第34話
霊山の頂きの、更にその先に広がる青い空でシルフィアとクヨーラは静かに見合っていた。しかし、二人を取り巻く空間は決して穏やかなものではない。可視化するほど濃度の上昇した魔気が風に乗って縦横無尽に飛び交う。
圧倒的な魔気を前にして、ステインは頂きの先から歩を進められずにいた。魔気を生み出しているクヨーラと、常人離れした魔力を持つシルフィア、この二人だけが存在している空間だからこそ目の前の魔気はギリギリのところで制御されている。もしステインが一歩でも足を踏み入れれば、たちまち魔気の流れは乱れて周囲にどのような影響が出るか分からない。
「ブロウス=オンダースタリンの名において、この地の全空明魔道神気を放出、シルフィア・レーンデルスへ継承し同名を新たな風土の統治者とする」
これまで飛び交っていた魔気が急激に膨張し、凄まじい衝撃が発生した。ステインは両腕を組んで頭部を守りながら足を踏ん張らせて衝撃が治まるのを待つ。
凄烈さの割りに、衝撃は一瞬で治まった。いや、そもそも衝撃など発生していない。視覚から得た情報でステインの体が思い違いをしただけだ。そうでなければ今頃は霊山の至る所で崩落が発生している。
「……意外と何もないんだね」
空魔精霊獣の力を受け継いだというのに、魔力が湧き上がってきたり、魔気の流れを操れたりはしないようだ。シルフィアは手の平を見つめながら握っては開いてを何度か繰り返すが、驚くほどにいつもと変わらぬ感触しか残らない。
「どんな力を得ようと、使い方を知らなければ力の有無すら確認できんさ」
聞き慣れている筈のクヨーラの声がどこかくぐもって聞こえた。どうしたのだろうか、と顔を上げたシルフィアの視界に入ってきたのは、クヨーラと同じ月草色の毛が生えているものの、まったく見たこともない姿をした生物だった。
四足歩行で全高は二メートル強といったところだが、体と一体化するように伸びた尾は長く、全長は優に十メートルを超えるだろう。槍の様に鋭く生えた嘴、雄々しくも理観せんと構えられた濃藍の瞳は見る者に畏怖すら抱かせる。頭部から背中にかけて携えた四対の翼は緩やかだが絶えず羽ばたいており、静かな風を生み出していた。
「クヨーラ?どうしたの、その体?」
見慣れぬモンスターがいきなり現れたといのに、シルフィアは全く物怖じせず尋ねた。
「元の姿に戻ったんだ。もう空魔精霊獣じゃなくなったからな」
「え!?じゃあ今度はわたしがクヨーラみたいに小さくなってモフモフになるの?」
シルフィアがデフォルメされた自分を想像しながら体に異常がないか確認すると、クヨーラは呆れつつも安堵を含ませながら項垂れた。
「あの姿はおれっちが動きやすいように変身しただけであって、空魔精霊獣の力を継承したからって勝手に小さくはならんぞ」
「なぁんだ、びっくりしちゃった」
何故か少し残念そうに声色を落としているが、敢えて指摘せずに聞き流したクヨーラは視線を少女の隣りへ向ける。するとどうだろう、奇怪なほどに嬉々とした眼差しと交差した。
「まさか、フライカイツ!?実物を見れるなんて思わなかった」
「あー、大昔にそんな名前で呼ばれてた時もあったな」
「ふらい……?」
「フライカイツだよ。七百年ほど昔に絶滅したモンスターさ。今では本の中で、半ば架空の生物として書かれているかな。有名な本は忌み姫としん……」
伝説の生物と出会えて興奮しているステインの瞳は少年のように輝いているが、シルフィアは一切動じずに身を入れて話しを聞く。
「あー!話しが逸れるだろ!おれっちのこたぁどうだって良いんだよ!」
咆哮にも似た怒鳴り声は人の話し声など容易く掻き消し、本来の目的を思い出させた。
「そうだった。僕を呼んだ理由は何だい?」
「お前が知りたがっていた聖剣についてだ」
ステインの表情が瞬時に真剣な物へと変わる。その態度に満足したのか、クヨーラは勿体つけることなく口を開いた。
「聖剣テルフキア。その剣には四大の空魔精霊獣が宿って……いや、四大そのものと言って良い」
「えっ!?」
間抜けにも聞き返すしかなかった。謎に包まれた聖剣の名前が分かっただけでも大きな収穫だというのに、その次に告げられた内容があまりにも突拍子のないものだったからだ。
「四大の空魔精霊獣って、六百年前の話しに出て来た?」
シルフィアが確認するように問い掛けてきたのでステインは大きく頷いて見せ、クヨーラからの説明を待った。
「そいつが四大に関係した剣だってのは一目見て分かった。そして、実際に触れて確信した。その剣は四大が姿を変えた、紛うこと無き聖剣だ」
同じ空魔精霊獣のクヨーラが言うのならば間違いないのだろうが、一体どうして剣に姿を変え、何故この国に流れて来たのか。
クヨーラも体を変化させていたので、聖剣が四大の空魔精霊獣だ、と言われてもさほど疑念は抱かなかったが、それならばこの聖剣は生きている事になる。剣のまま動き回っては流石に騒ぎになってしまうので、元の姿に戻って、はたまた別の姿に変身して各地を回って来たのだろうか。生きた聖剣ならば、人知れず王宮の宝物庫に紛れることも可能ではあるが、それはそれで監視の目が緩んでいた証拠になる。王都に帰ったら監視を徹底させようと決めつつ、ステインは四大の目的について考える。
答えは簡単だった。空魔魄霊獣。先程クヨーラも口にしていたが、アレがこの国で蘇ろうとしているのだ。しかし、一体何故。何が原因でこの地に厄災が訪れなくてはならないのか。答えを求めてクヨーラに視線を向けるが、ステインの疑問は汲み取られることなく話しは進められた。
「聖剣に極限まで濃縮した魔気を流すことで四大は力を貸してくれるらしい。それは空魔魄霊獣もどきと戦った時に見せた通りだ」
「見せた通りと言うけど、何の説明もなく放り出されたから何が何やらという感じなんだけど」
「そう言うと思って、ちゃんと理解する場を設けてある」
クヨーラは徐に足を広げて空に浮かぶ地面を力強く踏みしめると、眼前の二人を力強く睨み付けた。
「聖剣の力で、かつて神獣と呼ばれたフライカイツを倒してみせろ!!」
「ク、クヨーラ!?」
予想外の展開にシルフィアが言葉を挟もうとしたが、クヨーラ……フライカイツの咆哮に掻き消される。
「実践で理解しろって……随分と無理矢理だな」
文句を口にしながらも、体は既に戦闘態勢に入っていた。シルフィアの言葉さえ掻き消してしまうのだから、ステインが異議を申し立てたところで聞く耳を持ってはくれない。それに、ステインはこの戦闘を心のどこかで望んでいた。本の中でしか存在を知ることが出来なかった神獣と戦えるなど、誉れ高いことこの上ない。
ステインはシルフィアに見られぬように一瞬だけ口角を上げた笑みを浮かべると、鞘ごと鎖で縛られた聖剣テルフキアを構えて神獣フライカイツと対峙した。




