序章四話 『念話』
「――は? ちょ、ちょっと待ってくれ、鬼って……未開拓域に生息してるって言う、あの鬼か? 鬼は人の言葉がわかるのか?」
ジードは驚きのあまり、勢い良く椅子から立ち上がると大声を上げた。驚愕により念話はすっかり頭から抜け落ちているようだ。
『喋らんでも通じると言っただろうが……』
鬼と名乗る存在は石の中で露骨に嘆息する。
『わ、悪い、びっくりして、つい……』
『大体だ。オレを言葉も通じぬ木っ端共と一緒にするなよ? オレは高位の鬼。人話など容易いものだ』
『そっか……ひとまずあんたが言葉を話せる鬼だったとして、どうして石の中にいるんだ?』
『この石はな、魔封石と言って、魔力を持つ者を封じ込める魔石だ。オレはある者の策略によって、この石の中に魂だけを封じ込められた。忌々しい事に、自力で出ることは叶わぬ。そこで貴様に呼び掛けたと言うわけだ』
『それってつまり――俺にあんたの封印を解く手助けをしろって事か?』
続く言葉を予想したジードの顔に警戒の色が浮かび、石を握る手に力が入る。
『いや、オレの肉体はおそらく残っていないだろうよ。憑代が無ければ、自由を得たところで消滅するだけだ』
鬼は一呼吸置いた後、低く凍り付くような声で言い放った――。
『オレには、いかなる手段を講じてでも殺さねばならぬ奴がいる。……そこでだ、貴様の力を借せ。代わりに、オレの力を全てくれてやる』
『――ちょ、ちょっと待ってくれよ、いきなりそんな事言われたって、簡単に頷けるわけないだろ!?』
『そうか? 貴様は力を得られ、オレは目的を遂げられる。言わば協力関係だ。互いに利があると思うのだがな』
『力なんて言われてもよくわからないし、そもそも、なんで俺があんたの復讐に協力しなくちゃいけないんだ』
石を通して伝わる圧倒的な威圧感にジードは身を竦ませつつも、ぎゅっと拳を握り締め必死に反論する。お陰で石を握っていないもう片方の掌には、爪が深く食い込んでいる。
『なんだ? 理由が欲しいのか? ならば簡単だ。貴様は知らんだろうが、結界の外側では様々な種族の魔物を手駒にし、何かを企てている者がいる。そいつはいずれ、配下共を使って貴様等人間の住む領域に攻め込んで来るぞ』
『そんな突拍子もない話、簡単に信じられる訳ないだろ。それに結界は、どんな強力な魔物だって弾き返せるって皆言ってるぞ』
『――ふはっ、はははははは! なんと哀れな小僧だ。ならば止めぬ。結界があるからと高を括って呑気に構えていろ。間抜けな小僧に一つ教えておいてやる。貴様等の縋る結界など、オレから見れば綻びだらけの欠陥品だ。その気とあらば、いとも容易く破壊できる』
『――もし、もし本当だとしても、俺にそんな沢山の魔物をどうにか出来る訳ないだろ……』
無知を嘲笑うかのような、鬼の余裕のある話しぶりはやけに信憑性を帯びていた。これにはジードの態度も、少しばかり戸惑いが見え始める。
『まったく、貴様は何を聞いていた。力をくれてやると言ったばかりだろうが。言っておくが貴様は運が良いぞ? 鬼の力など、望んで手に入る物ではないのだからな』
『でも……』
反論の力も弱く、続く言葉も見い出せないジード。鬼はそれを好機と見たのか、ここぞとばかりに畳み掛ける。
『どの道、貴様はオレに協力するだろうよ。それが早いか遅いかの違いだ。断言してやろう! 奴を放っておけば遠くない未来、貴様等は滅亡するぞ。オレと共に歩むか、全てを失ってからオレに泣きつくか。さぁ選べ……!』
『…………。わかった。あんたに協力するよ……』
一頻り悩んだジードは、不貞臭れ気味にそう答えた。
『そうだ、それで良い。覚悟しておけよ、あの女ぁ……!』
思い通りに事が運び、上機嫌になった鬼の高笑いが脳内に響き渡る。
ジードは堪らず顔をしかめると、魔封石をテーブルへと置き、窓際まで逃げるように移動する。
ふと気が付けば、食べ過ぎによる吐き気や腹痛は治まっていた。しかし、今度は慣れない念話の行使による、軽い頭痛と目眩に見舞われてしまうのだった。
ジードは魔封石を手放した後、気分転換がてらに夜の空を眺めていた。
その間も、魔封石はしつこく脈動を続けているが、ジードは無視を貫いている。
星空を一頻り堪能したジードは、喧しい鬼の呼び掛けを受けて仕方なしといった風に椅子に座り直す。姿勢を正し、呼吸を整えるとゆっくりと魔封石へ手を伸ばした。
『遅いわっ!! 何をしていた!』
途端、見計らったかのように鬼から怒号が飛ぶ。
「――おわぁっ!」
突如として脳に刺さった怒声に驚き、ジードは思わず悲鳴を漏らす。危うく魔封石を投げ飛ばしそうになるのを、寸でのところで留めると、意識を集中し念話へと切り替えた。
『いきなり大声を出さないでくれよ。びっくりするだろ……』
『ふんっ、すぐに応じぬ貴様が悪い』
鬼は苛立たしげに鼻と鳴らすと、さも当然のようにそう言い放った。
『慣れない念話で疲れたんだ。少しくらい休憩したって良いだろ?』
『それならそうと、予め言えば良いだろうが。何も言わずにその場を離れるとは、貴様いったいどういう了見だ』
『悪かったって……それより、疑問なんだけどさ、なんでガンズさんには声を掛けなかったんだ? あの人はあんたの事を知らない口振りだったぞ?』
ジードは先程、協力すると言いはしたが、鬼を完全には信用出来ていないのが、言葉や態度から丸分かりだ。
『ガンズ……? あぁ、前の持ち主か……あいつは駄目だ』
『駄目……?』
『ああ、貴様に言われずとも、そいつには幾度となく会話を持ち掛けている。だが、何度呼び掛けようとも奴は泥酔していて、ついには話にならなかった』
『……』
『屈辱的な事に、今のオレでは魔力の満ちた夜中でないと、会話はおろか、呼び掛ける事すら出来ぬからな。夜しか動けぬオレと、夜は使えぬ男。相性は最悪だ』
ガンズの夜の醜態を語る鬼の声には、憤慨が強く滲み出ていた。
泥酔時のガンズの体たらくを充分に理解出来てしまうジードは、鬼の話を聞いている内に段々と眉尻を下げていく。
『夜はあの人に大事な話をしてはいけないって、村には暗黙の了解があったくらいだからな……疑うような事聞いて悪かった、あんたの話を信じるよ』
『ふんっ、貴様に同情される謂れなど無いわ』
喉を鳴らし唸る鬼は、先程までのジードにとって警戒の対象でしかなかった筈だ。しかし今は『夜のガンズは役に立たない』という共通認識を得たことにより、小さな親近感を覚えているようだ。
『そんなつもりはないさ、どうせ協力するなら
仲良くやりたいと思っただけだ。俺の名前はジード。あんたの名前は?』
『協力関係にありたいとは言ったが馴れ合うつもりはない。……だが、名前くらいは覚えてやろう。ヴォルフ……それがオレの名だ』
『ヴォルフ……ね、じゃあこれからよろしくな、ヴォルフ!』
『あ、ああ……よろしく頼む』
人間にここまで簡単に信用してもらえるとは、全くの予想外だったのだろう。ヴォルフと名乗った鬼は拍子抜けした声を漏らす。
『ところで……協力って言っても、俺は何をすればいいんだ?』
『そうだな……まずはオレの魂を魔封石からお前の体内に移す。これが第一だ。そうすれば、力の一部を使えるようになる筈だ』
『いきなり難題だな……それって魔法を使うんだろ……? 魔法を使った犯罪を無くす為にって、決められた職業の人達しか、魔法を教えて貰えない決まりなんだ。まだ開拓者じゃない俺には、魔法は使えないぞ?』
差し当たっての目標を尋ねたジードだったが、ヴォルフの返答を受け、早くも表情を曇らせていく。
『ふん、魔法ではなく魔術だ。人間共の縛りなどオレには関係ない』
『魔術……? 魔法とは違うのか?』
『魔法と魔術は別物だ。大気中の魔力を用いて行使するのが魔法。自身の持つ魔力を用いるのが魔術だ。同じ術法でも、効果は魔術の方が優れている。わかるか?』
『んー、なんとなくはわかったような……』
何とも曖昧な返事を返すジードに構うことなく、ヴォルフは話を続けていく。
『貴様等人間は魔力を持っていない為、魔術は使えない。我々魔物は、魔力が続く限り魔術は使えるが、大気中の魔力を取り込む事は出来ない。魔法は人間、魔術は魔物。そう覚えておけば問題ないだろうよ』
『ちょっと待ってくれ。それじゃあやっぱり、俺には使えないだろ』
『黙って聞け。魔物は死しても身体が朽ちぬ限り、体内に魔力を秘めている。それを使えば人間にも魔術の行使は可能だ』
『使うって、どうやって使うんだ? 魔物の死体を探して運んで来るのか?』
ちょこちょこと口を挟むジードに、ヴォルフは静聴するように促す。しかし、疑問の尽きない少年の口が閉じることはない。
『この魔封石が亡骸に触れれば、自動的に魔力を吸収していく。そうだな……恐らく三匹分も吸い上げれば、術の行使には事足りるだろうな。種類は問わん、明晩までに魔物を三匹狩ってこい』
『魔物なら何でも良いんだな……? わかった。それなら、明日の朝から頑張って探してみるよ』
『頼むぞ。オレも明日に備えて色々と整えねばならん。では、また夜にな――』
『あっ、おいっ――』
ヴォルフは己の要件が済むと、即座に魔封石の魔力を絶ってしまう。
「勝手すぎるだろぉ……」
ヴォルフの傍若無人な振る舞いに、ジードは頭を抱え嘆息する。そして、静かになった魔封石を机の上に置くと、自身に言い聞かせるように呟いた。
「まぁ、約束したし、やるだけやってみるか……!」
そう言って椅子から立ち上がると、両手を頭の上で組み大きく延びをする。飛びつくようにベッドへ乱暴に寝転がると、程なくして静かな寝息が聞こえてきた。
***
「————な」
「——起きな」
「ほらっ、さっさと起きなっ!」
翌朝、太陽が顔を出してからしばらく経ったにも関わらず、ジード未だに布団の中にいた。
「ん……今起きるよ――って、おばちゃんっ!?」
ジードはもそもそと身体を動かし、夢現なまま応対する。やがて、うっすらと目を開けるとそこには、宿屋のおばちゃんがいた。
ガバッとベッドから飛び起きたジードに、恰幅の良いおばちゃんは両手を腰に添えたまま告げる。
「何遍もノックしたけど、起きないから部屋に入らせてもらったよ。朝飯はとっくに出来てんだ、さっさと降りておいで」
「はーい……」
まったくもうっ、と言わんばかりに短く息を吐くと、踵を返して部屋を後にする。
一人になった部屋でジードは瞼を擦り、大きく欠伸をすると、ふと大事な事を思い出す。
「――そうだっ! 魔物を探しに行かなきゃいけないんだった。急がなくちゃ……!」
騒々しく足音を立てながら身支度を整えると、慌てて部屋を後にする。
一階に着くとおばちゃんの言葉通り、昨日と同じ席に料理が並んでいた。
「いただきますっ」
そう言うが早いか、ジードは味わう事もなく料理を流し込んでいく。行儀が悪いことこの上ない。
「まったく……いくら急いでるとしても、飯はしっかりと噛みなさいな。それと、お弁当も作っておいたから傷まないうちにお食べ。それから、水を入れといてやるから水筒も出しな。急いでるんだろ?」
おばちゃんはそう言うと、テーブルの上に包みを置いた。
「ありがとう、母さんみたいだ」
ジードは照れ笑いを浮かべながら、鞄から水筒を取り出し手渡す。おばちゃんはニカっと歯を見せて笑うと水筒を受け取り、カウンターの奥に消えていった。
「はいよ! 部屋に忘れ物はないかい?」
丁度食事を食べ終える頃、おばちゃんが水筒片手に戻ってジードの元へ。
「ありがとう。荷物は元々少ないから大丈夫だよ。ご馳走様でした!」
「あいよっ。ストルドフに会うことがあったら、『里帰りもまともに出来ないなら、あんたの部屋も客室にしちまうよ!』って母ちゃんが……ミランダが怒ってたって伝えといておくれ」
豪快に笑うミランダに、ジードは苦笑混じりに相槌を打つと席を立った。
「はははは……会うことがあれば伝えておくよ。色々ありがとう。じゃあ、行って来ますっ!」
「気をつけて行っといで! また泊まりにくるんだよ、いつでも大歓迎だからねえ!」
零れんばかりの笑顔を浮かべたミランダに見送られ、ジードは店を後にするのだった。
***
軽快な足取りでミランダの店を出たのは良いものの、ジードは村の入り口で立ち止まっていた。というのも、何処へ行けば魔物がいるのか、さっぱり検討がつかなかったからだ。
「魔物を探すって何処に行けば良いんだよ。三匹って思ったより大変なんじゃないか……」
ジードは早くも、安請け合いした事を悔いているようで、難しい顔をしたまま地面を睨む。
結界をすり抜けてくる魔物など極僅かしかおらず、仮に見つけよう物なら即殺が基本である。それを一日に三匹も見つけるともなれば、考えるまでもなく困難であろう。
「――そうだっ! 戻る事になるけどラルス森林に行ってみるか。あそこならもしかしたら……」
名案でも浮かんだのか、途端に顔を明るくしたジードは、善は急げと言わんばかりに村を出ると、来た道を足早に引き返していく。
ラルス森林とは、セノア村に隣接する広大な森林だ。起伏の激しい地形の為、隅から隅まで探索するには、慣れた者でも三日は要する程である。
あまりの広さに管理が行き届いておらず、実際に小型の魔物の出現事例もある。その時の様子をジードも伝え聞いており、今回はそれに望みを懸けたのかも知れない。
それから暫く――。
街道沿いを黙々と歩き続けたジードだったが、やはり魔物が現れることはなかった。時刻は既に昼を大きく回り、ジードの身体は空腹を知らせようと騒ぎ始めていた。
「食事がてら少し休むかな」
腹の鳴る音に促され、誰に言うでもなく呟くと、木陰に転がる平たい石を椅子代わりに腰を下ろす。
「ラルス森林まではもう少しか……」
ジードは鞄から包みを取り出すと、丁寧に解いていく。それは朝食の際、ミランダからもらった物だ。中身を確認したジードは思わず声を漏らす。
「――うおっ」
その中身とは昨晩、嫌と言うほど食べさせられたあのステーキが溢れんばかりに挟まっているサンドイッチだった。
「またステーキ……あのおばちゃん、どれだけ肉を食わせたいんだよ……」
頬を引き攣らせながら文句を垂れるジードだったが、意外にもぺろりと平らげてしまうのであった。




