鬼の災難
『断るっ! 何故オレがこんな粗末で下劣な物の中に入らなくてならんのだ!!』
ヴォルフは激昂していた。
テーブルの上に置かれた、ガンズとエレナ考案のヴォルフ用の魔力体が、すこぶるお気に召さなかったようである。
『頼むよ……一度だけで良いからさ……』
『ふざけるのも大概にしろっ! 貴様等はオレを何だと思っているのだ!』
ジードは板挟み状態だった――
眼前にはヴォルフの登場を今か今かと待ち構えるエレナ。
その横に苦笑いを浮かべながらも、どこか楽しそうなガンズ。
そして、念話で絶賛大激怒中のヴォルフ。
「ねぇジード、まだなの?」
エレナはしびれを切らしてきたようで、ジードを更に追い詰める。
「今交渉中……もう少し待っててくれ」
『なぁヴォルフ……頼むよ……本当にお願いだ。今回きりだから! 俺を助けると思ってお願いします!』
『……まったくお前は……今回だけだぞ』
ジードの懇願にヴォルフは渋々折れる。
『本っ当にありがとう! そうしたらこの後はどうすれば良いんだ?』
『今回のように、媒介さえ用意すれば後はオレがやる。お前は抵抗さえしなければそれで良い。……忘れるなよ? 今回だけだからなっ!』
『わかってるって! じゃあ頼んだっ!』
「とりあえず、今回だけは入ってもらえる事になったぞ……」
「よくやったわ! ふふっ、早く入ってくれないかしらっ」
ジードは疲れた表情でエレナに告げると、がっくりとうなだれてしまう。対するエレナは緋色の瞳を爛々と輝かせ、鼻息荒く待ち構えている。
ヴォルフが心底嫌そうに大きく溜め息を吐くと同時に、ジードは何かが抜け出るような、はたまた引っ張られるような、言いようのない不快感に襲われる。
恐らくヴォルフの言っていた抵抗とはこの事だろう、と当たりを付けたジードは、己が感覚の行く末を静かに見守っていた。
そして、その時は唐突に訪れる。
無機質で開きっぱなしだった瞳には、色が宿り瞬きを始める。
作り物の身体は、違和感を感じさせずしなやかに稼動しており、見る人によっては新種の魔物と見間違っても可笑しくない程だ。
「……見た目こそ悪質だが、動きはまぁ悪くはないようだな」
首を回し、腕を捻り、足首を回し、さながら準備運動のような確認をしてヴォルフは呟く。
「そうでしょっ? それなら次も――」
「断るっ!!」
「――っ!」
興奮気味のエレナの言葉を遮り、ヴォルフが吠える。
いくら可愛らしい見た目であっても、中身はヴォルフなのだ。圧倒的魔力による威圧感が変わる事はない。実際、ガンズは息を呑む程だ。
「……えいっ!」
「――なっ!?」
同じ魔力を宿しているジードはともかく、そんなヴォルフの威圧感を、持ち前の胆力と乙女心で超越したエレナは、果敢にヴォルフを抱き抱えようとする。
ヴォルフは一瞬反応が遅れるが、寸での所で後方に跳び難を逃れる。
「貴様っ! なんのつもりだ!」
「なんのつもりって、抱っこするだけよ?」
「おい、ジード! 話が違うぞ! こいつを止めろっ!」
「あ……あぁ……それは……」
悪びれもなく言い放つエレナに、ヴォルフは警戒しつつも後ろ目でジードに文句を言う。
しかし、ジードを見据えるエレナの瞳は「もちろん、邪魔しないわよね?」と鮮明に訴えており、またしても板挟み状態のジードは煮え切らない返事となる。
「くそっ、役に立たぬっ! それなら戻るまでだ!」
早々にジードに見切りを付けたヴォルフは、自力で窮地を脱するべく動き出す。
「させないわっ! レミン、お願いっ!」
「はいはーい! んー、ていっ!」
「――っ!」
体内に戻る為、ジードの腹部目掛けて飛び込もうとするヴォルフを、レミンが風の障壁を作り妨害する。
ヴォルフも負けじと風の障壁を滅却してかかるが、三層からなる風の障壁は消し去ったそばから再構築され、今のヴォルフでは全てを滅却するに至らない。
「おい! 妖精の小娘っ! 邪魔をするな!」
「小娘じゃないもん! レミンだもんっ!」
小娘と称されたレミンはぷんぷんと怒りを露わにし、テーブルの上を囲むように風の障壁を展開する。
テーブルを舞台に妖精レミンと、小さなヴォルフの、無駄に高次元な攻防の火蓋は切られる。
とは言っても、ヴォルフはその魔質故に自ら攻めることは出来ず、レミンの怒涛の連撃を躱し、魔術を消し去り、防戦一方となる。
殺しに特化した鬼の弱点が浮き彫りになった瞬間だった。
「なぁ、止めなくて良いのか? あれ……」
「そう思うなら、ガンズさんが止めてくれよ……」
「「…………」」
尚も続く戦闘に、ジードとガンズは傍観する事しか出来ず、時間を追うごとにヴォルフに対して罪悪感が募っていく。
「てやっ!」
気の抜けるような掛け声と共に発生する五本の竜巻。一本一本が風の刃を纏っており、触れればヴォルフの魔力体は一溜まりもないだろう。
ヴォルフは迫り来る竜巻を流れるように躱すと、振り向きざまに爪から魔力弾を飛ばす。細長く鋭利な円錐状のそれは、竜巻と同じ五発。
見事全弾命中し、五本の竜巻は次々と消滅していく。
「ふんっ、この程度造作もない。――――っ!?」
ヴォルフが竜巻を消滅させ一瞬の隙を見せた刹那、突如としてテーブルを突き破り伸びてきた蔓に四肢を絡め取られる。
蔓はヴォルフの力を持ってしても引き千切れない程に頑丈で、尚且つ表面には返し棘が付いており、外すこともままならない。
「いっけぇ~!」
更には、消滅した竜巻の影にもう一本、小型の竜巻が渦巻いていた。初めから五本は陽動に蔓で動きを封じ、六本目の隠れた竜巻でヴォルフを狙っていたようだ。
ヴォルフは慌てて口から魔力波を放ち、その勢いで蔓ごと大きく後退する――
「はいっ、つっかまーえた!」
「――なっ!?」
エレナとレミンは戦闘中も念話を使い、好機を窺っていた。そして、絶好の瞬間に風の障壁と蔓を解除すると、飛び退いてきたヴォルフを見事捕らえる。
長年のコンビネーション故に為せる業である。
「うふふ、あーかわいいっ」
満面の笑みで後ろからヴォルフを抱き抱え、頬摺りするエレナと、その周りをくるくると飛び回って喜びを表すレミン。二人の少女に軍配が上がったようである。
「へへーん! レミンの勝ちー! あっかんべーだっ!」
「――っ! この子娘がぁ……!」
「ふぅー。レミンちょーっと疲れちゃったから、寝るねー、おやすみー!」
レミンはヴォルフを煽るだけ煽って満足すると、エレナの体内に戻っていった。
「くっ……なんという屈辱だ……」
「ヴォルフ……ごめん……」
エレナの腕の中で力無くうなだれるヴォルフを見て、ジードは謝らずにはいられなかった。
***
当初は脱出を試みたヴォルフだったが、エレナは魔力の強化を使い、その細腕からは想像も付かない程の力強さで固定され、動く事が出来なかった。
正確に言えば拘束を解くこと自体は可能だった。しかし、それをすれば必ずエレナの死体がついて回る為、ヴォルフは泣く泣く諦めたのだった。
見た目は凶暴、言葉は乱暴、しかし心根は優しい鬼なのである。
「なぁ、ガンズさん……魔物ってのはそんなに悪いのものなのか……?」
ヴォルフを腕に抱いたままのエレナと、お互いの生い立ちや憑依者となった経緯等を赤裸々に話し合ったジードは、言い知れぬ憤りを覚えていた。
「お前達憑依者や、ゲタングのような例もある。一概に悪とは言い切れないよな……だが、人間にとって脅威となる魔物ばかりなのも事実だ。多くの人間がそうゆう思想になってしまうのも間違ってるとは言い切れない。そこは、わかってくれ……」
ガンズは悲痛な面持ちでジードに告げる。
「それでもっ! それでも、俺にはこの村の奴等の方が悪者に思えるよ……」
ジードは嫌な音がするほどに歯を食いしばり、行き場のない怒りを抑えてるようだったが、呪いにより増幅された魔力が体内から漏れ始めていた。
「――ジードっ! 」
「――ちょっとジードっ! 落ち着いて? 狂化呪いの話をしたばかりじゃないの!」
エレナは今し方呪いの話を聞いたばかりの為、慌てた様子でジードを落ち着けようと試みる。
「おい、頼む! ジードを抑えてくれ! ――っ!?」
「…………」
ガンズがエレナの腕の中に収まるヴォルフに助けを求めるが、当のヴォルフの瞳には色が宿っておらず、糸の切れた操り人形の如く四肢をだらしなく垂らし、抜け殻になっていた。
ジードの纏う魔力は次第に濃くなり、それに比例してヴォルフの魔力体は色を失っていく。
異常を察したエレナは抜け殻となったヴォルフをテーブルに置くと、対面に腰掛けるジードに駆け寄る。その勢いのままジードの手を取り両手で包み込むように握ると、膝を曲げ目線を合わせて祈るように語り出す。
「あたし達の為に怒ってくれてありがとう……でもね、あたし達の事をわかってくれる人が、一人から三人に増えたのよ? 怒りなんかどこかに行っちゃう位嬉しいわ。だからお願い……怒らないで……」
「…………あ、あぁ……」
エレナの嘆願によって自らを取り巻く激情が波が引くようにすっと収まっていくのを、ジードは感じていた。
それと同時に、美少女が自分の手を握り、更には息のかかる程の距離で見つめられている状況に、違った意味で冷静さを失っていく。
ジードは一気に耳まで紅潮させると、目を逸らし慌てて手を振り解く。それを受けて、自らのした行動と今の状況に今更ながら気付いたエレナもまた、真っ赤な顔でそっぽを向いてしまう。
「あの、その、ごめん……」
「べべ、べ、別に、変な意味があった訳じゃないから!」
「あぁ、わかってる……」
「「…………」」
いつの間にか二人を取り巻く空気は、男女特有のそれに変わっていた。
「若いって、良いよなぁ……」
そんな雰囲気をぶち壊すように、悲嘆と諦めの入り混じった表情で、ぽつりと呟くガンズの姿は、哀愁に満ちていた。
軽い沈黙の後、羞恥の渦から脱出に成功したエレナは、椅子に座り直すと自らの思いを打ち明ける。
「ねぇ、あなた達の旅にあたしも付いて行ってもいいかしら? あたしも開拓者になって、あの子達が安心して暮らしていける場所を探してあげたいの……」
「俺達は勿論構わないけど、妖精達は放っておいても良いのか?」
「勿論みんな連れて行くわ。置いていったら心配で、旅どころじゃ無くなっちゃうもの……」
「おい。勝手に決めるな……」
「――ヴォルフっ! 無事で良かった……」
心底嫌そうに不服を漏らす声の方へ、三人が視線をやるとそこには、気怠そうに身体を起こそうとしているヴォルフがいた。
先程消えかかっていた身体は色を取り戻していたが、ヴォルフの顔には目に見えて疲労が浮かんでいる。
「これが無事に見えるか……? 危うくオレと言う自我が消滅するところだった……」
「――えっ? そんなにヤバい状況だったのか……?」
珍しく覇気のないヴォルフの声色に、ジードは事の重大さを察し、今更ながら背筋を凍らせる。
「あぁ、あのまま呪いの侵食が進んでいれば、今頃オレはこの世にいなかっただろうな……だがまぁ、それは良い。その女共が付いてくるのは認めん。旅に出たければ、一人で行けばいいだろうが」
ヴォルフは横目で威圧するように睨み、吐き捨てるが、エレナが返事をする前にジードがぽつりと呟く。
「でも、今の話からすると、エレナがいなかったらヴォルフは消滅してたって事だよな……」
「――なにっ? それは本当か……?」
「あぁ、自分で抑えきれないくらい魔力が溢れてきてた所を、エレナがその……助けてくれたんだ……」
ジードは先程の光景を思い出すと顔を赤らめ、段々と語尾が小さくなっていく。
「そうか…………それならば無碍には扱えんな……エレナと言ったか、感謝する……」
ヴォルフは渋々と言った感じではあったが、エレナの同行を認めた後、そっぽを向きながらぼそぼそっと感謝の念を伝える。
「ふふっ、あなたって見かけによらず素直なのねっ」
「相手が誰であろうと、救われたのなら礼くらいするだろうが……おいっ! 抱き付くなっ!」
その仕草にときめきを覚えたエレナは、再びヴォルフに襲い掛かろうとするが、慌ててジードの肩に避難する。
「わかったわ……もう抱っこはしないから、あたしの膝の上においで?」
エレナは性懲りもなくギラついた目でヴォルフを捉えており、説得力など皆無に等しい。
「断る! それとだ、お前に憑依している妖精の小娘の同行は諦めてやるが、他の奴らは置いて行けよ。これ以上五月蠅くなると、頭が可笑しくなりそうだからな……」
ヴォルフは顔をしかめ、頭を抱える仕草で断固拒否の姿勢を示す。
「でもそれじゃ心配だわ!」
「オレに考えがある。妖精共が増えて喧しくなるよりは、幾分か増しだからな。妖精共の安全の確保に協力してやろう」
「なぁ、ちなみに、どんな方法なんだ……?」
「あぁ、俺もそれは気になるな……」
ヴォルフのその言い様に、無性に嫌な予感がしたジードは、自らの肩で偉そうにしているヴォルフに恐る恐る尋ねてみる。
「人が近付けなくなればいいのだろう? 方法はいくらでもあるぞ? 奴等の住処の周りを滅却の網で囲えば、何人たりとも通る事は出来ないだろうよ。辺り一体を毒沼にしてしまうのも良い。他にも――」
「人死にが出ない方法で頼む……死人が出れば開拓者案件に発展する可能性もある。そうなっては元も子もない」
聞いては駄目だと悟ったガンズが、引きつった表情でヴォルフの言葉を遮る。
「面倒な事だ。命を奪うつもりでやってきておいて、逆に奪われれば、こちらが悪か。ふんっ、人間とはなんと愚かで嘆かわしい」
「…………」
ヴォルフは蔑んだような目で、返事が出来ないガンズを見据え鼻で笑うと、目を閉じやれやれといった風に言葉を続ける。
「まぁ、致し方ない。では、あれを呼び出すとするか……」
ヴォルフはそう言うと、牙を覗かせるように不敵に笑うのだった。




