二章十五話 『野営』
暫しの休憩を挟んだ調査隊一行は、カリバより伸びる一筋の道標の行き着く先を目指し、再び外界を進み続ける。
先程の掃討戦の甲斐もあって付近一帯に魔物の気配はまるでなく、安全性の確約が取れた事により、一時的に御者台にはエレナが座る運びとなった。
――と言うのも、他の面々が休憩を取ったのに対し、ただ一人ストルドフだけは出発から手綱を握り通し、皆が腰を落ち着けている間も魔鳥車の点検整備と働き詰めであったからだ。
そこでエレナが交代を申し出た事で、ようやく彼は休憩にありつけたと言う訳である。
実際のところ、彼女自身がやりたくてやっている為、この交代は言うまでもなく利害が一致していた筈だった。
しかし、ストルドフが酷く謙遜して感謝を述べる為、エレナは何とも後ろめたそうな表情で御者台に乗り込むのであった。
そうして出発する事、凡そ二時間。魔鳥車は魔物と遭遇する事もなく、車輪を軽快に回し続けていた。
御者であるエレナ、自称助手のレミンが御者台におさまるなか、三人の男達は幾分か快適さを増した魔鳥車の屋根で思い思いの時間を過ごしていたのだ。
またとない平和な外界を、観光さながらの様子で満喫するジードに、前傾姿勢で胡座を掻きながら紙とペンを持ち、何やら色々と書き綴っていくストルドフ。
不思議に思ったジードが尋ねれば、調査報告書に記載すべき事柄を簡潔に記しているとの事。なるほど、記憶が新しい内の方が情報の精度が上がるのだから、やっておくに越した事はないだろう。
そして開拓団きっての問題児、ジルヴェルトに至っては、する事が無い為か再び昼寝を決め込んでいる始末。
本来乗組員である彼等三人が、もはや只の乗客に成り下がってしまうほどの穏やかな行路なのであった。
***
極めて順調に進んでいた旅路だったが、今現在、手綱を握るエレナの表情からは余裕が消えていた。
魔鳥車を一旦停止させた彼女は緊張した面持ちで前方を見据え、ごくりと喉を鳴らす。
道中、山岳地帯と言う事もあって、思わず首を持ち上げてしまう程の急勾配に見舞われる事もあった。しかし、万全の状態に近いゲタング達は何ら苦もなくぐいぐいと傾斜を駆け上がっていく。
その類い希なる健脚ぶりに目を輝かせ、興奮のままに声を漏らすジード。もちろん、御者であるエレナも手綱捌きに一際熱が入ると言うものだ。
そうして、急勾配を登っていく事幾回。登っていけば当然、いずれは下る事になる訳で――。
「……エレナさん、こちらからでは厳しいので、あちらから迂回しましょうか――」
「えっ、そうなの……?」
ストルドフがそう提案するのも無理もない事だろう。
一行の進行方向である北東側には、一息に下山出来てしまうのではないかと思える程に延々と下り坂が続いており、路面の凹凸や剥き出しになった岩盤もちらほらと窺える。
対して彼の示すあちら側は、やや南東寄りに比較的緩やかな丘陵が続いている。それならば、遠回りにはなってしまうものの、安全に走行出来る地点まで迂回し、後々軌道修正した方が遥かに賢明だからだ。
「慎重に下りていけば、いけない事はないと思うのだけど……」
ところがエレナにはその判断が意外だったようで、何やら納得のいかない表情のまま坂下を覗き込み、ぼそりと呟いた。
「……確かに、今のこの状況であれば何とか下りていけるかも知れませんが、肝心なのは本番を想定して確実に進行出来る行路を選定する事です」
「あっ――」
指摘を受けた途端、エレナは彼の言わんとしてる事に気付いたようではっとした表情を浮かべたのち、居心地が悪そうに俯いた。
うっすらと赤く染まったその顔を見れば、迂回の理由が自身の操縦技術にあると思い違いをしていたのだろうと言うのか窺える。
「いくらゲタングでも、結界柱を牽いた状態でこの急坂を下るのは流石に無理がありますからね。安全第一でいきましょう。お願い出来ますか?」
「え、ええ! もちろん! ――さぁ、お願いっ」
ストルドフはそんなエレナの様子に構うことなく言葉を続け、彼女は気恥ずかしさを誤魔化すように勢い良く首を振ると、手綱を引き方向転換を図る。
「「――!」」
進路を変え、再び走り出した魔鳥車。その屋根の上ではストルドフが忙しなくペンを走らせるのだった。
***
それから走ること更に数時間。
迂回に迂回を重ねた調査隊一行は、大きく進路をそれながらもどうにか進み続けた。
土や岩ばかりだった寂しい景色は次第に移ろいでいき、現在は夕日を背に草木の茂る緑の丘を駆けている最中である。
変わったのは景色だけでなく、一つ二つと山越えを果たした為か、ちらほらと魔物の影も見え始めていた。
その為、観光気分はここで終わり。手綱は再びストルドフの元へ。見事役目を終えたエレナはそのまま御者台に収まり、ジードは魔力感知による索敵を再開している。
しかし残る一人、ジルヴェルトだけは『雑魚はおめぇで何とかしとけ』とのお言葉をジードに残し、起きる気配はまるでなかった。
そうして一人で周囲の警戒に当たっていたジードだったが、ふと西の空を見つめた途端、思い出したかのように表情を険しくして御者台の方へ声を張った。
「なあ、ドフさん。そろそろ野営地を決めなくて良いのか? ガンズさんは日暮れ前には野営地を決めないと色々大変だって言ったけど……」
話題は今晩の寝床の確保についてであった。彼とてストルドフを信頼していない訳ではないのだが、一の師匠の教えとあらば、その懸念も致仕方のないものだろう。
日が落ちてしまえば動きが制限されるのは勿論、夜になると魔力濃度が上がり、魔物も活発になってしまう。自ずと危険度は跳ね上がるのは言うまでもなく、ガンズが早めの野営準備を推奨するのは開拓者間での常識だからだ。
「そうですね――本来であれば、既に準備に取り掛かってなくてはまずい頃合いです。ですが今回はジルヴェルトさんが同行してくれているので、心配いりませんよ」
「……ジルヴェルトさんがいるから?」
その言葉にジードは後ろに振り向きジルヴェルトを一瞥すると、怪訝そうに眉を顰めた。
言葉には出さずとも、信用するに足りないと思っているのが丸分かりの表情だ。
「ええ。いつもこういう時はジルヴェルトさんが砂で障壁を造ってくれるので、我々は準備等を気にせずギリギリまで進める訳です」
これまで多種多様な魔質を披露してきたジルヴェルトだ。障壁であろうが、砂の家であろうが、何でもござれだと言う事は想像に容易い。
事実、幾度と無くその万能振りを目の当たりにしてきたジードは、つい先程までの疑念が嘘のように納得した様子で頷いている。
「……あー、そう言う事か。まさか一晩中魔物と戦うのかと思ったよ……」
「ははは、強ち否定しきれない所が怖いですね……ま、まぁ、とりあえずもう日は暮れて来てますし、今日のところはもう終わりにしましょうか」
冗談混じりに伝えられたジードの憶測は、彼の性格を鑑みれば十二分にあり得るもので、ストルドフは笑い飛ばす事が出来ず取り繕うようにそう口にしすると、ゲタングに減速の指示を出す。
「「――――」」
緩やかに速度を落とした魔鳥車が止まったのは、隠れるものも特にない丘のど真ん中。ぽつぽつと木が点在するのみである。
本来であれば少しでも魔物との遭遇を減らすべく、遮蔽物の多い場所に車体を隠すのが定石なのだが、ジルヴェルトを以てすればそのような手間は不要であり、更には安眠が約束されているのだ。
しかしそれでも彼と隊を組みたがる者がいないのは、偏に日頃の言動が原因だろう。
「ジルヴェルトさん。少し早いですが今日はここで休もうと思います。お願い出来ますか?」
「………ぁあ?」
御者台に立ったストルドフが屋根の縁に手を掛け、ひょっこりと頭部だけを覗かせた状態でジルヴェルトに話掛ける。
呼び掛けられたジルヴェルトは眉根を寄せながらうっすらと瞼を開き、舐めるように辺りを見回していく。
「今日はこの辺りで休もうと思うんです」
「んだよ、まだ行けんじゃねぇのか?」
再度となるストルドフの提案に、現状を把握し終えたジルヴェルトの返答は芳しいものではなかった。しかし、ストルドフは負けじと食い下がる。
「まぁまだ初日ですし、雷鷲との戦闘での疲れだって完全に取れたわけじゃないでしょう? ね?」
「――けっ、わぁーったよ。好きにしやがれ」
意外にもあっさりと折れたジルヴェルトはつまらなそうに立ち上がると、躊躇いなく屋根から飛び降りた。
調査終了後には念願のご褒美を控えている彼からすれば、夜半の強行軍も厭わなそうなものだ。
それにも関わらず反論もしないと言うことは、ストルドフの指摘が的確である何よりの証拠だろう。
魔力こそは吸収は出来れど、雷の直撃を受けた身体は完全に回復しきっておらず、その後遺症が尾を引いているに違いない。
そんなジルヴェルトは衝撃を感じさせない程軽やかに着地すると、そのまま数歩魔鳥車から離れ、ゆっくりと魔力を圧縮していく。
「――おらよっ!」
存分に込めれていく魔力により、砂色の光を纏い始めた足先で地面を強く叩きつけるジルヴェルト。
途端、ジルヴェルトの足元を中心に地表の水分は枯渇していき、それを追い掛けるように草木が枯れ落ちていく。
無理矢理に引き起こされた干ばつは円形に広がっていき、およそ直径にして二十メートル程で収まりを見せた。
勿論、それだけで終わる筈もなく、続いて砂原と化した各所から砂が間欠泉の如く空高くまで噴出し、見る見るうちに空を覆っていく。
地表から上空までを半球体状に覆い尽くしたそれは、一見して『砂の結界』にも見えるがその実、性質がまるで異なる。
かくれんぼの際に展開されたそれは、物体の通過を感知する謂わば『膜』のようなものだったのに対し、『障壁』と証されたそれは半球体状を形取るように形成された、超高密度の砂竜巻であった。
目で追えぬ程の回転力を誇るそれは砂の粒子を超高速で吹き回し、何人たりとも寄せ付けぬとばかりに殺伐とした風音を奏で、外と中との境界を示している。
「ありがとうございます! ささ、日が暮れる前に手早く食事の支度をしちゃいましょうか。――皆さんは火種となりそうな枯れ枝等を拾って来てもらえますか?」
出来上がった障壁の中、御者台を離れたストルドフはゲタング達を自由にするとそう指示を下し、自身は足早に室内に。
足元から上空、前後左右に至るまで、視界の全てが砂色に染まる障壁内。辛うじて陽光は透過しているものの、直に日が暮れてしまう。
この分では月明かりも満足に届かず、障壁内には暗闇が訪れる事となるだろう。そこで、そうなる前に下準備だけでも――と言う訳だ。
「了解!」
「ええ、わかったわ」
「任せてー!」
釣られるように地面へと降り立ったジードとエレナ、そしてレミン。
障壁内には数える程しか樹木が存在しない為、同行の必要はない。それぞれが向かう場所を見定めていると、不意にジルヴェルトから警告が飛んだ。
「おい、間違っても障壁には触れんなよ。肉が飛んでも知らねぇぞ」
「――えっ!? 肉が飛ぶ!?」
「その内魔物が来りゃあわかる。良いか、兎に角触んじゃねぇぞ。わかったな?」
「う、うん。わかった……」
何やら物騒な忠告を受け、緊張した面持ちを浮かべるジードとエレナ。
「……うえー。想像しちゃったじゃん! もー、ジルジルの馬鹿っ!」
一体誰の肉が飛ぶのを想像したのか、嫌悪感露に抗議するレミン。
「けっ、んなこと俺が知るかっての。勝手に想像したのはおめぇだろ」
しかし案の定、まともに取り合われる筈もなく、ジルヴェルトはそっぽを向くと火種探しにその場を去ってしまう。
「ふーんだ! べーだ!!」
「ほーら、レミン? あたし達も行くよ?」
「う゛ー……」
「それじゃジード、後でね?」
「おう」
ジルヴェルトの背中にあっかんべーを送り続けるレミン。そんな彼女をエレナは両手で優しく包み込むと、ジルヴェルトとは違った方向へ向け歩き出す。
そしてジードも火種探しに出発し、静かになった魔鳥車付近。その傍らではゲタングの番が本日の労を労うように、お互いの羽繕いを始めていた。
***
太陽が西の空彼方に沈み、大空の主導権が月へと移り変わった頃合い。
魔物共が闊歩する弱肉強食の大地を、柔らかな月明かりが照らしていた。
しかし、それはあくまでも外の世界の話。調査隊一行が身を潜める障壁内はその恩恵に与れず、彼等の唯一の光源は焚き火による心許ないものだけであった。
「――いっただきまーす! ……んぅー! おいしーい!」
そして今は食事中。
干し肉と豆を煮ただけのスープに堅焼きのパンと言う簡素な食事なのだが、大勢で囲む食卓が最高のスパイスとなっているのか、レミンは非常に満足げである。
火種探しに出掛けた当初はぷんすかと怒っていた彼女だが、エレナに宥められた事でどうにか機嫌を取り戻し、着々と出来上がっていく食事を前にして更に気分は急上昇。
先程の怒りなど綺麗さっぱり忘れてしまっているようだ。
「まさかゆっくり飯を食えるなんて思ってなかったから、余計にうまく感じるな」
「そうね、ご飯はゆっくり食べたいものね」
「ええ、そうですね。外界で落ち着いて食事が出来るなんて非常に贅沢な事ですからね」
そうして、和やかな晩餐が始まってから暫くのこと。全くの無警戒で食事をしていた一行を、突然の絶叫が襲う。
「――――ッ!!」
「――なっ、なんだ……!?」
「えっ、魔物なの……?」
「もー……せっかくご飯食べてたのに……」
刹那の団欒を切り裂くように響いたのは、悲鳴とも取れる魔物の叫び声であった。
ジードは慌てて立ち上がり、声のした方向に顔を向けるもそこは暗闇の中。何も見える筈がない。
エレナも突然の事態に目を丸くしているが、レミンは何が起きたのか理解出来てしまったようで、小さな肩を落とし溜め息混じりに呟いた。
「おい、いちいち気にすんじゃねぇ」
「えっ?」
視覚で捉えられぬなら別の手段を――とばかりに、賺さず魔力感知を試みようとするジード。
しかしそれをジルヴェルトに阻止され、改めて辺りを見てみれば、ストルドフにも焦った様子は見受けられない。
「障壁に触れりゃあ肉が飛ぶっ言ったろ」
「――あー、ええとですね……つまりこの砂の障壁は見ての通り高速で回転していて、指先がほんの少し触れるだけでも抉り取られる、と言う訳なんです」
困惑した様子のジードやエレナを余所に、詳しく説明する素振りをまるで見せないジルヴェルト。それを見かねたストルドフが、彼の言葉に補足で説明を加えようと口を開いた。
「えっと、それじゃあ……」
「ええ……先程の悲鳴は、腕だか身体だかを突っ込もうとした魔物のものでしょう。ですが、ジルヴェルトの言うとおり、気にしていたらキリがありません。その内慣れますから……ね?」
「え、ああ……うん」
遠い目をしたまま慣れを口にするストルドフ。その様子から察するに、当初は彼自身もジード達と同じ反応をしていたに違いない。
そんな気苦労の多い先輩に促され、渋々ながらジードは腰を落ち着ける。
その後は流石に楽しい晩餐の再開とはいかず、各々が黙々と口を動かすのみで終わりを迎える事となった。
期待と不安を胸に迎えた初めての野営。だが実際は前情報と異なり、至極安全に過ごす事が可能となった。
ただ一つ難点があるとすれば、時折聞こえてくる苦悶の叫びだろう。
ジードやエレナは、不意に訪れる魔物の悲鳴に眉を顰めながら夜を明かす事になるのであった。