ガラス細工の針(3)
この間はひどいこと言ってごめんね。
何がって? 願いを叶えられないなんて言ったことだよ。
願いは叶わなかったんじゃない。
叶えられたことに、俺が気付かなかっただけだったんだ。
仕方ないだろ? だってもう二度と会えないって諦めてたんだから。
まさかこんな近くにいるだなんて、それこそ夢にも思わなかったんだ。
久しぶりだね***。見ない間にすっかりデカくなったみたいじゃない?
ここね、俺の願いが何でも叶う場所なんだ。俺も***みたいにでっかくしてもらうからさ。
また二人で一緒にサッカーやろうよ!
◇◇◇
中庭に揃った面々の姿を見た瞬間、陽千香は思わず表情を綻ばせた。最初にこちらに気付いたあやめが指を差すと、フットワークも軽く駆け寄って来た圭介が明るい笑顔を向けてくれた。
「陽千香先輩! 良かった、今日は合流できましたね」
「諦めて先に行こうかって話してたところだったんだ。間に合って良かったよ」
すぐ後を追って来た良一が、安心したように微笑んでいる。それに頷き返してから、陽千香も笑顔で応えてみせた。
「私もほっとしました。何だか変な感じ。昼間学校で会ったのに、すごく久し振りに顔を見たような気がします」
『それだけ気持ちが張り詰めてたってこと……一人でよく頑張った。陽千香、えらいえらい』
圭介の頭の上に転がっていたミレイが、片腕を伸ばして陽千香の頭を撫でる仕種をする。子供扱いされているようだが、ミレイが相手だと不思議と不愉快ではない。労ってもらったことが素直に嬉しくて、陽千香は「ありがとう」と言いながら、眠たげなその顔を覗き込んだ。
「それで? 合流できたってことは、それなりの成果はあったって理解で良いのかな?」
みんなより一歩引いた位置でこちらの様子を眺めていた貴則が、会話の合間を見計らって本題を切り出した。いつもどおり薄い笑みを浮かべた彼の顔を見返しながら、陽千香は自信なく答える。
「正直、分かりません……少しは仲良くなれたと思ってるんですけど、来てくれるかどうかまでは何とも……」
実を言うと、今日の昼間は結局蒼真に会うことができなかったのだ。昼休みのチャンスを有紀達に妨害――などと言っては語弊があるか。彼女達は陽千香を心配してくれただけなのだから――されて以降、授業の中休みは先生からの急な用事で借り出されてしまったし、放課後も掃除当番やら何やらですぐに身動きが取れず、やっと屋上に行った時には、既に蒼真の姿はどこにもなかった。本当なら、フラットに託した伝言を彼がどう受け取ったのか、直接会って確かめたかったのだが、間の悪さというのは重なるものだ。
これまで黙って睨み付けているだけだった彼が、僅かとはいえ言葉を交わして、自分に協力してくれた。その変化を思えば、きっと来てくれると信じたいが、それは所詮陽千香の希望にすぎない。
言葉を切って俯いた陽千香に、貴則はふむ、と小さく鼻を鳴らした。
「まぁ、もう少しくらい待ってみようか。夜はまだ長いからねェ」
陽千香を加えた五人で、じっと蒼真が現れるのを待つ。一人でいた時は、こうしてただ待っている間でさえ、いつ悪魔に嗅ぎ付けられるかと不安だったものだが、今は自分でも驚くほど落ち着いていられる。仲間が傍にいるだけでこうも感じ方が変わるものかと、その心強さを改めて実感する。ここに蒼真もいてくれれば――。
普段の癖で手首の腕時計に目を落とし、針のない文字盤を見て嘆息する。陽千香が合流してからどれくらい経っただろう。周囲に目を向けると、他の面々の表情には待ち疲れたような色が見え始めていた。足元の影を動かして遊んでいた貴則の視線がふとこちらを捉え、陽千香は僅かに身構える。
「そろそろ諦めるかい?」
俯けた視界の外で、仲間達が自分を見ているのを感じる。彼らが言わんとしていることは分かっていた。蒼真のことを任せてもらったのは自分だ。成否の判断も自分が下すべきなのだろう。胸の奥に微かな痛みを覚えながら、陽千香は貴則の言葉を肯定すべく口を開――
『いらっしゃいましたよ』
直前で割り込んだその声に、はっとなって振り返る。
キキョウだった。あやめの肩に品良く腰を下ろした彼女は、目を閉じて両手を耳に添え、どこか遠くの音に意識を向けているようだった。
『足音が聞こえます。まだ迷ってらっしゃるのかしら、歩調が少し重いようですね。でもいずれここへ来ます。心配はいりませんよ』
陽千香は両手で口元を覆い、微笑んでいるキキョウから視線を外した。緊張しながら待つこと暫し、やがて陽千香の耳にも微かな足音が聞こえるようになる。待ちきれなくなって中庭から校舎に飛び込み、足音の聞こえる方へ駆け出すと、廊下の角にその人影を見つけることができた。
「志筑くんっ!」
名前を呼ぶと、蒼真はその場で足を止めた。笑顔を向ける陽千香に対し、伏せた表情は前髪に隠れて分からない。唯一見える口元は、まるで何かを拒むように固く閉ざされてしまっている。陽千香以外にも人がいると分かっているからだろうか、少し警戒しているのかもしれない。陽千香は蒼真の警戒心を解きほぐすべく、なるべく明るい調子で声をかけた。
「来てくれてありがとう! やっぱり無理かと思って諦めかけてたの。みんな向こうで待ってるわ、行きましょう?」
中庭のある方を手で示しながら先導すると、蒼真は顔も上げずに歩みを再開した。黙って陽千香に付いて来てくれてはいるが、この様子を見る限り相当嫌がっているようだ。纏っている雰囲気もだいぶ刺々しい。陽千香はともかく、他のみんなに対してこれでは余計な誤解を招きかねない。自分が上手く間を取り持ってやらなければ。
陽千香が蒼真を伴って中庭に戻ると、案の定場の空気が強張るような感覚がした。陽千香相手の時は駆け寄って来てくれた圭介が、今はその場で凍り付いたように突っ立っている。いつもは穏やかな良一が硬い表情でこちらを見つめ、あやめの目には怯えに近い緊張の色が見て取れる。こんな時ばかり、貴則の仮面のような笑顔が一番友好的に見えるのが皮肉だった。
「みんなとは初対面でしょう? 紹介するわね。向かって右から――」
陽千香が順に名前を呼んでいく間も、蒼真は誰とも目を合わせようとしなかった。頑なな態度にさすがの陽千香も弱ってきた頃、圭介が恐る恐るといった風に手を挙げた。
「あ、あのぅ……提案なんですけど。六人揃って人数も増えたことですし、全員でぞろぞろ歩くより、二人組とかで探索した方が効率良いんじゃないかなー、なんて……」
角を立てないように言葉を選んではいたが、蒼真との別行動を提案しているということはすぐに察しが付いた。いくら陽千香から話を聞いているとはいえ、基本的に圭介達は、噂にあるような人物像でしか蒼真を知らないはずだ。そして今の蒼真は、その人物像と寸分違わぬような態度を取ってしまっている。残念だが、今の調子で一緒に行動しても、無用な緊張でお互い身体を硬くするだけだろう。分散して動いた方が効率的というのは確かだし、蒼真が馴染むまではみんなと距離を置いた方が良いのかもしれない。
「だったら私、志筑くんと組んでも良いですか? 初対面で組むより、知ってる相手と組む方が志筑くんも気楽だと思うし」
さりげなく陽千香が名乗り出ると、僅かにほっとした表情を見せながら良一が言った。
「分かった。綾藤さんと志筑君が組むなら、残りのメンバーも学年別にしようか。戦力的にもバランスは悪くないと思うけど」
「ボクは異存ないよ」
「わ、わたしも大丈夫ですっ」
貴則とあやめが応えるのを確認すると、良一はそれぞれが担当する範囲と、悪魔を見つけた時のルールについててきぱきといくつかの指示を飛ばした。それが終わると、いよいよ三手に分かれて探索開始の号令がかかる。仲間達が中庭を出て行くのを見届けた陽千香は、振り向いて蒼真に笑いかけた。
「私達も行きましょう?」
蒼真は、まだ顔を伏せたままだった。どうにも彼の様子がおかしいことに、陽千香は今頃になって気付き始めた。見知らぬ相手と顔を合わせるのが嫌なのだとばかり思っていたが、陽千香と二人になった今も、彼の態度は変わっていない。急に壁を作られてしまったような感じがして、陽千香の胸に不安がよぎった。
「……志筑くん? どうかしたの?」
心配になって蒼真の顔を覗き込もうとすると、彼は途端に踵を返して、陽千香を残したまま中庭を出て行ってしまった。
「ま……待って!」
慌てて追い縋るも、蒼真の歩く速度が速すぎて、走っていないとすぐに置いて行かれてしまう。やはり何かおかしい。昨夜一緒に歩いた時は、陽千香の歩調に合わせてくれていたのに。
『蒼真さんたら、どうなさったんですの? 何だか昨日と様子が違いませんこと?』
陽千香の横を飛び回りながら、リヒトが訝しげに眉をひそめた。陽千香は一瞬足を止め、彼女に向かって首を振りながら切らした息を整える。廊下の角から聞こえてきた電撃の音に慌てて走って行くと、蒼真は少し先で悪魔を一体仕留めたところだった。彼は足元に転がった影を乱暴に蹴り飛ばして壁に叩き付けると、そちらに見向きもしないまま歩みを再開する。
陽千香は半ば呆然としながら、彼のその様子を眺めていた。蒼真の戦い方は苛烈だが、決して感情的ではなかったはずだ。だがあれは、今悪魔にぶつけていたあの感情は。
「怒ってる、の……?」




