半魔の化け物
エレナの自宅に厄介になると決めた二人は、早速村へ向けて足を進めようとするが、エレナに制止を促される。
「ちょっと待って? やらなきゃいけない事があるの」
そう言うとエレナは、先程ゲタング達に殺されかけたにも関わらず、臆することなく近付いていく。
「さっきは突然ごめんね? 驚かせちゃったよね」
エレナは躊躇うことなくゲタングの喉元をなで上げる。ゲタング達は近寄るエレナに我関せずだったが、今は気持ち良さげに目を細めている。
「す、すげぇな……」
「あぁ、大した胆力だ。女にしておくのは勿体ないくらいだな……」
男二人はそれを遠目に見ると、感嘆の息を漏らす。
「お待たせっ、仲直りも出来たし行きましょっか」
ゲタングを引き連れ戻ってきたエレナは、どことなく機嫌が良さそうに見える。
「なんか機嫌良さそうだな?」
「ふふ、そう見える? だってこの子達可愛いんだもの」
「……」
エレナの信じ難い発言に色々と指摘したい事があるジードであったが、エレナの微笑ましい表情を見て言葉を飲み込むのだった。
「村に入る前にこの子達を預けなくちゃね」
エレナを先頭にバルネ村へ向かう一行だが、村の中まで魔物は入ることが出来ない為、入り口付近にある馬宿にゲタング達を休ませる事になる。
馬宿の前に辿り着くと、エレナは覚悟を決めたように表情を引き締め扉を開ける。
鈴がぶつかり合う音が響き、店の奥から店員と思しき中肉中背で茶髪の男が姿を見せる。
「はいはい、いらっしゃ――! ……いらっしゃい……」
男はエレナを見ると大きく目を見開き言葉を詰まらす。その後あからさまに声のトーンを下げて言葉を続ける。
「この子達を明日の朝まで預かって欲しいのだけど」
対してエレナは気にした素振りもなく用件だけを伝える。
「……銀貨五枚だ」
「あぁ、それは俺が払う」
「毎度……」
ガンズが前に出て男に銀貨を差し出すと、男は何か言いたげな表情でそれを受け取る。
「ん? なにか?」
「いや、別に……明日の正午まで引き取りに来てくれれば構わない」
「そうか、だが早い時間に来ると思う。よろしく頼む」
男は愛想なしに頷くと、ゲタング達から手際良く木箱を外し奥へと連れて行った。二匹の姿が見えなくなると、三人は店を後にする。
「なんか感じ悪かったな!」
「魔物だから煙たがられたんだろ……仕事だから仕方なく引き受けましたって感じだったしな」
「そのことなのだけど……」
先程の店員について話をする二人にエレナは申し訳なさそうに告げる。
「村に入っても同じ状況が続くと思う……なにか言ってくることはないと思うけど、好奇の目で見られるのは間違いないと思うわ。先に謝っておくわね、ごめんなさい……」
「どう言うことなのか、詳しく教えてくれるかい?」
エレナの嘆きと諦めの混じった物言いにガンズが尋ねる。
「それは私が憑依者だからよ。村では『半魔の化け物』なんて呼ばれてるわ……」
「なんだよそれ……」
「どこの村も基本的に魔物に対しては否定的だが、それは行き過ぎだな……」
「この子と一緒になってもう七年……いい加減慣れたわ。もう何とも思わないもの」
先程の表情から察するに、強がっているのは誰の目にも明らかだったが、二人がそれを口にすることは無かった。
一行はバルネ村の入り口を潜る。
人口二千人程のこの村は、通り一つ見ても、セノア村やニルズ村とは活気が違う。
既に大分暗くなっていると言うのに、人々は気にした様子もない。
「うわぁ……人が凄いな……」
初めて見る光景にジードは感嘆の声を上げる。
「そう? あたしはここで育ったからよくわからないわ」
落ち着き無く周囲を見回すジードに、エレナは苦笑を漏らす。
がやがやと賑わいのある所まで来ると、一人の女がエレナの存在に気付き、並び立つ男を肘で突く。
同様の事が次々に起こり、あっと言う間に周囲の空気は一変する。
まるで世界から音が失われたかのように静寂が訪れ、数瞬の後、畏怖と侮蔑の混じった視線が一斉に三人へ向けられる。
村人達が小声で談笑する様は、悪口を言われ嘲笑されているようで、ガンズですら露骨に顔を歪める程に居心地が悪いものだった。
しかしエレナは、村人と目を合わせようともせず、黙々と自宅まで歩を進める。
「ここよ」
エレナが示したそこは商店のような佇まいだが、今は店舗としては使われていないようだ。
「エレナちゃん、そちらの方達は?」
後ろから声を掛けられ振り向くと、混じりのない白髪で優しい顔立ちの老婆がいた。
「おばあちゃんっ。この人達に迷惑を掛けちゃったから、今日は家に泊まって貰うことにしたの」
「あらあら、お友達なのね。それなら後で皆さんの分も一緒に晩御飯持って行くわね」
「と、友達じゃないわっ! お詫びに呼んだだけよ!」
「そうよね、お詫びね、んふふ」
友達という単語に顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を振って否定するエレナを尻目に、老婆は笑って受け流すと隣の家に入っていった。
「もうっ、おばあちゃんったらっ!」
エレナは腰に手を当て文句を口にするが、どこか嬉しそうだ。
「あのおばあちゃんは、普通に接してくれるんだな」
「えぇ、この村でただ一人だけ……あのおばあちゃんだけは私達の味方よ」
「そっか……」
ジードはなんて返せば良いのかわからなかった。迂闊な発言をしたことを後悔するが、もう遅い。
「そんな顔しないで? 例え一人だけでも味方がいるっていうだけで、とっても救われるのよ? さっ、立ち話もなんだし入ってちょうだい」
ジードの心中を察して、エレナはにこやかに笑ってみせる。
「「お邪魔します……」」
「誰もいないから楽にしてちょうだい」
空の陳列棚が並ぶ店先を抜けて三人は家の中に入っていく。
扉を隔てた向こう側は居住空間になっているようだったが、あまりにも簡素な部屋のせいか生活感を感じる事は出来なかった。
「食事はこの部屋で、寝室はあっち。来客用のベッドが丁度二台あるわ。とりあえず、そこの椅子に座って」
「ありがとう。失礼な事を聞かせてもらうが、ご両親は?」
三人共椅子に座った所で、ジードが気にして聞けなかった事をガンズは躊躇することなく聞いていく。決して空気が読めないのでは無い、大人として最低限の責務があるからだ。
「お父さんは行商人なの。この間出発したばかりだから、帰ってくるのは暫く先ね。それと……お母さんは、あたしが小さい頃に亡くなったわ」
「それは辛いことを聞いてしまったな……すまない」
ガンズはエレナの発言に特段驚いた様子もなかったが、思うことはあるようで静かにそう言って目を伏せる。
「記憶がない位小さい時だから、あまり実感ないの。だから気にしないでちょうだい。それより、あなた達の話を聞かせてちょうだい! なんでカリバに向かってるの?」
エレナは本当に気にしていないようで、あっけらかんと笑顔を浮かべている。
それを見て少し安心したジードは、再び地雷を踏まないように言葉を選びながら話し出す。と言っても、エレナは本当に気にしていないので、完全なる独り善がりなのだが。
「……元々は開拓者になりたくて、カリバを目指して旅に出たんだ」
「今は別の目的があるって事?」
「あぁ、俺の中にいる鬼はヴォルフって言うんだけど、ヴォルフを取り込む時に掛けられてた呪いを受けてこうなったんだ」
ジードは服の袖を捲って、呪いの刻印を見せる。
「これを解呪出来る人もカリバにいるらしいんだ。今はそっちが優先かな」
「呪いって、随分と物騒ね……それと、気になることがあるのだけど……鬼に取り憑かれてるのではなく、取り込んだの……?」
「ん? あぁそうだけど……?」
「…………」
エレナは開いた口が塞がらないと言ったように、信じられない者を見るような視線を向ける。
「なんだよ……?」
何とも言えない視線に堪えきれなくなったジードは、言葉の続きを催促する。
「あたしが言うのもどうかと思うけど……何を考えたら、鬼を取り込もうなんて考えに至るの……?」
「それは、成り行きで……」
途端に鋭くなったエレナの眼孔がジードを捉える。
「成り行きで人間辞めたの?」
「そんなつもりじゃ……」
「はぁ……あなたが後悔しないのなら、あたしが言うことでは無いのかも知れないけれど、でも――」
「エレナちゃん、ご飯持って来たわよー」
エレナに詰め寄るように言われ、たじたじの様子のジードに救いの手が差し伸べられる。
扉越しに呼び掛ける老婆の声により、図らずも話は中断される。扉を開けに場を離れるエレナを横目に、ジードはほっと息を吐く。
「いつもありがとう。いただきます」
エレナが扉を開けて、老婆を部屋に迎え入れると食欲をそそる匂いが三人の鼻孔を擽る。
「お口に合うかわからないけど、良かったらどうぞ」
老婆がテーブルに料理の入った鍋を置く間に、エレナは素早く四人分の食器を並べ終える。
「美味しそうだ。おばあさん、ありがとうございます」
「いただきます」
「はい、どう致しまして」
老婆は柔らかい笑顔を浮かべ、踵を返し部屋を後にしようと扉に手をかけた所で、エレナが引き止める。
「あれ? 一緒に食べないの?」
「先にもう食べてしまったからね。後は若い人達で楽しんでおくれ」
それだけ言うと、老婆な今度こそ扉の向こうに消えていった。
「いっただっきまーすっ!」
「「――なっ!?」」
「――ちょっとレミンっ! 紹介が終わってからって言ったでしょっ?」
突如として現れ、老婆が使わない事により余った皿の前にちゃっかりと座った、小さな人型の何か。
二人は驚愕に思わずつい立ち上がってしまったが、エレナが親しげに話している事、髪の色、瞳の色はお揃いで、何より背中に生えているその羽が、先程エレナが見せた魔力の羽と酷似している事から、妖精なのだろうという結論が浮かんでくるのは必然だろう。
「だってー、お腹ぺーっこぺこなんだよ?」
「もうっレミンったら……驚かせてごめんなさい。気付いてると思うけど、この子があたしに憑依してる妖精のレミンよ」
「レミンだよー! よろしくねー!」
「あ、あぁ、よろしく……」
「これが妖精……」
「言いたいことも色々あると思うけど、せっかくだから温かい内にいただきましょう? 話はその後でね」
エレナの合図を皮切りに、一同は食事を始める。
目の前に座る小さな妖精が、羽を揺らめかせながら舌鼓を打っている様子が、気になって気になって満足に味わう事もままならないジードだった。
***
「おいしかったぁー!ご馳走さまー! お腹いーっぱいになったからおやすみなさーい!」
食欲が満たされたレミンは、そそくさとエレナの中に帰って行った。
「なぁ……なんでレミンは外に出てるんだ……? 」
ジードはレミンを無言で見送ると、開口一番そう尋ねる。
「なんでって、始めからこうだったらわからないわ……。逆に聞くけど、あなたの鬼は出て来れないの?」
「そんな話はしたことなかった。ちょっと聞いてみる」
『聞こえてただろ? どうなんだ?』
『他の奴との会話の途中で、念話してくるのは止めろと言った筈だ』
『必要な事ぐらい聞いたって良いだろ?』
『まったく……あの妖精は自ら取り憑いているから、ある程度の自由が利くのだろうよ。だが、オレの場合はお前に取り込まれている。そこの娘が羽を出すように、お前がオレを現出させれば、あそこまで自由にとはいかないだろうが、会話位は可能になるかもしれんな』
『了解! やってみるよ』
「えっと……まず、憑依の仕方が違うから自分からは出れないみたいで、エレナがやってる魔力の羽を応用すれば、会話位なら出来るかもしれないって」
「そりゃあ良い! 今みたいにジードを通しての会話はなにかと不便だからな。早速教えてもらえ」
エレナの返事を待たずして、ガンズが待ってましたと言わんばかりに食いつく。
「まぁ、確かに……エレナ、教えてもらえるか?」
「別に良いわよ? 肝心なのはしっかりと想像して、精密に思い描く事。その思い描いたままの形になるように、魔力を留めて維持するの。最初の内は思い通りに形が定まらなくて大変かも知れないけど、その内出来るようになるわ! あたしの場合はレミンを見ながら試行錯誤して飛べるようになったのだけど、今回は飛ぶ訳じゃないからそこまで難しく無い筈よ」
「形を留めるね……とりあえず練習してみるか」
ジードは右手に魔力を集めると、手の平の上で霧散しないように押し留める。
ゆっくりと制御を加えていくと、揺らめいていた魔力は次第に球体状になった。その後引き伸ばし楕円形、角を付けて長方形、縮めて四角形、更には三角形と、次々に形を変えていく。
「お! 案外出来るもんだな!」
「なんで、そんなあっさりと出来るのよ……」
「ヴォルフが厳しくて、結構訓練したんだ。だからこれ位ならなんとか」
「そこまで出来れば、後はあなたの中にいる鬼を思い描くだけよ」
「あっ……」
ジードは肝心な事に気付く。そもそも、ヴォルフを見たことが無いのだ。思い描く事など出来る筈も無い。
制御を解かれた魔力は霧散し大気に還っていく。
「俺……ヴォルフを直接見たことないんだった……」
「はぁー? 見たことも無い鬼を取り込んだっていうの? いくらなんでも、それはどうかしてるわよ!」
エレナは眉を寄せ、これでもかと軽蔑の眼差しを向ける。せっかく話が進んでいたのに、再び食事の前に戻ろうとしていた。
「いや……それは……」
「それはその鬼が、魔封石に封じ込められていたからなんだ。確かにこいつは浅はかだが、何も考えなしに鬼を取り込んだ訳じゃない、と、思いたい……」
エレナの雰囲気に気圧され、口ごもるジードを救わんとガンズが中途半端な援護に入る。
「俺って信用ねぇな……」
「そう……でも、顔もわからないんじゃどうしようもないわよね……」
ジードは嘆くが相手にされず、エレナは顎に手を添え、ガンズは腕を組み、それぞれ思案を巡らす。
「あっ、そうだっ! これでどうだ?」
ジードは何か思い付いたようで、魔力を再び右手に集めなおす。うんうんと唸りながら魔力を形作っていく。ぐにゃぐにゃと激しく形を変え、完成したそれに二人は息を呑む。
「「――っ!?」」
ジードがイメージしたのは、以前見たヴォルフの魂の核だった。記憶の許す限り正確に思い描いたそれは、見事に実物と遜色ない出来上がりだった。
鬼の顔を象ったそれは、ガンズの記憶を呼び起こすには充分過ぎる程で、思わず彼の身体には力が入る。
エレナは鬼と対峙した事こそは無かったが、同じ憑依者としてヴォルフの強大さはわかっていたつもりだった。しかし、いざ模造だとしても、鬼という存在の一片を目の当たりにしては身が竦んでしまうのも無理はない。
「もうちょっとこう……優しい見た目にならないの?」
「あぁ、そうだな……それは流石に心臓に悪い」
「そんな事言われたってなぁ……」
***
そこから暫くの間、二人にあーでもないこーでもないと次々に注文され、出来上がったのは――――
「なぁ、本当にこれで良いのか……?」
「完璧よ! これ以外考えられないわっ!」
「まぁ、当初の目的は達成してるな……」
ジードの手の平には、体長三十センチ程でヴォルフの特徴を捉えつつも、四頭身にデフォルメされた可愛らしい魔力体があった。