二章十四話 『憑依者と魔質』
「――お疲れ様でした。こちらもそう掛からずに終わると思うので、少しだけ待っていて下さいね?」
これは、魔物の討伐を終え、魔鳥車のすぐ側まで戻って来た三人を出迎えたストルドフの言葉である。
そう発した張本人は現在、魔鳥車の腹下に潜り膝下だけを覗かせている状況だ。
ジルヴェルト、ジード、エレナの三人がせっせと魔物を討伐していた最中、彼は彼で再出発に向け魔鳥車の整備に勤しんでいたのである。
常識的に考えれば、魔物の強襲中に無防備な姿を晒すなど到底信じられない行いであるが、ジルヴェルトと言う男がいる場合はその限りではない。
事実ストルドフは、一切の躊躇も懸念もなく、己の役割を全うしていたのだ。こと戦闘において、ジルヴェルトへの信頼度はこの上なく高い事が窺える。
「俺ぁ少し寝っからよ。流石にもうこの辺りに魔物は残ってねぇだろうし、準備が済んだら起こせ」
「ええ、わかりました」
それだけ言うと、すたすたとその場を離れていくジルヴェルト。
魔力を吸収した事で普段と変わらぬ状態へと舞い戻った彼に、仮眠が必要などとは到底思えない。しかし、いつ訪れるともわからない戦闘に備え、存分に英気を養っておくことは外界においての正しい選択なのだろう。
ジルヴェルトは近くの手頃な岩に身体を預けると、後頭部で手を組みすぐさま寝に入ってしまった。
「では、僕は戻りますので二人も適当に休んで待っていて下さい。これから数日間は野営が続きますので、休める内に休んでおくのも調査の基本ですからね」
「了解っ」
「はーい」
ストルドフの言葉を素直に聞き入れ、その場に腰を下ろす二人。
こちらの二人は師匠と異なり、うっすらと疲労の色が見て取れる。
いくら戦闘の大部分をジルヴェルトがこなしていたとは言え、連戦に続く連戦で二人は知らず知らずの内に神経をすり減らしていたのだろう。
事が無事に済んだ安心感からか、ジードだけでなくエレナまでもが脱力しているのは中々に珍しい光景だ。
「野営かぁ……」
ストルドフが去り際に残した言葉を、ジードは期待と不安が入り混じった表情で復唱する。
「夜の外界だなんて、想像してみると少し不安よね。夜の方が魔物は活発になる訳だし……」
「んーああ。ガンズさんに聞いた話じゃ、なんでも夜にしか活動しない魔物もいるらしくて、すげぇ厄介だって言ってたな。――あれ、そういやどんな奴だっけ……?」
ガンズに教わった魔物の詳細を思い出そうとジードがうんうんと唸り、エレナが口を噤んで静かに答えを待っていた矢先の事――。
「――あっ! すみませんっ、エレナさんにはお願いがあったんでした……」
慌てて魔鳥車より這い出て来たストルドフが申し訳無さそうに両手を合わせ前言を撤回したのだ。
「あたしに……?」
「ええ、あそこみたいな感じで、屋根の補修をお願いしたくて……」
そう言ってストルドフの視線は、でろんと溶けてしまっている魔鳥車の屋根に。正確には、焦げてはいるものの形が残っていた、木の根を編み込み塞いだ『補修箇所』にだ。
実際のところ、施工主は彼女の体内に宿る妖精なのだが、魔鳥車を操縦していて現場を見ていなかったストルドフからすれば、エレナがやったと思い至るのが当然の結果だと言える。
砂の蜥蜴、炎の鬼と来れば植物は妖精の分野だからだ。
「えっとそれね、あたしじゃなくてレミンなの。そういうのはあの子じゃないと出来ないから……」
その為、何ら疑いもなく依頼を持ち掛けてきたストルドフに対し、エレナは若干バツが悪そうに答える。
「え、そうなのか? だってあれも魔質だろ?」
先程までの必死の追想はどこへやら。
話に食い付いたのはストルドフではなくジードだった。
つい今し方、魔質の扱いを会得した事で魔質への理解を深めたジード。その為、エレナにそう尋ねた彼の表情にはやけに自信があった。
その利便性や汎用性を実感したからこそ、魔鳥車の屋根を塞いだのも魔質であると判断しての発言のようである。
「ええ魔質よ。魔質だけど――」
エレナは一度そこで言葉を切ると、百聞は一見に如かず――、とばかりに魔力を捻出していく。
それから間もなく。少女の足元を中心に、荒れた大地には新しい草木が芽吹き、忽ち周囲を緑へと染めていく。
「「――っ!?」」
しかし、どこまでも広がっていくかと思われた生命の脈動は、エレナが魔力の供給を断った途端にぱたりと止み、やがて霧散し跡形も残らなかったのだ。
「今のあたしが生み出せるのは、魔力を込めている間だけ。少し気を抜けばあっと言う間に消えてしまうわ。悔しいけれど、それを現象として固定出来るのは今のところレミンだけなの」
「へぇ、そっか……魔質にも色々あるんだな……」
泡沫の草原から一転。茶色の目立つ、荒れた地表へと逆戻りしてしまった足元を見つめ、ジードは興味深そうに顎に手を当て呟いた。
そもそも、一口に憑依者と言ってもその状態は様々なのだ。
ジルヴェルトのように、野生の魔物に『ソウルスティール』を行使し、己の核の中で常に肉体の主導権を奪い合っている状態の者。
基本的に憑依者と言えばこれが殆どであり、その場合は程度こそあれど、決まって身体の一部に宿した魔物の特徴が表れている。わかりやすい例を上げれば、ジルヴェルトの瞳がそれに当たる。
次に、知恵ある魔物が『ソウルポゼッション』を行使する事により、意図せずして憑依者となってしまう場合だ。
魔物側からすれば、人間に取り憑くメリットはまるでない。人の肉体は極端に脆く、魔力の扱いにも制限が掛かる。
それでも、何らかの事情により肉体の維持が困難になった際に、苦肉の策の延命措置として行われる事がある。
ちなみに、この状態になった人間は意識を乗っ取られてしまうか、思考を誘導されてしまう為、『魔物を宿す人間』と言うよりは『魔物が人の身体を借りている』と表す方が正しいだろう。
そしてこの際も、魔物の外見的特徴は一際強く表れる傾向にある。それこそ、誰の目にも取り憑かれているとわかるほどにだ。
そして最後に特異な例として、ジードとヴォルフ、エレナとレミンのように合意の上に憑依者として成り立っている場合である。
『ソウルスティール』と『ソウルポゼッション』――取り込みと取り憑きの違いこそあれど、他の憑依者よりも遥かに安全で優位な状況にあるのは間違いない。
ジードには当初、呪いと言う不要なオマケが付いていたものの、現在は外見的変化も一切見られず、実質無害で憑依者となっている。
しかしエレナに至っては形式上、レミンに取り憑かれている状態の為、髪や瞳の変化、加えて魔質の行使における弊害を抱えている状態な訳だ。
よって、魔質の扱いは彼女の努力だけではどうにもならない問題なのである。
「えっと、それでは――屋根の修理をレミンさんにお願いする事は出来ますか……?」
何やら気まずくなっていた空気を咳払いで誤魔化したストルドフは、脱線していた話を巻き戻す。
「うん。それは大丈夫。あの子ならお願いすればすぐにやってくれ――――『はいはいはぁーいっ! 困った時のぉー、レミンっ! 参っ上っ!!」』
「「――っ」」
「もうっ、レミンったら……」
すると、お願いされるよりも早く、むしろ言葉を遮ってまで飛び出てきた妖精レミン。自身の名前が話題に上がっていたとあって、喜び勇んでフライングしてしまったのが丸分かりだ。
「ふんふん、どれどれー?」
周囲が呆気に取られているのも構わず、飛び出た勢いそのままに魔鳥車の屋根を覗きに行き、損傷具合を確かめるレミン。
片目を閉じて色々な角度から眺めてみたり、指と指で四角を作り覗いてみたりと、何やら仕草だけは職人のそれのようで随分と一丁前である。
程なくして、ひらひらと舞い戻ってきたレミンは、診断結果を元に提案を口にする。
「んーっとねー、あの穴を塞ぐくらいなら、一面全部覆っちゃおうよー?」
「ええ、僕としては一向に構いませんよ。どの道、鳥舎に戻り次第修理をしなくてはなりませんし、レミンさんの思うままにしちゃって下さい」
「やったね! それじゃあ、すこーし待っててねー!」
快諾を受けた事で満面の笑顔を浮かべたレミンは、再び魔鳥車の方へひとっ飛び。
そして、屋根の端へ軽やかに降り立つと、溢れんばかりの魔力を全身に纏わせ、屋根全体を包んでいく。
「んー……えいっ!!」
可愛らしい掛け声を合図に、屋根の至る所から芽吹き始めた小さな木の芽。
それらは、術者であるレミンが飛び上がったのを皮切りに瞬く間に生長し、屋根と言う限られたスペースの中でひしめき合い、複雑に絡み合っていく。
魔質で生み出された木々は間もなく屋根全体にまで伸び、一部の光も届かぬ程に厚く覆い尽くしたのだ。
そしてそこから更に、互いが互いを締め付け合い、ギリギリと軋むような音を立てながら強固に密接していき、最終的には元の屋根にも負けず劣らずの強度を誇る堅牢な屋根がそこに出来上がっていた。
「んーと、次はぁー――ほいっ!」
改修はこれで終わりかと思いきや、まだやり残しがあるようでレミンは再度魔力を捻出していく。
彼女が足元に向け魔力を放つと、今度は屋根の縁をなぞるように木の芽が等間隔に芽生え始めた。
一箇所辺り三、四本からなるその木の芽は、絡み合いながら垂直方向に生長し、一メートル程伸びた所で左右に分かれると両隣の木と繋がり合い、やがて一体化していく。
「――うんうん。良い感じーっ!」
そして、全ての木と木が結合し終えた事で、そこには木製の柵が出来上がったのだった。
自身で拵えた作品を見て満足気に頷き、無邪気な笑顔を浮かべたまま皆の元へ戻っていくレミン。
「出来たよー! あれに捕まっておけばフラフラしなくて済むでしょー?」
誇らしげな顔で報告する彼女が何をしたかったかと言うと、以降の修行を行う上での安全性の確保であったようだ。
先刻の逃走劇において、身を屈めバランスを取ったり、腹這いになったりと、満足に身動きが取れなくなっていた二人を目の当たりにしたレミンの出来得る限りの手助けと言う訳である。
そうそう同じ状況に見舞われる事はないだろうが、用心に越したことはない。
「――おおっ、そう言う事か! すげぇな!」
「凄い……これが妖精の魔質ですか……」
「へっへーん。凄いでしょー」
赤毛の小さな妖精はひらひらと宙を舞ったまま、もっと誉めろとばかりに小さな胸を張り出し腰に手を当てる。
「うん、凄いよレミン。あたし達の事考えてくれてありがとうね?」
「えへへ~。どーいたしましてっ」
三日月状に目を細めたエレナが、感謝の言葉と共にすっと手を差し出す。するとレミンは照れ笑いを浮かべながらも、当たり前のように掌の中心に降り立つと羽を休める。
流石は宿主様。言葉に嘘偽りはないにしろ、相棒の扱い方をよくわかっているようである。
そして、承認欲求が満たされた事で、一気に大人しくなった彼女とエレナがなんとも和やかな空気を醸し出していると、またしてもストルドフがそれをぶち壊す。
「――あっ! いけないっ、まだやることが残ってるんでした……!」
はっとした顔でそう声を上げると、慌てて魔鳥車へと駆け戻っていくストルドフ。
本来彼は、屋根の修理を依頼して、自身の作業に戻るつもりであった筈。それが、興味深い魔質の話に意識を奪われ、レミンの即興建築に目を奪われてしまった。
結果として、自身のなすべき事を疎かにしてしまっていた男の背中は、なんとも居たたまれなさを感じさせるものであった。
***
それから暫く――。
「お、お待たせしました、出発しましょう……」
「しゅっぱーつっ!!」
急ピッチで作業に取り掛かったのであろう、肩で息をするストルドフに、誰よりも早く応じるレミン。どうやら彼女はこのまま調査に参加するつもりのようである。
「そうだ、ジルヴェルトさんを起こさないと――」
「はいはーい! レミンにお任せーっ!」
「――あっ! ちょっとレミンッ!」
誰に言うでなく呟かれたジードの言葉を聞いた途端、止める間もなく嬉々として飛び出してしまったレミン。
しかし、過去にジードへ見舞った起こし方を鑑みても、禄な方法を取らないのは請け合いである。
ヴォルフにすら平然と噛み付いて掛かる彼女が、ジルヴェルトが不機嫌になる程度で臆するとは到底思えない。ほぼ間違い無く、奇襲の一撃をくれる事だろう。
現に、第一の被害者であるジードは、飛び出した弾丸娘の後ろ姿を見やると無意識に腹部を押さえながら顔を引き攣らせ、エレナは額に手を当て諦観混じりの溜め息を吐く始末。
「おーいジルジルー! 出発だよー?」
「――――」
恐怖がすぐそこまで迫っていると言うのに、ジルヴェルトは依然として目を閉じたままで、僅かに眉を歪ませるばかり。両手は後頭部に添えられているので、身体は無防備に晒されたままだ。
やがて射程圏内まで到達したレミンは、空中で緩やかに前方宙返りを決め、標的の腹部目掛けて急降下を図る。
「ねーえー起ーきーてー!!」
ぴたりと閉じられた小さな両足は、一切の躊躇もなくジルヴェルトの鳩尾へと吸い込まれていき――、
「――ったく、うるせぇな。もう少し静かに起こせっての」
直撃の寸前、二人の間を割るように現れた砂の壁。
レミンの目覚ましキックはつま先を砂にめり込ませるだけで不発に終わり、奇襲を受けたジルヴェルトはさも不機嫌そうに薄目で妖精を睨み付ける。
だがしかし――、
「あ、ジルジル起きたんだねー! おはよー!」
やはりと言うべきか、レミンは臆する事も悪びれる事もなく、太陽のような笑顔をジルヴェルトに披露したのだ。
「……おう」
あまりの無邪気さに流石のジルヴェルトも毒気を抜かれたようで、それ以上の言及を止め言葉少なに返事をするが、逆にレミンがそれを許さなかった。
「もー! 起きたらおはようでしょー!」
「…………。おう」
「むぅー……おはようでしょー?」
挨拶くらいしっかりなさい――と、レミンは突然のお小言を繰り出すが、ジルヴェルトは面倒臭いのか、照れ臭いのか素直に応じない。
対するレミンは望んだ返答が得られない事で不貞腐れたぱんぱんに頬を膨らませ、恨めしそうな視線を送りつける。
やがて根負けしたのはジルヴェルトで、舌打ちの後深く嘆息すると――、
「――ったく、おはよう…………おい、これで良いかよ?」
「えへへ~。よーし、じゃあ出発しよー!」
「――けっ。ホントめんどくせぇな、おい……」
半ばヤケクソ気味に放たれた挨拶だったがレミンは充分満足したようで、ころりと表情を変えるとご機嫌に戻っていく。
その小さな背中に悪態を吐きながらも、満更でもないような顔を浮かべるジルヴェルトなのであった。




