二章十七話 『単眼の巨人』
舞い散る砂塵の中心――。
ぎょろりと動く巨大な単眼は、自身の足元に群がる獲物を的確に捉えていた。
「――」
接近を許してしまった事で一層際立つ、圧倒的体格差。
十メートル近い体躯は厳めしい程に筋骨隆々としており、樺茶色の体色や腰に巻かれた黒い毛皮も相俟って、粗野な印象を抱かずにはいられない。
顔の面積のおよそ半分を占める不気味なその瞳は琥珀色に怪しく光り、その真上の前頭部には円錐型の角が一本、前傾に備わっている。
しかし成る程、この大きさを目の当たりにすれば、先程の投石攻撃にも頷けるというものだ。
そもそもにして規格が違うのだ。人からすれば巨大な岩も、この魔物からすれば石ころのようなものだろう。
「ホォ――? 中々デケェ単眼の巨人ジャネェノ! 上ッ等ッ! 面白クナッテ来タジャネェカヨ、ナァオイッ……!!」
単眼の巨人の迎撃にあえなく失敗したジルヴェルトだが落ち込む様子はまるでない。
それどころか、自身の記憶の中でも比較的大きいサイズのサイクロプスの登場に興奮気味に魔力を圧縮していく。
そうして間もなく。
嬉々として駆け出したジルヴェルトは途中、足元に作り出した砂の射出台で自身を撃ち出し一気に加速。
一息で眼前まで飛び上がると右腕を巨大な砂の拳へと作り替え、巨人の横っ面に叩き込む。
「――オラァッ!!」
確かな衝撃音。
腹の底に響くような、ずしりとしたその打撃音は紛れもなく、砂の拳がサイクロプスの右頬を捉えた事によるものであった。
しかし――、
「ちっ――」
勢いの乗った一撃をまともに受けても何のその。ぐらりどころか、ぴくりともしない巨体。
やむなくその場を離れようと、空中に砂の足場を展開するジルヴェルトを、巨人の単眼はしっかりと見据えていて、
「――ッ!」
「――ガハッ」
巨躯から繰り出された横なぎの一振り。
人の身体よりも大きいその掌に、咄嗟に生成した砂の盾ごと張り飛ばされ、ジルヴェルトは宙を切るように飛んでいく。
「「ジルヴェルトさんっ!」」
吹き飛ばされる師匠を見て二人が心配の声をあげるが、それも杞憂に終わる。
数秒後にはジルヴェルトが身体を翻し、空中に作り上げた砂の足場を用いてバネのように飛び戻っていったからだ。
「――ヤルネェ! ソウコナクッチャ面白クネェヨナァ、オイ……!!」
「――!」
雷鷲戦が不完全燃焼に終わった為か、新たな強敵の出現に喜びを隠しきれていないジルヴェルト。
彼にはもう眼前の敵しか見えておらず、心配する二人の声が届いている様子はない。
「――シャラァッ!!」
再び振るわれた砂の拳。
巨人の顔に合わせて巨大化されたそれは、初撃とは異なり血を吸ったような黒みを帯びていた。それは寸分違わずサイクロプスの右頬に吸い込まれていき、先程より重く衝撃音を辺りに響かせる。
弾けるように跳ねる醜悪な顔面。僅かだがよろめく巨体。利いているのは誰の目にも明らかで、そしてそれは、巨人の闘争本能に火を付けるには充分過ぎるものだった。
「――ッ、――――ッ!」
仰け反りつつも握り拳を固めたサイクロプスは一気に体勢を戻し、その勢いで以て大振り拳骨を走らせた。
それは素人目にもわかるテレフォンパンチで、避ける事など容易だっただろう。それにも関わらずジルヴェルトは勢い良く地を蹴り、真っ向勝負に打って出たのだ。
「ゥオラァァア――ッ!!」
ぶつかり合う拳と拳。
かたや巨躯に見合うだけの強靭な肉体から繰り出された拳。かたや人より少し大きい程度の肉体に砂を纏わせ巨大化した拳。
大きさこそ近しくあれど、そもそもの力が違うのだ。単純な力比べでは勝てる筈もない。
「――チッ」
言うまでもなくジルヴェルトは吹き飛ばされる。それはまるで、唐突に見舞われた木の葉のようで、圧倒的な自力の差を見せ付けられる事となった。
しかし戦闘狂の性ゆえか、そのような状況に晒されても縦瞳孔の瞳はギラギラと輝きを増す一方で、
「……マダマダコンナモンジャネェゾ、オラァ……!!」
一直線に草木を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされたジルヴェルトだが、どうにか体勢を立て直すと即座に地を蹴った。
途中、砂の射出台を作り出し一気に加速。血染めの黒い砂拳を振り上げ襲い掛かる。
「――――」
気紛れか好戦的なのか、サイクロプスもまた腕を引き、拳を握り締め迎撃の構えを取る。
「――ラァアッ!!」
「――ッ!!」
そしてまた、拳と拳が交わりあう――。
***
唐突に始まってしまった殴り合い。
繰り返される事幾数回、その度に響く破裂音。舞う砂塵に、揺れる空気。そして吹き飛ぶ砂蜥蜴と化したジルヴェルト。
しかし思惑でもあるのか、彼に諦める素振りなどまるでなく、勝つまで続けんとばかりの執念じみた気迫すら見受けられる。
「「…………」」
こうなってしまっては、ジードとエレナの二人も迂闊に動くことは難しいだろう。下手に加勢に出ようものなら、戦いのペースを乱しかねないだけでなく、「水を差すな」と叱咤を受ける可能性すらあり得る。
お陰で、いつでも加勢に加われるよう身構えてはいるものの、その場を動けずにいるのが現状だ。
そんな、固唾を飲んで見守るより他ない二人の元へ、草木の茂みに身を潜めながらストルドフが歩み寄る。
「良かった、無事なようで何よりです」
魔鳥車の避難を終えたストルドフは、近づきざまにほっと安堵の息を吐くと、お次は交戦中のジルヴェルトを一瞥して溜め息を漏らした。
「どうやら、また悪い癖が出てるようですね……」
「悪い癖?」
「ええ、あの魔物は単眼の巨人と言って外界各地に生息している魔物なんです。勿論、ジルヴェルトさんも交戦経験がある筈ですし、特徴についても熟知している筈。あの個体は特別大きく感じますが、それでも弱点はあの巨大な目玉のままで間違いないでしょう。どうせまた、『相手の得意分野で勝つからこそ面白ぇ』だなんて思っているんですよきっと」
「ははは……ジルヴェルトさんらしいと言うか……」
「そうね……」
呆れを含んだ説明を受け、妙に納得した様子をみせるジードとエレナ。
言われて見れば納得。無理に近付かずとも闘う手段がいくらでもあるにも関わらず、肉弾戦に持ち込むのは愚策でしかない。どう考えても悪い癖が出ている証拠だろう。
しかしそれこそがジルヴェルトと言う男であり、彼の全てだとも言える。
尚も拳をぶつけ合う男の裂けんばかりに吊り上がった口元、愉悦に満ちたその瞳を見てしまっては誰が文句を言えようか。
「……良いですか、二人とも。万が一にもジルヴェルトさんがやられた場合、その時は二人にお願いする事になります。その際は、素早い動きで相手を翻弄しつつ足を狙い、体勢を崩したところで目を狙っていくのが基本として覚えておいて下さいね」
交戦を続けるジルヴェルトを見据えたまま、言葉を続けていくストルドフ。それを聞く二人も、視線は逸らさぬまま小さく頷いてみせる。
「――ただ、サイクロプスには頑丈で、ちょっとやそっとの攻撃では効果を感じられないでしょう。ですが、だからと言ってムキにならず、確実に一撃ずつ決めていくよう心掛けて下さい」
「うん、わかった……!」
「ええ、わかったわ……!」
いつ訪れるともわからない出番に備え、緊迫した面持ちで事の行く末を見守る二人。
そんな折、都合十四度目の交戦にして、ようやく状況に変化が訪れた。
「――ッ!?」
衝突と同時、砂が爆ぜる音の中に、サイクロプスの苦鳴が混じったのだ。
それは、度重なる激突に拳が耐えきれず、骨がひしゃげたが故の結果であり、無意味にも思えたジルヴェルトの狂行が意味を成した瞬間だった。
いくら堅牢な拳骨と言えど所詮は生身。一方、その都度形成される砂の拳は血を吸い普段より強固なもので、それと打ち合いを繰り返せばいずれガタが来るのは明らかだ。
ジルヴェルト自身、そこまでの考えをもって力比べに持ち込んだかと言えば甚だ疑問が残るが、それでも間違い無く軍配は彼に上がった。
「オイ、ヘバッテンジャネェゾッ! 面白レェノハ、コッカラダロウガヨッ!!」
痛みにより振り抜きが甘かったのか、吹き飛ばされ方もそれ程ではなかったジルヴェルトが瞬く間にサイクロプスへと迫り、続けるぞとばかりに声を荒げ拳を突き出す。
戦闘狂からすれば腕の一本や二本は何のその。そこに立っている限りは闘い続けるのは当然の事のようである。
だが相手は魔物であり、ジルヴェルト程闘いに焦がれている訳でもない。ましてや、命を危険に晒してまで張り合う道理も無い訳で――。
「――――ッ!!」
腕を引き、ひしゃげた拳を握り締め、その単眼を痛みに細めたまま、あたかも迎撃するかのように身構えたサイクロプス。
しかしその拳を打ち出すことはなく、接近するジルヴェルトへ損傷していない方の腕で平手を振り下ろしたのだ。
「――ッ、テメェッ……!」
ジルヴェルトは信じられないとばかりに目を剥き、急ぎ展開した砂の盾で防ごうとするも、降りかかる巨大な掌に、諸共叩き落とされてしまう。
「――!!」
あえなく地面へと叩きつけられたジルヴェルトを襲う、烈火の如き踏みつけの嵐。
巨大な足底が地面を叩く度に土は抉れ、その衝撃に大地そのものが跳ねる。
随分と距離を取っているジード達にもその震動は充分に伝わり、その凄まじさと言えば内臓が揺れる程である。
「――行くぞっ……!」
「ええっ……!」
残念な事に彼等の位置からでは草木に遮られジルヴェルトの姿が確認出来ず、師匠の安否を危ぶんだジードが勇んで駆け出し、僅かに遅れてエレナが続く。
「俺が後ろから足を狙う。エレナは隙を見て目玉に一撃叩き込んでくれ!」
「任せてちょうだい!」
言うが早いか、足に魔力を集約し、人の域を外れた速度で駆けるジード。サイクロプスに気取られぬよう、大きく弧を描いて後ろに回り込んでいく。
「――っ」
腰に差した直剣の柄に手を掛け、未だ地面を踏み込んでいる巨人の背中をきっと睨む。
狙うは軸足。サイクロプスが片足を宙に上げたタイミングに合わせ、腱をたたき切らんと抜剣し駆け出したその時――、
「――ッ!?」
「――なっ!?」
唐突に上がった野蛮な悲鳴に、ジードはたたらを振みながら足を止め、彼もまた驚愕の声を上げた。
何故なら、突如としてサイクロプスが焦ったように身を強ばらせたかと思えば、みるみるうちにその巨躯が縮んでいき、やがて完全に見えなくなってしまったからだ。
辺りに茂る草木は精々が人の身の丈程度であり、十メートルに迫る巨体が如何に身を屈めようとも、隠れられる筈も無いのは言わずもがな。
「――! ――! ――!」
であれば一体、何が起こったのか。
姿こそ見えぬものの、拘束された獣のような蛮声は頻りに響いており、すぐそこにいるのは間違い無い。
不安を拭い切れず、警戒した面持ちを浮かべたまま足早に近寄っていくジード。
手に直剣を抱えたまま歩を進めれば、足元は次第に砂が目立つようになり、やがてそれは、飛び散った砂が積もった等という次元ではない程に広がりをみせていく。
「――ッ! ――――ッ!」
「――っ、埋まってる……?」
固かった土が見る影もなく砂地へと変わったところでジードの目に飛び込んで来たのは、首から下を地中に埋めたまま唸り声を上げ威嚇するサイクロプスだった。
「――えっ、ちょっと、何これ!? ねぇ、ジルヴェルトさんは?」
「いや、それが見当たらないんだよ……」
同じく異常事態を察知したエレナが数秒遅れで登場し、首から下を地中に埋めている巨人を発見し目を丸くした。
しかしどうやら二人とも、この状況を引き起こしたのがジルヴェルトだというのは理解しているようで、サイクロプスに意識をやりつつも周囲に視線を巡らせている。
それから間もなく、サイクロプスの眼前の砂が盛り上がり始め――、
「――ッタクヨォ、セッカク楽ンデタノニ、コノ根性ナシノセイデ台無シダッツーノ」
「――――!」
巨人の眼前に無傷で現れたジルヴェルト。
背中を向けたまま、酷く落胆した様子をみせる敵をサイクロプスは憎悪の籠もった眼差しで睨み付け、ここから出せと力の限り怒号を飛ばす。
「ウルセェヨ。オメェニモウ用ハ無ェッツーノ」
自身との力比べを無碍にされた事が余程気に障ったのか。今までの興奮具合が嘘のように冷め切った声で言い放ち、言い終えると同時、地面より伸びた砂杭が単眼の真芯を貫いたのだ。
それは、一欠片の躊躇もなく、あまりにもあっさりとした死刑宣告であった。
「――――――ッ!!」
飛び散るは紫紺色の鮮血。
巨人の弱点を的確に貫いた砂杭はたちどころに眼球の水分を奪い取り、ぴたりと眼窩に収まっていた巨大な目玉はみるみるうちに涸れ萎んでいく。
手足は疎か、全身を拘束されたサイクロプスは患部を押さえる事も許されず、ただただ悶え叫ぶばかり。
一方、ジルヴェルトはと言えば、すぐ真後ろで苦しんでいる先刻までの好敵手には欠片ほどの感心を示す様子もない。
挙げ句、用は済んだとばかりに魔物化を解除すると、一瞥をくれることもなくその場を離れ始める始末である。
「「…………」」
事の顛末すらも見届けず、何事もなかったかのように歩き出したジルヴェルト。
本人はそれで良いのかも知れないが、救援に来た筈の二人はあまりに呆気ない幕切れについていけておらず、言葉もなく立ち尽くしていると、
「おら、ぼけっとしてねぇでとっとと行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよジルヴェルトさん。こいつをこのままにしておく訳にはいかないだろ?」
「――けっ。んなもん魚の餌にでもしときゃ良いだろ」
焦った様子のジードに対し、ジルヴェルトは鼻を鳴らしながら振り返ると、既に瀕死となっているサイクロプスを視界に収めるがそれも束の間。
巨人を拘束していた砂が瞬く間にせり上がり、その巨体をも鷲掴みにする巨大な腕へと変貌する。
そして上昇する事、地上より二十メートルばかり。
随分な高度まで伸ばされた砂の腕は、大地を二分する川へ向け魚の餌を投げ下ろしたのだった。
「――」
呻き声を洩らしながら、水面へ一直線で進んでいく巨体。
瀕死へと追い込まれたサイクロプスにはもはや、抵抗するだけの気力すら残っておらず、眼球に打ち込まれた砂杭もそのままに水面へと叩きつけられた。
着水に伴い、高々と上がる水しぶき。どうやら水深はそれなりにあるようで、サイクロプスの巨体を以てしても丸々沈み込んでしまう程である。
「「…………」」
先程の様子からして、自力で陸地に上がってくる事は皆無に等しいものの、それでも気掛かりなようで、サイクロプスの沈んだ先を静かに見据えるジードとエレナ。
しかし一向にサイクロプスが浮上して来る事はなく、やがて川には唐突に紫紺色に広がり始めたのだ。
二人が何事かとそちらを注視すれば、色の染まった水面付近には小さな魚影がちらほらと回遊しているではないか。
水面を跳ねる個体を見るに、一匹辺りの大きさはおよそ二十センチばかり。楕円形の薄い体に、びっしりと並んだ、口からはみ出る牙が如何にも肉食具合を醸し出してはいるが、その大きさ故にそこまでの脅威とはならないと言える。
しかしそれは、あくまで単体での話。水面に姿を覗かせているのが群の一端で、水中にはおびただしい量の群れがひしめき合っているとなれば、その脅威は計り知れない。
万が一にも水中に足を踏み入れようものなら、正真正銘、魚の餌となるのは免れないであろう。
「食べられた、のかな……?」
「多分……」
二人はそれからも暫く観察していたものの、終ぞサイクロプスが姿を表す事はなかった。
この事実を受け、ジードとエレナが必要以上に川から距離を取るようになったのは言うまでもない。




