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序章五話 『魔物もどき』


 昼食を食べ終えたジードは再び歩きだし、ラルス森林に到着した頃には、太陽が西へと傾き始めていた。


「はぁ、やっと着いた……もう時間もあまりないな。早く探さなくちゃ」


 ラルス森林は、木々が日光を覆い隠すように生え揃っており、日中でも若干薄暗い。増してや、夕刻となれば尚更だ。

 どこまでも続く代わり映えのない景色は、侵入者を惑わす天然の迷路のようである。太陽の位置から方角を測れない者では、たちまち彷徨う事になるだろう。



 そんな中、ジードは身の丈の半分程の太い棒を拾い、生い茂る草木を掻き分けて進んでいた。


 探索を暫く続けた頃。魔物ではない野生の動物達との邂逅を繰り返し、その度にジードは神経をすり減らしていった。

 そして今もまた、やや離れた位置から不可解な音が聞こえ始め、その顔に緊張を走らせている。


「――っ。何か、聞こえる……」


 ジードは樹木を壁に気配を殺し、耳を澄ませる。


「やっぱり……近付いて来てるな……」


 足音とは明らかに異なる、間を孕んでの移動音に、ジードの胸の鼓動は高鳴っていく。


 樹木の陰から鼻先だけを覗かせ様子を(うかが)っていると、草木の隙間から白い物体か軽快に姿を現した。


「――っ。一角兎(ホーンラビット)だっ。おお、本当に跳ねて移動してるぞ……」


 魔物の姿を捉え、目を丸くして驚いているジードだが、一角兎には気付いる様子は見受けられない。


 一角兎は頭部に短い角を持ち、ふわふわの真っ白い体毛に真紅の瞳、肉食獣を思わせる鋭い牙を持つ。前脚が短く、大きく発達した後ろ脚で飛び跳ねて移動する兎型の魔物だ。

 好戦的な性格で、敵を見つけると後ろ脚で地面を蹴り一気に突進してくる。しかし、直線的な動きしか出来ない為、戦いに慣れた者であれば対処は容易である。


 ちなみにジードは、ガンズから話を聞いた事があるだけで、実物を見るのはこれが初めてだ。


「よし、やるか……!」


 ジードは自らを奮い立たせるかのように力強く呟くと、手にした木の棒をぎゅっと握り直すと、一角兎の前へ足を踏み出した。しかし、その顔から躊躇いが抜けることはない。


 ヴォルフによれば、魔封石は魔物の亡骸から魔力を吸収するとの事。それはつまり、対象が生きていれば、殺さねばならないという事である。

 ジードとて開拓者を志す者だ。然るべき段階を踏んだ上でその時(・・・)が来れば、魔物を殺害する事くらい覚悟していた筈だろう。だが、あまりにも早すぎたその時(・・・)に、覚悟が追い付いていないようにも感じられる。


「――!」

 

 一角兎はジードの存在に気付くと、すぐさま牙を剥き、後ろ脚を地面に叩き付け大きな音を立てる。神妙な面持ちを浮かべる人間の少年を、敵と見定めたようである。


 十数歩の距離で睨み合うこと数瞬――。

 一角兎は勢い良く地を蹴り、自慢の角でジードを貫くべく、突進を始めた。


「――おわっ! あっぶねぇ、速すぎるだろっ!」


 一角兎の突進は予想以上に速かったようで、ジードは慌てて身を(よじ)ると間一髪のところで(かわ)す。

 ほっとしたのも束の間。再び地を叩く音に慌てて振り返ると、一角兎は既に攻撃態勢に移っていた。


「誰だよ! 楽勝なんて言ったの……!」


 ジードは情報源は洩れなくガンズである。


 その後も一角兎の猛攻は続き、防戦一方のジードには疲れが見え始めていた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 それでも避け続けていると、次第に動きに慣れてきたようで、最低限の動作で危なげなく躱せるようになってきていた。


「はあっ、はあっ……だんだん、慣れてきたぞ。これならっ……」


 ジードは大きく肩を上下させながらそう言うと、両手で棒を強く握り締め直す。更にそこから二度突進を躱すと、右足を引き半身の構えをとり迎撃態勢へと移った。


 対する一角兎は、そんなジードの様子などお構い無しである。むしろ、相手の迎撃の意志を汲み取ったかのように、地を叩く力が一際増してさえいる。そして遂に、一角兎は力強く地を蹴り、ジード目掛けて弾丸のように飛びだした。


「おぉぉぉぉおっ!」


 ジードは一角兎が突進を止められぬギリギリまで引き付ると、横に半歩移動して木の棒を渾身の力で振り抜いた。


「――!」


 鈍い衝撃音に続き、骨のひしゃげる音が辺りに響く。ジードが振った木の棒は、一角兎の角をへし折り、頭蓋骨を砕いたのだった。勿論、そんな衝撃をもろに浴びたジードの手も無事であるはずが無い。


「――い゛ってぇぇぇぇえ!」


 ジードの絶叫が静かな森に響く。

 思わず木の棒を放り投げた掌は、反動により皮が剥け血が滲んでいる。外傷こそ見当たらないないが、手首にも相当の負担が掛かっているだろう。その灰色の瞳には、うっすらと涙が滲んでいる。


「うぅ……いてぇ……」 


 痛みに顔をしかめるジードは、確かめるようにゆっくりと自身の手首を回し、拳を開閉していく。幸いにも骨に異常はないようだが、すぐに探索を再開するという訳にはいかなそうである。



 結局、稼働に支障が無くなるまで、暫くの時間を要したジードは、ふと目的を思い出す。


「――そうだっ。魔力の回収だ」


 ジードはゆっくりと一角兎の元へ近付いていくと、途端に顔を強ばらせた。


「うげぇ……我ながらこれはひどいな……」


 一角兎は既に絶命しており、直撃したと思われる部分は原型がわからないほどに潰れ、肉が溢れ出していた。

 ジードは死骸を視界に入れないようにしゃがみ込むと、鞄から魔封石を取り出し、一角兎の亡骸へ手荒に押し当てた。


 すると、途端に魔封石はぼんやりと光りだした。


「――おわっ!? なんだこれっ……」


 ジードが慌てて腕を引くと、それに合わせ発光も収まっていく。


「うーん……光るのは魔力を吸収してるサインって事か……?」


 ジードは発光の理由を自分なりに解釈すると、再び一角兎に魔封石を押し当てた。

 やはり魔封石はぼんやりと発光を始めるが、今度は手放したりはしない。様子を窺いながら当て続けていると突然、魔封石から目が眩む程の閃光が(ほとばし)る。


「――っ!」


 ジードは反射的に目を瞑ってしまう。

 間もなくして恐る恐る目を開くと、そこに一角兎の姿は無く、草や土に残る紫紺色の血痕だけが、これが現実の出来事であったと証明している。


「消滅、したのか……?」


 ジードは先程まで一角兎の横たわっていた場所を、難しい顔をしたまま見つめる。


「――――。後でヴォルフに聞いてみるしかないか……」


 僅かな間、その場に留まり考え込むような仕草をしていたジードだったが、埒が明かないと判断したのか、おもむろに立ち上がると探索を再開するのだった。


 それから暫く――。

 行く手を阻む草木を掻き分け、くぐり抜け、奥へ奥へと探索を続けながら、ジードは誰に言うでもなく呟く。


「流石に、棒で迎え撃つのは無謀だったな……」


 先程の戦闘を思い返しているのだろう。ジードは眉を顰めるとずる剥けた掌を一瞥し、身体をぶるふるっと震わせた。


「正面から叩き落とすのは、失敗した時おっかないし、真横から振り下ろすんじゃ、当てられるかどうか心配だよなぁ……」


 ジードは一度立ち止まると鞄からダガーを取り出し、鞘に収められたままたのそれを眺める。飾り気のない極々一般的なダガーを見つめ、おもむろに引き抜くと小さく息を吐いた。


「やっぱり、これしかないか……」


 一頻りダガーを眺めたジードは、鞄には戻さず腰ベルトの部分に括り付けると、更に奥へと探索を続けるのだった。


 ***


 太陽が沈みかけ、ラルス森林は一段と闇を濃くしていく。


「くそっ……! どこにいるんだよ……」


 魔物探しは難航の一途を辿っていた。

 一体目の一角兎と遭遇から既に数時間が経過していたが、成果に乏しい状態が続いているのだ。


 明晩までにという、ヴォルフとの約束の時間は既に目前まで迫っており、ジードの顔には焦りが色濃く浮かんでいた。


「……それにしても、魔物どころか動物すら居ないなんて、流石におかしいよな……」


 ジードは怪訝な顔で小さく呟いた。

 それもその筈。奥に潜れば潜るほど生き物の気配は薄れていき、ここ一時間ばかりに至っては、虫以外の生き物を目にしていないのだ。

 異様な静けさとでも言うのだろうか。普段のラルス森林であればまず有り得ない不穏な気配に、自ずと足取りは慎重さを増していく。



 それから程なく――。

 探索を続けていたジードは、小さな崖へと突き当たる。そのまま斜面に沿って回り道をしながら進んで行くと、途中にぽっかりと空いた横穴を発見するのだった。


「――っ! なんだあれ……?」

 

 黄昏時のラルス森林では横穴の入り口すら薄暗く、数歩先には闇が広がっている。どれほどの深さがあるのか、中はどうなっているのか、まるで窺い知れない。


 ジードは足音を殺し、警戒した様子で横穴へと近付いていく。かと言って、直接横穴へと足を踏み入れるほど愚かではない。これまた、ガンズの指導の賜物である。


「よし……!」


 何が出てきても逃げ出せるよう、やや離れた位置に陣取ると地面に転がる小石を拾い上げ、横穴に向かって放り投げた。すぐさま木の影に身を隠し様子を窺うが、軽い音をが横穴の中で反響するだけで何かが動く気配は無い。


「…………。なにも、いないのか……?」


 念には念をと、二度三度と繰り返し様子を窺うも、やはり反応は得られない。


 ほっと肩の力を抜き、いざ横穴へ向け進まんと一歩足を踏み出した刹那、鞄を中から脈動が放たれた。


『――』


「――っ! なんだよ、良い時に……」


 出鼻を挫かれたジードは、不服な顔で魔封石を手に取る。

 

『来るぞ。備えろ』


『――えっ? どういう事だよ?』


『良いから隠れるなり、離れるなり早くしろ。手遅れになっても知らんぞ!』


 唐突に告げられた物騒な言葉に、ジードは困惑を隠せない。すると間もなく、どこからか重い足音が響き始める。


 ジードはすぐ傍の木に慌ててよじ登り、枝葉の中に身を隠す。徐々に近付いてくる地鳴りのような音の方角へ意識を傾け、息を殺したまま様子を窺っているとやがて、大きな何かが姿を現した。

 それはまるで、巨石が転がっているかのような圧倒的な質量で、ジードは思わず息を呑む。


「――っ!? 嘘だろ? なんだよこれ、夢を見てるのか……?」


 信じ難い巨躯を前に、ジードの口からは己が目を疑う言葉が漏れだす。あまりの驚愕に念話の事も頭から抜け落ちているようである。


 地響きを伴いながら段々と距離を詰め、ようやく姿がはっきりと認識出来るようになったかと思えば、それはジードをよく知る動物に酷似していた。


「く、熊……?」


 眼前に現れたそれは、規格外過ぎる大きさと、口元から大きくはみ出た鋭利な牙を除いては、紛れもなく熊だった。


「――いやっ、あんな大きさ、見たことも聞いたことも無いし、それにあの牙っ――『おい、落ち着け』」


 理解の追い付かない展開に、ジードの一人語りは白熱し徐々に声量も増していき、見かねたヴォルフから平静を促す念話が飛んだ。


『あ、ああ……』


 すると熊はそのまま、ジードに気付くことは無くジードの真下を通過して、横穴の中へと消えていった。

 お陰でやや冷静さを取り戻したジードは、額に浮かべた脂汗を吹かないまま念話を飛ばした。


『なぁ、さっきの来るぞってのは、あれの事だよな……? なんなんだよあれは……あんな熊、この辺りには居ない筈だ』


『ああ、あれは魔物もどきだな』


『魔物、もどき……?』


『恐らく熊が魔物を食ったのだろうよ。魔力を持たぬ生き物でも、魔物を食らえばその身に魔力を宿す事が出来る。魔力を得たことで魔物化は始まっているが、あの状態からするにまだ不完全。故に魔物もどきだ』


 ヴォルフは淡々と答えを返していくが、ジードの顔色は見る見る内に悪くなっていく。


『ってことは、このまま放っておけばいつかは魔物になるって事だろ……? 早くガンズさんに知らせないと……!』


『そう逸るな、その必要は無い。オレの力を使えば、あのような紛い物など容易い事だ』


『でも、全然魔物は見つからないし、魔力だって一匹分しか集まってないんだよ……! そっちこそ悠長な事言って、もし村が襲われたらどうするんだよ!』


『逸るなと言っただろうが。良いか、よく聞け。不完全な魔物共は、魔力の欠乏と空腹が混同し、手当たり次第に辺りの生き物を食い荒らす事が多い。そしてだ、今奴の周りには多数の魔力が散らばっている。それを用いれば、魔力は充分に事足りるだろうよ』


 無意識に魔封石を強く握り締め、念話の中で声を荒げるジードと、事も無げに語るヴォルフとの温度差は激しい。


『あんなの相手にどうしろって言うんだよ? 巣穴にいるのに回収なんて無理に決まってるだろ!』


『……なんと情けない奴だ。ならば貴様自身が囮となって、奴を巣穴から(おび)き出せ。遠くまで引き付けた(のち)、この場に戻り魔力を奪えばいいだろうが。さぁ、始めるぞ――――』


 途端、魔封石からは目も眩むほどの閃光が走り、脈動とは非にならない強烈な波動が放たれた。



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