ガラス細工の針(2)
ぽつりと。しかしはっきりと、陽千香は答えて顔を上げた。挑むようにこちらを見据える彼女の視線に、有紀は思わずたじろいだ。
「わ、悪く言うも何も……不良なのは事実でしょ」
「そうやって言葉で一括りにしないで。有紀は志筑くんと話したこともないでしょう?」
言葉に詰まり、有紀はぐっと黙り込んだ。いったいどうしたというのだろう。確かに自分は蒼真のことをよく知らないし、不良という言葉で十把一絡げにしてしまっている部分はあるかもしれない。だが陽千香のこの反応は、まるでよく知る友人をバカにされたかのようではないか。見た目や雰囲気に流されて意識するようになった、通りすがりの相手に対するものではない。
陽千香は言ったきり黙り込んで、組んだ両手をぎゅっと握り締めている。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。これでは蒼真のことを諦めさせるどころか、話を聞くことさえまともにできそうにない。どうしたものかと頬を掻いていると、左肩にぽんと手を置く感触があった。
明美だった。彼女は任せてという風に頷いてみせると、陽千香の斜向かいに立って腰を折り曲げた。中腰の姿勢で、俯いた陽千香の顔を覗き込むようにすると、ほんわかと優しい笑顔で彼女に語り掛ける。
「何か、志筑くんと仲良くなるきっかけがあったんだよね? ひーちゃんさえ良かったら、教えてほしいな?」
明美の柔らかい問いかけに、陽千香が僅かに顔を上げた。もの言いたげにじっとこちらを見つめてくるので、有紀は口を挟まない意思を示すために、交差させた人差し指を唇の前にかざしてみせた。それでようやく話す気になったのか、陽千香は途切れがちながらもぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。
「助けてくれたの……個人的なことで、ちょっと困ってた時に。事情があって、有紀達にも相談できなくて……もうダメかもって思ってた時に、居合わせた志筑くんが助けてくれたの」
陽千香の話を聞きながら、有紀達三人は顔を見合わせた。彼女の話は具体的なことがぼかされていて、いまひとつ要領を得ない。だが嘘はついていないように見える。嘘をつかないために、わざと核心に触れずにいるような。もしかしたら、あまり有紀達に話したくない類の話だろうか。例えば、守山の話にも出てきた不良達に何か怖い思いをさせられたとか。陽千香の性格なら、自分達に心配をかけまいとして黙っていたとしても不思議はない。ピンチを救ってもらったという話とも符合する。
「志筑くん、周りからは怖がられてるけど、本当は優しいんだと思う……私のこと、放っておくこともできたはずなのに、わざわざ姿見せてくれて。本人が人と関わろうとしないから、みんな知らずにいるだけなのよ……」
有紀の言葉で頑なになっていた表情が、少しずつ解れていくのが分かる。蒼真のことを考えてでもいるのだろうか、その顔はほんのりと幸せそうですらある。
それが、不意に翳る。
「志筑くん、時々すごく寂しそうな顔してるの……悪ぶって孤立してるけど、ホントはそんなこと望んでないんじゃないかって思う。ちゃんと知りたいの。屋上で、いつも独りぼっちで過ごしてる理由。もし志筑くんがそのことで苦しんでるなら、これ以上周りから、不良扱いされたままにしておけない……」
――ああ、ダメだ。
有紀は長い長い息をつくと、軽く頭を振って自分の短絡思考を悔やんだ。陽千香が純情だから、悪ぶった見た目に騙されて蒼真になびいたんじゃないかって? 浅はかなのは自分の方だ。この娘が他人の優しさに敏感なのは、自分が誰よりよく知っているはずじゃないか。
「……本気みたいね」
諦めて呟くと、奈緒のからかうような声が言った。
「あらら、有紀サンてばもう降参ですか?」
「仕方ないでしょ。陽千香にこんな顔させる相手、諦めろなんて言えないよ」
受けた分の優しさに応えようとするのがこの娘の良いところであり、有紀が最も尊敬している部分だ。蒼真がそれに値するというのなら、見守ってみようではないか。今暫くは。
有紀は陽千香の目の前まで歩み寄り、その頬を指でぎゅっと抓った。不意を打たれて驚いた陽千香が、目を白黒させながら間抜けな声で抗議してくる。
「ひゅ、ひゅうひ? いひゃいやないっ」
「うるさい。今まで何にも相談してくれなかった仕返しだよ」
痛そうに頬を擦る陽千香に小さく苦笑してみせると、今度は頭の上にぽんと手を置く。
「本当はちょーっと心配なんだけどね……まぁ、本気なのは分かったから。ちゃんと相談するって約束してくれるんなら、あたし達はあんたの味方」
「有紀……」
まだ薄っすらと赤みの残る頬から手を離し、陽千香がこちらを見つめながら呟いた。少し気恥ずかしくなって顔を背けていると、隣で見ていた明美がくすりと笑った。
「ひーちゃんが好きになるような人だもん、きっと大丈夫だよ~」
それを後押しするように、奈緒が陽千香の首に絡み付きながら言う。
「陽千香なら余裕でしょ。早いとこ告ってモノにしちゃえ! それでアタシにも幸せの何割か分けてっ!」
「どさくさに紛れて何言ってんのよあんたは」
「はいはい、どーどー」
奈緒の軽口に有紀が怒り、それを明美がやんわりと宥める。そんないつもの光景に、陽千香の表情に笑みが戻る。目の端でそれを確かめると、有紀は掌を打ち鳴らしながら言った。
「ほら、昼休みもう終わるよっ。遅刻するから戻った戻った!」
三人の背中を押して校舎の中に引き返しながら願う。
どうか、この子の想いが叶いますように。
純粋で優しいこの親友が、いつも笑顔で自分達の傍にいてくれること。そのためなら、自分のできることは何だってしよう。後ろ手に扉を閉めながら、有紀は前を歩く陽千香にバレないように、こっそりと微笑みかけたのだった。




