序章一話 『襲撃』
はじめまして、大三元と申します。
精一杯書いていきますので、お付き合い頂けると幸いです。
夜更け。虫の鳴き声が響き渡る静かなひと時。雲一つない星空には、今日も爛々と月が輝いている。
「――――!!」
波乱とは無縁だった穏やかな村はその日、猛獣の野太い咆哮を皮切りに、恐怖のどん底へと叩き落とされる事となった。
倒壊した家屋は瓦礫の山となり、原型がわからない程に千切られた肉片は、乱雑に散らばっている。そこかしこに飛散した血飛沫が辺りを赤一色に染め上げ、身の毛もよだつような惨劇を演出する。
この世の地獄を体現したような光景の中、瓦礫の上に佇む赤い鬼が、虚ろな瞳で月を見上げていた。
思わず耳を塞ぎたくなるような咆哮が轟き、立っていられない程の地響きが村を襲ったのが数分前。
何事かと慌てて飛び起きた村人達が、農具等を手に警戒した様子で集まってくる。
大半の男達は襲い掛かる異常事態から村を守るべく、額に脂汗を浮かべながらも果敢に得物を構えているが、中には恐怖に顔を引きつらせ遠巻きに様子を窺っている者もいた。
しかしそれも、生きていく上ではまずお目にかかる事はない惨状と、充満する死の気配に当てられては無理もない話だろう。
大の男であっても尻込みしてしまう程の現場だ。女子供であれば尚更だろう。ひとまず来てみたは良いものの、雰囲気に飲まれ足が竦んでしまい、動けなくなっているものまで出る始末だ。
そんな中、漸く鬼の存在に気付いた村人達から次々と声が上がり始める。
「おいっ! なんなんだ? あの化け物は……」
「えっ……? ほ、本当だ……なんなんだよありゃあ……」
「くそっ、なんでこんな事に……」
「――親父っ! 親父っ! 何処にいるんだっ……?」
ざわめきの中、父親を探しているらしい村の青年が狩猟用の弓を構える。
「畜生……! あいつさえ居なくなれば、すぐにでも探しに行けるのにっ!」
青年は逸る気持ちを抑えきれず、弓に矢をつがえると緊迫した面持ちで、眼前の鬼を睨む。
そこへ、遅れてやってきた壮年の男が待ったを掛ける。
「ま、待てっ! あれに手を出すのは危険すぎる。あの様子から見るに、こちらから仕掛けなければ襲ってはこないだろう。気持ちはわかるが、今は一旦離れてやり過ごそう」
その男は、左頬から顎までの大きな傷を持つ大男で、他の村人達とは見るからに違う雰囲気を纏い、鎧まで着込んでいる。その風貌から察するに、場慣れした者、なのかも知れない。
「――っ? あの瓦礫はうちの建物だぞ? 今日はあそこに親父がいたんだ! このまま見殺しに何て出来るかよっ!!」
「――おいっ!」
男の説得も虚しく、いきり立つ青年は矢を放ってしまう。
力一杯引き絞られた上で放たれた矢は、一直線を描き、鬼の側頭部へと見事に吸い込まれていく。しかし、直撃かと思った矢先、唐突に跡形も無く消えてしまった。
比喩でも誇張でもなく、文字通り、跡も形も無く、無に却ってしまったのだ。
敵意ある攻撃を受けたことにより、鬼の意識は彼方から呼び戻されてしまう。鬼は首だけをゆっくりと動かし、何かが飛来して来た方角――――即ち、村人達の方を向いた。
二メートルは優にあろう体躯は見るからに強靭で、返り血が染み込んだかのような赤黒い肌には禍々しい模様が浮かび、逆立つ銀髪につり上がった黄色い瞳、鋭利な双角を持つ魔物。『鬼』という存在を知らない村人達からすれば、化け物にしか見えなかった。
「あ……あああ……ああ……」
非現実的な光景を見せ付けられ。余りにも圧倒的な存在を目の当たりにして、戦意を喪失してしまった青年は、手にしていた弓を無意識の内に手放し、力無くへたり込んだ。その口からは諦めか後悔か、声にならない呻きが零れ落ちている。
「ば、化け物だ……」
「おいっ化け物がこっちを見たぞっ」
「村長がやめろって言っただろ! お前が余計な事をしたからだ」
「ひぃっ、ひぃぃいいっ!!」
鬼の持つ威圧感にあてられたのは、なにも青年だけではない。すぐ側にいる村人達も当然、同様に錯乱し、慌てふためく。濃密な死の予感に追い詰められ、青年を非難する声すらある。
「お前が――――」
「あいつが――――」
「でも――――」
窮地に陥った人間とは脆いもので、皆が好き勝手に口走るだけで、纏まりも無ければ方向性も定まっていない。命の灯火が着々と消えかかっている状況で、意味のない言葉ばかりが飛び交っていた。
すると遂に、先程から口を閉ざしていた傷顔の男が大きく息を吸い込み、有らん限りの声を張り上げる。
「――今すぐこの場を離れろっ! 生き残る事だけを考えてひたすら走れえぇぇっっ!!」
男の喝により、動揺していた村人達は悲鳴を上げながらも蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
ここの村人の多くは、魔物との戦闘経験など皆無だ。普段は農業や狩りで生計を立てている彼等に、傷顔の男ですら固唾を呑む程の魔物と戦える筈もない。
故に傷顔の男は、敵対しないよう青年を制止したのだが、それはもう叶わない。残された手段は、一人でも多く逃がす事だけだろう。
「――――」
しかし、それすらも叶わぬ夢だったと、すぐに思い知らされる事となる。
鬼が軽く殺気を放ったのだ――。
四歩、五歩と足を前に出していた村人達はそれだけで、皆一様にぴたりと動きを止めてしまった。
それはまるで、時が止まってしまったかのように。石にでもなってしまったのかのように。
動けば殺されると本能が感じ取り、脳が活動を拒否しているのだろう。
音すらも死んだのではないかと錯覚するほどの静寂が辺りを包み、村人達は呼吸すらままならない状況に陥ってしまう。
実際、殺気自体は一瞬放たれただけのもので、次第に硬直は解けていくが、盛大に笑っているその足を見れば、村人達が再び逃げる事は不可能だと容易に窺える。
その間にも鬼は値踏みするかの如く、ゆっくりと村人達の方を見回す。やがて、青年の足元に転がる弓を見つけると、狙いを定めたように一直線に距離を詰め始める。
自身に攻撃を仕掛けた相手を、青年だと断定したのだろう。
「お、おいっ! やめろ、こっちにくるなっ……こっちにくるなって!」
青年はへたり込んだまま、瞳に沢山の涙を浮かべながら、今にも泣きそうな声を出し、腕と足を使い懸命に後ずさる。
鬼は迫れば一瞬の距離を、一歩、また一歩と着実に距離を縮めていく。
それが青年の恐怖を殊更に煽るようで、遂には堪えきれず発狂してしまう。
「――ひぃっ、や、やめてくれえぇぇ!!」
なりふり構わず後ずさり続けた青年だったが、建物の壁に背が当たり、遂に退路は断たれてしまう。
「――」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔の青年の前に立ち、鬼は無情にも腕を持ち上げた。
必死の懇願も不発に終わり、無意味だと悟りつつも青年は反射的に両手で頭を庇うと、きつく目を閉じた、その刹那――。
鋭い風切り音を伴い、鬼の上腕部を何かが掠めていき、それはそのまま鬼の背後にある木の幹へと突き刺さる。
突如飛来したそれは、冷気を纏った雪のような刀身のダガーで、突き刺さった木の幹は、患部を始点に途端に凍り付いていく。
そしてそれは、鬼の腕も例外ではなく、ダガーによって傷つけられた箇所から徐々に凍り付いていく。
「おいっ! こっちだ、化け物がっ!」
傷顔の男は、鬼の注意を自分へ向けようと声を張り上げる。どうやらこの男が、先程のダガーを放ったと見て間違いない。
男は村人達が落としていったピッチフォークを手に取ると、一直線に鬼へと肉薄し、槍の如き要領で喉元目掛けて突き出した。
「うおらあぁぁっ!」
寸分違わず喉元へ向かうピッチフォークだが、これも先程の矢と同じように当たる寸前に消失していき、傷顔の男は慌てて柄を手放した。
「――ッ!」
すると今度は、お返しと言わんばかりに、鬼が前蹴りを繰り出す。予備動作無しで放たれたそれは、体重を乗せてピッチフォークを突き出した男には到底避けられない速さであり見事鬼の豪脚は男の腹部を捉える。
「――がはぁっ!」
盛大に吹っ飛び、玉のように転がり、瓦礫の山へと打ち付けられた男は、滝のような吐血をする。
「ごほっ……ごほ、ごほっ」
先程まで着込んでいた鎧は、鬼の蹴りを受けた部分だけ、元々そういうデザインであったかのように綺麗に消失していた。もし鎧を纏っていなければ、今頃男の命はなかっただろう。
「――――」
対する鬼は凍り付いている自らの腕に視線を向けると憎々しげにうなり声を上げる。すると途端に、腕を徐々に侵食していた氷は砕け散っていく。
万全を取り戻した鬼は眉間に縦皺を深く刻み、口元から鋭利な牙を覗かせながら男へと近付いていく。
「くっ……」
傷顔の男は先程受けた攻撃により、起き上がる事が出来ずにいた。這いつくばったまま地面に血溜まりを作るだけで、戦うことも逃げることも叶わない。
「はは……俺もここまでか……」
遂に鬼が眼前まで迫り、男は諦めたように乾いた笑いを零すと、覚悟を決めたように静かに目を閉じた。
「――――」
しかし、いくら待てども予想していた衝撃は訪れず。代わりに苦しげな呻き声が聞こえてくる。
男は既に重くなってきている目を無理矢理こじ開けると、そこには鼻面にまで皺を寄せ、両手で頭を抑え悶え苦しむ鬼がいた。
「――――!!!」
「な、何が起きているんだ……」
唸る鬼を前にして男は依然として動けないでいた。やるなら今しかないと言うことは、誰の目にも明らかだが、男の体は自身の認識以上に深刻なようで、起き上がろうとすると膝が笑い、肘が笑い、地面に突っ伏してしまう。
「――――――!」
傷顔の男が奮闘している間にも、鬼は更に苦しみ、やがて一際大きな雄叫びを上げると、逃げるように瓦礫の山を飛び越え去っていった。
鬼が去った事により、先程までの張り詰めた空気が嘘のように軽くなる。理由はわからないが、村人達は九死に一生を得たのだ。
傷顔の男は、地面に突っ伏した際に口に入った土の味で、生の実感を噛み締めた。
その少し離れた先。先程の鬼が居た位置から見て、傷顔の男の後方には、銀髪の女が力無く座り込んでいた。
***
鬼が去ってから暫くの間、地面との友情を存分に育んだ傷顔の男は、村人達が落ち着きを取り戻した頃合を見計らって、状況の整理を始めるのだった。
「皆、悪いがこっちに集まってくれ」
村人達は戸惑った表情を浮かべながらも、男の呼び掛けに応じ、村の広場と呼ばれる一画にぞろぞろと集まってくる。
「まず始めに、怪我をしている者はいないか?」
村人達は顔を見合わせる。逃げ回った際に、転んで擦り傷を負っている者は沢山いたが、どれも軽傷だ。鎧にどでかい穴が開き、顔中血塗れの男に聞かれても、申告出来る図太い者はいなかった。
男は村人達の顔をぐるりと見渡し、声が上がらないのを確認すると、咳払いを一つ。目線は先程矢を放った青年に向いている。
「次に、家族の姿が見つからない者は?」
その言葉を聞いた途端、先程の青年が申し訳無さそうに、小さく手を挙げる。
「あの……さっきは、制止も聞かずに申し訳ありません……俺のせいで皆を危険な目に合わせてしまいました……」
青年は深く頭を下げる。男の言うことを聞いておけば、ここまでの事態にはならなかったかも知れないとあっては、心中穏やかではいられないだろう。
「過ぎた事だ、責めるつもりはない。それより、やはり見つからないのか……?」
「はい……あの瓦礫の下敷きになっているかもしれないんですっ……! 親父をっ、親父を一緒に捜して下さい。お願いします……」
青年は更に深く頭を下げる。
「もちろんだ! 他にはいないか?」
男はそう言うと、確認の意を込めて村人達を再度見渡した。
「いないようだな……よし。では 動ける者達で探索を始めてくれ、残りの者は纏まって集会所で待機だ。俺は奴の向かったラルス森林の調査して来る。明け方には戻るつもりだが、もし戻らなかった場合はカリバまで早馬を飛ばしてくれ。以上だ、解散っ!」
男の合図で村人達は一斉に動き出す。青年は父親を探しに一目散に駆けて行った。他の者達も後に続き、村人一丸となっての捜索が始まった。
捜索に加わらなかった者達は主に、女性や子供、老人といった、瓦礫の撤去作業等の力仕事に向かない面々だ。
残された村人達の足取りは重く、皆一様に沈んだ顔をしている。中には泣きじゃくり、歩くことも出来ない子供もおり、母親らしき人物におぶられて進んでいく。皆それぞれが不安を胸に抱きながら、集会所へと列をなし進んでいくのだった。
***
村から逃げ出した鬼は、とにかく現場から離れるように、木々の中をひたすらに走っていた。
唐突に訪れた言い知れぬ痛みの原因に、鬼は理解が追い付いていない。
だが、あの場にいた女に、これ以上近付くのは危険だと本能が告げていた。
一度感じた痛みは収まることはなく、忘れようにも頭を鷲掴みにされるような感覚が走り、頭に焼き付いて離れない。
まるで見てはいけない者を見てしまったかのように。
見られてはいけない者に見つかってしまったかのように。
『―――』
唐突に脳裏をかすめる女との記憶。頭痛は更に激しくなる一方だ。
『――――』
『――、――――』
流れてくるのはどこの誰ともわからぬ人間との、他愛もない記憶。しかし、胸が熱くなるのは何故なのか、胸が痛く締め付けられるように苦しいのは何故なのか。
やがて鬼は走る事を止め、力無く膝から崩れ落ちると、その場で静かに涙を流し始める。
「カア……サ、ン……」
途端、鬼の身体からは、熱した鉄を水に入れたような蒸発音が立ち上がり、纏っていた禍々しい黒の魔力は霧散し始める。
逞しい身体は、目に見える早さで縮んでいく。赤黒かった肌も、牙も、角も、瞳も、だんだんと人のそれに戻っていく。
全てが変貌が収まった後、そこに残ったのは人間の少年だった。
現場を見ていなければ、先程の鬼とこの少年が、同一だとは誰も気付かないだろう。
せっかく身体が元に戻ったというのに、限界を越えた力を使い続けた少年は指一つ動かす事もままならず、座り込んだまま意識を彼方へと飛ばすのだった。
御覧頂きありがとうございました。
次話より本編開始となります。
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