Dear My Brother(8)
「本当にこのまま帰っちゃって大丈夫? 何なら私、ご飯の支度ぐらい手伝っていくけど……」
改札の前で振り返りながら問うと、蒼真は黙って首を振ってみせた。
あの後。蒼真が落ち着くまで部屋で一緒に過ごした陽千香は、蒼真に見送られて駅までやって来ていた。蒼司の一件以来、やはりまともに休んでいなかったらしい蒼真は、陽千香にもたれかかったままようやく少し眠ったようだ。目を覚ましてはたと時間の経過に気付いた彼は、もう遅いからと慌てて陽千香を帰しにかかった。どうせ兄に迎えに来てもらうつもりでいた陽千香は、蒼真が休んでいられるようにあれこれ手伝っていこうと考えていたのだが、蒼真は頑として譲らなかった。多分、寝姿を晒した照れ隠しもあったのではと思う。押し切られる形で志筑家を後にし、こうして駅まで来たは良いが、フラフラの蒼真を残して帰るのはやはり少々忍びなかった。
「お母さま、あんまり帰って来ないんでしょう? 一人だと大変じゃない?」
「家事ならお袋よりよっぽどマシにできる……心配しなくて良い」
そう答えてから、蒼真は僅かに視線を外した。躊躇うような沈黙の後、こちらと目を合わせないままで呟く。
「……迷惑かけて悪い」
「気にしないで。私こそ、勝手に押しかけちゃってごめんね」
頭を振って答える陽千香に、蒼真は少しほっとしたような表情を見せた。顔色はまだだいぶ悪いが、どこか憑き物が落ちたような顔をしている。食べるものを食べてしっかり休めば、学校にはすぐ戻って来られるだろう。
問題は界境世界の方だったが、陽千香が敢えて言い出さずとも、蒼真には分かっていたようだ。
「頭ん中、整理できたら……ちゃんと戻るから」
「……うん。待ってる」
長いこと自分を苦しめてきた罪悪感の呪縛から抜け出すのは、決して簡単なことではないだろう。だが、それは蒼真一人で闘おうとすればの話だ。陽千香を、仲間のみんなを頼ってくれれば、自分達はいつでも蒼真に応える。蒼真がそのことに気付いてくれたのなら、後は彼が前に進もうとするのを信じて待つだけだ。
陽千香が頷いたきり、会話に暫くの間が空いた。まだ何か言いたそうにしている蒼真に気付かなかった振りをして、陽千香は片方の爪先を改札の奥へと向けた。
「それじゃ、私そろそろ行くわね。学校、来れるようになったら連絡してね」
「綾藤」
踏み出しかけた足を止めて振り向く。首を傾げながら見つめる陽千香に、蒼真は囁くような小声で言った。
「……ありがとう」
陽千香は一瞬呆然と彼の顔を眺め、そして笑った。
「どういたしまして。……ねぇ」
身体の後ろで手を組んで、つい緩んでしまう口元をごまかすように身を捩る。
「初めて綾藤って呼んでくれたわね?」
言われた瞬間、蒼真は呆けたようにこちらを見ていた。散々お前呼ばわりしていたのに、自覚はなかったのだろうか。声を立てて笑うと、陽千香は踵を返して肩越しに手を振った。
「またねっ!」
改札を抜けて駅の構内に入り、ホームを目指して歩いて行く。階段を上がる手前で振り返ると、蒼真はまだ改札の外で陽千香のことを見送っていた。ホームの方から電車の到着を告げるアナウンスが聞こえる。最後にもう一度手を振って、陽千香は階段を駆け上がった。




