第01話 全てを識る百識の男
「ふっ……。」
俺の名前は、イグナス・レーヴェン。
偽名だ。
今はそう名乗り、冒険者として各地を転々としている。
理由は単純だ。
バカみたいな額の借金から逃げている。
正確には、俺個人の借金ではない。
親父がやらかしやがった。
一発ドカンと当てようと、鉱山で無茶をやったら、鉱毒が噴き出してきた。
その結果、領地は死の土地と化した。
馬鹿野郎、俺は転生者だぞ。
伯爵家の嫡男に生まれ、老後まで税金で食べるウハウハのハーレムプランがおじゃんだ。
理不尽という言葉では足りない。
だから俺は逃げている。
街から街へ。
国から国へ。
名前を変え、所属を変え、戦い方すら少しずつ変えながら。
目立たないように。
記録に残らないように。
誰の記憶にも強く残らないように。
******
「ふっ……。」
酒場で、ウイスキーを傾けながら、俺は笑った。
意味はない。
理由もない。
ただ、冒険者というのはこういうものだろうという、どこかで見たイメージの模倣だ。
「……まさか、戦争の噂は本当なのか?」
隣のやつが何やら目を見開いた。
ギルドの酒場が、一瞬だけざわつく。
誰かが息を呑み、誰かが笑って誤魔化す。
だが、その『戦争』という単語だけは、空気の重さを確実に変えていた。
俺はグラスを傾けたまま、窓の外を見やる。
「風が……。吹いている」
葉っぱが飛んでいた。
俺はグラスを呷り、席を立つ。
代金の銅貨を五枚置いた。
「東の戦線か……。」
「ああ、『百識』が言うんだ。間違いないな」
「何っ!? 勇者の師匠だという、あのっ!?」
勝手に話が膨らんでいく。
俺は何もしていない。
ただ笑って、窓の外の景色を見て言っただけだ。
それなのに、勝手に物語を持ち始める。
「……何でやねん」
俺は呟きを口の中で転がし、酒場を出た。
******
「ふっ……。」
働いたら負けだと思っている。
だから、俺は十日に一度くらいでしか働かない。
だって、俺は転生者だ。
当然、チートも完備している。
ゴブリンのような雑魚を狩り、日銭をちまちまと稼ぐ必要はない。
一発ドカンと難易度の高いモンスターを倒せば、十日は遊んで暮らせる。
今日も、朝から酒が美味い。
今夜は、カジノへ行こうかな。
「チートさまさま、だな」
「……チート?」
つい口から漏れた心情を、誰かが拾った。
その瞬間、酒場の空気が変わった。
「チート、チート、チート……。そ、そういうことか!」
「どういうことだ?」
「チートとは、古い言葉で『インチキ』を意味する。
このインチキの四文字を並べ替えてみろ」
「はっ!? チンキィか!」
「そこに、さまさまのサマー。夏を加えれば……。
夏、隣国はチンキィ要塞に攻めてくる!」
「な、なんだってぇ!」
ざわめきが大きくなってゆく。
勝手に物語が完成していく音がする。
お前ら、朝から酒場でダベってないで、真面目に働けよ。
俺は、一人静かに飲みたいんだ。
「……にしても、百識のやつって、いつも飲んでるよな」
「違うな……。あれは『計算された休息』だ」
休息に計算なんてあるのか。
取れない有給のことだろうか。
止めよう。
嫌なことを思い出した。
だが、周囲はなぜか深刻な顔で頷いている。
本当に止めてくれないか。
勝手に『思想』にするな。
「計算された……。どういう意味だ?」
「へへっ、見てろって」
猛烈に嫌な予感がした。
俺は店を変えようと、席を立った。
その時だった。
店のドアが勢いよく開いた。
立派な白鬚をたくわえた老紳士が駆け寄り、いきなり土下座をしてきた。
「イグナス・レーヴェン殿!
どうか、どうか! ご助力をお願いします!
誰もが固唾を呑んで見守っていた。
俺は、思わず後ろを振り返る。
もしかしたら同姓同名の誰かがいるかもしれない。
グラスを下げる店主しかいなかった。
「すげぇ……。一国の王がわざわざ出向いて、頭を下げてるぜ」
そうか、この爺さんは王様なのか。
言われてみれば、服は高そうだ。
なんとなく偉そうな雰囲気もある。
「なっ!? 言った通りになったろ?」
「まさに、『計算された休息』だ」
いきなりの土下座で驚き、つい怒鳴りそうになったのを堪えてよかった。
不敬罪はごめんだ。
厄介事はもっとごめんだ。
「ふっ……。」
俺は、王様の横を通り過ぎる。
酒場が静まり返った。
足音だけが響く。
一歩。
二歩。
三歩。
「貴様! 陛下が頭をおさげになっているというのに!」
金髪の麗人が出入り口に立ち塞がった。
その右手は、腰の剣を抜こうとしていた。




