第35話
遮蔽物の無い空の上で、フライカイツは長い体躯を活かした薙ぎ払いを放つ。不可視の地面に沿って放たれたそれは対象に防ぐか跳び上がるかの二択を迫るものであったが、ステインは始めから前者を選んでいた。聖剣を縦に構え、重い尾の一撃を受ける。互いの力が拮抗したのは僅か一瞬であり、ステインの体はシルフィアを巻き添えにして弾き飛ばされた。
「ご、ごめん、シルフィア。大丈夫?」
一方的に力負けしたが、体へのダメージは少ない。ステインは直ぐに立ち上がるとシルフィアへ手を差し伸べる。
「うん、平気。だけど……」
ステインの手を借りて立ち上がったシルフィアは悲しげにフライカイツを見つめた。試練だと分かっていても、外見が変わっていても、彼女はクヨーラと戦う覚悟を決めれないでいた。家族同然に生活してきた相手なのだから無理もない。ステインもその辺りの心境は察していたので、シルフィアに戦いを強いる気はない。
「また巻き込むといけないから、下がってて。どうにか僕の力だけで聖剣を使い熟してクヨーラに認めてもらうよ」
気負いさせまいと柔らかな口調で告げると、大人しく数歩後退してくれた。シルフィアの気持ちを晴らすことは叶わなかったが、これで十分である。ステインは聖剣を構え直すとフライカイツへ突進した。
「魔気を注がぬ鉄塊を振り回しているだけでは、いつになっても聖剣を使い熟すことは出来んぞ!」
フライカイツの瞳が開かれると、四つの竜巻が横並びに発生してステインの行く手を阻んだ。フライカイツの言う通り、聖剣に宿る四大の力を呼び起こすには魔気を注ぐ必要がある。しかも魔気は極限まで濃縮させなくてはいけなくて、恐らくそれが出来るのは空魔精霊獣か同等の力を持つ空魔精錬術師だけであろう。
非凡な魔力を持つステインであるが、彼が操れる魔気では四大を呼び起こすことなど夢物語も同然である。
「知っているよ。これはただ、僕が自己満足の為に剣を振るっているだけだ!」
四大の力を借りる前に、実力だけでフライカイツと戦いたかった。ステインは無邪気な少年の如き心持ちで竜巻を迂回して肉薄する。
竜巻を避けた所を尾で薙ぎ払う事も、魔術で追い返す事も容易だったが、フライカイツは敢えて接近を許して前足の爪をステインへと突き立てた。鮮やかな月草色の体毛から覗く白銀の爪は鋭く光り、聖剣と交わった。
「勝手な信奉で他者を祭り上げるクセに、落ちる者を助けようとしない!言葉を持ちながら誰一人にも、何一つすら伝えられず、ただ己の安寧の為に生きる生物が!」
ステインの瞳を見たフライカイツは遥か昔、自分が神獣と呼ばれ崇められていた頃を思い出し、激しい怒りが湧き起こった。忘れていたわけではないが、今更になって何故、当時と同等の怒りを感じるのか。体が戻っているからなのか、それとも目の前の馬鹿に怒りを刺激されたからなのか、理由は定かではないが、そんなことはどうでも良かった。早いところ馬鹿に聖剣の使い方を覚えて貰わねばならないのだ。
フライカイツはステインを抑えていた手を僅かに浮かせると、手首を返してステインを小石の様に弾き飛ばした。体勢を崩された筈だったが、ステインは器用に受け身を取ると土の魔気を集めた。しかし、魔術を発動する前に土の魔気は霧散してしまう。
「ここでお前が魔術を使えると思うなよ」
唸り声の威嚇と共に、ステインは足元に何かが迫って来ていると察知し、視認する間もなく急いで横に跳び退いた。数瞬後、その判断が正解だと思わせられる。小振りだが無数の岩の槍が天空目掛けて飛翔して行ったのだ。
「集めた魔気を盗られる……という表現は不適切かな。ここの魔気は貸してもらえない、と言うべきか」
霊山に漂っている風と土の魔気は空魔精霊獣によって生み出されたものである。人の身が操った魔気など簡単に取り上げられるだろう。ならば火と水ならばどうだろうか。体内に流れる魔力に神経を集中させて魔気を探ると、僅かながら火と水の魔気を感じ取れた。だが、それらは激流の川で浮かぶ藁のように、嵐の中で自由を失った葉のように、何とも頼りなく、手繰り寄せることさえ不可能と思えるものだった。
そうこうしている内にステインの周囲に風の魔術が展開される。避けようと足に力を入れたが、時既に遅し。逆巻く旋風に身を縛られ、呼吸すらままならない状態に陥る。
「もう十分だろ。早く四大の力を使え」
身動きの取れないステインの腹に尾の一撃を叩き込み、シルフィアの元へ吹き飛ばす。
風の呪縛から解放された肺が酸素を求めるも、腹部に走る激痛の所為で思い通りに呼吸が出来ない。激しく喘いでいたが、それも数秒のことであり、いつの間にか呼吸は整っていた。
「大丈夫、直ぐに痛みも取れるから」
横たわっていたステインの傍らにしゃがみ込んだシルフィアは、手に握っていた薬草を彼の腹部へ当てて祈る様に目を閉じた。すると薬草は淡く発光し、ステインの体内へ静かに吸い込まれていった。
「これは?」
激痛がたちまち消えていく事よりも、目の前でシルフィアが行った治療の方法に注意が向けられる。回復魔術に似ているが、それならばわざわざ薬草を使う必要はない。そもそも回復魔術というのは他人に使用する場合、行使する魔術を対象の魔力量や属性適正と同期させなくてはいけない。多量の魔力を消費して魔術を使ったり、四属性全て混ぜれば効果が上がるというものではなく、回復魔術は対象となる生物との魔術適正を見極める技術が必要とされる。
繊細な回復魔術をものの数秒でやってのけた、というのもシルフィアならば可能かもしれないが、やはり薬草を使ったことが気掛かりだ。
「空魔精錬術の応用、みたいなものかな?もう痛みは無い?」
小首を傾げながら答える姿を見て、シルフィアもどう説明して良いのか分からないのだと察する。恐らく、彼女にとっては当たり前の行動だったのだ。習慣になっている事を改めて説明するのは得てして難しいものだ。
「問題ないよ、ありがとう」
聖剣を拾いつつ立ち上がるステインに合わせてシルフィアも立ち上がった。
「その剣に魔気を流し込めば良いんだよね?」
「そうなんだけど、もう少し僕の我が儘を通させてもらうよ」
聖剣をシルフィアの視界に入らぬよう体で隠す。彼女にはその行動の意図が分かりかねたのだが、ステインの真っ直ぐな視線を前にした途端、疑問は腹の底へ落ちていった。
「文字には無い想いを知りたいんだ」
力を授かり、使い熟すだけならば、鍛錬を積んだ人間なら誰でも可能だ。だが、それは結局のところ借り物の力に過ぎず、全を動かすことは出来ても個には届き得ない。だからこそステインは目の前にある力に手を伸ばさず、有りの儘の自分でフライカイツに挑み続ける。
ここで四大の力を使ってしまえば、フライカイツと剣を交えることは出来なくなってしまうかもしれない。そうなってしまえば“忌み姫と神獣”の真意を知る機会を失うことになる。フライカイツ……クヨーラの性格上、進んで身の上話をしてくれるとは思えないのだが、こうした戦いの中で人間の愚行を見せ付ければ思いの丈を打ち明けてくれる可能性がある。これまでも戦いこそしなかったが、ステインの愚考に対してクヨーラは内に秘めた蟠りが溢れ出そうになっていた。それが純粋にシルフィアへ対する愛情から来るものであったなら、それはそれで良し。もし物語りに書かれた事が本当なのだとしたら、人間に対して思う事がある筈だ。
一国の王子として、一人の空魔精錬術師として、この国に生きる者全ての想いを背負う義務がある。だからこそステインはフライカイツへ挑み続けるのだった。




