第1話 深夜の電話
スマートフォンが、静寂を切り裂くように鳴った。
午前二時十七分。画面に浮かんだ番号は、見知らぬものであった。由佳は、原則として知らぬ番号からの着信には応じないことにしていた。しかし、午前二時という時刻は、ほとんど例外なく不吉な報せを運んでくる。良い知らせである可能性は、きわめて低い。
「神崎由佳さんでいらっしゃいますか?」
落ち着いた女性の声がした。感情の起伏を職業的に抑え込んだ、事務的な響きである。病院か、さもなくば警察――由佳は即座にそう判断した。
由佳はしばらく、何も答えなかった。一秒か、二秒か。
「そうです」
「こちら、市民病院の救急外来です。神崎由美さんの緊急連絡先に登録されていらっしゃるのですが……」
妹の由美が、薬物を大量に摂取して意識を失ったという。
「承知しました。すぐに参ります」
電話を切ると、由佳はクローゼットを開け、紺のスーツを取り出した。着替えながら、机の上の写真立てに視線が止まった。
由美が十一歳、由佳が十三歳の夏休み、家族で海へ出かけた日に撮った写真である。由美は由佳の両手をしっかりと握りしめ、カメラに向かって無邪気に笑っている。由佳は笑っていなかった。ただ、妹の横顔を静かに見つめていた。
由佳はコートを羽織り、部屋を出た。
廊下にはすでに明かりが灯っていた。両親がそこに立っている。父の康介は口をへの字に結び、視線を床に落としていた。母の澄子は目元を赤く腫らしている。由佳の姿を見るや否や、澄子が震える声で言った。
「由佳、由美が……」
「知ってるわ」
由佳は静かに遮った。
「私にも病院から連絡があったから」
「一緒に行こう」と康介が言った。
「結構です」由佳は答えた。「お父さんたちは、明日になってから来てください」
「しかし――」
「明日にして」と由佳は繰り返した。
澄子が堪えきれずに泣き崩れた。
「私たちのせいだわ、あなた。私たちが由美を追い詰めたのよ……」
康介は無言のまま、さらに深く目を伏せた。由佳は両親の姿を、ほんの一秒か二秒、じっと見つめた。
「明日、早めに来て」
玄関のドアを開け、外へ出た。ドアを閉めた瞬間、由佳は足を止めた。十一月の夜気が、冷たく首筋に触れる。
由佳は一度だけ、目を閉じた。涙が、静かに頬を伝った。
タクシーを呼び、由佳は歩き始めた。足音だけが、夜の街に小さく響いた。
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