第37話 解放の四重奏
神崎家の応接間に関係者が集まっていた。
いかにも室内楽という雰囲気のファミリー演奏会だった。咲奈は孝幸の幼い子供を抱いて、ソファの端に座っている。康介と澄子は静かに椅子に腰を下ろし、演奏の準備を見守っていた。
四人は楽器を構えた。由美と由佳がバイオリン、克己がチェロ、孝幸がピアノ。学生時代の学園祭で演奏した編成だった。
音が流れ始めた。
由佳はバイオリンを弾きながら、ふと孝幸の顔をちらりと見た。ピアノの旋律が静かに、しかし確かに彼女の音を導いている。自分はこの男の伴奏に、ずっと踊らされていたのではないか——そんな考えが、不意に浮かんだ。
ただの伴奏だと思っていた。だがそれは自分にとって、逃れられない何かだった。
孝幸の横顔は美しく、心を打たれた。そんな自分の気持ちを素直に意識したとたん、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。ああ、なぜもっと早く気がつかなかったのだろう。
由佳はピアノの旋律に導かれるように、バイオリンを奏で続けた。
そのとき、ふいに克己の力強いチェロの音が、由佳の心をとらえた。力強く、かつ優しさを湛えた音色。由佳はそれに、自然と心を委ねた。
不思議なことに、由佳は不意に自分が自由になった気がした。長年自分を縛っていた何かから、心が解放されたように感じられた。
由美の優しいバイオリンの音色と、自分の音が重なり合う。心が、ふわりと舞い上がる。隣で演奏する由美を意識したとき、由佳は気づいた。
自分は幸せだったのだと。
何かが変わった。由佳はそれをはっきりと感じて、静かに涙を流した。涙は頬を伝い、床に落ちた。誰にも気づかれないほどの、小さな滴だった。
演奏が終わった。
余韻が部屋に残る中、皆が同時に顔を上げた。
「楽しかった」
誰からともなく、そんな言葉が漏れた。
由美が由佳に近づき、そっと抱きしめた。克己も笑顔で近づき、孝幸も珍しく柔らかい表情を浮かべた。
皆が、それぞれの距離を保ちながらも自然と抱き合った。
由佳は涙の跡を残したまま、静かに微笑んだ。
この四重奏は、過去の計算も、償いも、執着も、すべてを超えて、ただの音楽として響いていた。
由佳は初めて、自分の心が自由であることを知った。
――第1部・終――
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