれ、次第に変化を見せ始めた魔物の生態系。外界に出てすぐは一角兎や小鬼、魔狼にトロールといった陸地の魔物が主であった。
やがて一角兎の数が減り、次いでトロールが減り、小鬼までもが姿を表さなくなった頃。
代わりに台頭してきたのは半人半鳥の魔物ハルピュイアや、神経毒を有する針を無数に飛ばしてくる殺人蜂等、地形に影響を受けない魔物ばかりだ。
しかし、これらのいずれも魔鳥車を止める事は敵わず、道すがらに屠られていくばかり。
ジルヴェルトの殲滅力は本日も健在である。
***
そうして太陽が南中を過ぎた頃合い。
丘を越え、山を越え、ようやく平らな地表を進めるようになった一向は、草木の生長が著しい地帯を進んでいた。
午前中の順調具合が一転。身の丈程に茂る草木を鬱陶しそうに掻き分け進むゲタング達。
地べたの様子も見極め辛い事から必然と移動速度は落ち込み、不穏な空気が見え隠れし出した調査隊一行。
そしてそれに追い討ちを掛けるように待ち受けていたのは、大地を二分するかの如く流れる巨大な川だった。
「……どうするんだ、これ? 中に魔物がうじゃうじゃいるけと……」
眼前を流れる川を見据え、困ったような声を漏らすジード。
一行の現在地から見た川幅は、対岸までおよそ五十メートルばかり。中の様子が全く以て窺えない程に濁っている為、水深こそ定かではないが、魔鳥車を牽いた状態ではまず横断出来ない事だけは確かだ。
その濁流もさることながら、日の光を茶色く反射する水中には、ジードの感知通り多数の魔物が潜んでおり、迂闊に進入しようものなら手痛い仕打ちを受けかねない。
「とりあえずは上流に向けて進むしかありませんよね。いずれは渡れそうな所も出てくるでしょうし……」
「ちょっと待って、それなら高いところから見てみるわ。何か見つかるかも知れないし。ね?」
上流に寄れば寄るほど川幅は狭まる――。
自身の知識を頼りに、とりあえず上流へ向け進路を取ろうとするストルドフ。それに待ったを掛けたのは、妖精の憑依者であり、飛行の術を持つエレナであった。
「それもそうですね。それじゃあお願い出来ますか?」
こくりと頷いたエレナは、その背に浅緑色の魔力羽を纏わせ軽く跳躍。遥か上空まで一息に飛翔すると周囲を見渡し始める。
地表からではわからない事も、高い位置からであれば見えてくるものもある。
しかしそれが必ずしも良い結果だとは限らない。
「……これじゃあ暫く川沿いに進むしかなさそうね――」
彼女がそう呟いたのは、上流から下流までを隈無く観察してからの事。
目に映る範囲で横断出来そうな箇所は無く、上空から遙か先を見通しても川幅は変わらず伸びていたのだ。
やっぱり迂回しかないか――と、小さく肩を落としたエレナがゆっくりと下降を始めた途端、彼女の頭上数ミリを何かが掠めていった。
「――なにっ!?」
はらりと舞い落ちていく柔らかな赤い髪。
事後、風圧で初めて気付いたエレナは慌てて振り返るも、既にその何かは通り過ぎ見えなくなったあと。
ジルヴェルトには及ばずとも、魔力感知には秀でている彼女だ。そんな彼女がそう簡単に魔物の接近を許すとは思えず、実際に近辺に魔物の気配はない。
「一体なんなの……」
とすれば一体なんなのか。
謎の物体の正体を特定しようと、鋭い表情で先程の軌道の元を辿っていくエレナ。
すると間もなく、二度目となる何かの襲撃が一直線に迫っていた。
「――っ!」
例え魔力を感じなくとも、視認さえ出来れば対応は出来る。
人一倍視力に優れるエレナは、自身に襲い掛かる謎の飛来物を随分と手前から捉え、魔術で応戦を試みる。
『――エア・バズーカッ!!』
飛来物目掛け突き出された少女の小さな掌。その両の掌で一瞬にして圧縮された空気は、飛来物に向け一気に解き放たれる。
逃げ場を求めるように飛び出した突風は空気の大砲そのもの。圧倒的な風量を伴い飛来物を飲み込んでいく。
目にも留まらぬ速度で迫っていた筈の何かは、エレナの放った空気砲に勢いを殺され、目標よりかなり手前で放物線を描きながら落下していく。
見事撃墜したそれの正体を、持ち前の視力で捉えたエレナは思わず困惑の声を上げる。
「え、石……?」
どうやら先程からエレナを襲っていたのは、人の頭程の大きさもある石であったようだ。
流石の彼女も投石による攻撃だとは予想外だったようで、驚きをかくせないままに再度軌道を辿る。
弾道からして川越しに放たれたのは間違いなく、少女の視線は自ずと川向こうへ。
こちらの陸地同様、草木が茂る地帯が延々と続いており、川岸より五百メートル程向こうに黒い影がぽつり――。
「――見つけたっ!」
襲撃者の姿を確認したエレナは、でたらめな軌道を描き地上へ急降下。隊より離れた位置に降り立つと身を低くしたまま走る。
そして、到着と同時に警戒を呼び掛けた。
「――川向こうに何かいるみたいっ!」
「ああ、だと思った。どんな奴だった?」
「それが遠すぎてよくわからなかったの。ただ、大きな石を投げつけてきたわ」
エレナが地上に戻った時点で、地上部隊は既に戦闘準備が整っていた。
少女が空中で魔法を放ったのと同時に魔鳥車は避難し、ジードとジルヴェルトで迎撃の構えを取っていたのだ。
「は? 石? なんだそれ、変な攻撃してくる魔物もいるんだな」
「ね。魔力がある訳じゃないから感知できなくて危なかっ――」
「おら、ぼさっとしてねぇで構えとけっての。死んでも知らねぇぞ」
刹那、二人の会話を遮るように響いた破裂音。
それは紛れもなく投石の着弾によるもので、ジルヴェルトが砂の盾で塞いでいなければ直撃もあり得る弾道であった。
ずどん――、と重い音を立て落下した、大人の頭蓋よりも大きなそれ。
地上に降りてしまっては、彼女の目を以てしても視認出来ない距離。それにも関わらず、直線の軌道を描いて正確に放たれたその攻撃は、間違いなく見えている証な訳で――、
「嘘……? この位置でも見えてるの……?」
驚きを隠せないエレナが目を丸くし、口元に手を当てる。
事実、隊の誰もが投石の主を視認出来ず、何もない平原の彼方から投石による襲撃を受けている状態であり、続く四投目、五投目も砂の盾で防ぐより他ない。
投石による攻撃はそこから更に複数回に渡って続き、二桁をとうに上回った頃。
投げども投げども一向に通らぬ攻撃に痺れを切らしたのか、ぴたりと投石は収まった。
「「――――」」
何も起こらないまま、緊張を孕んだ静けさが続く事暫く。
「――けっ、いよいよお出ましか。もったいぶった分、楽しませてくれんだろうなぁ、おい……!」
唐突にジルヴェルトは喜びの蛮声を上げ、魔物化を始めたのだ。
「来るのね」
「みたいだな」
ジルヴェルトの嬉々とした様子から魔物の接近を悟った二人もまた、警戒を最大限に引き上げるが、視覚的にも魔力的にも感知には至っていないようである。
その後、ジルヴェルトからおよそ十秒遅れでエレナが魔力を感知し、更にその数秒後にジードが魔力を感知した。
だがその頃、対岸には既に迫る敵影がくっきりと浮かんでおり、ジードとエレナはその大きさに度肝を抜く事となる。
「なんだよあれ、デカすぎだろ……」
「――そうよ、あれだけの距離があって見えたんだから気付くべきだったのよ……」
猛烈な勢いで迫るその敵影は人型にも関わらず、異常な大きさを誇っていたのだ。
ジード達を覆い隠すように茂る草木が彼等の身の丈程なのに対し、迫る敵影はそれが膝下にも及んでいない。
対岸に茂る草木達も同様の種類である事から、迫り来る魔物の大きさは人間の四倍ないし五倍以上であることが窺える。
ともすれば当然、歩幅も移動移動速度もそれに比例する訳で、瞬く間に距離を詰めた巨大な人型。
人間さながらの全力疾走を披露するそれの体は全身樺茶色で、遠目からでも分かるほどに筋骨隆々の逞しい姿をしている。
そしてその巨躯は、間もなく川岸まで迫ろうとしていて――。
「――なっ! 飛んだっ!?」
驚愕の声を上げるジード。
あろう事か、巨大な人型の魔物は対岸に渡るべく、陸を隔てる河川を飛び越さんと跳躍したのだ。
その姿には洗練された技術など欠片も無く、 身体能力便りのただただ粗暴で荒々しく、本能で突き進む野生そのものであった。そして、その速度、軌道からしても余裕で川を飛び越えてしまうのは間違いない。
しかしそれを、ジルヴェルトがみすみす許す筈もなく――、
「オラッ! 食ライヤガレ……!」
着地間近の魔物へ向け、お得意の砂槍を放つジルヴェルト。その太さは敵のサイズにあわせ極太だ。
今まで数多の魔物に風穴を空けてきた砂の槍が、此度も火を噴かんと迫る中、人型の魔物は握り合わせた拳を頭上に振り上げ――、
「――――――!!」
――爆砕。
振り下ろされた拳に打ち負けた砂の槍は激しく飛び散り、辺り一帯を霞ませる。
次いで訪れる地揺れは、魔物の着地を知らせるもので。
「「――っ!」」
不確かな視界の中、ジード達を見下ろしていたのは、不気味に光る巨大な単眼だった。




