Dear My Brother(4)
奈緒達の協力のおかげで、蒼真の自宅の場所が分かった。送ってもらった画像から住所を読み取り、そこへ至る大まかな経路を調べてから、荷物を片手に教室を飛び出す。
あまりに急ぎすぎたせいか、階段を駆け下りる途中、すれ違った生徒と肩がぶつかってしまった。慌てて謝った陽千香は、相手の顔を認識するなり、目を見開いて声を漏らした。
「飛鳥先輩……?」
「やあ、今帰り?」
ぶつかったことなど意にも介さず、良一は温和な笑顔を向けてきた。
「今しがた、圭介君から連絡もらったよ。これから行くの? 志筑君の家」
「……はい」
陽千香はその問いかけに頷くと、真っ直ぐに良一の目を見て言った。
「前に、仰ってましたよね。やった後悔より、やらなかった後悔の方が後に響くんだって。今少しでも自分にできることがあるなら、考える前にやってみようと思ったんです。上手くいく保証はないけど、それと同じくらい、上手くいかない保証もないんだもの。やらずに後悔なんてしたくない」
良一は、暫く驚いたような顔で陽千香のことを見つめていた。やがてふっと表情を緩めると、安心したように微笑って言った。
「良かった。ようやく"らしく"なってきたみたいだね」
「え?」
首を傾げる陽千香に、良一は頬を掻きながら言った。
「ここのところ、志筑君のことでずっと塞ぎ込んでたじゃない? 綾藤さんが元気ないと、みんなで集まっても何だか静かな気がしてさ。圭介君が盛り上げようとしてもいまいち空回りしちゃうし、久我君も何となくぼーっとした感じで、いつもみたいな切れがないし。みんな綾藤さんを中心に集まって来たから、君がいないとまとまらないみたいだ」
「そ、そんな……買い被りですよ」
良一の言葉に、陽千香は慌てて両手を振った。人の中心に立てるほど、自分は大それた人間ではない。
だが、良一は緩やかに首を振って続けた。
「そんなことないよ。何だかんだ言いながら、みんな綾藤さんのことは信頼してる。……だからちょっと悔しかったんだ。綾藤さんが困ってる時に、何にも力になってあげられなくて。生徒会長なのにな、オレ」
「あ……」
陽千香は息を漏らすと、込み上げてきたものをぐっと抑え込んだ。蒼真の力になれない自分のことを嘆いてばかりで気付かなかった。自分はこんなにも、周りに心配をかけていたのだ。
きっとみんなそれぞれに、陽千香の力になろうと頭を悩ませてくれていたのだろう。自分がどれほど周りに支えられているのかを思い、陽千香は感謝の念でいっぱいになった。
良一は言った。
「結局、オレは応援してあげるくらいしかできなそうだけど……いつもの綾藤さんに戻ったのなら、心配しなくても大丈夫だよね?」
「……はい」
微笑みかけてくる良一の目を真っ直ぐに見つめ返し、陽千香は一度しっかりと頷いた。良一はそれに頷き返し、背中を押すように笑う。
「行ってらっしゃい。志筑君に届くと良いね、綾藤さんの声」
「はい!」
そう応えると、陽千香は会釈一つを残して踵を返した。
正面玄関で靴を履き替えている途中、誰かに呼ばれた気がして振り向いた。廊下の方から息を切らして駆け寄って来る小柄な人影が一つ。頭の左右で揺れている二本の尻尾が目に入り、陽千香はローファーを手に持ったままで声を上げた。
「あやめちゃん?」
「良かった……間に合いました……っ」
荒い息の合間にそう言ったあやめは、手に提げていた紙袋を陽千香の方に差し出してきた。受け取った手にちょっとした重量感。何かと思って中を覗き見ると、ジュースやゼリーなど食料品の他に、いくつかの医薬品の箱が詰まっていた。
「げ、元気ない時でも咽喉を通りやすいものとか、眠れない時のお薬なんかを入れてみたんです……志筑先輩にお会いできたら渡そうと思って用意してたものなんですけど……綾藤先輩、これから志筑先輩のお家に行くって、圭ちゃんに聞いたので……」
「これ全部、志筑くんのために……?」
陽千香が問うと、あやめはこくりと頷いた。
「わたし……志筑先輩のこと、まだあんまり知らないし……大した取り柄もないから、他の皆さんみたいにお手伝いできることも少ないですけど、せめてこれくらいはと思って」
「ありがとう……! 志筑くんも喜ぶと思う。渡しておくわね」
陽千香が紙袋を掲げて笑うと、あやめはまだ何か言いたそうにもじもじと手を動かしていた。促すように首を傾げる陽千香に、彼女は意を決したように口を開く。
「わたし、人見知りだから……志筑先輩の今の気持ち、ほんのちょっとだけ分かる気がするんです。独りぼっちでいる時に、誰かに優しく話しかけてもらえるのって、すごく嬉しいんです。でも、友達の輪から離れて、また独りぼっちになると……不安で、怖くて堪らなくなるんです。志筑先輩、わたし達と一緒に過ごすようになってから、ちょっとだけ嬉しそうに見えたのに……今は無理やり、独りぼっちに戻ろうとしてます。そんなの……そんなの、悲しいです」
そこまで言って、あやめは顔を上げた。頼りなげに八の字に下がった眉とは裏腹の強い瞳。真っ直ぐこちらを見上げた彼女は、緊張に震える声で言った。
「わたしじゃ、何のお役にも立てませんけど……綾藤先輩の言葉なら、きっと届くと思うんです。どうか志筑先輩のこと、助けてあげてください……!」
陽千香は紙袋の持ち手を握り締めながら思った。
自分だけじゃない。蒼真だって同じくらい、みんなから心配されている。一緒に過ごした時間が短くても、交わした言葉が少なくても、仲間としてみんなに認められている。蒼真は知っているだろうか? 自分がこれほど、誰かに気にかけてもらえているということを。伝えなければいけない。みんなの気持ちを届けるのは、陽千香に任された役目なのだから。
あやめの想いをしっかりと受け取り、陽千香は力強く頷いてみせながら応えた。
「もちろんよ!」
校門を出て駅に続く道を走る。信号待ちをしている間にスマートフォンに着信があり、画面を見ると貴則からの電話だった。彼からの電話だなんて珍しい。画面をタップして通話に切り替え、スピーカーを耳に当てる。
「はい、綾藤です」
『志筑君の家に行くんだってね』
挨拶抜きで本題に入るところがいかにも貴則らしい。信号が青に変わったのを確認した陽千香は、足早に歩き出しながら答えた。
「はい、今向かってる途中です」
『彼がそれを望んでると、本気でそう思うのかい?』
横断歩道を渡りきったところで足を止める。電話の向こうからは校舎内の雑音だけが聞こえている。陽千香は暫く沈黙した後、惑いのない声で答えた。
「志筑くんがどう思うかは関係ないんです。私が志筑くんを助けたいからそうするだけ。……これで答えになりますか?」
スピーカーから、くく、と小さな嗤い声がする。ほんの少しの間を置いて、貴則は満足そうに口を開いた。
『どうやら飛鳥君が言ってたことは本当だね。調子が戻ってきたらしい』
先ほどすれ違った良一は、あの後貴則のところへ行ったようだ。彼から話を聞いて、それで電話をくれたのだろう。
「もしかして、心配してくれてたんですか……?」
意外に思いながら訊ねると、貴則は呆れたような声で嗤った。
『まさか。中途半端な覚悟で藪をつつかれたら、事態がこじれると思っただけさ』
「わざわざ電話までかけてくれたのに?」
意地悪だと思いながらそう言ってみると、貴則は一瞬の沈黙の後でわざとらしく咳払いしてみせた。その話はそれで終わりとでもいうように声色を切り替えると、真面目な調子で先を続けた。
『……志筑君のあの様子を見る限り、弟クンに対して相当強い罪悪感を抱いてるはずだ。生半可な言葉は通じないよ』
「……ええ。分かってます」
今の蒼真は、蒼司への罪悪感に支配されてしまっている。そんな心に入り込むのは容易ではないだろう。それでも陽千香は、一緒に背負ってあげたいのだ。あの日にした約束を、蒼真に思い出して欲しいのだ。
陽千香の声に、こちらの覚悟を感じてくれたのだろうか。貴則はふっと笑うと、どこか安心したような口調で言った。
『だったら良いけどね。……ま、いざとなったらキミの本音でも伝えてみれば良いさ。少しくらい耳を貸す気になるかもしれないよ』
「へ……?」
思いがけない台詞に耳を疑う。貴則は、先ほどの仕返しとばかりに厭味ったらしく言って嗤った。
『おや、違ったかい? 随分な入れ込みようだから、てっきりそうかと思ってたんだけどねェ。ちなみに、薬袋君以外はみんな気付いてるよ。キミも大概分かりやすいよねェ』
「~~っ!!」
声にならない反論を、スマートフォンのマイクに向かってぶつける。道行く通行人が、不審な目で見ながら陽千香の前を通り過ぎて行った。
『じゃあね。健闘を祈ってるよ』
結局陽千香の反論を許さないまま、貴則は電話を切ってしまった。
「……もうっ!」
悪態をついてスマートフォンをポケットにしまう。だが、おかげで自分のやるべきことは明白になった。
陽千香は短く息をつくと、駅の改札目掛けて長い道程を駆け出した。




