序章二話 『旅立ち』
時は二日前に遡る。
ここは、グレトス王国メストロンド領内、最東に位置する村。名をセノア。人口百人に満たない小さな村である。
周囲を豊かな森林に囲まれているのどかな村の一画に立つ、取り立てて特徴の無い木造家屋の一室から物語は始まる。
外は雲一つ無い青空。まるで、今にも鳥達が歌い出しそうな気持ちの良い朝。
普段は母に起こされるまで決して起きることはないジードだが、今日に限っては既に起きていた。――否、眠れていなかったが正しい。
ベッドに横になってはいるものの、今日という日を待ち焦がれていた彼は、興奮のあまり寝付けなかったのだ。
ジードは、短く整えた鈍い銀髪に、灰色の瞳を持つ中肉中背の少年だ。比較的整った顔立ちだが、ややつり上がった目元がどことなく生意気そうに見える。
雪は溶け切り、麗らかな日差しの中、数えで十五歳となったジードは今日、遂に夢への第一歩を踏み出す事となる。
幼い頃から彼は、開拓者と呼ばれる職業に憧れていてた。『世界を自分の目で見て回りたい』という夢を叶える為に、開拓者に憧れるのは最早必然だったとも言えるだろう。
この世界の人間の生活圏は、決して広くない。魔力を持つ者の侵入を防ぐ結界が、大陸全体のおよそ三割程度しか展開されておらず、残りは魔物が蔓延る護衛必須地帯。更にその内の半分程が、開拓者のみが進行を許された未開拓域となっている。
仮に力を持たぬ一般人が結界の外に出ようものなら、数刻と経たぬ内に肉片と化してしまうだろう。
開拓者は常に死と隣り合わせの危険な職業な為、開拓中に殉職してしまう者も少なくない。しかし、帰還した者より語られる冒険談は人々の心を大いに惹きつけるのだ。
話の真偽、誇大性はともかく、ジードは開拓者達のする話が幼い頃から大好きだった。
王国に属する各領地内は、魔術による結界により殆どの魔物の侵入を防いでいるので、住民の安全は保証されている。
極稀に、結界が感知出来ない程に魔力量の少ない個体が網を抜け出る事があるが、人々の脅威になる程の魔物が現れる事はまず無い。その為、人々はいつしか抗う術を忘れ、直接魔物を見る事も無く生涯を終える者までいた。
ここ、セノアでは齢十五を迎えると共に、仕事を探しに街へと向かうという習わしがある。
家業を継ぐと既に決めている者も、必ず一度は街に向かわなくてはならない。
――所謂社会経験という奴だ。
同年代の子供が村には居ない為、ジードは一人で開拓者支部のある街、カリバに向けて旅立つ予定だ。その晴れ舞台となるのが、正に今日というわけである。
窓に差し込み始めた朝日に急かされ、ジードがもぞもぞと身体を動かしていると、扉の向こうから柔らかい声が届く。
「ジード~? そろそろ起きなさ~い」
ジードは聞こえてきた呼び掛けに、聞こえる声量で返事をするでもなく、むくっとベットから起き上がり扉に手を掛けた。
「……おはよ」
扉を開けると同時に挨拶をこなすと、途端に押し寄せてくる母特性のスープの香りに、ジードは無意識に口元を緩ませる。祝い事のある時には、決まってこのスープを作っていた。
「――」
しかし呼びかけた当の本人は、息子の登場にまるで気付いていないようである。
母は習慣で声を掛けただけのようで、ジードが実は起きていて、既に部屋に居る事に全く気付いていない様子だった。その証拠に、背を向けたまま鼻歌を披露しながら鍋をかき混ぜている。
「――――」
その事に気付いたジードは悪戯な表情を浮かべると、息を殺し背後まで忍び寄ってから再び声を掛けた。それも今度は大きな声で――。
「――おはよっ!」
「――ひゃあっ!」
後ろから突然声を掛けられた母は、ビクッと背を震わせ慌てて振り返る。
「……もぉ! びっくりするじゃない。スープが零れたらどうするの。それに、起きているなら、返事くらいしなさいよね?」
見事驚かされた母『サラ』は、咎めるような言葉を口にする。しかし、その口調とは裏腹に、顔付きと声色は甘いもので、大して怒っていないように見受けられた。
サラは鈍い銀色の髪を襟元で緩く一本に結んだ、色白で小柄な女性だ。ジードの髪と瞳は母親譲りであることが窺える。歳は三十半ばだが、ぱっちりとした大きな灰色の瞳に小さな鼻、丸い顔付きの為、実年齢より若く見える。
「ごめんごめんっ! 母さん全然気付かないからさ、つい」
思惑通りに事が運んたジードは、茶目っ気のある笑顔を披露しながらサラの傍を離れると、円形の小さい食卓に備え付けられた木製の椅子へ腰を下ろす。
「つい、じゃないわよ、もう……」
サラは出来上がった料理を順に皿へと取り分けながら、短く溜め息を漏らす。しかしジードにそれを気にする素振りは見受けられない。
「考え事してたら目が冴えちゃって、あまり眠れなかったよ」
寝不足を訴えるジードだが、希望に満ち溢れたその顔付きは、全くもって堪えている様子がない。夢にまで見た旅立ちの朝とあって、浮かれきっているのが丸わかりだ。
「……早いものね。あんなに小さかったあなたが、もう旅に出るなんて」
サラは盛り付けの終わった皿をテーブルに全て並べると、どこか遠い目をしながらジードに問い掛ける。幼き日の息子の姿でも思い出しているのだろう。
「……ねぇジード? 開拓団に入りたいって気持ちはやっぱり変わらないのよね?」
サラはジードへ向き合う形で椅子へと座ると、不安気に尋ねた。
「うん、世界を知りたいんだ。……俺は、父さんにも、ガンズさんにも負けない一流の開拓者になって、まだ誰も見ていない世界をこの目で見たいんだ。駄目かな……?」
母の心中を知ってか知らずか、ジードは鼻息荒く己の夢を語り、目を輝かせながらサラの瞳をじっと見据える。
「――ふふっ、そう言う所はお父さんそっくりね。どうせ母さんが反対してもあなたは行っちゃうでしょう? それならわたしは、ジードの夢を応援するわ」
その仕草に息子に夫の面影を見た母は、目を線にして微笑み応諾する。その笑顔にやや憂いを感じるのは、我が子の成長に、嬉しさ半分と寂しさ半分といったところか。
ジードの父はクレイヴという名前だ。クレイヴは、ジードがまだ幼い頃に行われた開拓団の遠征にて、窮地に陥っていた小隊を避難させた後に、行方知れずとなっている。
その後、開拓団支部を挙げての捜索が幾度となく行われたが、結果は思わしくなかった。
行方不明の知らせを聞いた当時、サラもジードも相当に鬱ぎ込んでいた。ここ最近になってようやく、父を話題に出せるようになったのだ。
僅かに間を空き、サラは緩んだ表情を真剣なものに切り替えると、力強い眼差しでジードを捉える。
「でもね――一つだけ約束してちょうだい。何があっても、必ず、ここに帰ってくること。母さんからのお願い……」
「……わかった。約束する……!」
サラの切なる想いが届いたのか、ジードはゆっくりと、力強く頷いた。
「ありがとう……さぁ、冷めない内に食べましょう。いただきます」
「いただきますっ!」
その後は、食事が終わるまで他愛のない話が尽きなかった。
ジードは、暫く味わえなくなるであろう、母の味を一口一口噛み締めていくのだった。
***
「本当に忘れ物はない? ちゃんと確認した?」
間もなく太陽が一番高く昇ろうかという頃。
自宅の玄関前で、眉を八の字にしたサラが、ジードに尋ねる。
今朝から幾度となく繰り返された光景である。
「もう何度も確認したってば……大体、言うほど荷物は多くないんだから大丈夫だって……」
「うーん、と……他には……」
度重なる問答にジードは苦笑混じりに応じるが、母の心配の種は尽きないようで、人差し指を唇付近にあてがい、尚も思案を巡らせている。
「――あっ! 大事な物を忘れていたわ。すぐ戻るから、少し待っててちょうだいねっ!」
「…………」
頭を悩ませた甲斐あって、何かを思い出せたのか、サラは小走りで家の中へと消えていく。ジードはその背中を、これ以上なにがあるんだ――と、怪訝な顔で見送っている。
ほどなくして戻ってきた母の手には、一本のダガーが握られていた。
「はいっ。これ」
「――これっ、父さんの……」
「何かあった時の為に、持っててほしいの」
サラはそう言ってダガーを差し出すが、ジードは渋い顔をするばかりで受け取ろうとしない。
「カリバまでは街道を行くだけだし、必要ないよ。それにこれ、母さんがいつも大切そうにしてただろ?」
「もしもの時の為よ。持ってて困る物ではないわ」
「でも……」
このままでは埒が明かないと言わんばかりに、サラはずいっと前に出るとダガーを強引にジードへと握らせ、じっと息子の顔を覗き込む。
ジードにはジードの意見があるのだろうが、サラの言わんとしている事も尤もで。
万一、危機的状況に遭遇したとしても、丸腰とそうでないのでは、結果がまるで変わってくると言うものだ。
「お父さんが残してくれたものだもの。きっとあなたの力になってくれる筈よ……!」
「…………。わかったよ、ありがとう」
極僅かな時間、母と視線での攻防を繰り広げたジードだったが、サラの有無を言わせぬ力強い視線に押し負け、肩から下げた鞄へとダガーをしまう事となる。
「はい、どう致しまして。母さんはずっとここにいるから、何かあったらいつでも帰って来なさいね? その時には、あなたが見てきた世界を教えてもらえるって楽しみにしてるから。……それじゃあ、気をつけていってらっしゃい」
「――うんっ! 行って来ますっ……!」
サラは満足気にうんうんと頷くと、微笑みを浮かべたまま息子に出立の言葉を贈る。
対するジードは、まじまじと別れの挨拶をされた事が気恥ずかしかったようで、簡単に返事だけをすると、村の出入り口へ向けて勢い良く駆け出してしまう。
「必ず、帰ってきてね……ジード……」
どんどんと遠ざかる息子の背中を見つめ、サラは切なさの滲んだ顔をしてぽつりと呟いた。
しかしそれも一瞬。以降は姿が見えなくなるまで笑顔を崩さず、小さく手を振り続けるのだった。
***
逃げるように駆け出したジードだったが、村の出入り口に辿り着くだいぶ前から移動は徒歩へと変わっていた。
理由は簡単。次から次へと村人達に話かけられるからである。小さな村では、どこの誰が何をするなど、村全体で周知されているのだ。
勿論ジードも例に漏れず、特に開拓者志望とあって、皆が激励を贈りたがったのだ。中には畑仕事をほっぽり出して、寄ってきた者までいる。これでは到底走れる訳もない。
ようやく村の出入り口まで差し掛かろうかという時、前方から偉く体格の良い男が村へ向けて歩いてきていた。
「おっ、ジードっ! そうか、もう行くのか!」
「――ガンズさんっ! どこ行ってたんだよ?」
離れていてもよく通る、野太く威勢の良い声の持ち主、ガンズは歩調を早めぐんぐんとジードに近付いていく。
ガンズは、切れ長の茶色い瞳に朱色の凛々しい眉、短く刈り上げた髪も同じく朱色で、極めて大柄な筋骨隆々の男性だ。ジードと並ぶと頭一つ分以上高い。その体格と左頬にある二本の大きな傷も相俟って、歴戦の戦士を想わせる。
人柄を知ればそんな事は無いのだが、その風体のお陰で、一見ではお近付きになりたくない者が大半だろう。
「あぁ、ニルズ村の開拓者が珍しく帰ってきたって聞いたんでな、ちょっとばかし話を聞きに行ってきた所だ」
「――それ本当かっ!? 俺も話を聞きたいっ!」
唐突に上がった開拓者の話に、ジードの気分は急上昇。噛み付かんばかりの食いつきを見せる。
「待て待て。奴も直に村を発つって話だったからな、恐らく間に合わないぞ?」
「え……? ガンズさんばっかりずるくないか?」
死刑宣告にも等しいガンズのその言葉に、ジードの浮ついた表情は途端に凍り付いていく。隠すことも無くあからさまに落胆し、更には恨めしそうに睨みつける始末だ。
「おいおい、そう睨むなよ。ほら、面白い物をやるから機嫌を直せって」
ジードのあまりの落ち込みように、ガンズは苦笑を禁じ得ないようで、肩から下げた革製の鞄の中身を弄ると、拳大の紅く透き通った石を取り出した。
「こいつはな、少し前に未開拓域に行った時に見つけた物だ。奥地まで行ったのはいいんだが、三つ首の鳥型の魔物の縄張りに踏み込んでしまってな……どうにか逃げ込んだ洞穴の奥にあったんだ」
余程苦い記憶なのか、経緯を語るガンズの顔色は見る見る内に悪化していく。
「祭壇のようなものに祀られていてな、これはなにか凄い物に違いないと、意気込んで持ち帰ったんだ。だが結局、使い道どころか、これが何なのかすら分からなくてな……捨てようかと悩んだ事もあったんだが、なかなか捨てきれずにいてな……折角の門出だ、餞別代わりに貰ってくれ」
ガンズは紅い石を見つめながらしみじみと語り始める。
そして何やら思いを馳せるようにふっと息を漏らすと、餞別と称しジードへと差し出した。
「…………。あのさ、それのどこが面白い物なんだ……?」
ガンズの説明ではまるで興味を惹かれないようで、感慨深そうにしている本人とは対照的に、ジードは酷く冷めた様子で赤い石を受け取る。
「――っ! なんだこれ……? 生温かいんだけど……」
いざ手にした紅い石は何故か生温かく、ジードは思わず眉根を寄せると、ガンズへ非難の眼差しを向ける。
「こいつは元からその温かさなんだ。……そういや、可笑しな夢を見るようになったのも、こいつを手にしてからだったような」
「思いっきり曰く付きじゃん! やっぱり返すよ、これ!」
あっけらかんと告げられた物騒な情報に、ジードは目を丸くし、慌てて赤い石を突き返す。
しかしガンズは、にやにやと笑みを浮かべるだけで、受け取ろうとはしない。
「一度受け取った物を突き返すなんて、男としてどうなんだ? それに、こんな秘密の塊みたいな代物を前にして、お前の探求心はそそられないのか?」
ガンズは悪い笑みを浮かべたまま、ジードの灰色の瞳を覗き込む。彼にはまるで、少年の返答が分かり切っているような、そんな態度だ。
事実、ジードの表情には迷いが生じ始めている。
「うっ……ちなみにガンズさんは、どの辺りに秘密を感じたんだ……?」
「ん……? 勘だ、勘!」
「…………」
あんまりな返答に空気が凍り付き、静寂が場を支配する。お互いに睨み合ったまま無言を貫く二人。
暫くの間戦いは続いたが、先に折れたのはジードの方だった。
「…………わかったよ! 持って行けばいいんだろっ……!」
「そうだ、わかればよろしい」
観念したジードは、わざとらしく大きく嘆息すると、肩から下げた革製の鞄に紅い石を押し込む。
それを見たガンズは、さも満足気に頷いてみせると、唐突に表情を引き締め、改まって口を開いた。
「ジード、無茶だけはするなよ。死んでしまえば何もかも終わりだ。危険だと感じたら撤退する事も、開拓者には必要なスキルだからな」
「うん、わかった……母さんにも必ず帰ってくるって約束したし、肝に銘じておくよ」
「よしっ、それじゃあ行ってこい! 俺もたまには支部へ行く。その時にお前の活躍を聞けるのを楽しみにしてるからな」
ガンズはジードの頭を一頻り乱暴に撫で回すと、締めと言わんばかりに背中を強くバシッと叩き、村の中へと消えていった。
「おう! ガンズさんより凄い開拓者になってみせるから、覚悟してくれよな!」
ジードは遠くなっていくガンズの背中に意気込みをぶつける。するとガンズも、背を向けたまま大きく手を振り返すのだった。
「よしっ、行くかっ……!」
ガンズの反応を確認したジードもまた、カリバに向けて街道を歩き出した。その顔に、照れ臭そうな笑顔を浮かべたままに。




