第20話 止まった世界
時化が収まった……訳じゃないな。
まだ風や波が船体にぶつかる音が耳に入ってくる。
俺は首を傾げるが、揺れが収まったのは何よりだ。
これで少しずつ気分もよくなるだろう。
俺はベッドに戻って仰向けに横たわる。
そこで違和感に気付いた。
「あれ……船体が傾いている?」
まさか、船が大破して今にも沈没しそうな状態とでもいうのだろうか。
俺は泳ぎはあまり得意ではない。
救命具の場所を確認しておかないと……。
などと思考を巡らせていると、ユフィーアが青ざめた顔で部屋に戻ってきた。
「マール様、お休みのところ申し訳ありません。助けて下さい」
ユフィーアが誰かに助けを求めるなんて余程の事だ。
俺は体調の悪さを堪えつつ甲板へ上がる。
「あの……あれなんですけど……」
ユフィーアの指差す方向を見ると、クラーケンが八本の触手で船をしっかりと掴んでいるのが見えた。
「船が傾いたまま動かなくなっていたのはこれが原因か。しかしそれなら触手を斬り落とせばいいじゃないか」
我ながらとぼけた事を口にしていると思った。
ユフィーアがそんな当たり前の事を一々聞きに来るはずがないだろう。
「それが……斬れないんです。それどころか傷ひとつ付かなくて……クラーケンも全然動かないし……そもそももう死んでますよね、これ」
この時になって俺は漸く状況を把握した。
──バグだ。
電撃魔法を使うと対象を痺れさせる追加効果が発動する事がある。
生き物ならばその内自然回復するが、バグで生き物以外に追加効果が発動した場合は決して回復する事はない。
しかも、完全にその形を保ったままでその場に固定されてしまう。
切断する事はおろか、傷をつける事もできない。
さっきユフィーアがクラーケンに止めを刺そうと電撃魔法を放っていたのは知っている。
恐らくその時既にクラーケンは絶命していたのだろう。
死んでしまえば生き物ではない。ただの物体だ。
ならばこの固定バグが発生してもおかしくはない。
クラーケンの八本の触手に抱きかかえられたピンクパール号はびくとも動かない。
こんな海の真ん中で船が立ち往生してしまったら俺達が助かる術は無い。
まあ、ユフィーアなら近くの島まで──恐らく、千キロメートルぐらいまでの距離にある島なら──泳いでいけるのかもしれないが、俺達には無理な相談だ。
考えろ、この危機を脱する方法を。
正攻法がないならバグを使え。
……思いついた。
しかし上手くいくだろうか。
成功させるには俺とユフィーアだけでなく、この船のクルー全員の意思の統一が必要だ。
俺はまずこのバグについてそれらしい理由をつけて説明する。
「これはクラーケンが死ぬ間際に行った呪術です。死してなおこの世に在り続けたいという執念によって、その魂がこの場所に固定されてしまったんです」
「そんな呪いが……」
クルー達がざわつく。
「さすがマール様、博識ですね。ならば私の浄化魔法で……」
「待てユフィーア、この呪いは魔法では浄化できない。特別な儀式が必要なんだ。皆は俺の言うとおりにしてくれ」
儀式と言っても特別難しいことではない。
俺は甲板の上に出ているクルーを全員集めて円陣を組ませる。
「それでは皆さん、俺の合図で足下に視線を移して下さい。3、2、1、はいっ」
俺とユフィーアとクルーの視線が甲板に集中し、船を抱きかかえているクラーケンの屍が全員の視界から消える。
その瞬間にオブジェクト消滅バグが発生し、クラーケンの屍は消滅する。
どうやら上手くいったようだ。
船を固定していた物体が消えた事で船は再び動き出した。
「はい、もう顔を上げて良いですよ」
「おお、本当に消えてる……」
「マールさんの言った通りだ!」
「そうですよマール様は凄いんです。皆さんにも理解できましたか?」
何故かユフィーアが得意満面だ。
でも知らなかったとはいえ、今回のバグの原因は君だぞ。
船が動き出すと同時に船の揺れも元通りになった。
俺はまた船酔いがぶり返してきたので、船の守りはユフィーアに任せて部屋に戻り、ベッドに横たわる。
もちろん電撃魔法は使わないようにユフィーアに釘を刺しておくのも忘れない。
◇◇◇◇
出港から七日目、ようやくラマーゼン諸島の最初の島に到着した。
クルー達は積み荷の一部を降ろし、次の島へ向かう。
ここまで来ると魔物の襲撃にも遭わなくなり、穏やかな日々が続く。
体調が回復した俺は、暇をしているクルーを集めて船旅で気をつけておいた方が良い呪術についての講義をする。
今後も俺達が使う事になる船だ。
不安要素は少しでも取り去っておいた方が良い。
◇◇◇◇
港町フェルトを出港して20日。
漸く港町フェルトへ戻ってきた。
「マールさん、ユフィーアさん、今回は本当に助かったよ。今後船が必要な時はいつでも声をかけてくれ。例え仕事中でも放り投げて全速力で駆けつけるからさ」
そう言ってトリトン船長はトランシーバーのような形をした魔道具を手渡す。
これはトランスシーカーと言って早い話が魔力の波動を利用した遠距離対応の無線通信機だ。
これでいつでも連絡が取れるな。
「それじゃあまずは、クエスト完了の打ち上げといこう。マールさん、ユフィーアさん、行きつけのいい酒場があるんですよ」




