二章四話 『制裁』
演習場の入り口付近。
空を覆っていた砂の膜が晴れてから程なくの事。
三人の中で一番先に戻ってきたのはエレナだった。彼女のその足取りは非常に軽やかで、留守番をしていたストルドフはその様子にほっと胸を撫で下ろした。
次いで帰ってきたジードに至っては、喜び勇んで駆けてきたのが丸分かりで、遠目からでもわかってしまうその浮かれように、エレナとストルドフの二人は思わず苦笑を漏らした程だ。
そして、最後に戻って来たジルヴェルトだが、彼の纏う雰囲気は異様に殺伐としていて、お世辞にも機嫌が良さそうとは言い難い。
一体何を言い出すものかと、皆が固唾を呑んで待ち構えていると――、
「……認めてやんよ。お前等の勝ちだ」
面白くなさそうにぼそりと、だが確かにジルヴェルトは二人の勝利を認めたのだ。
すると当然、ジードの口から出る言葉は一つしかない。
「――じゃ、じゃあ! 調査に同行しても良いよなっ?」
「ああ構わねぇ――――だから教えろ! てめぇ一体何をしやがった!」
瞳を輝かせ、鼻息荒く尋ねるジードだが、ジルヴェルトはそれすら霞むほどに興奮しており、今にも掴み掛からんばかりの勢いである。
「えっ、ああ、えっと……」
これでもかと見開かれた縦瞳孔の瞳は滾る熱情を抑え切れておらず、これに見据えられたジードは勢いを失ってしまったようだ。
「それ、あたしも聞こうと思ってたの!」
そこへ同じく憑依者であるエレナもこれに同調し、声を響かせた。
彼女も魔力を持つ者として、あの時一体何が起こったのか興味があるのだろう。ジルヴェルト程ではないにしろ、種明かしを随分と期待しているように見受けられる。
「あ、ああ、うん。あれはさ、こうやったんだ――」
二人の催促を受け、ジードはどうやら実践してみせる事にしたようで、体内より魔力を捻り出していく。なお、この時点での鬼の魔力はその存在をこれでもかと主張している。
「何て言うかさ、魔力って流れる向きみたいなのがあるだろ? ただ圧縮するんじゃなくて、その向きを内側に調整しながら圧縮するんだ。こうやって―――」
ジードはそう言って徐々に魔力を制御していく。先程同様、魔力の揺らぎは間もなく収まり、薄皮一枚で以てジードに纏わりついているかの如き練度まで研ぎ澄まされていく。
「――――!」
「「――っ!!」」
――やがて鬼の魔力は辺りから完全に消え去り、目の前にいる彼等ですらそれを捉える事が出来なくなったようで、二人仲良く息を飲んでいる。
そもそも魔力漏れとは、内圧の掛かったホースからちろちろと水が漏れ出るようなもの。
圧を掛ければ掛けるほど、その漏れの度合いも上がっていき、それを治めるには外側より患部を覆い穴を塞ぐより他ない。
そして彼等憑依者の状況を例えるなら、無数に穴のあいたホースが最適だろう。
何もせずとも既に内圧の掛かっている状態で、そこからいくら躍起になって漏れを塞ごうとも、どこかしらから漏れは生じてしまうものだ。
しかしそれも仕方の無い事。何故なら、元々魔力を持たない人間という種族には、魔力の漏出を抑える役目を持つ殻が備わっていないからだ。
殻とは、体表を覆うように形成させている無色透明の皮膚のようなもので、基本的にどの魔物にも備わっているものである。
勿論、目に見えるものでもなければ、任意で展開するものでもなく、生まれたその瞬間からそこにあって当たり前。
極稀に殻を持たない、穴のあいた風船のような劣等個体が生まれる事もあるが、大概が間もなく死んでしまう。魔力を原動力に生きる魔物が、魔力を蓄えられなければ死に直結するからだ。
そして今回、ジードの取った方法はと言えば、魔力の進行方向を内側へと均等に精密に制御する事で、身体全体を覆う擬似的な殻を作り上げのだ。
擬似的とは言え殻は殻。手間こそ掛かるが成功さえすれば効果は折り紙付きだ。
「――とまぁ、こんな感じなんだけど……」
ジードが寄せていた眉を元に戻し制御を解くと、追い掛けるように鬼の魔力も元の状態に。
行使は極僅かな時間だったと言うのに額には汗が滲み、疲弊が見受けられる。その様子からするに、どうやら長時間の継続は現状困難なようである。
「凄い……よくそんな方法思い付いたわね」
見直したわ、と言わんばかりに賞賛を送るエレナに、ジードは若干照れ臭そうに、かつ、バツが悪そうに後頭部を掻いた。
「いや、実はヴォルフにヒントをもらったんだ」
「そっか、ヴォルちゃんからか……」
そう――今回のジードの試みは鬼の入れ知恵によるものなのだ。
連戦連敗を順調に刻んでいた彼が、その身に宿す鬼へ泣きついたのが事の始まりで、試行錯誤の末に行き着いたのが、今回の方法である。
「なんでも、魔物は殻ってので魔力を抑えてるみたいでさ。一時的にでも同じ状態を作れれば、魔力を抑えこめるんじゃないかって」
事が成就した今だからこそ何の気なしに語ってみせるジードだが、実際はこれを聞き出すまでに偉く苦労したのだ。
それもこれも、ジードの聞き方が悪かった所為でもあるのだが。
「なぁ、ヴォルフだったらどう隠れる?」
あろう事か、彼は力を誇りとする鬼に、こう尋ねてしまったのだ――。
それに対し鬼の返答はと言えば、
「ほう――貴様はこのオレが隠れるなどと言う手段を講じると思っているのか?」である。
そんなヴォルフの様子を察し、その時点で止めておけば良いものを、是が非でも勝ちにいきたい少年は「例えばの話だよ」や、「もしかしたらヴォルフより強い奴が現れるかも知れないだろ?」などとしつこく答えを強請ったのだ。
結果、言うまでもなく機嫌を損ねた鬼は、幾日にも及びジードの質問には応じなかった。
どちらかと言えば自業自得なのは否めない感じもするが、彼が本当に苦労したのは間違いない。主にご機嫌取りの部分で。
「ただ、集中が切れたり失敗するとすぐ昨日みたいになるし、出来たからってこれと言って強くなったりする訳じゃないんだよな。本当にただ隠れる為だけなんだ」
「それでも、これだけばっちり隠れられるなら覚えておいて損は無いわよね。あたしも練習してみるわ」
「んー、まぁ確かにそうだよな。んじゃ後でコツ教えるよ」
労力の割に恩恵が少ない事に、ジードは少なからず思うことがあるような口振りだが、エレナの意見には素直に頷いてみせた。今回はこれに救われた事を本人が一番理解しているということだろう。
「……」
二人の会話が進むに連れて気まずそうに表情を曇らせていく人物が一人。彼はジルヴェルトの暴論にも難色を示しており、二人に魔力遮蔽のローブの存在を伝えられずにいた事を気にしていた。
だがしかし、あくまで彼等の師匠はジルヴェルトだ。彼の立場では、意見こそすれども方針をねじ曲げる事は叶わない。
今の彼に出来る事と言えば、頻りに向けている視線でジルヴェルトへ訴えかけるぐらいのものだ。
勿論、ジルヴェルトにそんな訴えが響くはずもなく、それどころか何やら興奮を抑え切れていない様子で、喜びに声を震わせながらジードへとにじり寄っていく。
「――さっすが旦那だよなぁ……おめぇがここまで化けるネタを仕込んでくるなんてよぉ……」
まるで意中の相手へと想いを馳せるように頬を上気させ、恍惚した目つきのままだらしなく口元を緩ませている。
「――っ!?」
その危険極まりない様子にジードはたまらず後退るが、いつの間にやら作り出されていた砂の壁にぶつかり退路を阻まれてしまった。
「なぁ……他には何か教わってねぇのかよ、なぁ……!!」
両肩に手を置き、息の掛かる距離で唸るように凄んでみせるジルヴェルト。この行いは決して威圧するつもりなどではなく、興奮のあまりついうっかりと言ったものだろう。
もし仮に、彼の白眼の部分が黒ではなかったとしたら、これでもかと血走っていたに違いない。
「い、いや、ないよ。他には何もない……」
「良いか、おい……何かあったら勿体振らねぇで教え゛や゛――――」
「「「――っ!?」」」
ジルヴェルトの言葉を遮ったのは、前触れもなく現れた巨大な水の塊だった。
一瞬にしてジルヴェルトを飲み込み捕らえたそれは宙に浮いたまま球状を保っており、魔力で以て作られているのは明白だ。
慌ててその場を離れるジードとエレナ。
「……だから注意したのに」
唯一ストルドフだけは、これから何が起こるのかわかったようで、水球の方を見やると、やれやれといった風に大きく息を吐いた。
するとそこへ、やや低めの艶のある声が響く。
「はぁい。ちょおっとごめんねえ」
「「――っ!」」
二人が慌てて声のした方へ身体を捻ると、眩しいくらいの白金髪に瑠璃色の瞳を携えた女性、開拓団副支部長であるリーゼが歩み寄ってきており、目の前の事件など関係ないかのようににこりと微笑んでみせた。
「――――! ――!」
そして何やら、水の中でジルヴェルトが怒鳴っているようにも見えるが、音を通さない性質でもあるのか何も聞こえてこない。
幸いにもその様子からして、このまま溺死などという最悪の事態にはならなそうである。
それどころか、これでもかと言うほど水球の内側で暴れまわっている。しかし障壁のようなものが設けられているのか、いくら叩こうとも蹴ろうともびくともせず、水面が揺れる事すらない。
「驚かしちゃってごめんなさいね? この馬鹿を連れていくけど、良いかしら?」
やがて、三人の目の前までやってきたリーゼは、ジルヴェルトを一瞥する事もなくそう言い放った。
丸っきし状況を理解出来ていない二人が、どうぞどうぞと頷ける筈もなく、エレナが不安気に水球を見つめながら口を開く。
「リーゼさん、これって……」
「――そっか、ごめんごめん。見るの初めてだものね。これはね、砂蜥蜴の憑依者ジルヴェルトを拘束する為の特製の檻なの」
「檻……?」
「そう、檻。これはね、北の領地ノートリアムの開拓団支部長、玄武の憑依者の魔法でね、馬鹿が暴れた時に無力化出来るようにって、この指輪に魔法を込めて貰っているの」
リーゼはそう言って、自身の右手にはめられた四本の指輪を二人に見せ付けた。
親指以外の四本指にはめられた指輪の台座部分には、それぞれ魔石と思わしき物が備わっており、その内の薬指の魔石だけが青く光を放っている。
「魔物の砂蜥蜴は極端に水気を嫌うのだけど、その理由が体が濡れると能力を存分に使えなくなるからでね。それは憑依者であるジルヴェルトも同じ。この中に閉じ込めてしまえばもう、自力で出ることは出来ないし、砂になることも、操ることも出来なくなるの。だからこんなのでも自由に動き回る事が許されてるのよね……まぁ、でもだからって、毎度毎度こうやって駆り出されるのも良い迷惑なのだけど」
「そ、そうなんだ……」
これ見よがしに嘆息してみせるリーゼに、エレナは満足に言葉を返すことが出来ない。
何故なら、時折ジルヴェルトに向けるその視線がぞっとするほどに冷め切っており、ただならない怒りを内包しているのが傍目からも窺えるからだ。
だがこれで、ジルヴェルトがリーゼを毛嫌いしているのにも説明がついた。自身の抑止力とも言える力を持っている相手に、好意的に接するのは彼でなくとも難しいのではないだろうか。
するとそこへ、恐る恐ると言った様子でジードが口を開いた。
「な、なぁリーゼさん。それ、他の指輪にも何か意味があったりするんだよ、な……?」
「うん? ええ、そうね。一つは皆と同じ開拓者用の指輪、もう一つは支部長バルドゥル用の魔法が籠められた指輪。残りは二つともこいつの分よ」
リーゼは隠すこと無くジードの質問に答えていく。何故ジルヴェルト用が二つあるかと言えば、それだけ使用頻度が高く、一つでは事足りないと言うことなのだろう。
それよりも、ジルヴェルトだけではなく、支部長バルドゥルも対策済みと知れば、ジードの次の言葉は自ずと決まってくると言うものだ。
「って事は俺達も……?」
「うーん、あなた達が本部に危険だと認定されてしまえばそうなるかも知れないけど、滅多にはない話の筈よ。それに言っておくけど、支部長の場合はあくまで形だけよ? 立場上、やらなければならない事もあるって事。あまり気にしない方が良いわ」
「う、うん……」
気にするなと言われても、そうはいかないだろう。彼とて、彼女とて同じ憑依者だ。いつ同じ目に状況に追い込まれるかわからないとあれば、返事が浮かないものになるのも当然だ。
そんな彼の様子を察したのか、リーゼが声のトーンを一段階上げ、話を切り替えようと試みる。
「まあ、この話はこのぐらいにしておきましょう。――ところでだけど、調査に同行してほしいって話はもう聞いたかしら?」
「――そうだっ! 丁度その話をしてたんだっ!」
効果は抜群。
途端に声を弾ませたジードである。
「あら、邪魔しちゃったのね。それじゃあ出発に間に合うように、この馬鹿はなるべく早く返すから、それまでに準備だけはしておいてちょうだい? ――ドフ、二人をお願い出来るかしら」
「はい、了解しました」
「じゃあ、先に行くわね。ジード君、エレナちゃん、調査の件、よろしくね?」
リーゼはにこりと微笑むと、自らより大きい水球にすっと右手を添える。するとそれは、意志があるかのようにすっと吸い付いていく。
リーゼが手を横に動かせば追従するように水球も横へ。重さは感じないのか、まるで力を入れている様子も無く操っている。
これならば歩きだとしても、苦もなく運んでいけるだろう。難点としては、晒し者にされるジルヴェルトからすれば堪ったものではないと言うことだが、考慮される余地はないと見える。
「――! ――――!」
そして、ジルヴェルトは未だに何やら吠えているが、やはり何を言っているかは伝わらない――伝わらないが、その表情、口の動きをみれば嫌でもわかってしまう。
リーゼは浮かべていた笑顔をすっと消すと、酷く冷えた声色で呟いた。
「――いい加減目障りね」
途端、リーゼは水球に添えた右手を右へ左へ、上へ下へと鋭くぶん回し始めたのだ。すると当然、水球の中にいるジルヴェルトは水の中を揉まれ、縦横無尽に掻き回される事になる。
目障りな輩を黙らせるべく、容赦なく水球を振り回す行為は数分に渡って続き、ようやく収まったその時にはぐったりとしたジルヴェルトが出来上がっていた。
「よしっ――それじゃあ先に行くわね。ばいばい」
穏やかな微笑みを浮かべ、何事もなかったかのように別れの言葉を口にするリーゼ。
「「「…………」」」
事の一部始終を見ていた三人は恐怖に顔を引き攣らせながら、白金髪を揺らし歩く彼女を見送るのだった。