二章二話 『念には念を』
制限時間二十分。
演習場内であれば、場所、手段を問わず時間内隠れきれば二人の勝利。但し、どちらか一方が見つかった時点で終了とする――。
これは、本件修業を始めるにあたって、ジルヴェルトが掲げた条件だ。
ちなみに、今までの戦績は全戦全敗。敗因は言わずもがな、ジードの魔力漏れである。
「ルールはいつも通りだ。十五分経った時点で俺が動く。そこから二十分間見つからなければおまえ等の勝ちだ。良いな?」
「おうっ!」
「ええ」
ジルヴェルトの問い掛けに、力強く頷く二人。言い出しっぺのジードはもとより、エレナもやる気充分のようだ。
二人の返事を確認したジルヴェルトは、無言のまま懐から手の平サイズの空の砂時計を取り出した。
これは、修業初日よりジルヴェルトが持参し、以降、度々登場しているものだ。
初日、三角錐と三角錐を繋ぎ合わせた形状のそれに、どこからともなく砂を現出させ詰め込んでいく砂蜥蜴の憑依者。 それを見たジードがさも怪訝そうに問い掛けたのである。
「そんなんでちゃんと時間を計れるのかよ?」と――。
するとジルヴェルトは、愚か者を見るような、大いに蔑んだ眼差しで一蹴した。
彼曰わく「この俺が砂の扱いを間違える訳ねぇだろ」との事。
それならばと、意地になったジードが実際に時間を計ってみたものの、彼の宣言通り寸分違わぬ精度だった為、信用に足るものだと証明されてしまった。
おかげでジードは頭を下げる羽目となったのだが、それはまた別の話だ。
そして今回もまた、ジルヴェルトは砂時計の中に砂を生み出していく。
容器の上方にあるにも関わらず、重力を無視して留まっているその砂は二層に分かれており、下層は黄土色、上層には赤みが強く出ている。
また、上層と下層では量も異なっており、彼の言葉に従うのであれば、黄土色の砂が準備用の十五分。赤みの強い砂は本番用の二十分を刻むものだそうだ。
「おい、持っとけ」
ジルヴェルトはそう言うが早いか、準備を終えた砂時計をストルドフへ向けぞんざいに放り投げる。
「えっ? あっ、ちょ、ちょっ―――」
ぐるぐると回転しながら飛来するそれを、どうにか落とさずに受け取ったストルドフはほっと息を吐いた。
その後、ジルヴェルトをきっと睨み付け――、
「ったく、危ないなぁ! 落としたらどうするんですか!」
「あぁ? 落としてねぇんだからそれで良いだろうが。――おら、始めんぞ」
ストルドフの抗議も虚しく、まるで悪びれもしないジルヴェルトは、少年少女の方へ視線を向けると強くと足を踏み鳴らした。
途端、彼の足元からは砂柱がせり上がり、瞬く間に空を黄色く染め上げる。
砂で出来た薄い膜のようなそれは、段々と空を埋めていき、やがて演習場全域までに及び半球体状に覆い尽くしたのだ。
それはジルヴェルト特製の境界線であり、範囲からの逸脱を防ぐと同時に、終了の際の目安にもなるものだ。
要するに、この砂の膜が無くなるまで見つからずにいれば二人の勝ち、と言う訳である。
ちなみに、十五分が経過すると砂の色も赤く染まると言う親切設計だ。
「あっ……」
ストルドフの手元にある砂時計が動き出したのは、間もなくの事だった。
「「――!」」
それを確認したジードとエレナの二人は、黄土色の空の下、勢い良く駆け出すのだった――。
***
「――はあ、はあ……」
かくれんぼ開始から凡そ六分。
一度も速度を緩める事無く、一息に丘陵地帯まで駆け抜けたジードは随分と息が上がっていた。例え魔力で身体能力を高めようとも、体力までは強化出来ないようだ。
しかし残念ながら、今の彼には悠長に呼吸を整えている余裕などない。
「はあ、はあ……よし、まずはっ、と――」
ジードは辺り一周ぐるりと見渡し、地面に転がる小石を慌ただしく集め始めた。
彼が集めている石に規則性は見受けられず、丸みを帯びたものや、尖ったもの、角張ったものまで様々だ。
大きさはどうやら小さめばかりを狙ってるようで、直径三センチを越えた辺りで選別から漏れている。
「こんなもんだよな。――――おしっ!」
両手いっぱい、零れんばかりに集められた小石を見て満足気に頷くジード。
すると間もなく。ぐっと握られた拳に鬼の魔力を宿し始めたのだ。
「――!」
赤よりも紅い鬼の魔力は、持ち主の拳よりも二回りほど大きく形作る。
しかしそれも束の間の事で、鬼の魔力は見る見るうちに圧縮されていき、数瞬後には閉じられた拳の中から紅い光が漏れる程度となったのだ。
「――出来たっ」
開かれた拳の中には、鬼の魔力が込められた沢山の小石がそれぞれ紅い光をおびていたのだ。その数、五十を下らない。
これらの石は魔石ではない為、魔力を保存するには適さない。じわじわと魔力は漏れ出していき、一時間もしない内にただの石ころへと戻ってしまうだろう。
だが今回に限ってはそれで充分なのだ。二十分間の間だけ、ジルヴェルトの魔力感知の妨げをしてくれれば良いのだから。
「――おりゃ!」
するとジードは再び魔力を身に纏い、大きく振りかぶる。そして、今し方魔力を込め終えた石を四方八方に放り投げていく。
満遍なく散るように、幾回にも分けて投げられたそれらだったが、唯一湿地帯にだけは一度として投げられる事はなかった。
「よし……」
全ての石を投げ終えたジードは短く息を吐くと、腕で額の汗を拭い、キュッと表情を引き締める。
まるでここからが本番だと言わんばかりに、緊迫した雰囲気を放ちながら静かに瞼を下ろしていく。
「――」
やがて、先程とは比にならない量の鬼の魔力が少年の身体を包み込んだ。
揺らぐ炎のようなその紅い魔力は、先刻お披露目の機会を阻まれたとっておきそのもので。
今度こそ誰の邪魔も入ることなく、魔力制御に臨む事が出来る。今こそ、一月にも及ぶ修業の成果を見せる時なのだ。
「――――」
ジードは瞳を閉じたまま魔力の安定化を計っていく。
すると、燃え盛る火炎の如き勢いを見せていた鬼の魔力の揺らぎが、段々と穏やかになっていくではないか。
そして――、
「――はあっ!」
おもむろに瞳を見開いたジードが威勢良く掛け声を上げると、彼に纏わり付いていた魔力はすっと見えなくなった。
決して失敗し霧散した訳ではなく、普段の制御、圧縮ともまた違う、一風変わった制御法ではあるが、その効果には目を見張るものがある。
実際の所、エレナやジルヴェルトとて、一部の隙もなく完璧に魔力を遮断出来ている訳では無い。魔力を持つ者同士、接近した状態で神経を研ぎ澄ませれば、どうにか感じ取れる程度は漏れ出ているのだ。
尤も、何らかの細工を以て魔力を遮蔽出来れば、この限りではないのだが。
魔力の制御に関してジードは、ここ一ヶ月で飛躍的に進歩していた。それこそ二人と遜色ないと言える程度には。
しかし問題なのは、鬼の魔力の濃度の方で。あまりにも濃密なその魔力は、妖精や砂蜥蜴と比べれば雲泥の差なのだ。僅かな魔力の漏れが、その存在を盛大に知らしめてしまう。
強力過ぎる故に、人と同程度では隠しきれない。ある意味、贅沢な悩みである。
だがそれも、昨日までの話。
この場に二人が居たとすれば、さぞ驚き、種明かしを望んだ事だろう。
恐らくだが、彼を直視しない限りは、その存在を把握出来ないのではないだろうか。それ程までに魔力漏出は治まっていた。
「――おっしゃ! 完璧っ!」
ジードは両拳を握り締めガッツポーズ。
どうやら、とっておきが成功した事を身体で実感出来たようで、口元が綻んでいる。
彼の勝ちを確信したかの様子から察するに、この状態にさえなれれば決して見つからないと言う自信があるのだろう。
では何故、限られた時間の中、あのような偽装工作を講じたかと言えば、念には念を入れておきたかったのだろう。
つまり、先程の行為はあくまで保険に過ぎないと言う事だ。
浅はかだと残念な定評のあるジードだが、己の欲求の為ならば話は別なようで。関心すべきは、揺らぐ事なき外界への情熱か――。
是非その直向きさを、日常でも発揮してほしいものである。
「あとはどこに隠れるかだけど……」
ここまでの所要時間が凡そ七分。残された時間は限り無く少ない――。
それを知ってか知らでか、ジードはいそいそと来た道を引き返していく。
「――っ。やべっ!!」
駆け出してから間もなく。まだ丘陵地帯を抜けていないと言うのに、空を覆う砂の膜は見る間に赤く染まってしまった。
ジードは咄嗟に近くの岩陰へと身を隠し、小さく丸まるのだった。
***
ところ変わって、ここはエレナが身を顰めようとしている森林地帯。時刻はジードが丘陵地帯に着いたのと、ほぼ同時刻だ。
彼女は絶好の隠れ場を探すべく、樹木が生い茂る同所を駆け回っていた。
悪路を突き進んで行く少女の足取りは至って軽快で、流石、幼少の頃から森の奥へ足繁く通っていただけの事はある。
それから程なく進んだ所で、何か異変を察知したのか、エレナの足はピタリと止まった。
そう――丁度この時、ジードが魔力を込めた小石の第一投目を投げたのだ。
「……? ――ふうん、面白い事考えたじゃない。でも、これがとっておきって訳じゃないわよね……?」
方々に散らばる鬼の魔力を感知したエレナは、相棒の作戦に一瞬関心を示すも、すぐに表情を不安げなものへと変え、ぽつりと呟いた。
その視線がジードのいる丘陵地帯を向いているのが、偽装工作が上手くいっていない何よりの証拠だろう。
「――っ。いけないっ、あたしも急がなくちゃ……」
その場で少しの間、足を止めてしまっていた彼女だったが、ふと自身の置かれている状況を思い出しのか、はっと我に返ったように再び駆けだしていく。
奥へ奥へと、獣すら選ばないような道ならざる道を進んでいくとやがて、立ち並ぶ木々の中に歯抜けのような箇所が現れた。
その場でエレナは立ち止まり、ぐるりと辺りを見渡すと満足気に頷いた。
「うん。今日はここにしようかしら――」
しかしその直後。次いで投げられた小石がすぐ付近に落下したのだ。
「――っあの馬鹿! 少しはこっちの事も考えなさいよねっ……!」
せっかくの場所を台無しにされた事で、エレナは眉根を寄せ文句を零すと、力強く地を蹴った。
どうやら彼女は、この場で隠れるのを諦めたようである。ただ、その足取りには心なしか焦りも見受けられる。上を見上げ、空の具合も確認していた事から、残り時間を気にしているのだろう。
だかしかし、残り時間を含めたとしても、その判断は極めて懸命だったと言える。エレナが感じ取れる鬼の魔力を、ジルヴェルトが感じ取れない筈がない。
つまり、石を動かさなくてもジルヴェルトが来る可能性は否めず、下手に触ろうものなら余計に呼び寄せ兼ねない。そのような危険を冒すくらいなら、他の場所を探す方が遥かに建設的だからだ。
少女が次なる隠れ場を求めてから暫く。
先程と似たような、歯抜けしている木々の並びを見つけたエレナは、徐々に走る速度を落とし、やがて立ち止まるとほっと息を吐いた。
「――あった……はあ、はあ、はあ、はあ……もう、来ないわよね……?」
エレナは肩を大きく上下し、呼吸を整えていく。
それと同時に、ジードの居場所を探っているようで、段々とその表情は怪訝なものへと変わり、遂には驚きへと様変わりした。
「――嘘っ!? 凄いっ! これなら勝てるかも!」
彼女は走る事に夢中で気付かなかったようだが、既にジードは魔力を制御しきっており、居場所を特定するのが不可能となっていたのだ。
「――レミンっ!」
勝機を見出した少女は瞳を輝かせ、嬉々として相方に呼び掛ける。
「はいはぁーい!」
少女の体内から勢い良く現れた妖精レミンは、その背に生えた羽を用いてひらひらと無邪気に宙を舞っている。
「もうあまり時間が無いのだけど、お願い出来る……?」
「もっちろん。レミンにまっかせなさぁーい!」
無理を言ってる自覚があるのか、申し訳無さそうに尋ねるエレナに、レミンはえっへんと、その小さな胸を目一杯張り自信満々に応える。
「ありがとう。それじゃあ、よろしくね?」
「いっくよー!」
エレナが立ち並ぶ木々の歯抜け部分まで移動したのを確認すると、レミンは両手を彼女の方へと翳す。
すると、エレナの足下は浅緑色の魔力が円を描くように光り輝き、やがてにょきにょきと木が生え始めた。
「――――」
まるで踊っているかのように、異常な速度で生長していくその木は、少女を包み込むように上へ上へと伸びていく。
しかしエレナに抵抗する素振りは見られず、されるがままに呑み込まれていく。そして彼女もまた、委ねるようにゆっくりと瞼を下ろしていき――。
「んんんん……」
間もなく、エレナの姿が見えなくなったところで、レミンは仕上げに取り掛かる。レミンが力を込めると木の根の光は一際強く輝き、成長は加速度的に早まっていく。
「――えいっ!!」
僅か数秒後。妖精によって作り出された木は、辺りに並ぶ木々と変わらぬ生長を遂げていた。
それこそ、一度目を離してしまえば、どれがエレナの潜む木なのかわからなくなる程に。
「ふぅ」
一体誰の真似なのか、レミンは掻いてもいない汗を腕で拭う仕草をすると、自身の生み出した木の中へと溶け込んでいく。
それから間もなく。
空は唐突に赤く染まり、遠くの方で砂を噴出する音が響き始めた。
後は見つからない事を祈るばかりである。