ガラス細工の針(13)
「どう? みんなといるの、少しは慣れた?」
蒼真は少し考えるような間を置いた後で答えた。
「もっと怖がられるかと思ってた……初対面の時そうだったから」
「それは志筑くんが怖がらせるような顔してたからよ」
「……そうか?」
自覚のない答えに思わず笑うと、蒼真は困ったように頭を掻き回した。その仕種を見てさらに笑いを押し殺していると、蒼真の上着のポケットから顔を覗かせたフラットが嬉しそうな顔で言った。
『そーま、やっぱりひちかたちといっしょに来て良かったね。何かたのしそうだもん』
だが、フラットのその言葉を聞いた瞬間、蒼真の表情に翳が差した。何か後ろめたいことでもしていたかのように視線を外し、口元を固く結んでしまう。
長い間、蒼司のために孤独を選んできた彼にとっては、こうして誰かと笑い合うこと自体が罪悪なのだろう。こんな風に自分のことを想ってくれる兄弟であれば、陽千香だったら決して恨んだりしないと思うのだが、こればかりは蒼真に染み付いた考え方なので仕方がない。陽千香に今できることは、人と触れ合うことへの抵抗を少しでも軽くできるよう、こちらから蒼真に笑いかけてあげることくらいだ。
やがて辿り着いたのはプールだった。シャワーを抜けてプールサイドに出ると、貴則が目線でプールの中を示してくる。早速縁に立って中を覗き込んだ圭介が、水底を指差しながら驚愕の声を上げた。
「見てください、あれ……!」
示されるまま視線を落とした陽千香は、目の前に広がった光景に言葉を忘れた。朱に染まった水の向こう側。プールの底に、あり得ないものが浮かんでいた。
等間隔で並べられた、色も形も揃いの机。部屋の前後に設えられた、暗い緑色をした大きな板。その板面にチョークで何かを書き込んでいる先生と、座ってノートを取っている生徒の姿。
学校の教室。現実世界で普段目にしているのと寸分違わない、平穏な風景がそこにあった。
「まるで現実の学校の風景そのものだろう? 宿主の夢がほとんど喰い荒らされずに残ってる。この接ぎ目を通れば、中心にかなり近いところまで行けると思うよ。差し当たっての問題は、今すぐ行くかどうかってことなんだけど……」
貴則はそう言うと、目の端で周囲を流し見た。気持ちだけなら今すぐにでも飛び込みたいところだが、今夜は既に断面を攻略した後だ。このまま強行して、体力的に持つだろうか。陽千香の内心を代弁するように、ロベルトが声を上げた。
『支配格を倒した後で力も消耗しているだろう。明日、万全の状態で出直したらどうだ?』
「オレもロベルトに賛成。この先が中心部だっていうなら、悪魔はますます強くなる可能性が高い。そんなところに行くのに、消耗した状態で臨むべきじゃないよ」
良一の言葉はもっともだった。誰も異論はないようで、お互い納得したように頷きを交わし合う。
『接ぎ目の座標、記憶した……明日こっちに来る時には、ここに喚んであげられる……』
「それじゃ、今日はここで解散にしましょうか?」
圭介の言葉を合図に、御使い達が風船の準備をし始める。陽千香も現実に帰るべく、リヒトの方へ足を向けかけたのだが、あやめの様子が他と違うことに違和感を覚えて声をかける。
「あやめちゃん? どうかしたの?」
「あ、綾藤先輩……あの、キキョウさんが……」
彼女はそう言って、自分の肩に座っているキキョウを目で示した。キキョウは両目を閉じ、耳に手を当てて、周囲の音に意識を集中しているようだった。帰り支度をしているみんなを咄嗟に引き止めると、陽千香はキキョウの言葉を待った。
『……接ぎ目の向こうから声が聞こえます……これは、放送? 誰かを呼び出しているようですが……』
「何て言ってるんです?」
圭介が問うと、キキョウはそっとなぞるようにその言葉を紡ぎ出した。
『"二年A組、志筑蒼真君。端末室までお越しください。繰り返します……"』
思いもよらない名前が出たことに驚いて、面々が振り返る。言われた本人が一番驚いているのだろう、目を見開いてキキョウの方を見やっている。
「な、なんで蒼真先輩の名前が……?」
『分かりません。ですが、宿主が夢で個人名を挙げたのだとすると、宿主は蒼真さんのお知り合いである可能性が……』
キキョウはそう言って蒼真を見た。
どこの誰とも知れなかった宿主が、蒼真の知り合い? 思いがけない接点に困惑しながら蒼真を見ると、彼は身動ぎもせずただじっとプールの底に視線を向けていた。何やら思いつめたようなその様子に一抹の不安を感じて声をかけようとした瞬間、弾けるようにして蒼真が地面を蹴った。
「志筑くんっ!?」
止める暇もなかった。蒼真は駆け抜ける勢いもそのままにプールの縁から飛び出し、吸い込まれるようにして水の中に入っていってしまった。波紋だけが残された水面に慌てて駆け寄り、その奥に目を凝らす。教室の風景の中に、見知った金髪の姿が走って行くのが見える。
「まったく……せっかちだねェ、一人で飛び込むなんて……」
「ちょ、ど、どうするんですか!?」
水底とこちらの顔とをあたふたしながら見比べている圭介に、貴則のため息混じりの声が飛んだ。
「どうするもこうするも、放っとくわけにいかないだろう。ボクらも行くよ!」
言うが早いか、貴則がプールの縁から踏み出した。蒼真の時と同じように、その姿は吸い込まれるようにして水の中に消えていく。
「オレ達も行こう」
そう言って良一が貴則に続き、覚悟を決めたらしいあやめが目を瞑りながらさらに飛び込む。
「あーもうっ、どうなっても知りませんよっ!」
誰に対する文句なのか、声高に叫んだ圭介の姿が掻き消えるのを見届けると、陽千香もプールの縁に立った。
――お願い志筑くん、無事でいて……!
最初に消えた蒼真のことを案じながら、陽千香は冷たい水の中に身を投じた。




