特命 名無しの権兵衛を探せ!(1)
授業の終わりのチャイムが鳴るなり、陽千香は盛大なため息をついて机に突っ伏した。
突然神子に任命され、夜ごと他人様の夢の中で悪魔と戦うようになってから暫くが経った。神子の役目にも少しずつ慣れてきて、時には弱音も吐きつつ何とかやっていけそうだと思い始めた頃。陽千香の前には今、新たな難題が立ち塞がっていた。
仲間探し。悪魔退治と並行してリヒトに言い渡されている、もう一つの任務である。
軌道に乗り始めたとは言え、悪魔との戦いが危険なものであることには変わりない。今はまだ一人で何とかなっているが、今後強力な悪魔に出くわせばどうなるか分からない。陽千香の力が通じているうちに、同じく神子に選ばれた仲間を見つけろ、というのがリヒトの指示の大筋だった。
あの夢の世界に呼応した御使いは、リヒトを含めて六人。それは、相対する神子が同じ数だけ存在することを意味している。御使いの力だけでは神子を引き合わせることはできないというので、陽千香自身が何とかして仲間を見つける必要があるのだが、そのための前提にはかなりの無理があった。
――探せって言われても、顔も名前も分からない相手をどうやって探せば良いのよ……。
そんな方法、皆目見当も付かない。必ず陽千香の近くにいるはずだ、とはリヒトの談だが、果たしてどこまで信じて良いのやら。
唯一頼れるものといえば、リヒトが"引力"と表現した神子の特異な性質くらいのものか。彼女が言うには、神子に選ばれた者同士は、界境世界・現実世界のいずれを問わず、互いに引き寄せ合う性質を得るのだという。元々は、迷宮のごとき階層構造を持つ界境世界の中で、神子が同一の断面に集うための仕掛けらしい。その効力は無意識の精神領域に働きかけ、現実世界にも一定の影響を与えるそうだ。
曰く、対象とすれ違う回数が妙に増えるとか。曰く、対象が出入りしている場所に急に足を向けたくなるとか。リヒトから聞いた効果のほどは、泣きたくなるほどささやかだったが、今のこの状況では何もないよりマシというものだ。
現実世界で少しでも繋がりができれば、界境世界での引力はより強く神子同士を結び付ける。強まった引力は断面を越えて作用し、磁石が引き合うようにして神子を同じ場所へと導く。仲間が増えれば心強いのは間違いないし、何としても見つけ出したいところだが、そこに至る道のりはあまりに険しすぎるのだった。
先ほどよりはいくらか小さいため息をついてから、陽千香は自宅の鍵に付けたキーホルダーを指先で弾く。神子になるきっかけとなった封筒。その中に封入されていた銀の羽根に、市販のパーツを取り付けたものだ。五人の神子がどこの誰なのか今のところは見当もつかないが、相手からしてもそれは同じはずだ。見た目にそうと分かるような目印があった方が良いと考え、唯一それに該当しそうなこの羽根を持ち歩くことにしてみたのだ。もっとも、これも今のところ効果はなく、せいぜいクラスの女子の何人かから綺麗だと褒めてもらえただけだった。
「どうかした陽千香? なんかお疲れみたいだけど」
顔を伏せたままさらにため息を重ねていると、前の座席に座っている少女が耳ざとく気付いて振り返った。篠山有紀。陽千香の親友の一人である。腰まである黒のストレートロングが印象的な彼女は、アーモンド型の目に通った鼻筋の、いわゆる典型的美少女というやつだった。整った容姿の割に、その性格はいたってドライであり、物言いもはっきりしているため、周囲からはもっぱら"姐御"と恐れられている残念な美人でもあった。陽千香とは妙に馬が合い、一年の時に知り合って以来ずっと親しくしている。少し口うるさいところもあるが、面倒見がよく冷静な彼女は、いつでも陽千香の良き相談相手なのだった。
「別に、疲れてるってわけじゃないんだけど……」
陽千香は身を起こし、使い終わった教科書を机の中にしまいながら答えた。陽千香の物言いが曖昧だったせいだろう、有紀が怪訝そうに眉を寄せている。
ダメ元で相談してみるべきだろうか。有紀の目線を額に受けながら、陽千香は迷っていた。だが、いったいどう切り出せば良いのだろう。見ず知らずの相手を探したいなどという突拍子もない話をしたところで、有紀を困らせるだけのように思える。
かといって、このまま黙っているのも彼女を信用していないようで、かえって気が咎めた。陽千香は結局、正直に話してみることに決めた。
「あのね……顔も名前も分からない人を探すなんてこと、普通できっこないわよね……?」
「……妙なこと訊くね、あんた」
有紀は顔にかかった髪の一房を払いのけながら言った。
「まぁ、人探しって言ったら、普通は少なくともどっちかは分かってる状態で始めるだろうからね。何の情報もない相手を探すなんて、まるで警察が犯人探しでもするみたいな……何? いったいどういう話?」
眉間の皺を深めながら問う有紀に、陽千香は慌てて手を振ってみせた。
「大した話じゃないの。その……通学の途中、私を追い抜いて走って行った人が落とし物をしちゃって、声をかけようとしたんだけど間に合わなかったの。後ろ姿しか見えなかったけど、並高の制服だったから、何とか届けてあげられないかな……って」
嘘が苦手な自分にしては上等な作り話だった。勘の鋭い有紀相手にバレはしないかと冷や冷やしたが、どうやら無事に信じてもらえたらしい。彼女は小さく鼻を鳴らしてから、顎を指で摘むようにして言った。
「珍しくため息なんかついてどうしたのかと思ったらそんな話か。変に心配して損したよ。けどまぁ……うちの生徒だってことは分かってるんだね。他に何か覚えてることないの? 身長とか、髪型とか」
訊かれて、陽千香は返答に困った。所詮作り話なので適当に言い繕うことはできるが、後々まで破綻しないような嘘を吐き通せるだろうか。
答えあぐねていると、不意に横から明るい声が響いてきた。
「なになに陽千香? 内緒話? アタシも混ぜてっ」
「ひーちゃん、難しい顔してどうしたの~?」
やって来たのは、小暮奈緒と市川明美だ。バスケ部所属の奈緒はショートカットの似合う活発な娘で、いつも会話を盛り上げてくれるムードメーカーだ。一方の明美は、緩くウェーブのかかった髪を編み込みでまとめた、柔らかい雰囲気の少女だ。いつもにこにこと穏やかで、周囲を和ませてくれる癒し系だった。
「別に内緒話なんかじゃないよ。ちょっと変わった人探しの相談」
陽千香を囲むように立っている二人に、有紀が口を開いた。先ほどの陽千香の話を掻い摘んで説明した後、首を傾げて陽千香に向き直る。
「――で、今は陽千香に、相手に関して覚えてることがないかって訊いてたとこ」
「ふぅん、顔も名前も分からない人探しねぇ。なんか探偵みたいで面白そう!」
興味をそそられたのか、奈緒が楽しげに呟いた。その様子に、有紀が半眼になって片眉をつり上げる。
また始まった。そう思った陽千香は、恐らく同じことを考えていたであろう明美とこっそり視線を交わすと、声を出さずに苦笑した。
「あんたね、そうやってすぐ面白おかしく言うのやめなさいよ。相談してきてる相手に失礼でしょ」
「え~? 別に良いじゃん。協力する気持ちはあるんだから」
「動機が不純でしょうが。協力するならマジメにやりな」
「マジメだもん! マジメに協力しようと思ってるもん!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて~」
睨み合って火花を散らす二人の間に、明美が割って入っていく。有紀と奈緒は性格が正反対なので、こうした小競り合いは日常茶飯事だ。見た目こそ険悪だが、二人ともこうしてぶつかり合うのを楽しんでいる節がある。喧嘩するほど何とやら、だ。明美に取りなされ、むくれた顔で引き下がる二人を微笑ましく眺めながら、陽千香は話題を元に戻した。
「肝心の落とし物っていうのが、これなんだけどね――」
そう言って鍵を手に取り、キーホルダーを見せる。
「これを見せながら、学校で聞き込みとかすれば見つかるかな、なんて思ったんだけど……」
陽千香の言葉に、有紀が首を横に振った。
「学校中に知り合いがいるんでもなければ無理だね。羽根のキーホルダーなんて地味なもの、他人の記憶にはっきり残るものでもないし。わざわざ持ち主を探してもらえるほど、陽千香の人脈も広くはないでしょ」
陽千香は素直に頷いた。
このキーホルダーが他の神子の目に止まりさえすれば、何かしらの反応は得られると思う。しかし、こんな小さくて目立たないもの、ただ持ち歩いているだけでは気付いてもらえないのも確かだ。もっと積極的に手を打たなければならないのは分かっていたが、いかんせん陽千香は人脈が狭い。部活に所属していないのが仇となり、同じ学年同士ならまだしも、一年や三年となるとほとんど面識がない。だから、自分一人で情報を集めるのには限界があった。
「もっと人目に付くようにしないとダメかなぁ、やっぱり……」
「うーん……落とし物箱、じゃどう考えても無理だよね。ほとんど処分されてるって聞くし……」
キーホルダーを眺めながら有紀と二人頭を捻っていると、明美がぽんと手を打った。
「そういうことなら、掲示板か校内新聞はどうかな~? みんなの目に触れるものだし、心当たりのある人が名乗り出てくれるかも~」
明美の提案に、今度は有紀も頷いた。
「良いかもね。全校生徒に配信される分、校内新聞の方が確率は高いかも。……まぁ、目を通してくれるかどうかは相手次第だけど」
だとしても、このまま手をこまねいているよりは前に進めるはずだ。すぐにでも新聞部に掛けあって、記事を載せてもらえるよう頼まなければ。そう勢い込んでいると、有紀の冷静な声が訊ねてきた。
「ところで陽千香。あんた新聞部に知り合いなんているんだっけ?」
「……えーと……」
そういえば、陽千香の直接の知り合いで新聞部に所属している生徒はいなかったように思う。編集の締め切りだって決まっているだろうに、知らない相手からいきなり頼まれて、すぐに了承を得られるものだろうか。
固まっている陽千香に呆れたような息をつくと、奈緒が腰に手を当てて言った。
「しょうがないなぁ。奈緒さんが何とかしてやろう」
「ホントに?」
「部活の後輩が新聞部の子と仲良くてさ。一緒に遊びに行った時に知り合ったのが一人いるんだよね。ちょっと連絡してみるよ」
言いながらスマートフォンを取り出した奈緒に、陽千香は両手を合わせて礼を言った。誰とでもすぐに打ち解ける性格ゆえか、彼女は学年や部活の枠を超えてあちこちに知り合いがいる。こういう時、奈緒ほど頼りになる相手はいない。
暫くスマートフォンをいじっていた奈緒は、「お」と小さく声を上げてにやりと笑った。画面を陽千香の方に向けてきたので覗き込むと、相手から送られてきたらしいSNSのメッセージが目に入った。
「今日の放課後空いてるってさ。図書室で待ってるって」
「ありがとう奈緒! ……それはそうと、この人の名前、何て読むの?」
名前の欄には見慣れない苗字が表示されている。奈緒はスマートフォンを引っ込めながら、「読めないよねー」と笑った。
「アタシも最初分かんなかった。これでミナイって読むんだって」
「薬袋、圭介くん?」
口の中で復唱する。随分珍しい苗字だ。もっとも、陽千香もあまり人のことは言えないのだが。
教室のスピーカーからチャイムの音が響いた。授業の合間の小休憩が終わり、クラスメイト達が各々の席に戻っていく。奈緒と明美がそれに続き、有紀が正面に向き直った頃、プリントの束を抱えた先生が教室のドアをくぐってきた。次の教科は古典だ。
教科書と電子辞書を机の上に揃えながら、陽千香は早くも放課後のことに思いを馳せる。羽根のことを新聞に書いてもらえたら、少しは状況が変わるだろうか。一人でも仲間が見つかってくれれば良いんだけど。そんなことを考えながら、陽千香は日直の号令に従って起立した。




