32 江戸の町に平和が戻ってよかったと思う美津であった
私はどきどきしながら通りの隅に立っていた。
自分で言い出したものの、本当に現代みたいに上手くいくかはわからない。というか、現代では見たことはあるけどやったことはなかった。
「ぐうう」
緊張で謎の声を出してしまう。
「どうした、美津。大丈夫か?」
隣に立ってくれている清太郎が心配そうに私の顔をのぞき込んでくる。
そのとき、ちゃりんと自分の手元で音がした。
私はパッと顔を上げる。
そこには笑顔の男性がいた。
「あ、ありがとうございますっ」
お礼を言ってからぶんっと頭を下げる。
「「「ありがとうございまーす」」」
私の声に連動して子どもたちも声をあげる。
私の持っている募金箱にお金を入れてくれた人がいたからだ。
「ありがとう、ございます」
清太郎もぎこちなく頭を下げている。募金の話をしたら自分から手伝うと言って隣にいてくれているのだ。
今私たちは通りの隅で寺子屋の子どもたちと一緒に募金活動を行っている。もちろん、先生も一緒だ。
そして、この人が募金してくれた一人目だ。
「おう、がんばれよ」
募金をしてくれた男性はにっこり笑うと立ち去っていった。
私はほうっと息を吐く。
「よかったな。本当に入れてくれる人いたじゃねぇか。つーか、よくこんなの思いついたな」
清太郎に言われて、えへへ、と私は笑う。
「すごいです。お嬢様」
清太郎と逆側の、私の隣に同じく募金箱を持って立っている弥吉が私をキラキラした目で見上げる。
「長屋に白浪小僧が来なくなったからって、普通こんなこと考えつくか? しかも、白浪募金だぞ。箱にまで書いてるしよ。しかも、のぼりまで立てやがって」
清太郎の言うとおり、私たちの立っている横には、
『白浪募金 あなたも白浪小僧になりませんか?』
『貧しい子どもたちを寺子屋に行かせてください!』
と白い布に墨で書いたのぼりが立っている。
「なに堂々と盗賊の名前なんか付けてんでぃ」
「わっ! 豊次さん!!」
清太郎と話していたら、唐突に豊次さんの声がして飛び上がりそうになった。いつの間にか、隣に立っていたようだ。今日の豊次さんは岡っ引きの姿をしている。
「お役目ご苦労様です」
「おう」
先生が豊次さんに声を掛けて、豊次さんも普通に返事をしている。なんだか気まずいのは私だけだろうか。見ていてひやひやする。
だけど、二人が知らないふりをしてくれるのはありがたい。
豊次さんが見逃してくれなかったら先生は今ここにいなかった。豊次さんには感謝しかない。
「ま、でも、いなくなった白浪小僧の代わりに貧しい人たちに金が届くようにする、なんて粋じゃねぇか。名前はともかく、いいと思うぜ」
「えへへ」
そう、これは私がお金の問題を解決するために提言したのだ。
みんなで白浪小僧の代わりになりませんかって。
最初は首をひねっていたけれど、頭のいい先生のことだ。すぐに理解してくれた。
「お、俺も一つ入れていくか。あなたも白浪小僧になりませんか、なんて言われちゃあなぁ」
「ありがとうございます!」
通りすがりの男性がまた募金箱にお金を入れていってくれた。さすが江戸っ子だ。
「へぇ、白浪募金? あたしも一つ入れていこうかね。少なくて悪いけどさ。子どもたちのためといわれちゃあね」
「そんなっ! ありがたいです!」
「そうかい?」
今度は年配の女性が入れてくれた。
一人募金してくれる人が現れると、その後は次々に人が来てくれた。
ありがたい。ありがたすぎる。
「それにしても、今じゃ白浪小僧は二人いたなんて言われてるよな。俺も変だと思ってんだ。貧しい人にお金を配ってた白浪小僧と、殺しをしていた白浪小僧が同じなんて思えねぇし」
清太郎が呟く。
清太郎の言ったとおり、今の江戸ではそれが噂になっている。偽の白浪小僧が捕まってから江戸の町での押し込み強盗はぴたりとなくなった。その代わり、本物の白浪小僧出なくなってしまったわけだが。そのおかげで偽白浪小僧が出なくなったことにも、実は本物の白浪小僧が関わっているんじゃないか、なんて囁かれている。
「本当にあの日は美津が無事でよかったぜ」
「うん」
「うん、じゃねぇよ。心配掛けやがって。って俺は無理矢理家に帰されててその場にいなかったわけだけどよ」
ぐぎぎぎと清太郎が頭を抱える。本気で悔しがっているようだ。
「心配してくれてありがとう」
「ん、でもよ。どこに行っちまったんだろうな。本物の白浪小僧はよ」
「あーーーー」
清太郎に聞かれて私は言葉に詰まる。
「芝居に行くくらい好きだったのに、もう出なくなるなんて寂しいだろ」
「う、うん。ソウダネー」
まさかすぐそばにいますなんて言えるわけがない。
「ま、本物がまだ捕まってないなんていうならまた江戸の町を騒がすかもしれねぇし、あんまり気を落とすなよ」
「……ありがと」
私の棒読みを落ち込んでいると思ったらしい。
そこにずいっと豊次さんが入ってくる。
「馬鹿なこと言うんじゃねぇよ。白浪小僧は捕まえたんだ。もう出るわけねぇだろ」
「はぁ? それは捕まえねぇと沽券に関わるとか思ってる役人たちだけだろ。あんたら以外の江戸っ子はそうは思っちゃいねぇんだよ」
「なんだとぉ」
「ちょ、ちょっと、二人とも!」
私は慌てて火花を散らす清太郎と豊次さんの間に入る。
そして、豊次さんに目配せした。もちろん、ありがとうの意味だ。多分、伝わっていると思う。
「ま、嬢ちゃんがそう言うなら、しょうがねぇな」
「なんだぁ、やらねぇのか?」
ガンを飛ばし合いながら、清太郎も殴りかかるような素振りは無い。
こんなところで岡っ引きと町人がケンカしていたらそれこそ騒ぎになる。
先生は微笑みながら二人の様子を見ている。
いつものように笑っているように見えるけれど、先生は豊次さんと目が合うとぺこりと頭を下げた。
先生もきっと豊次さんにすごく感謝しているのだと思う。
私だってわかる。
豊次さんはわざと白浪小僧は一人だと思わせるように言ってくれた。先生に万が一にも嫌疑が掛からないようにしてくれているのだと思う。二人いた、という事実は噂のままにしておけばいい。時代劇では義賊にはそんな噂は付きものだ。
「ああ、そうだ。お美津さん、これ」
「?」
豊次さんと清太郎がにらみ合っているうちに、先生がなにかを差し出してくる。
「あ」
先生が持っているそれに、見覚えがあった。
「ずっとお借りしたままでしたから、なかなか返せなくてすみません」
「そんな、私、今まで忘れてました」
あは、と私は笑う。本当に忘れていた。
先生が持っているのは、初めて白浪小僧に会ったときに渡した手ぬぐいだった。
「一応、綺麗に洗ったつもりですが」
「わざわざありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。借りたのは私の方ですし、お礼を言われるなんておかしいですよ」
ふふ、と先生が笑う。
「本当にありがとうございます」
「ただ手ぬぐいを貸しただけなのに、そこまで言われると照れちゃいます」
「いえ、この募金のことですよ。それと、色々ですかね」
「ああ」
色々とぼかして言ったのは聞かれるとまずいことだからだ。
白浪小僧をやめて寺子屋の先生に専念することとか。きっと、先生のおとっつぁんのことも。
「えへへ、そんなたいしたことしてないです。本当にすごいのは先生だし」
先生と私は顔を見合わせて笑う。そこに、
「おい、なに楽しそうに話してんだよ」
「わっ!」
突然清太郎が話しに入ってきて私はびくりとしてしまう。
普通に話していたけれど、手ぬぐいのこととか聞かれていただろうか。聞いていても、あれだけでは先生が白浪小僧だとはわからないと思うけれど、ちょっと心配になってしまう。
「なんだよ、その手ぬぐいは」
「あ、えーと。その、内緒!!」
「お嬢様、なんの話ですか?」
「だから、内緒だってば」
「美津。お前、まさか寺子屋の先生と……」
「え? 先生と、なに?」
「ちょ、ちょっと待てよ!? 本当にか?」
「え? え? お嬢様、まさか……」
「どうでしょうねぇ」
なぜか私に詰め寄ってくる清太郎と弥吉に、先生がとぼけた声を出す。
まさか、二人とも先生を白浪小僧だと疑っていたのだろうか。
先生の正体を知っている豊次さんは苦笑いしている。
先生としては、強く否定してもおかしいし、はぐらかすのが一番だと思っているのかもしれない。
それでも、はっきり言わなければバレることも無いだろう。
それと、実はあの後、どこかの偉い人が自分の私腹を肥やすために偽白浪小僧を裏から操っていたとかなんとか豊次さんから聞いたのだが、それはまた時代劇でよくある話。
きっと私の知らないところで悪者顔の人がふははしていたんだろう。それはそれで見てみたかった。
ともあれ、今回も平和な江戸の町が戻ってきてよかったと思う美津であった。




