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リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第四章 ヤマアラシのジレンマ
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ヤマアラシのジレンマ(9)

圭介から聞いた飯島のクラスはE組だった。五限目終了と同時に教室を飛び出し、一年のその教室を覗き込むと、少年の姿はすぐに見つけることができた。相手の方でも、踏み込んできた陽千香の姿に気付いたようだ。慌てて席を立つと、逃げ出すように廊下へ出て行こうとする。

「待って!」

走って行って声をかけると、飯島はびくりと肩を竦ませた。恐る恐るといった風に振り向くので、陽千香は安心させるように笑いかけた。

「怖がらないで。話を聞きたいだけなの。少しだけ時間もらえない?」

陽千香は飯島とともに、教室近くの階段脇に移動した。人の往来がないわけではないが、教室の真ん中で話すよりは目立たずに済むだろう。ちらちらとこちらを窺っている飯島に、陽千香は真っ向勝負で訊ねた。

「単刀直入に訊くわ。あなたを殴ったのは、志筑くんじゃないわよね?」

飯島は答えない。陽千香は続けて問うた。

「三年の、高橋先輩なんじゃないの?」

「っ!?」

飯島の表情が変わった。息を呑みこんで悲鳴を押し留め、会話を聞かれることを恐れるように周囲を見回す。

「そうなのね?」

飯島は、その言葉には首を振った。態度を見れば答えなど明白なのに、肯定しようとしない。もしかしたら、あの三人から口止めされているのかもしれない。だとすれば、ここで無理に喋らせれば彼が報復を受ける可能性がある。だから先ほど、彼は逃げようとしたのだろう。目の前の陽千香ではなく、この場にいないあの三人を恐れて。

それでも、蒼真の無実を証明するにはやはり飯島の証言がいる。あの三人が犯人だという陽千香の考えは、今のままでは単なる憶測にすぎない。彼らを疑うのが正しいのだということを、被害者である飯島本人に示してもらわなければ。

今にも泣き出しそうに歪んでいる飯島の顔を暫く見つめ、陽千香はやがて言い聞かせるようにして口を開いた。

「ここで話したことは、絶対に誰にも口外しない。先生にだって言わないって約束するわ。飯島くんが本当のことさえ教えてくれたら、後は全部私の方で何とかする。志筑くんを助けたいの。お願い、力を貸して」

真っ直ぐに瞳を覗き込んだ陽千香に、飯島は戸惑うように視線を揺らした。(かたく)なに引き結んでいた唇を噛み、陽千香から逃げるように顔を背ける。それでも飯島を見つめる目を逸らさずにいると、飯島は俯いた表情の下で、ぽつりと小さな声を漏らした。

「……約束、本当に守ってくれますか……?」

陽千香はしっかりと頷いた。

「飯島くんに迷惑はかけない。怖い思いも、痛い思いもさせないって誓う」

陽千香のその言葉に、飯島は覚悟を決めたようだった。校舎内の雑音に霞んでしまうような、小さな小さな声で語られた真実を、陽千香は一言一句逃さぬように聴いていた。語り終えて恐怖に震えている飯島の背中をそっと(さす)ってやっていると、時折しゃくりあげるように息を吸う音が聞こえた。

勇気を振り絞って自分に協力してくれたその少年に、陽千香は優しく声をかけた。

「ありがとう。きっと何とかするから、心配しないで」

飯島と別れたその足で、今度は圭介のところへ向かう。互いの成果を報告し合っていたのか、ちょうど良一とあやめの姿もあった。

「陽千香先輩、どうでした?」

陽千香は、飯島から聞かせてもらったことを()(つま)んで話した。

昼のパンを買いに購買へ行こうとした時、運悪く高橋達に目を付けられたこと。無理やり人気のない場所に連れて行かれ、そこで顔を殴られたこと。蒼真にやられたと言うように指示されたことや、高橋達のことを話したら報復すると脅されたこと。

「かわいそうに……怖かっただろうね……」

「飯島君も志筑先輩も、何も悪いことしてないのに、酷い……」

陽千香の報告を聞きながら、良一とあやめが顔をしかめた。陽千香自身、話しながら胸が悪くなる思いだった。誰もが恐れて逆らえないのを良いことに、身勝手な理由で後輩に暴力を振るい、挙句その罪を他人に(なす)り付けるなんて。貴則があれだけ辛辣(しんらつ)な言葉を並べていた理由も分かろうというものだ。

「圭介くん達の方はどう? 何か収穫はあった?」

「目撃情報がいくつか。そのうちの一件、有力なのがありましたよ。たまたま飯島君の友達が目撃してて、咄嗟(とっさ)に隠れて写メを撮ったらしいんです。写真のタイムスタンプ、飯島くんの証言と一致しますね」

圭介が見せてくれたスマートフォンの画面を覗き込むと、あの三人に両脇を固められた飯島の後姿が写っていた。昼休みが始まって間もない頃だ。状況証拠としては申し分ないだろう。飯島の証言と合わせて提示すれば、蒼真の無実を証明するのに充分な効力を発揮するに違いない。だが――。

「飯島君の証言が使えない、か……厄介だね」

良一の漏らした呟きに、陽千香は肩を落として答えた。

「口止めされているところを、無理に話してもらったんです……絶対に飯島くんに迷惑をかけるわけにはいかないんです」

「で、でも……他に証拠を探してるような時間なんて、もう……」

あやめの言葉を聞きながら、陽千香は腕時計を見た。休憩時間はもう僅か、残る授業はあと一つだ。放課後になればあの三人はおろか、他の生徒達だって大半は帰ってしまうだろう。飯島を報復から守るためには、最後まで彼を表に出さずに犯人を示す必要があるが、新しい証拠や証言を集めるには、放課後は制約が多すぎる。あの三人を指差せるだけの証拠を探している時間が、どうしても足りない。

「この写真を突き付けて、自白しろって脅してみてもダメですかね……?」

「難しいと思う。あくまで状況証拠だし、たまたま一緒にいただけだって、しらばっくれられたら終わりだ。何よりそんなことしたら、余計な恨みを買いかねないよ」

こめかみの辺りを小突きながら呟く圭介に、難しい顔の良一が首を振る。あやめも俯いて考え込んだままで、時間だけが刻々と過ぎていく。

自白。確かにそれが手に入れば、他の何にも勝る証拠になる。だがそんなもの、いったいどうやって手に入れれば良いのか。いくらあの三人だって、そんな大事なことを人前でうっかり零したりはしないだろう。よほど油断しているところへ近付いて行かなければ。よしんば真相を口に出しているところへ巡り合わせたとしても、それをこっそり録音するだけではダメだ。"自分達の言葉"を証拠にされたと彼ら自身が認識していないままでは、彼らはきっと飯島に報復しに行くだろう。真犯人が彼らであることを知っているのは、飯島しかいないはずなのだから。

彼らの目の前で、自白を録音したことを示せれば。そんな無茶が陽千香の頭をよぎった時、ふとスマートフォンが小さく振動するのを感じた。ポケットから取り出して画面を見れば、SNSのメッセージが一件届いている。

「久我先輩……?」

唯一この場にいない貴則からだった。内容を読んで動きを止めた陽千香に、あやめが(いぶか)しそうに首を傾げる。

「綾藤先輩、久我先輩は何て……?」

促され、陽千香は画面をみんなに見せた。そこには淡々とした文章でこう書かれていた。

『高橋達なら駐車場にいるよ』

まるで自分の考えを見透かしたかのようなタイミングだった。画面を自分の方に戻した陽千香は、食い入るように貴則のメッセージを見つめた。その様子を不審に思ったのか、良一が珍しく強い調子で言った。

「ダメだ綾藤さん。そればかりは賛成できない。言ったはずだよ、彼らは危険だって」

「あの人はどうしてこう、空気読まないんでしょうね……何もこのタイミングでこんなこと言い出さなくても良いじゃないですか! 少しでも手伝う気があるならもっとマシな連絡寄こせば良いのにっ!」

憤慨している圭介の声を聞きながら、それでも陽千香は画面から目を離さずにいた。貴則から届いたそのメッセージをもう一度読み返すと、三人に何も言わずに廊下を走り出す。

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