Dear My Brother(7)
蒼真は俯いたまま拳に力を込めた。白くなるほど握り締められたそれは、何かを堪えるように小刻みに震えている。
「何で放っといてくれなかったんだ……!」
それは、陽千香に向けられた言葉だった。
「これまでずっと平気だったのに……一人でも何とも思わなかったのに……お前が来てからおかしくなった、台無しになった! あいつはそれを見透かしたんだ! 俺が、あいつへの誓いを破ってお前らと一緒にいるようになったから、裏切ったって思ったんだ! だからあんな風に言ったんだ、俺に……手放せって言うために!!」
血を吐くようなその叫びが悲しくて、陽千香は思わず目を伏せた。
蒼司に許されるために孤独になることを選んだ彼は、陽千香と出会って孤独を失った。これは彼の罪悪感が見せた幻だ。蒼司の意思とは無関係に、蒼真の心が生み出した闇なのだ。蒼司に許されるためには全て手放さなければならない。そんな強迫観念が、蒼司の問いかけによって蒼真の心を蝕んだのだ。
だが、蒼司は本当にそんなことを望んでいたのだろうか?
蒼真の立てた誓いを、蒼司は知らないはずだ。だとすれば、蒼司の言う"約束"は、蒼真が思い込んでいるものとは全く別物の可能性がある。蒼司の真意を確かめるためには、やはり直接本人に会うしかない。
「蒼司くんに会いに行きましょう? 蒼司くんが本当にそんなことを望んでいたのか、ちゃんと話して確かめないと……」
蒼真は、それでも首を横に振った。
このままでは駄目だ。問題なのは蒼真の心。彼が正面から罪悪感と向き合おうとしない限り、蒼司の幻は永遠に彼を苛み続けるだろう。このままいけば、蒼司もまた悲惨な結末を迎えることになる。悪魔に捕らわれたまま、いずれ訪れる終わりの時まで、夢の世界を彷徨い続けるのだ。
救いのないシナリオを書き換えるためには、どうしても蒼真を説得する必要がある。何か彼を説き伏せられるようなものはないだろうか。蒼司への罪悪感を越えて、蒼真の心に入り込めるようなものが。
――ある。たった一つだけ、思い当たるものがある。事故以来止まっていた蒼真の時計の針を動かし、頑なな沈黙の中から蒼真の言葉を引き出し、今もこうして、心の奥底の叫び声を受け止めているもの。
みんなに散々勇気をもらって来たではないか。陽千香の言葉なら届く、と。受け入れてはもらえないかもしれない。それでも、ほんの一瞬蒼司を上回ることができるなら。
陽千香は目を閉じて深呼吸をすると、頭を抱え込んだままの蒼真をひたと見据えた。暴れる心臓を抑え込み、緊張に震える声で囁くように言う。
「前にした約束、覚えてる……?」
蒼真はほんの僅か顔を上げ、腕の隙間から覗くように陽千香を見た。不審げな目をした彼に微笑いかけ、陽千香は先を続けた。
「病院で蒼司くんのこと打ち明けてくれた時、私言ったわよね? 志筑くんのこと支えるって。友達なんだから当然だって。……あの時私、ちょっとだけ嘘ついたの」
それはほんの些細な嘘。蒼真のために押し殺した、陽千香の本当の気持ち。
「最初の頃はそうだった。志筑くんに助けてもらって、その恩返しのつもりだった。でも、何度も顔を合わせるうちに、志筑くんが優しい人だって分かった。志筑くんの寂しそうな顔を見るたびに、何だか切ない気持ちになった。私で良ければいつでも話聞くのになって……頼ってくれて良いのになって、ずっと思ってた。だから、話してくれて嬉しかった……おかげで私……もっとあなたの役に立ちたいって、そう思えたから」
蒼真は、戸惑ったように陽千香を見ていた。何のことを話しているのか分からない、そんな様子の彼に向かって、陽千香はめいっぱいの笑顔を向けて告げた。
「友達だから助けたいんじゃない。志筑くんが好きだから、誰より力になりたいの」
一瞬。蒼真の顔がキョトンとあどけなく呆ける。動揺も露わに見開いた目が、見る間に苦しげに歪んでいく。
「……そん、なの……」
掠れた声が、弱々しく空気を揺らした。蒼真がそれ以上言う前に、陽千香は緩く頭を振る。
「答えが欲しいわけじゃないの。私が言いたかったのは、私はいつだって志筑くんの味方だってこと」
真面目で、弟想いで、それゆえに独りぼっちになってしまった少年。周りがどんな色眼鏡で見ようとも、自分だけは傍にいてあげたい。
「お願いだから、一人で抱え込もうなんて思わないで。何があったって、志筑くんのこと一人になんかしないから。私が一緒に背負うから。蒼司くんを助けるためにも、一緒に蒼司くんに会いに行きましょう……?」
ひゅっ、と。蒼真の咽喉から、細く息を吸う音が聞こえた。その小さな音は、陽千香の耳には助けを求める悲鳴のように聞こえた。
陽千香は両手を伸ばし、蒼真の頭を抱え込むと、そっと自分の方に引き寄せた。身を硬くして離れようとする蒼真を軽く留め、頭を肩の上に乗せてやる。
強張っていた身体の力が抜けていく。肩に感じる重みが増し、微かな震えが伝わってくる。抱き締める腕に力を込め、陽千香はそのまま、蒼真の感情が静まるまでじっとしていた。




