はいずり、と謂われるものの話
ちょっとしたことでおや、と感じることがたまにある。
話はやや、さかのぼる。
時代ははっきりしないが、多分江戸も末期のことだと聞いている。
このあたりは新川村と呼ばれていた。村に、銀二という若者がいた。
年老いた母に弁当をこしらえてもらい、山の畑へと仕事にいくのが日課だった。
ある初秋といってもまだまだ残暑の厳しい頃。いつもと違い、銀二は一番遠い山奥の開墾場所まで出かけていった。
谷沿いに上り、尾根を辿り、ようやく辿りついてからは、汗まみれになって鍬をふるう。少しして昼になった。
大きな切株の上に置いた包みには日が当たっていた。案の定、包みをほどいて握り飯を取り上げた時、何となく指にねばりつく感じがあった。
飯から軽く糸をひいている。匂いは特に悪くなかったが、こんな山奥で一人きり、もし腹でもひどく痛くしたら帰りが困るだろう、と銀二は泣く泣く握り飯を畑の脇に放り投げた。ひとつ、ふたつ、飯の塊は重なるように倒れた草の上に崩れ落ちる。
仕方ないので水を飲み、別に包んであったたくあんを齧って銀二はなんとか腹の虫を収めた。
それからまた一心不乱に鍬を使っていたのだが、何故か妙に左わきの方から何かに見られているような気がして、ふと目をやった。
小鳥と蝉とがやかましく鳴き交わしているくらいで、何もいない。
鍬の手を休め、銀二はゆっくりと気配の方に歩んでいった。
先ほど、放り投げた握り飯が半分潰れたまま、そこに落ちていた。
しかし、と銀二は首をかしげる。棄てたのはもう少しあちら側、窪地に近い草むらの中では無かっただろうか。
勘違いだろう、と銀二はまた働き始めた。しかしどうにも気になって、しばらくしてからまたそこを見に行った。
飯はさらに、銀二の近く、今度は大きな切株の影にふたつ寄り添うように落ちていた。
風が吹いてもこんなものは舞ってはくるまい、急に二の腕に鳥肌が立った。
後ろを振り返り、ふりかえり、銀二は背筋に何か涼しいものをまとわりつかせたまま日の暮れぬうちに家路についた。
その後、村の中でももの知りと言われる田熊のおばあと話す機会があって、銀二は握り飯が「迫ってきたような気がする」とおばあに打ち明けた。
「飯が祟ったのだろうか? 粗末にするな、ということなのだろうか」
銀二がつぶやくように言ったのを、おばあはまるで気にしていないような目をしたまま
「それはのう、はいずりじゃ」
ごく日常のことのようにそう言い放った。
祟りでもなく、訓えというわけでもなく、はいずりというものがあるのだと言う。
それは、モノに憑いたものというより、人の方に原因があるのがほとんどなのだとおばあは教えてくれた。
銀二の父も、曾祖母も、はいずりに悩まされたらしい。村には何人か、そういった者がいたとも言う。
置いた手ぬぐいがいつの間にか膝に乗っていたり、遠くに刺して置いた鎌が気づいたら手元に来ていて手を切った、とか。
「どうにも、直らんにそれは」
はいずりに脅かされた者は、あまり長命ではない、とも。
銀二は私からみると曾祖父にあたる。
亡くなったのは、当時としては長命とも言えるのかと思ったが、六十二歳、しかし長患いの末だったようだ。
どうして急に曾祖父の話になったかと言えば、私も悩まされていたからだ。
例えば。
玄関を上がろうとして、クロックスが足先にひっかかり、思いざま転びあごを打った。
腹立ちまぎれに、穿いていたクロックスを玄関ごしに表に思いっきり投げ棄てた。
そこまでははっきり覚えていたのだが。
いつの間にやら、そのぶよぶよしたカーキ色の穿きものは、玄関の敷居を越えて家の中に転がっていた。
はいずりを拒む手立ては、いまだに見つかっていないようだ。
〈ちらほら草紙 了〉
いったん完結とさせていただきます。おつき合いいただきまことに感謝です。