少女と幻獣
「ねぇ、本当にここであってるの……?」
エレナは拍子抜けだと言わんばかりに、眉尻をがくんと下げる。嘘だと言ってくれと、切に願っているのがよく伝わる顔付きだ。
しかしガンズは、エレナの淡い期待をばっさりと切り捨てた。
「残念だろうけど、ここであっているよ」
「嘘……だってここ…………」
そこは、何の変哲もないただの泉だった――。
鬱蒼と茂る森の中にある、生き物達の憩いの場という訳でも無く、
一口飲めばたちどころに病も吹き飛ぶような、奇跡の水が湧き出ているでも無く、
幻獣が降り立つ為の巨大な尖った岩が、泉の中央に鎮座するでも無く、
はたまた、荒れ果てた大地に構える、触れた途端に肉を溶かす毒の泉と言う訳でもない。
本当に何処にでもあるような泉なのだ。
大き過ぎず小さ過ぎず、深過ぎず浅過ぎず、椀形に広がるその泉は良くも悪くも『普通』だった。
直径にして八メートルほどある泉の周辺には、ぽつりぽつりと木が点在するだけで、日陰は殆んど見当たらない。そのお陰と言ってはなんだが、存分に太陽光を吸収した雑草や野花が足元で生い茂り、ぐんぐんと勢力を伸ばしている。
その雑草達はぴんと真っ直ぐに天を向き、踏み倒された痕跡がまるでない。つまりここ最近、人間はおろか魔物や動物すらも、この泉に足を近づけていないという事を示していた。
誰も寄り付かない廃れた泉――。
これではどう足掻いても、エレナの思い描いていた神秘的な場所とは程遠い情景だ。
「本当にこんな所に一角獣が現れるの? 幻獣が出る泉って言うくらいだから、もっと素敵かなと思ってたのに。」
怪訝な顔をしたエレナが、不満と疑問をガンズにぶつける。
「そう心配しなくても大丈夫だ。ほら、ほとりに座れそうな岩があるだろう?」
ガンズが指で示したそこには、確かに座れそうな平たい岩が地面から突き出ていた。
「うん……」
「あそこで待っていれば、ユニコーンは必ずやってくるよ」
「そう、なんだ……わかったわ……」
何か言いたげなエレナではあるが、渋々納得したようである。
「――そうだっ、あれを渡しておかないとな……」
ガンズは自身の鞄を弄る。
「魔力回収用の魔石だ。二つ渡しておく」
そして、魔力の入っていない透明な空の魔石を一つずつ取り出して、順にエレナに手渡す。
「これはジードの分と、カミラさんに渡す分?」
拳大ほどもある空の魔石を受け取ったエレナは、二つを交互に見比べる。
「いや、それくらいなら一つで充分に事足りる。ほら、カリバの魔石不足の話があっただろう? もう一つは、急を要する人の為に取っておけたらと思ってな……余裕があったらで良い。お願い出来るかな」
「そういう事ね! 任せてっ、出来るだけやってみるわ!」
用途を知ったエレナは俄然やる気が出たようである。
「それと……すまないが、俺とジードはここで待たせて貰うよ。ユニコーンは神経質だから、近くにいると現れない可能性もある」
「大丈夫よ。任せてちょうだい!」
使命感に燃えるエレナは空の魔石を胸の前に掲げ、力溢れる返事をしてみせると、草を掻き分けながら軽快に泉のほとりへと近付いていく。
「よし、俺達は万が一に備えて待機だ。行くぞ」
「おう!」
ガンズとジードは遠目に見守れる位置で念の為、数少ない木の影に身を潜めての待機である。
それから程なくして、ほとりの岩へと辿り着いたエレナはふと、カミラの言葉を思い出す。
「確か……余計な物は身に着けず、髪は下ろす、だっけ……」
ぽつりと呟くと、手にした空の魔石を岩の上に置き、見に纏う物を順に外し始めた。
籠手にローブ、鞄と、次々に石の脇へと置いていき、更に髪を纏めている革紐を解く。
すると、持ち上げられていた髪は重力に従い、元の位置へと柔らかに下りていった。
「――っ」
これに息を飲んだのはジードだ。
元々整った顔立ちをしているエレナが、普段は束ねている髪を下ろし、一気に大人びた雰囲気へと変わった事で、不覚にも目を奪われてしまったからだ。
「なんだぁ? 見惚れてるのか?」
気付いたガンズが小声で茶化すように言う。ジードが慌ててそちらを向けば、その顔には意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「――ちっ、違うっ!」
「おーそうかそうか。違うのかー」
「…………」
大声を出してエレナに気付かれるのを恐れたジードは、なおも茶化すガンズを殺さんばかりに睨み付ける。しかし、その顔は茹でられたように赤く染まっていて、凄味の欠片も感じられないので全く持って無意味だった。
「よいしょっと……」
裏で起きている事など何も知らないエレナは、外せるものを全て外し終えたところで、呑気な掛け声と共に岩の上に腰掛ける。最後にブーツを脱いで終了だ。
あとはユニコーンの登場を待つばかりである。
***
ユニコーンを待ち始めてから、早くも二十分が経過していた。
最初は緊張と期待の入り混じった表情でいたエレナだったが、時間が経つに連れて苛立ちが募り始め、それに比例して顔が険しくなっていった。
しかし、指定された持ち場を離れる訳にも行かず、加えて相手が神経質だと告げられている為、大声をあげて確認することも出来ない。せめてもと、後ろを振り返って目で合図を送ってみるも、ガンズは首を横に振るばかり。
「本当に来るのかしら……」
溜め息と共にそんな言葉を吐き出してすぐの事である。
「――えっ、なに!?」
魔物とは一線を画した魔力が、空から急接近してきたのをエレナは感じ取り、慌てて首を上げるが今はまだ視認できる距離ではないようで、視界いっぱいに青空が広がっていた。
それから数瞬――――。
エレナが上空を見つめたままでいると、その視界には何か点のような物が見え始める。
かと思えば、瞬く間にそれは接近し、慌てて瞳に魔力を宿し辛うじて捉えられたそれは、程なくして到着するのは間違いない。
翼など備えていないにも関わらず、空を垂直に駆け下りて来ているそれは、紛れもなく幻獣ユニコーンだった。
純白の体毛に覆われた馬のような体躯に白金の鬣、額から螺旋状に生える白亜色の角は淡い光を放ち、その精悍な顔立ちを際立たせている。
「―――――」
このまま行けば着地点は泉の中心付近となるだろう。ユニコーンは水面は間近まで迫っていると言うのに速度を緩めることはせず、力強く嘶くとラストスパートでもかけるかの如く更に加速する。離れなくてはまずいと、エレナが大慌てで立ち上がったその時――――。
「きゃあっ――」
結局ユニコーンは最後まで速度を緩めることはなかった。エレナは来たる衝撃を予測して、思わず目を瞑り身構える。
「…………。えっ……?」
だがしかし、音も無ければ衝撃も無い。波も、水飛沫も、一向に来る気配は無く、不思議に想ったエレナはそっと目を開く。
するとそこには、何事も無かったかのようにユニコーンが泉の中心に佇んでいたのだ。
そして何故か、今まで何の変哲も無かった泉は全体的に青白い光を帯び始めており、エレナの眼前は一気に神秘的な世界へと様変わりする。
「凄い……本当に来たんだ……」
感嘆を漏らすエレナの元へ向け、ユニコーンはゆっくりと水面を歩き出す。一歩踏み出す度に水面には小さな波紋が生じている事から、浮かんでいるのではなく、水の上を沈むことなく歩いているので間違いないだろう。
驚くべきは、一歩、また一歩とユニコーンが歩を進める度に、泉の水はその光を強くし、神々しさまで備え始めた事だろう。
先程までこんな泉と侮っていたエレナが、畏怖の念を抱いてしまうほどに。
ユニコーンは遂にエレナの眼前まで歩み寄ると、じっと緋色の双眸を見つめ動かなくなった。
「――っ」
まるで自身の真偽を見定められているような気がしたエレナは、若干たじろぎながらも決して目を逸らさずにいた。
それから暫しの見つめ合いが続き、やがて――――。
「――」
ユニコーンは唐突に瞳を細めると軽く嘶き、自らの首をエレナの頬に擦り寄せる。
どうやらエレナの事を認めたようである。そして彼女もまた、ユニコーンが放つ魔力の質からそれを感じ取っていた。
エレナはおっかなびっくりといった風に、ユニコーンの首へと手を回し、滑らかな白金の鬣をそっと撫で始める。
「わぁ……柔らかい……」
エレナはうっとりと微笑み、ユニコーンは気持ちよさそうに瞳を閉じる。まるで二人は旧知の仲で、ようやく再開出来たかのような雰囲気を漂わせていた。
しかしそれも束の間――。穏やかだった空気は唐突に終わりを告げる。
ユニコーンは優しく首を持ち上げ、エレナの元からそっと離れると、少女を通り過ぎ陸地へと脚を踏み入れる。
先程までの穏やかな雰囲気とは打って変わって、登場時よりも更に険しい顔付きで一点を見据えている。
「どうしたの……? あっ――」
エレナはこの魔力回収作戦においての重大な失敗に気付くが、もう既に遅い。魔力を隠し切れていないジードが、隠れるなど土台無理な話なのだから。今更彼女にはどうすることも出来ない。
ユニコーンの視線の先――――。そこは、ジードとガンズが身を潜めている木がある位置で、やはりどう考えても二人の存在がばれているのは明白だった。
身体隠して魔力隠さず、とでも言ったところだろうか。
鬼の魔力を抑えても隠しきれないジードは、その事に気付きもせず、そもそも魔力を感じ取れないガンズは、魔力で感知されるという頭すら持ち合わせていなかった。
「どうするんだガンズさん……なんかばれてるっぽいぞ……?」
「あぁ、俺にもわからん。向こうの気のせいかも知れないし、もう少し様子をみてみよう」
二人は木の影に身を隠したまま、ちらちらとユニコーンの様子を窺いながら小声で話し合う。
一点を見据えたまま微動だにしないユニコーンに、二人は動揺を隠せない。
「ほら、やっぱりばれてるって……エレナも困った顔でこっち見てるし」
「仕方ない、出て行くしかないか……良いか、ジード。絶対に刺激するなよ。今のエレナちゃんはローブを脱いでいて無防備だ。いくら憑依者と言えど、その状態でユニコーンの攻撃を食らえば、ただではすまないからな。よし、いくぞ……!」
「お、おう……」
観念したジードとガンズが木の影から姿を現す。
「――――!」
するとやはり、ユニコーンは露骨に警戒を示し、唸り声をあげながら鬣を逆立たせ、前脚の蹄を地面に叩きつける。その後方にはエレナが困惑した様子で二人を見ていて、ガンズ達に残された手段は一つしか無かった。
「ここにいると奴の神経を逆撫でするだけだ。ここは任せて俺達は退こう……但し、背中は見せるなよ、あの角で一突きされれば命の保証は無いからな……」
「わかった……」
二人はユニコーンから目を逸らさないまま、ゆっくりと後退りその場を後にする。
どんどんと距離が離れても、一向に蹄を叩き付ける音が止むことはなく、最終的にはユニコーンの姿が見えなくなってから暫くするまで、後退る羽目となるのだった。
***
邪魔者を追い払ったユニコーンが振り返ると、今までの事が嘘だったかのように穏やかな顔付きでエレナに歩み寄り、鼻先で少女の肩を上から押し付ける。
まるで、座るように促しているようで――――。
エレナはそれに逆らうことなく、膝を押り岩の上に尻を着けた。
「――」
ユニコーンは満足げな声を上げると自らも腰を下ろし、エレナの腿の上に首を預け目を閉じる。
「ふふっ」
気を許したようなユニコーンの態度に絆されて、エレナの口からは自然と笑いが零れ、先程と同じ様に優しく鬣を撫でつけるのだった。
程なくしてユニコーンは、規則正しい寝息を立て始めた。
千載一遇の機会を悟ったエレナは、撫でる手は止めないまま、岩の上に転がる空の魔石を拾い上げ、そっと角へと押し当てる。
「ちょっと魔力をもらうわね……」
空の魔石が角に触れてもユニコーンは目を覚ます事もなく、透明だった魔石は泉の水と同じ青白い光を放ち始め、次第にその光を強くしていく。
それから暫く、順調に魔力を吸収していった魔石はやがて、満量を知らせる強烈な光を放つ。その後は徐々に光量を落とし、透明だった魔石は月白へとその色を変えるのだった。
「よし……」
一つ目の魔石へ魔力を回収し終えたエレナは、残るもう一つの魔石と持ち替え、先程と同様に角へと近付ける。
「――っ」
するとその時、ユニコーンはちらりと片目を見開く。視線はエレナから手元の魔石へ滑るように動き、息の詰まるような時間が幾許か。
「…………」
無意識の内にユニコーンを撫でる手が止まっていたようで、首をぐりぐりと動かし催促されたエレナは慌てて愛撫を再開する。
ユニコーンはそれに満足したのか、握り締められた空の魔石へ自身の角をちょんとあてがい、再び目を閉じた。
それはまるで、これくらいお安い御用だと言わんばかりで、
「良いの……? ありがとう……」
エレナは嬉しそうに目を細めると、より一層慈しみを込めてユニコーンを撫で続けるのだった。
***
無事に二つ目の魔石へ魔力を回収し終えても尚、エレナはユニコーンを撫でる手を止める事は無かった。魔力をもらった手前、自身の意志で中断するのは憚られるからだ。しかし、エレナもエレナで、満更でもないのは否めない。
そうして暫く、エレナの愛撫を堪能し尽くしたユニコーンはようやく立ち上がると、別れの挨拶とばかりに頬擦りする。これを受けたエレナも、ユニコーンの首へと手を回し優しく抱き締める。
「今日はありがとう」
身体を離したエレナが言う。
「――――」
ユニコーンは一際力強く嘶くとその場で跳躍し、垂直に空を駆け上がっていく。その姿を見えなくなるまで見送ったエレナは、ふと泉へと視線を戻す。
「ふふふ……」
ユニコーンの去った泉は再び平凡さを取り戻していたが、今は無性に神秘的に見えてしまい、思わず笑ってしまうエレナなのだった。




