ガラス細工の針(14)
ブクブクと泡の浮く音。次いで唐突に床が抜けるような感覚。慌てて手を振り回してみたが周囲に掴めるものはなく、陽千香はバランスを崩したままみっともなく尻もちを付いてしまった。
「い、ったぁ……」
頭から落ちなかったのは救いだ。お尻を擦りながら立ち上がると、先に飛び込んだメンバーが揃ってこちらを見ていた。
「あ、綾藤先輩、大丈夫ですか……?」
「おやおや、注意力散漫だねェ」
あやめが心配そうに声をかけてくれる一方、貴則は苦笑とも嘲笑とも取れる一言を零している。自分だけ転んでしまった照れ隠しに咳払いしてみせながら、陽千香は周囲を見回してみた。
上から見た時と同じ、平穏な授業風景。チョークが黒板を鳴らす音と、ノートの上にペンを走らせる音だけが空間を支配している。ここが界境世界だと思って見なければ、本当に現実と錯覚してしまいそうだ。
教室内にいる夢の登場人物達は、陽千香達の存在に見向きもしない。自分達に与えられた役目以上の動作はできないのかもしれない。ここまで現実感があると少々不気味ではあるが、害はなさそうなので捨て置く。
「志筑くんは……?」
肝心の蒼真の姿は辺りには見えない。彼が飛び込んでから少し遅れを取ってしまっている。早く追いつかないと、いくら蒼真とはいえ一人で悪魔と戦わせるのは危険だ。
「さっき、放送で何か言ってませんでしたっけ? 端末室とか何とか」
圭介の言葉に顔を跳ね上げる。そうだ、端末室。蒼真はスピーカーからの呼び出しに応じて、そこへ向かったに違いない。陽千香はいても立ってもいられなくなり、我先に教室を飛び出して走った。
同じフロアの北東にその部屋はあった。端末室という名前のとおり、パソコンを使ってITリテラシーを学ぶための特別教室だ。陽千香が足を踏み入れると、機械の置かれた部屋特有の無機質な匂いが鼻をついた。他の教室とは雰囲気の違う、スチール製の長机。デスクトップ型の端末が並んだその合間に、蒼真は一人で立っていた。
「志筑くん……!」
ほっと息をつきながら近付くと、蒼真は気まずそうに視線を伏せながらこちらに向き直った。蒼真の目の前に立ち、陽千香は腰に手を当てながら唇を尖らせてみせる。
「もうっ、急に一人で飛び出したりして心配したじゃない!」
「それはキミも同じだよ」
後頭部にぶつかったその声に振り向くと、他のみんなが教室に入って来るところだった。最後に後ろ手で扉を閉めた貴則が、半眼でため息をつきながら言った。
「初めて踏み込んだ断面だっていうのに、二人とも無鉄砲が過ぎるよ。……とりあえず無事みたいだね?」
「……悪い」
「ご、ごめんなさい……」
蒼真を心配するあまり、自分まで同じような行動を取ってしまっていた。蒼真に続けて謝罪すると、良一とあやめがほっとしたように笑った。呆れたように首を振る圭介の横で肩を竦めた貴則が、室内に視線を巡らせながら問う。
「見たところ変わった様子はなさそうだけど。志筑君、何か見つけたかい?」
それに対し、蒼真は無言で首を振った。返事の代わりに小さく鼻を鳴らし、貴則が周囲を調べ始める。
わざわざ放送で呼び出してきたのだ。何かあるのかもしれない。陽千香は周囲と頷き合うと、自分も貴則に倣った。電源の入った端末の画面を一台ずつ覗き込み、変わったところがないか調べていく。
「……これは……?」
声を上げたのはあやめだった。近付いて行くと、彼女は自分が調べていた端末の画面を指差しながら場所を譲った。横から覗き込んだ画面にはブラウザが立ち上がっており、そこには有名な動画投稿サイトのページが表示されていた。何かの動画の開始時点で停止ボタンが押されているらしい。
「あやめちゃんが開いたの、これ?」
「ううん、最初からその状態だったよ」
念のため残りの端末も一通り調べてみたが、状態が違っているのはこの一台だけのようだ。他にこれといって怪しいものも見当たらない。再度端末の前に集まった面々を見渡すと、貴則がマウスに手を伸ばした。再生ボタンにカーソルを当て、小さなクリック音を響かせる。
シークバーの左端が赤く色付き、動画の再生開始を示した。冒頭数秒の黒画面に続いて映し出されたのは、素朴なタッチで描かれたアニメーションだった。軽快な音楽に合わせて、人形劇風の舞台の幕が上がっていく。




