甘い飴の香りと飲み込んで
幸鶴丸を寝所に送り届け、再び雫殿の元へ戻る。
布団に下ろした途端、あの大物らしく大いびきをかき始めた甥の姿を思い出し、私は皮肉な笑みを浮かべた。
「……幸鶴丸は、布団に下ろした途端に大いびきをかいておりました。あのふてぶてしさは、兄上にも貴方にも似ておりませぬ。一体誰に似たのでしょうな」
雫殿の口元に、微かな笑みが浮かぶ。その儚い表情を見るだけで、胸の奥が騒ぎ出す。
初めて出会ったあの日、一目で心を奪われた時から、私の中の時計は狂ったままだ。
「それで、お身体の調子はいかがですか?」
努めて穏やかに、慈しむような声を出す。本当は、その細い身体を抱きしめて、どこか遠くへ連れ去ってしまいたいという衝動を必死に抑え込んでいるというのに。
「良い時は縁側で座ることも出来ますが、今日は少し暑さがこたえてしまって……」
徳鶴丸を起こさぬよう、夜の闇に溶け込むような密やかな声。
無理をさせたくない「理」と、一刻でも長くこの時間を共有したい「欲」が、私の中でせめぎ合っている。
「では、無理をせぬと約束いただけますか」
「もちろん」
彼女がふっと目を細めた。その表情に、私は懐から一包みの紙を取り出した。
乃美の館で待つ、四郎――少輔四郎からの預かりものだ。
「……少輔四郎の話をしましょう。あの子は、本当に父上にそっくりです。そして、恐ろしいほどに貴方をその身に刻んでいる」
中から現れたのは、三歳の子供が磨いたとは思えぬほど滑らかで、透き通った青い川石。
「貴方が目覚めた時に、手が汚れないようにと……あの子は庭で、この石を洗い続けておりました。あの子にとって、貴方は魂の根源で繋がっているような……言葉にできぬ慕わしき存在なのですな」
石を彼女の細い指先に握らせる。その時、わざと指先を滑らせ、彼女の肌に触れた。
……冷たい。
血の気の失せたその体温に触れた瞬間、私の心は焦燥と独占欲で真っ黒に塗りつぶされそうになった。
(……このまま、その手を引いて、私の元へ連れ去ってしまえたら)
兄上のもとで、命を削るようにして子を産み、ボロボロになっていくこの女人。
もし、私が最初に出会っていれば。私が小早川としてではなく、一人の男として貴方を奪い去っていれば。
貴方に、こんな過酷な「役割」など背負わせはしなかったものを。
「雫殿。四郎が貴方を忘れることなど、天地がひっくり返ってもございませぬ。ですから……どうか、無理をせずに戻ってきてください」
重すぎる情熱を飲み込み、優しく微笑んで見せる。この微笑みの裏側に、彼女を誰にも、兄上にさえ渡したくないという暗い欲望が潜んでいることなど、決して気づかれぬように。
「……さあ、少し話しすぎましたね。石を握ったまま、お休みください」
うとうとし始めた彼女の頬に、吸い寄せられるように触れた。
本当は、許されぬことだ。だが、今は誰も見ていない。
白く、血色の戻らぬ頬を指の背でなぞる。その柔らかさと冷たさに、狂おしいほどの愛おしさがこみ上げる。
「未来へ返す日まで、無理をしないでください。……と言っても、貴方はそんなこと聞いてはくれないのでしょうが」
いつか来る「未来」へ彼女を返さねばならぬ運命を呪いながら、私はしばらくの間、彼女の頬と手に触れ続けた。
連れ去りたいという本心を、甘い飴の香りと共に、深く、深く飲み込んで。




