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婚約者と乙女  作者: 千鶴
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とある司書の話

 アラン=エルヴィスが彼女を見掛けたのは、数ヶ月前のことだった。

 緩やかに波打つ栗色の髪に、照明の光を映して輝く琥珀の瞳。フリルの少ないシンプルなアリスブルーのドレスがよく似合っていた。


 王城庭園から騎士団詰所までの通り道にある王立図書館に彼女はいた。

 本棚をじっくりと見詰め、手を伸ばしては一冊取り出す。ぱらぱらとページを捲り、首を傾げて元に戻す。数度繰り返した後、希望通りの本があったのだろう。取り出した一冊を抱え、近くの椅子へ座った。


 薔薇色の頬に長い睫毛が影を落とす。しなやかで細い指先が文字をたどる。時々顎に手を当てて停止する姿に、何かを考えていることがわかった。

 美しかった。ただ、麗しかった。日に照らされた訳でもないのに、きらきらと煌めく瞳が印象的だった。


 声をかければきっと、考え込む彼女の邪魔になるのだろう。近付こうと踏み出した足の向きを変え、音を立てないように仕事に戻る。

 それから新米司書のアランは、たびたび名も知らぬ彼女を見掛けるようになった。


 声をかけることはない。視界に入ろうとも思わない。ただ、彼女の姿を見付けると、心が浮かれるようになった。

 今日は何の本を読んでいるのだろうか。あの辺りは確か、詩集作品を置いていたはずだ。高貴な御方の間では、過去の詩や偉人の言葉を引用した知的な会話が繰り広げられるらしい。

 ならば彼女は身分の高いどこかの令嬢なのだろうか。確かに身にまとう衣服や飾りは実にシンプルだが、質の良いものばかりだ。

 アランにはわからないが、有名なデザイナーが作製したものなのかもしれない。


 無意識に見詰めていれば、遠くで鐘の音がした。

 もうこんな時間かと手元の書類を整理していると、慌てた様子で彼女が立ち上がった。珍しく五冊も持ってきていた彼女が、どこか焦ったように本を持ち上げている。

 この後何か用事でもあるのだろうか。もしかしたら門限が決められていて、破るともうここに来られなくなるのかも知れない。それは嫌だ。

 意識を向けて欲しいと思ったことはなかったのに、気が付けば声をかけていた。


「大丈夫ですか? ちょうど片付けるものがありますので、こちらで返しておきますよ」

「え? いえ、大丈夫です。ご迷惑でしょう」

「いいえ、仕事ですから気にしないでください。お急ぎでしょう」

「まあ、本当に宜しいのですか?」

「はい、問題ありません」

「ではお任せ致しますね。ありがとうございます、優しい司書様」


 そう言って笑う彼女に、彼は恋を自覚した。

 鈴の鳴るような声だった。大きな琥珀の瞳に自身の姿が映っていた。

 彼女に声をかけてしまった。彼女と会話をしてしまった。彼女の視界に入ってしまった。彼女に意識を向けてもらえた。

 優しい司書様だと紡いだ彼女の声音が甘くて、酷く胸に焼き付いた。


 その日はアランにとって、最高の一日になるはずだった。


 本を戻しチェック表をカウンターにしまう。帰り支度を済ませれば、先輩に挨拶をして図書館を後にした。気分よく家路に着けば、通りすがった騎士団詰所に彼女の姿を見た。


 彼女は一人の男と共にいた。弾んだ声の内容が聞き取れない。輝く瞳に映っている誰かを認識できない。

 聞こえているはずなのに、見えているはずなのに。そのすべてが意識から素通りして流れていく。


 男は彼女に手を伸ばす。そのまま抱き締めれば、彼女は心底嬉しそうに笑っていた。甘くて優しいあの声で、男の名前を紡いでいる。煌めく光を宿したあの瞳で、男の姿に見とれている。


 騎士団服に藍色の髪。切れ長の瞳も髪と同じ藍色で、細身の剣を腰に固定している。羽織ったマントは副団長を表す銀の刺繍が施されていた。

 アルフレッド=リグタード。氷の騎士と名高い侯爵子息。常に冷静沈着で、何事にも関心を示さない凍てつく剣。


 そんな男が表情を蕩けさせ、彼女を腕に抱き留めている。ならば彼女は、あの氷の騎士が唯一執着している婚約者。リーデシア=アルミアその人だ。


 胸の奥が冷える。昂り浮かれていた心が急速に萎んだ。

 最初からわかっていたのだ、彼女の身分が高いことに。最初から彼女と自分では相手にすらならないことに。


 それでも初めて自覚した恋心が、その日の内に砕き割られるなど誰がわかろうか。誰が彼の恋心を憐れみこそすれ、愚かで有り得ぬことだと否定できようか。


 唯一の救いは彼の想いが彼以外の誰にも知られていないことだ。氷の騎士の執着は有名だ。もしも知られていれば、今頃は彼女の姿を見るだけで恐怖に飲み込まれていたかもしれない。

 良い方向へ考えようとしたが、胸の痛みは増すばかりで消えてくれはしなかった。


 その日はアラン=エルヴィスにとって、最高で最悪の一日となった。

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