表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第二章 特命 名無しの権兵衛を探せ!
7/74

特命 名無しの権兵衛を探せ!(3)

『仲間探しの方は順調ですの?』

こちらの苦労も知らず、リヒトが呑気(のんき)な顔で訊ねてきた。

存在そのものも含めていろいろと不思議な力を持っている彼女だが、さすがに現実世界でのことについては、陽千香から話を聞く以外に把握する術がないようだ。陽千香はふわふわと宙を漂っているリヒトに目を向けると、小さく肩を(すく)めて答えた。

「やれるだけのことはやってるつもりだけど……上手くいくかどうかはまだ分からないわね。いかんせん手がかりがなさすぎるから」

『問題ありませんわ。引力の効果は確かです。陽千香が仲間を求めて行動を起こしていれば、相手の神子も必ずそれに応えますわ』

「だと良いんだけど……」

(にわ)かには信じられないが、かといって否定できる要素もない。今は彼女の言葉を信じて、仲間の反応を待つより他になかった。

校舎北側に並ぶ特別教室を通り抜けると、陽千香はそのまま渡り廊下へ出た。体育館を始めとした運動施設へは、この渡り廊下から行くことができる。陽千香は少し迷ってから、脇にある外階段に足をかけた。

金属の板を踏む音が(くら)い空の下に響く。最後の段を登り切ると、広い踊り場の左右に金属の扉があった。プールへの入口だ。この先は更衣室で、男女別々の入口から入るようになっている。誰もいないことが分かっていても、やはり男子更衣室に入るのは(はばか)られて、陽千香は女子更衣室側から中に入った。更衣室には消毒された水のにおいが充満しており、これが苦手な陽千香はいつもより早足でプールの方へ向かった。

時折(したた)る水滴を避けながらシャワーの下をくぐると、目の前に水面が広がった。なみなみと水を(たた)えたプールは月光を受けて青く光り、風に撫でられた表面が静かに波紋を描いている。

わざわざ足を向けてみたが、どうやらここに悪魔の姿はないようだ。早々に他の場所へ向かうべく、陽千香はプールに背を向けた。

――ぴしゃっ。

水たまりを踏むような音がしたのはその時だった。陽千香は慌てて振り向き、周囲に視線を巡らせた。だが、そこには先ほどまでと同じ、穏やかなプールサイドの景色が広がっているだけだ。

決して聞き間違えではないはずだ。自分に宿る神子の力が、悪魔の気配を感じてひりついているのが分かる。近くの壁に背を預け、正面に剣を構えて奇襲を警戒する。

と、()いでいたはずの水面が突然()き上がり、水の柱となって天へ伸びた。驚いた陽千香が視線を上げると、柱の先端、最も空に近いところから、無数の雫が降り注ごうとしていた。

ただの水。それが甘い考えだったことはすぐに理解できた。陽千香の脇へ逸れて壁に当たった一条の水滴は、まるで弾丸か何かのように弾け、壁に小さな穴を穿(うが)った。こんなものが身体に当たりでもしたら――。

陽千香は屋内に逃げ込むべく、濡れたプールサイドを駆けた。砂のような素材で覆われた床は足を滑らせる心配こそないが、地を転がって攻撃を避けるのにも不向きだ。次々と落ちてくる水の弾のうち、自分に向かって飛んでくるものだけを剣で打ち落としながら、陽千香は何とか更衣室の入口に辿り着いた。弾の届かない奥の方まで駆け込み、壁越しにプールの方を確認する。水の柱は陽千香を追うように地面の方へ伸びてくると、ようやくその本性を現した。

腰から先が波打つ水に覆われた、美しい女性の姿。その表情は西洋人形のように整っているが、同時に無機質で冷たくもあった。細く長い髪が胴や腕に絡みつき、何とも妖艶(ようえん)な雰囲気を(かも)している。それらを構成しているのは全てが水であり、透き通ったその姿はさながら水晶の彫刻のようでもある。

まるでおとぎ話に出てくる人魚のようだが、姿が美しいからといって悪魔の本質は変わらない。感情のない視線がこちらを捉えたのを察すると、陽千香は更衣室の反対側へと駆け抜けた。

金属扉を開けて階段を下って行く途中、背後から水の押し寄せる音が聞こえた。狙いどおりに追って来ている。このまま引き付けて、こちらに有利な場所で迎え撃つ。

階段を降りた陽千香は、校舎の方へ向かって渡り廊下を走った。屋外が不利なのは先ほどの攻防で理解した。校庭は真っ先に除外すべきだし、天井に高さのある体育館も同様だ。校舎内であれば上空からの攻撃は封じられるし、遮蔽物が多いから飛び道具にも対応しやすい。

特別教室区画の廊下をいくらか進んだところで、陽千香は足を止めた。振り返ると、自分の足跡を掻き消すようにして水が地面を這ってくる。流れは徐々に強まり、やがて洪水のような勢いで陽千香に襲い掛かってきた。

「リヒト!」

陽千香は相棒の名を呼びながら床を蹴り、天井目がけて飛び上がった。陽千香を呑み込もうとした水の塊を飛び越えて着地すると、背後で甲高い声が響く。

『光よ!!』

目眩(めくら)ましの強烈な光が炸裂し、廊下全体を白く染める。腕で光を遮りながら振り向くと、人魚はすっかり目を()かれたようだった。本性を(さら)してもがいているところへ、陽千香は銀の一閃を(はし)らせた。

――が。

「いっ……!?」

思わず呻いてから、即座に身を(ひるがえ)して階段へ逃げる。

水を刃物で斬る、その手応えのなさ。考えてみれば当たり前の話ではあるのだが、御使いの力を具現化したこの武器なら、その手の物理法則くらい何とかなるだろうと漠然と思っていた。その楽観的な想定が見事に外れた。

階下で再び水が動き出す音がして、陽千香は焦りながら空中に目をやった。

「リ、リヒトっ、前みたいに結界とか張れないの!?」

しかし頼みの綱の御使いは首を激しく横に振り、陽千香以上に焦った様子で答えた。

『む、無理ですわ! あの時は予め準備していたからあんな高度なことができたのであって、いきなり言われてできる芸当ではないですわ!』

そうこうしている間にも、水は陽千香を追って階段を迫り上がって来る。

陽千香は三階まで駆け上がると、廊下を走りながら何か良い手がないか考えた。普通教室には大して役立ちそうなものは置いていないだろう。化学室あたりなら何かあるかもしれないが、悪魔の追跡から逃げ回りながら部屋を物色するような余裕はない。これというものに思い至らないまま廊下の突き当りにぶつかり、陽千香は再度階段を下りた。水の音はそう遠くないところから陽千香の後に続いている。下り続けるのは危険だと判断し、二階に着いたところでまた廊下に逃げる。

このままでは(らち)があかない。それにプールを出てから向こう、陽千香はずっと走りっぱなしだった。長引けば体力が保たなくなるのは必至だ。水を斬る方法を探すどころか、悪魔から逃げることすらできなくなってしまう。

防戦一方の状態に歯噛みしながら廊下の角を曲がる。途端、軽い衝撃とともに陽千香の全身を冷たい感覚が包んだ。

――水。背中に強い衝撃を喰らったのは、相手の正体に気付いたのとほぼ同時だった。ごぼり、と音を立てて、自分の口から空気が漏れる。陽千香を捕らえた水が、流れてきた勢いもそのままに廊下の壁に激突したのだ。水なら周囲に飛び散って衝撃を分散できるだろうが、実体があるこちらにはこの攻撃はひとたまりもない。

陽千香は水から出ようともがいたが、悪魔もそう簡単に逃してくれる気はなさそうだった。水の中から人魚の手が伸びてきて、陽千香を溺れさせるべく足を引っ張ってくる。邪魔をする手に剣先を突き立てようとするが、やはりこちらの攻撃は通じないようだった。

限界だった。陽千香の口から、肺に残っていた全ての空気が(こぼ)れていく。新たに酸素を取り込むこともできず、少しずつ意識が遠退(とおの)き始める。

朦朧(もうろう)となりながら、水の外に向けて手を伸ばしたその時、どこかから聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ