鬼の眷属
「あれを呼び出す……?」
ヴォルフの不可解な発言に、ジードが鸚鵡返しに尋ねる。
エレナもまた、理解が及ばなかったようで続く言葉を聞き逃すまいと、神妙な面持ちでヴォルフから目を逸らさずにいた。
「あぁ、森の守り手となる者を召還するのだ。全くもって皮肉な事に、この身体であればある程度の魔術が行使可能なようだからな」
ヴォルフは自らの媒介となった、その小さな身体に目をやり、憎々しげに眉間に皺を寄せる。
「やはり眷属持ちだったか……まぁ今更驚きはしないが」
先日から驚愕に驚愕を重ねてきたガンズは、ヴォルフの規格外さにも大分慣れてきたようで、今回は眉をひそめるだけに留められたようである。
「ちょっと待ってくれ! 眷属ってなんなんだ?」
置いてけぼりを食らいそうな気配に焦ったジードは、話に割って入る。
「未開拓域には、別種の魔物すらも従える強力な個体が存在する。そいつらを総じて眷属持ちと呼んでいるんだ」
「つまり、手下を呼ぶって事か」
「簡単に言えばそうなるな」
「だが、今のオレの状態では低位の者しか呼び出せない。まぁそれでも、軟弱な妖精共よりは遥かに役に立つだろうがな」
ヴォルフが小馬鹿にしたように鼻で笑うと、怒りに瞳を燃やしたレミンが勢い良く飛び出てくる。
「むっかー! また馬鹿にしたよ、このちび鬼っ!」
「はぁ……低俗な魔物は、脳味噌まで低俗だから始末が悪いな」
ヴォルフは露骨にため息を吐き、これ見よがしに肩を竦め首を傾げる。
「かっちーん、もー怒ったよ! 今度こそ、こてんぱんにやっつけてやるんだからー!」
「ふんっ、貴様如きに二度も後れをとるオレではない。完膚無きまでに捻り潰してやろう、どこからでもかかってこい」
ヴォルフは先程の雪辱を晴らさんとテーブルに降り立つと、突き出した指先をちょんちょんと手前に動かし、レミンを煽り始める。
「ごめんなさいって言うまで、ぜーったいに許してあげないんだから!」
再び始まった激闘に、エレナは相棒の生き生きとした表情を見て、嬉しいため息を漏らす。
「なんだか、レミンも楽しそうね」
この日のエレナ宅は、普段の物静かさなど嘘のように、大いに賑わいを見せるのだった。
***
昨夜の決闘は、ヴォルフがレミンの魔術の嵐を躱し、蔓は滅却で消し去り、眼前まで迫ると強烈なデコピンを浴びせ、場外に吹き飛ばした事で決着が付いた。
涙で瞳を潤ませ患部を押さえながら、幼稚な暴言を吐き続けるレミンに、大人気なく高笑いを決めたヴォルフは満足気にジードの体内に戻っていった。
そして翌朝、日が昇りきる前に馬宿からゲタング達を引き取った一行は、エレナの案内の元妖精の住む森を訪れていた。
妖精が出没すると噂され忌避されているこの森は、エレナによって侵入者を拒むように歪に地形を変えられ、自然の要塞と化している為、本人の案内がなければ目的地に辿り着くのは困難を極めただろう。
足場も非常に不安定で、歩くのすら困難な箇所も多々あったのだが、ゲタング達は難なく軽快に付いて来ていた。
馬を使うよりも利便性が高いと言うのは、間違いないようである。
「そろそろ見えてくる頃よ」
先頭を行くエレナが後方に振り返り後続を確認すると、額に汗を浮かべる二人を励まそうと声を掛ける。
「それにしても、凄い所を通るんだな」
「昔はここまで歩きにくくは無かったと思うんだがな……そんなに苦労せずに、大樹まで辿り着いた覚えがあるぞ」
そこかしこに泥汚れを付けたジードの顔には、僅かではあるが疲労の色が見て取れる。
「それはあたしが、誰も近付けないように、大樹へ至る平坦な道は全て潰して回ったからよ。それでもしつこく探し回る連中は直接追い払うのだけど、性懲りもなくやって来るのよね……」
エレナは今までにやってきた連中を思い返し、苦笑を浮かべ深く嘆息を漏らす。
それから程なくして、一行はついに妖精の大樹の前に辿り着く。
「どう? 綺麗でしょ?」
「うわぁ、すげぇな……」
「こ、こんな事が……」
誇らしげな笑顔を浮かべるエレナが示す先には、目を奪われる程に鮮やかな極彩色の花々が、大樹を中心に輪を作るように所狭しと咲き乱れていた。
その光景にジードは目を細め素直に感嘆を漏らすが、ガンズは己が目を疑うかのように、呆然と花畑を前に立ち尽くしていた。
「どうかしたの?」
ガンズのその態度に不安を覚えたエレナが尋ねる。
「……ここは昔からこのような光景ではなかった筈だ……何か知っているかい?」
「あたしも前に、なんでここだけ花が咲いているのかって、聞いたことがあるの。その時に教えてくれた妖精が言うには……あの子達の魔力の影響を受けた植物が、魔花となって咲いているって言ってたわ」
「そうか……どうりで俺が来たときには花の一つも見当たらなかった訳だな」
エレナの説明に、ガンズは一人納得したように頷き、圧巻とも言える色の輪の手前から三番目にある、深紅の花を指差し確認するように呟く。
「それに、言われてみればそこにあるのと同じ花が、君の家にもあったような気もするな」
「よく覚えてたわね。そうよ、レミンの魔力に当てられた植物は自然とこうなるわ。ここは他の子達の魔力も入り交じっているから、これだけ色鮮かに咲いているの」
エレナは花畑に慈しむような視線を向けている。ただそれだけで、この場所に相当な思い入れがあることが容易に窺える。
「そう言う事か……それで、他の妖精達は?」
「それなら少し待っててちょうだい。……レミン、お願いね」
「はいはーいっ! まっかせてー!」
エレナの呼び掛けに応じ、レミン天真爛漫な笑顔に活力溢れる返事を添えて、勢い良く飛び出してくる。
その勢いのまま大樹へと近付き、大きく息を吸うと鈴の鳴るような声を響かせる。
「みんなーー! こわーい人間じゃないから、隠れなくていいんだよー?」
レミンの呼び掛けから数瞬、枝の陰から妖精の集団が姿を現す。左から順に青、黒、白、黄、緑の髪を持つ妖精達は顔半分を枝から覗かせ、レミンの言葉の真偽の程を確かめるべくジード達を見ている。
ジード達と妖精のいる大樹は多少距離があり、尚且つ大きさもレミンと同程度しかない為、表情まで窺う事は出来ない。
しかし、その雰囲気からして警戒の色が濃い事だけは、充分に伝わってきた。
同族が太鼓判を押した程度では、気持ち良く出て来れない程に人間との軋轢は激しいようである。
「んー……むー……」
レミンは眉を寄せ小さい唇を目一杯尖らせ、片手を顎に、もう一方を腰に当てたまま、綿毛のようにゆらゆらと宙を漂いながら思案する。
「――そうだっ!」
閃いたようにレミンの表情が一変し、余程良い案が浮かんだのか満面の笑みでジード目掛けて滑空する。その速度はかなりのもので、ジードは思わず身構えてしまう。
身を横に逸らしたところで、先程ジードの顔があった位置の手前にレミンは急停止する。どうやら、避けなくても当たりはしなかったようだ。
そして近付いてきて、尚笑顔を崩さぬレミンにジードは訝しげな視線を向け尋ねる。
「…………どうしたんだ?」
「えへへー。――――えいっ」
「――いぃっ!? 痛い痛いっ!」
レミンは目にも留まらぬ速さで、ジードの頬を抓り上げる。頬を掴んだまま浮上しようとしている為、結構な力で持ち上げられているジードは、爪先立ちになり涙目だ。
そんなジードを尻目に、レミンは意気揚々と妖精達に呼び掛ける。
「ほら、見て見てー! 怖くないでしょー?」
そんな事を言われては、ジードは抵抗など出来なくなる。諦めて受け入れようとすると、横で笑いを殺しきれずに喉を鳴らしているガンズが目に入る。
顔が変形するほどに引っ張られている為、話す事が出来ず恨めしそうに睨みつけていると、突然手を離され顔が自由になる。
ジードが目に溜まった涙を拭い、ガンズに文句を言おうと目を向けた時には既に、ガンズも釣られていた。
それも、掴まれた箇所が悪いのか歯茎が露出し、却って凶悪な面構えになっていた。
「ねー? こっちはもーっと怖い顔してるけど、怖くないでしょー?」
ジードはお返しとばかりに、にやけ顔でガンズを見据え、大きく喉を鳴らして笑う。
「二人ともごめんね? 悪気はないのよ……?」
そう言うエレナも、目尻にうっすらと涙を浮かべていた。
レミンの策が見事に嵌まり、もとい二人の強制的な献身が功を奏したのか、妖精達は一定の距離を保ち、戸惑った表情をしているものの、一行の眼前に姿を現した。
それぞれの髪の色と同色の瞳を持ち、一様に整った顔立ちをしている事から、妖精族というのは美男美女しか存在しないのかも知れない。
彼等が仮に人間と同じ大きさであったならば、その美しさで世を騒がせ、種族を越えた愛が芽生えたことも、あながち否定出来ない。
「ねー? 出て来てくれたでしょー?」
「あ、あぁ……そうだな……」
「出来れば、次からは痛くない方法で頼むよ……」
悪びれもなく腰に手を当て、褒めてと言わんばかりのしたり顔で、二人を交互に見つめるレミンに二人は、強く言うことも出来ず心中複雑なものがあった。
二人の返答を聞いたのか聞いてないのか、レミンは満足気に大きく頷くと、妖精達の元へ飛んでいき談笑を始めてしまう。
「レミンったら、もうっ……本当にごめんなさいね」
剰りにも自由奔放なレミンに、エレナは苦言を呈しつつも諦めたような苦笑を浮かべている。
そして、依然として遠巻きに様子を窺っている妖精達に視線を移すと、エレナは悲しげにぽつりと呟く。
「やっぱり、そう簡単に信用出来ないわよね……」
「……なにか、あったのか……? ――っ!」
含みのある重そうな物言いに、ジードは聞いてはいけないと理解しつつも、つい口にしてしまう。言い終わると同時に脇腹を小突かれ、視線を向けると、渋い顔をしたガンズが横目で睨んでいた。
エレナは二人のやり取りに気付く事はなく、妖精達を見つめたまま今にも泣き出しそうな表情で、ややくぐもった声で、ゆっくりと語り出す。
「この子達の家族は今まで、私欲にまみれた人間の手によって多くの命が奪われてきたわ……それも、生きたまま羽を毟られるという、とても残虐な方法で……一時期、この木に住む妖精は、二人にまで減ってしまった事もあったの。本来は、人懐っこい筈の妖精達はもういない……今日は、あたしが連れてきて、レミンが話をすればもしかしたらと、期待もあったのだけど…………でも、無理もないわよね」
「――もう大丈夫だっ! これから先、妖精達は絶対に傷付かない。ヴォルフが自分から言い出したんだ、間違い無い! だから、安心してくれ!」
そう言ってエレナが無理に作った笑顔が、妙に儚げで、ジードは無意識に励ましの言葉を口にする。
「うん……ありがとう」
「――っ。よしっ、早速ヴォルフに眷属ってのを呼んでもらうかっ! ちょっと待っててくれよ」
先程より少し和らいだ笑顔で感謝を告げるエレナに、ジードは一瞬頬を赤くするが、誤魔化すようにやけに大きい声で独り言ちる。
『ヴォルフ、昨日と同じ魔力体で良いんだよな?』
『あぁ……不本意だが、やむを得ないからな……』
ジードは念の為ヴォルフに確認をとると、すぐさま魔力体の作成に掛かる。
昨日は動き回る姿をまじまじと観察していた為、想像するのは容易だった。
むしろ昨日より、細部の出来上がりが精巧になっている。完全に自己満足ではあるが。
「出来たっ!」
『出るぞ』
前回は言われるがままに作った為かなりの時間を要したが、今回はあっという間にジードの手の平に魔力体が出来上がった。
出来上がった魔力体から魔力の制御を切り離した途端に、再びヴォルフが抜け出る際の何とも言えない倦怠感に襲われる。
「どれ、面倒事はとっとと済ませるとするか」
開口一番気怠げにそう言ったヴォルフは、ジードの肩に飛び乗ると身体の具合を確かめるように、例の如く準備運動を始める。
一頻り身体を動かし終えると、魔力を集めた指先を動かし空中に魔法陣らしき物を描いていく。
人一人すっぽり入る程の大きさの円の中には、複雑な模様が展開されていくが、到底理解など出来る筈もない。ただ、物凄く高度な魔術だと言うことは口に出さずとも皆に伝わっていた。
普段であれば、矢継ぎ早に質問を繰り出すジードすらも黙り込む程に、圧巻の光景だ。。
ヴォルフは魔法陣の展開を終えると、流れるような口振りで詠唱を開始する。
「力の象徴たる我、ヴォルフが命ずる。我が呼び掛けに応じ顕現し、己が忠義、証明してみせろ。出でよっ、『鬼烏』」
ヴォルフが詠唱を終えると同時に、魔法陣はぐにゃぐにゃと歪み、まるで中から抜け出てくるかのように、黒い鳥型の魔物が姿を見せる。
空中に現れたそれは、闇に溶け込む漆黒の翼を緩やかに羽ばたかせ、その場に滞空している。
ゲタングと比較的すると、大きさはジードの腰辺りと小さく、濃金の瞳以外は全身が黒の羽毛に覆われている為、色合いも地味に感じる。
だが、呼吸にする度に嘴から、酸化した血のような色合いをした炎が漏れているのが、何とも恐ろしい。
「やばそうなのが出てきたな……」
「本当にこの魔物で大丈夫なのか……? 死の匂いがぷんぷんするぞ……」
「あら、見た目からして頼もしい方が、抑止力としては丁度いいわ」
ジードは、鬼烏の嘴から漏れ出す炎を見て露骨に顔を歪め、ガンズもそれに続くように、不安を露わにするが、唯一エレナだけは、動じた素振りもなく豪快に言ってのける。
ヴォルフはジードの肩から、鬼烏の首元に飛び移り、頭に手を置くと雄弁に語り出す。
「こいつの吐く炎は特殊でな、時間が経とうが水中に潜ろうが消えることはない。炎から逃れる術はこいつの殺害、若しくは魔力の影響下外への離脱のみだ。但し、一度炎が消えたとしても、再び影響下に足を踏み入れれば直ちに発火する。こいつを森へと侵入する者にけしかけるとすれば……くっくっくっ、どうだ? お誂え向きだろうよ」
「凄いわっ! それならあの子達も安全ねっ!」
「「…………」」
高所から三人を見下ろす形で、まさに悪役と言った不敵な笑みを浮かべるヴォルフに、目を輝かせ絶賛するエレナ。
ヴォルフの規格外さに、慣れたつもりでいたジードとガンズだったが、あまりの驚愕に言葉を失い、仕舞いには目眩までしてくる始末だった。




