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鼓星  作者: 吉川元景
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強くなっていく

厳島での勝利後周防に進軍中、一時的に戻った吉田郡山城は、勝利の熱狂などどこ吹風、冷え冷えとした静寂に包まれていた。

だが、儂の机の上だけは別だ。

戦後処理、降伏してきた国人衆への安堵状、朝廷や幕府への報告……。積み上がった書状の山を前に、儂は何度目かも分からぬ溜息を吐いた。

「……雫は、どうだ」

筆を走らせる手を止めぬまま、傍らで事務をこなす粟屋に問いかける。

あの日、厳島から連れ帰った時のあの子の顔が、今も瞼の裏に焼き付いて離れない。真っ白で、魂がどこか遠くへ行ってしまったような、あの危うい顔。

「……二週間経ちますが、芳しくありませぬな。熱が上がり下がりを繰り返しているようです。昨日も尾崎殿より、微熱が引かぬゆえ絶対に部屋から出すなと厳命が下っております。本日は熱は引いたものの大事を取らせるとのこと。」

粟屋は表情一つ変えずに答える。だが、その声には彼なりの、苦いような響きが混じっていた。

そしていつにも増して言葉数が多い。かなり心配をしていたのだろう。

「左様か。……あれほど無理をせぬよう言うたのに。……神仏は、あの子にどれほどの試練を与えれば気が済むのだ」

儂は筆を置き、こめかみを指で押さえた。

今すぐにでもあの子の部屋へ行き、その手を握ってやりたい。だが、父上や弟たちが前線で戦っている今、私はこの紙の山という戦場で、毛利の家を支えねばならぬのだ。

その時。

静まり返った廊下から、微かな、けれど確かな足音が聞こえてきた。

とてとてという音が誰が来たのか知らせてくるようだ。

「……失礼いたします。隆元様、お手伝いに参りました」

障子が開いた瞬間、予想は出来ていたものの、やはり私は自分の目を疑った。

そこに立っていたのは、尾崎から「絶対に出すな」と言われていたはずの雫だった。

「雫……!? なぜここにいる」

思わず椅子を蹴立てるようにして立ち上がった。

二週間ぶりに見るあの子は、確かに幾分か生気を取り戻してはいたが、その顔はまだ冬の雪のように白い。腕に抱えた書状の束が、今のあの子にはあまりに重すぎるように見えて、胸が締め付けられる。

「座って文を整理するくらいであれば、と思いまして……家中総出で大戦に挑んでいるのです。熱がないのに寝てられません。」

雫は弱々しく微笑む。その笑顔が、かえって儂を焦らせた。

無理をしている。一目で分かる。あの子はいつも、自分の心臓を削ってでも、儂の力になろうとしてしまうのだ。

「馬鹿者が。粟屋、雫からその書状を奪え!」

「……言われずとも」

粟屋が素早く立ち上がり、雫が抱えていた文をひったくるようにして受け取った。

「雫、貴殿は座れ。否、そのまま横になれ。お主がここで倒れてみろ。主君(隆元)の仕事が捗るどころか、心配でこの部屋の文がすべて白紙に見えるようになるぞ」

粟屋の容赦ない言葉に、雫は困ったように眉を下げた。

儂は雫のそばに寄り、その細い肩をそっと支える。

「……雫。お主が手伝ってくれるのは本当に嬉しい。だが、儂のために無理をして、お主に何かあれば……儂は、何のためにこの家を守っているのか分からなくなる」

儂の手から伝わる雫の体温は、まだ少し熱を帯びている気がした。

儂はあの子を無理やり椅子に座らせ、温かな茶を淹れるよう他の小姓に命じた。

「良いか。今日はお茶を飲んで、儂の顔を見て安心したら、すぐに部屋へ戻るのだ。……お主が健やかでいてくれること。それが、今の儂にとって最大の戦功なのだから」

「少しは手伝わせてください。」

「それはならぬ。」

「手伝えない体調ならここには来てません。」

「ならぬものはならぬ。」

不満気な顔をする雫に粟屋が

「……では儂の手伝いを。」そう言いこちらに視線を向けてくる。

無理をさせない程度に仕事を振るので、諦めてくれと言いたそうな顔をしている。

「雫…お主はここに来た頃はもっと大人しく静かにしておったのに……。」

「何年前のお話をしているのですか。私だってここに馴染んできたということですよ。」

どんどん敵わない相手になっていっている気がする。

そうため息をついた儂に粟屋はすこし困った顔をしながら微笑んできた。

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