4-7
「はー…今日もまた一段と濃い一日でしたね」
「うはははは!まったくだ!こちらに来てからというもの、退屈する暇もないね!良き!!」
遅い帰りを女将さんに心配されつつ夕食と水浴びを済ませた二人は、重い瞼をなんとか支えながらテーブルで向かい合っていた。
「まさか自分が、異世界で裏社会に足を踏み入れるなんて…思ってもみませんでしたよ」
「まったくもってその通りだね!」
こうなったのはカラカラと笑っている当人のせいだが、そこは讃良である。仕方ないなと苦笑するだけで許せてしまうのだから愛が深い。
口ではどう言っても、結局彼女は刻止が楽しんでいるなら何でもいいのだ。
これぞ、全肯定bot。
刻止はほんの一瞬彼女を探るように見つめ、瞳に薄っすら安堵を浮かべる。
裏側へと巻き込んだ事に若干の後ろめたさはあったのだ。
まぁどうであれ、これほど都合の良い展開を手放すつもりはないのだが。
「しかし、"赤い蛇"…だったかな?彼らは随分とクリーンな悪だったみたいだね」
「悪にクリーンって言葉が合うのか疑問ですけど…確かに真っ当な方ではありましたね」
あの後、所有する組織の事は最低限知っておいてほしいと簡単に"赤い蛇"という闇ギルドの説明をされた。
現在構成員はあの三人のみ。
まず、ツーブロックの藍色の髪を持つ男がスキア。毒殺の実行者であり、偵察が得意らしい。
次に、背中までのくすんだ金髪を三つ編みにしていた男がルーグ。人懐こそうだが、拷問が好きと言って讃良の顔を引きつらせた。ちなみに、得意な事は変装とのこと。
そして、まとめ役をやっていたクルードである。
三人とも魔法が得意ではなく、泥臭く人の力で成果を出していたみたいだ。
その点、技術に関しては期待して良いだろう。
堅気には手を出さない(依頼は除く)というルールを三人…というよりギルドは昔から徹底して守っており、暗殺の依頼にしても相手に然るべき理由が無ければ受けない。
孤児院に見返り無しで寄付までしているらしく、同業者からは変わり者だと指を差されることも多かったとか。
取り敢えず、闇ギルドという点を除けば顔を顰められるような者達ではなさそうだ。
ちなみに、"赤い蛇"という名はギルドの創設者が体いっぱいに赤い蛇の入れ墨を入れていたのが由来だとか。
「そういえば、どうして名前を変えなかったんですか?クルードさん達は、もう先輩のギルドだから好きにしていいって言ってましたけど」
「おや、知らないのかい?赤い蛇とはサマエルという、毒の名を冠する堕天使の異名なのだとも!恐れ多くも、我輩クン達にピッタリだと思ってね!」
「そんな理由が…!てっきり、考えるのが面倒だからかと思ってましたよ」
「うはははは!それもある!」
刻止も年頃の男の子なので、そういう話には詳しいのだ。
「取り敢えず手始めに五種類ほど毒を渡して、知名度を上げるよう指示したけど…足りるかな?」
「街の人間皆殺しにでもするつもりですか??小瓶いっぱいのボツリヌストキシンで何千万人と殺せることくらい、私でも知ってますからね??」
「あぁ!そういえば、そんなのも渡したね!」
「大丈夫かな…」
刻止の能天気さに、さすがの讃良も頭を抱える。
いつか彼のうっかりで都市一つがゴーストタウン化しても驚かない。
クルード達がしっかり用法用量を守って、厳重に管理してくれるのを願うばかりだ。
「何にせよ、情報収集の手段と金策を手に入れることができて良かったですね」
「うむ!先程宿の継続手続きは済ませたし、しばらくはゆっくり過ごせそうだとも!」
ちなみに、女将には驚かれた。
どうやら彼女は刻止達を気に入ってくれたらしく、駆け出し冒険者の二人でも払えるようしばらくは宿代をまけるつもりだったらしい。勿論まけた分は後々出世払いだ。
それがぽんとあっさり、しかも一ヶ月分を一気に出されたのだから驚くのも当然だろう。怪しまれなかっただけましだ。
日頃の行いが良くて良かった。
「先輩、明日からはどうします?依頼の頻度も落とせますし、街を回って情報を集めたりも出来そうですけど…」
「うはははは!いや、それは彼らに任せるとするよ!我輩クン達はこれまで通り過ごすとしようじゃないか!」
「確かに、あちらと同じ時期に動きを変えたら…怪しまれそうですよね。わかりました」
「良き!ではそういう事で!」
ぱっと手で扉を示した刻止に、讃良はすっとぼけた顔で首を傾げる。
そんな彼女をいつも通り部屋から押し出して、彼はぐぐっと体を伸ばした。
そろそろ湯船に浸かりたいものだと故郷を懐かしみ、思い出したようにサイドテーブルの引き出しから便箋を取り出す。
メモ代わりにしたせいで残り少なくなったそれに気付き、買い足さねばと明日の予定に組み込みつつ、刻止はペンを片手に向かい合った。
(あぁ、きっと、皆驚くぞ)
そこには年相応の顔をした男の子が、ありふれた日常の一コマのように笑う姿があったのである。
…
正希Side
「そこまで!!」
野太い男の声に、正希は振り抜こうとした刃を止める。
あと一拍でも声が遅ければ、数mm先にある肌色を冷たく裂いていたことだろう。
刃の先でつぅと流れる汗をつまらなそうに見送り、彼は腕をおろして姿勢を正した。
「ありがとうございました」
そして、今までの冷ややかな雰囲気が嘘だったかのように柔和な笑顔を貼り付けて、それに見合った折り目正しい礼をする。
ここだけ切り取れば王子様のようだ。目は死んでいるが。
集中が切れた事で戻ってきた音。ざわめき。聞き覚えのありすぎる仲間達の声に肩の力が抜けるのを感じる。
一息ついた正希は、バチンバチンと大きな手で拍手しながら近付いてくる男へ目を向けた。
「いやはや、さすがは【勇者】様ですな。こうも早くお強くなられるとは!」
「いえ、皆さんのおかげですよ。それに私などまだまだです」
「謙遜なされる必要はありませんぞ!もはや一般兵では歯が立ちませぬ。次からは私めが選んだ精鋭を連れてきましょうぞ!」
「あはは…お手柔らかにお願いしますよ、ホーソンさん」
この男…ホーソン・ダルトンは、正希達が一先ずオルダスに従う姿勢を示した次の日から訓練をつけてくれるようになった、聖域騎士という教会の私兵である。
眩しい白銀の甲冑と清らかな青のマントを纏う姿は神聖そのものではあるが…正希は本人に気付かれない程度に笑顔の質を下げた。
己を【勇者】と持て囃すその表情はオルダスと同類。
"腐った大人"と旧校舎の面々が察するのは容易な事である。
そもそも、教会という組織自体が腐りきっているのかもしれない。何せ、あのオルダスが高位神官というくらいなのだから。
「…と、聞いておりますか?【勇者】様」
「あ、すみません。少しぼぅっとしてしまい…」
「はっはっは!さすがにお疲れですかな?ゆっくり休んで…と言いたいところですが、先程も申し上げた通りオルダス様がお呼びでございますので」
「分かりました。すぐに向かいます」
うっかり思考に沈んでしまったらしい。少し焦った正希だったが、従順な態度が功を奏したのかホーソンは満足そうに、特に怪しむ様子もなく訓練場から去っていった。腰の抜けた兵を引きずって。
態度こそ丁寧だが、アレは正希達をナメている。それが分かっているから、完全に扉の向こうへ消えた背に舌打ちを送った。
と、肩にずしりと重みが加わり、正希は生徒会長の顔を剥がして隣を睨む。
「よ!【勇者】サマ!今日も見せしめご苦労さんだなぁ?」
「勝也、キミねぇ…!」
ふすふすと口よりも分かりやすく馬鹿にした笑いを鳴らす鼻を摘んでやろうと思った正希だが、すんでのところで逃げられ、勝也との追いかけっこが始まった。
これはいつもの事であり、ガス抜きになればと勝也なりに考えてのお巫山戯である。
「でもでもっ、正希ちゃんも大変だよねっ☆」
「【勇者】だからって目、付けられてるんだよ…可哀想に」
「毎回キツそうやもんねぇ」
「同情するなら変わってほしいな!」
「「「嫌でーす」」」
軒並み笑顔でバツ印を作る悪友達に、正希はヂッと可愛くないハムスターのように舌を鳴らした。
【勇者】という肩書のせいかオルダスやホーソンからの期待が厚い彼は、その成長を皆に見せつけろとでも言うように今のような練習試合をやらされるのである。
確かに、高いステータスと称号の恩恵による十倍の成長速度を持つ彼は訓練初日から見事な成果を上げたし、それに悪い気はしなかった。
しかし、だからといってこんな見せしめはないだろう。
悪い気がしなかったのはあくまでも"これなら仲間を守れる"と思ったからであり、俺TUEEE!とはしゃいだからではないのだ。
どちらかといえば、正希は己の力を見せびらかすのは嫌いである。
そもそも、性格に難アリな悪友達相手にイキったところで、「あらぁ、凄いでちゅねぇ〜?」とからかわれる未来しかないのだから。
実力主義系男子の勝也にすら"見せしめ"扱いされているのだから、お察しだ。
ちなみに、天音も【聖女】として注目されてはいるが、いわゆるヒーラーである彼女はこの実践訓練において見学に徹している。端でちょこんと座っている姿は正しく体育の一コマだ。
とはいえ、代わりに座学や魔力操作等の課題を大量に出されているらしいのでどっちもどっちだろう。
「おい、そろそろ行くぞ体力バカ共」
「「ひゃーい」」
いつもよりぐったりした声の円魔に、互いの頬を引っ張り合っていた二人は素直に従った。
「…おや?顔色が悪いね、円魔」
「おーおー、相変わらず貧弱だなぁガリ勉」
「うるさい繊細と言え不良。僕は運動が嫌いなんだ」
「エマちん、いつも先生の手伝いで体育の成績ちょろまかしてるもんね〜!」
「待て森咲、何で知ってる!?」
「透子ちゃん、体育委員ですからね。仕事が減って楽だってにこにこしてましたよ」
「…そこまでだ」
話し出すと止まらない学生達のざわめきは、ドッグランで首輪から解き放たれた子犬のよう。
堅吾が諌めなければあと五分でも十分でも足を止めていた事だろう。
「はぁ…気は進まないけれど、オルダスに不信感を持たれると面倒だ。行こうか、皆」
「「「はーい、【勇者】サマー!」」」
ピクリ、と正希の頬が動いたが、それだけだった。どうやら気合で耐えたらしい。
そんな彼をにまにまと笑いつつ、皆はお開きの合図に従って訓練場の出口へと向かっていった。
「でもさー、この後アレっしょ〜?マジで気が進まないんですけど〜」
「言うなよ…今から気分悪くなってくんだろうが…」
集団の最後尾に付いたいつものメンバーの中で、透子がうんざりしたように自分達の向かう先を睨む。
彼女のぼやきに言葉を返した勝也も、他の面々も、嫌いな授業を前にした時の如き沈みっぷりだ。
「オルダスさん、本っっっ当に気持ち悪いですもんね」
頬に手を当て、おっとりと、しかしストレートにそう言ってのけたのが【聖女】なのだから笑えない。
「ふん。育成ゲームのつもりなんだろう。自分好みの駒を作りたいんだ、アレはな」
「…胸糞悪い、な」
「そうだね。本当に嫌になるよ…スキルの習得にいちいち口を出してくる、なんてさ」
そう、それこそが正希達の悩みのタネだった。
訓練によってレベルが上がると、この世界のシステム上スキルポイントが手に入る。
そのポイントをどうやりくりしていくかなど、当然当人の自由…であるはずなのだが、オルダスという男はそれを許さなかった。
スキルはステータス確認時にしか習得出来ない。それを利用してか、オルダスは訓練後に必ず正希達を呼びつけると、ステータスの確認と同時に"このスキルを取るべきだ"とか、"このスキルは不要だ"などと指示してくるのである。
それこそ、円魔の言った通り理想のキャラを育成するかのように。
このイベントが透子が心底嫌そうに口にした"アレ"の正体だった。
「あの鑑定板を使われてしまうと、私達にはステータスやスキルが読めません。それが嫌なところですよね」
「だからこそ、だろうな。他の選択肢が分からなければ、僕達は他を選びようがない」
「つーか、選びたくても監視されてるようなもんだしね〜。マジで無いわ〜」
「事前に仕組みを知っていなければ対策も出来なかったし、詰みだったね」
正希は自分の部屋に隠した本…刻止が倉庫から拝借してきた本の一冊を思い出す。
『スキル入門』…シンプル過ぎる題名のその本は、外装も内容も飾り気がない代わりにとても分かりやすく、この世界におけるスキルのいろはを彼らに教えてくれた。
題名に偽りなしである。
正希達はその本によって、"スキルはステータスの確認中にしか弄れない"というシステムを知れたのだ。
そして、そのシステムを利用されないための策を練ることが出来たのである。策の肝となるのは勿論…
「円魔の『鑑定』があって、本当に良かったよ」
「だよねだよね〜!マジ、ファインプレーって感じ!!はなまるぴっぴ〜!」
「まぁ、たまたまではあるが…僕も過去の自分を褒めたくはある」
円魔が一番最初、固有スキルの恩恵でポイント無しで習得できた『鑑定』だ。
オルダスの魔力によって異世界語表記で出されるステータスと違い、円魔の魔力で表示されるのは日本語表記のステータス。
それならばスキルだって読めるので、どんなスキルがあって、どんなスキルを習得できるのかが自分達の目で確認できる。
そして何より、オルダスの監視がない。これ程ありがたいことはないだろう。
「つーかよ、ガリ勉。ずっと気になってたんだが、テメェはどうやって『鑑定』なんか取ったんだ?」
「言われてみれば…あの時は"鑑定板"を通してでしかスキルを取れなかったはずだよね?とはいえ、オルダスの目の前で取ったわけじゃないだろうし…」
正希達を都合よく育てたいあの男のことだ。『鑑定』など絶対に取らせないだろうと断言できる。
そもそも、『鑑定』という文字すらも読めなかったはずだ。
と、頭を悩ませようとした面々からモヤでも払うように円魔はひらひらと手を振った。
「なんてことはない。双似朗に頼んだだけだ」
「マネ☆るんって、『モノマネ』のスキルの〜?」
「こら、透子ちゃん。芸名で呼ばないの」
芸名"マネ☆るん"こと鏡谷 双似朗の固有スキル『モノマネ』は、直前に受けた、もしくは見た魔法をコピーして一度だけ使用できるというもの。モノマネ芸人を目指している彼らしいスキルである。
「…"直前"、成る程」
「あぁ。アレが正希を【勇者】だ救世主だと大興奮で持ち上げている隙に、鏡谷のスキルで改めてステータスを見てみることにしたんだ。読めなくとも文字の法則性くらい探してみようか、とな。あっさりと日本語表記で出てきたのには驚いたが…おかげで難しい事は無かったよ。僕はこういったジャンルの話に詳しいからな。それっぽく念じれば普通に取れた」
「うげ、あの時か…」
思い出して正希はゲッソリしたが、あの時間が役に立ったのだと思えば少しは気分がマシになった。
「ハッ!あの短時間でそういうコトを思いつくなンざ、さすがだなぁガリ勉」
「お褒めに預かり光栄だ、不良」
喧嘩腰の口調で話しながらもフッと不敵に笑い合った二人に、ついて行けないと女子は肩を竦める。少年漫画とは縁の薄い彼女達にしてみれば、仲が良いのか悪いのかよくわからない二人なのだ。
「けれど、俺達がスキルを自由に取れるのは…円魔だけじゃなく、"彼"の力もあってこそだよね」
「せやで。ワシを忘れんといてや」
「「「うわっ!?出た!!」」」
一同は池の鯉が水を跳ね上げるようにギョッと心臓を浮かせる。
正希の台詞に対し、いつの間にいたのかその隣で同意を返した男。
ニシシシ、と糸目を更に細めて笑う彼こそがオルダスを欺くための重要なピースだった。
「おいコラ狐杖!!テメェは毎度毎度…いきなり出てくんなっての!」
「えぇ?酷いわぁ。呼ばれたんやから、出るんは当然ちゃう?」
「まったく…恐ろしく気配が無いなお前は…」
「こっくんはマジ、妖怪疑惑〜!」
「本当にそれ、スキルじゃないんですよね…?」
「ちゃうちゃう!ワシ、日本にいた頃からこんなやろ」
「…自分で、言うのか」
「マ、確かにワシのスキル…『狐の蓋』でも同じ事できそやけどね」
彼…狐杖 真夜伊の固有スキルは、相手の認識を書き換えることができるという強力なスキルである。
オルダスも警戒したのか、"ちょっとした幻覚を見せる子供だましのようなもの"と嘘で濁したくらいだ。
円魔の『鑑定』ですぐにその本当の力は分かったし、人を欺くのが生きがいな真夜伊はそもそもオルダスの嘘にはその場で気付いていたが。
「でも、いつも感心してしまうよ。"実際には取っていないスキルを取ったように見せかける"、なんて…言葉にしたら簡単だけどね。これまでオルダスが指定したスキルを全員分覚えていないと出来ないだろう?」
「せやね。中々大変なんは否定せんよ」
真夜伊の役割はオルダスの目を欺く事。その為、鑑定の儀の度に一人一人のステータスにスキルを使い、表面を書き換えているのだ。
しかも、オルダスに従ってスキルを取っていると見せかけるためにリアルタイムで追加の書き換えもしている。
当然ながら相当頭と神経を使う作業である。
しかしそれを苦とも感じさせず、彼は狐の面と同じような顔でニシシシと笑うのだ。
「大変やけど、ワシの頭ならこないなくらい問題ないで。何より、人をだまくらかして仲間の役に立てるんや。天職やね」
"馬鹿に詐欺師は務まらない"を座右の銘にしている真夜伊らしい、自信に満ちた声だった。
「それに、ずっとやのうてそのうち会長はんが何とかしてくれるんやろ?」
「勿論。なるべく早くね」
「ニシシシ!そんなら、それまでは気張りますわ」
それだけ言ってゆらりと去った真夜伊はきっと、いつも通り一番早くにオルダスの元へ行くのだろう。
誰よりも早く現場に入り、後に続く全ての仲間をサポート出来るように。
自称天下一の詐欺師は…実のところかなり真面目な男の子なのだ。
正希はすでに消えた背へ小さく感謝を送った。
「今のところ毒嶋のおかげで先手は取れているね。それでなんとかやっていけてるけれど…そろそろ進展が欲しいと言うのは我儘かな」
「やっぱ、アレ使うしかねぇんじゃねぇの?ほら、その…あー、滅茶苦茶怪しいビンの、な」
刻止が残していった毒物の一つ…連中の注意を削ぎたい時に使えと説明のあった大瓶を頭に浮かべつつ、勝也は歯切れ悪く提案する。
ここ数日で痛感したが、何かを探ったり調べ物をするのに周囲の目は邪魔でしかないのだ。
どこにいても誰かが見ている。誰かの目がある。
そしてその"誰か"の大半は神殿、もといオルダスの息がかかっていた。
こちらの様子をオルダスへ報告している姿を何人ものメンバーが目撃しているのだ。間違いないだろう。
世間話を装ってはいたが、どんな形であれ行動を把握されている事に違いはない。
何なら、初日の情報収集やエロ本の事も知られていた。
子供の好奇心と見逃されたのは幸いだったが…「よろしければ"そういった者"を見繕ってまいりましょうか?」と言われた正希の荒れっぷりは、メンバーの腹筋を容赦なく破壊したものだ。
だからこそ納得した。
何故刻止がこんな毒を残していったのかを。
とはいえ、提案した本人は気が進まないという心情が丸見えだが。
得体の知れない物への不信感と、そういった小細工への忌避感。うろつく視線が雄弁に語っている。
旧校舎メンバーの中では珍しく真っ直ぐな性格である彼らしい様子に、目という雄弁な部位を長い睫毛で隠した正希が「そう言えば」と話題をさらった。
「あの毒、幻覚剤みたいなものらしいよ。あの後手紙で聞いといたんだ」
「お、さっすが〜!抜かりなしって感じ〜?」
抜かりないというより、正体不明の毒の上で寝るのが嫌だっただけである。
「つーか、幻覚剤って何だ?」
「うーん…麻薬の一種らしいけれど、詳しくは聞いてないんだ」
「麻薬か。確かに毒ではあるな」
「…大丈夫、なのか?」
「依存性は低いし、死ぬようなものではないらしいよ。正式な名前はちょっと目が滑って覚えられなかったけれど、サイケデリックと呼ばれる薬だとか」
サイケデリック…リゼルグ酸ジエチルアミドは、一時期欧米のアーティストの間で流行ったとされる強力な幻覚剤だ。
「極めて少量でも夢と現実の境界がぐちゃぐちゃになって、それはもう神秘的な体験ができる素敵な毒さ!」…と、この場に刻止がいれば朗々と語ったことだろう。
何も知らない面々は、名称からしてヤバそうだと頬を引きつらせるだけだが。詳しく聞いた日には顔をシワシワにする自信がある。
「えぇとつまり毒嶋さんは、その毒で皆が前後不覚になっている隙に動け…と言いたいのですよね」
「そのつもりで置いていったのだろうね」
「ふーん?アタシにはよく分かんないけど、とりま死なない系のやつなんでしょ〜?なら、いっぺん使ってみようよ〜」
楽観的な透子の言葉に少しの沈黙が落ちたが、廊下を踏む足音のみの時間を破ったのは意外な人物だった。
「…リスクを、恐れるだけでは…いけない。…俺は、やる」
静かで、それでいてどっしりとした堅吾の声は覚悟と決意で舗装されている。
手を汚す覚悟と、何が何でも解放されてやるという決意だ。
「そうだね。今更足踏みしていても仕方ない」
良心の呵責などない。あったとしてもそれは、旧校舎メンバーにとって自分達の"自由"が片皿に乗った天秤を動かせる程のものではなかった。
その事実を、正希含めた皆が思い出す。
常識人のフリが板に付き過ぎて、時々己の本質を忘れそうになるのだ。
「正希、決行はいつだ。計画を立てないとだろう」
「あ!アタシ調理場の人となかよぴだから実行役やろっか〜?」
「透子ちゃん、よくつまみ食いしに行ってるものね」
「あー、どこを調べるってのは決めといた方がいいんじゃねぇの?何回も使える手じゃねぇだろうし」
「…見取り図、欲しい」
「そういえば、作っている人がいたよね?後で見せてもらおうか」
やる事が決まれば後は早い。正希は次々と出される意見を脳内でまとめ、仲間の誰に何を頼むかを振り分けていく。慣れたものである。
「問題は、どんな情報を目標に調査するかだが…正希、刻止から新しい情報は入ってるか?」
「あぁ、そういえばここしばらく手紙の確認をしていなかったね」
皆は珍しいものを見たと瞬いたが、すぐに仕方ない事かと思い至った。
訓練が始まってからというもの、まともに集まっていられないくらいには皆ヘトヘトなのだ。
泥のように眠って、朝日を恨んで起きる。自分達ですらそうなのだから、皆より重い訓練が課されている正希はもっとキツい思いをしていることだろう。
彼は不調をまったく表に出さないタイプだということを失念していた。
「取り敢えず、この後確認してみようか。作戦会議もしたいし…久方振り集まろう」
「「「了解、会長!」」」
そしてこの日の夜、彼ら彼女らは数日前に届いていたらしい手紙を見て声を揃えて叫ぶこととなる。
ーやぁ、親愛なる諸君!いかがお過ごしかね?我輩クンはなんと…闇ギルドの長になったよ!!ー
「「「どうしてそうなった!!?」」」




