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リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第四章 ヤマアラシのジレンマ
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ヤマアラシのジレンマ(7)

昼休みのチャイムが鳴るなり、陽千香は(いぶか)る友人達を放り出して真っ直ぐ屋上へと向かった。

あれからずっと考えていたが、助けてもらったお礼を現実世界で言ってはいけない理由はなかった。蒼真はしらばっくれるかもしれないが、それはそれで構わない。今はただ、陽千香の感謝の気持ちが蒼真に伝わりさえすれば良い。

屋上に出て崖っぷちをぐるりと見回した陽千香は、自分の間の悪さに落胆して息をついた。蒼真の姿が見当たらない。こんな時に限っていないなんて。少し外しているだけであることを祈りつつ、陽千香は暫く待ってみることにした。

幸い、蒼真はすぐに姿を現した。購買にでも行っていたのだろう、白いビニール袋を片手に提げながら扉をくぐった彼は、陽千香の顔を見るなり眉根を寄せた。

「こんにちは。また来ちゃった」

そう言って笑いかけたが、蒼真は扉の前で足を止めたきりぴくりとも動かない。陽千香の脳裏に、全身の毛を逆立てて敵を威嚇する猫のイメージが浮かんでくる。たとえこちらに害意がなくとも、迂闊(うかつ)に手を出せば引っ掻かれそうだ。まして今はお互いフェンスの内側にいる。物理的に隔てる壁がない状況で、下手に彼を刺激するような真似は避けるべきだろう。

「お昼これから? 私もお弁当持って来ちゃった。ここで食べようと思って」

陽千香は手に提げた巾着袋を掲げてみせながら言った。もう少し打ち解けられていれば、一緒に食べようと誘うところだが、さすがにまだそういうわけにもいかない。適当な場所に座り込むと、陽千香は膝の上で弁当の包みを広げ始めた。

「いただきまーす」

わざと聞こえるように言って箸を取る。蒼真は陽千香が最初の一口を口に入れるまでそのまま突っ立っていたが、やがてソロソロと動き始めた。陽千香から目を逸らさないままフェンスの外へ、と思いきや、彼は扉の脇にある梯子を使って、塔屋(とうや)の屋根に登ってしまった。陽千香の行動を見張るためか、ちょうど梯子を上りきったところに陣取って、不審に満ちた目線を送ってくる。

本当に猫みたいだ。陽千香は半分に切り分けたミートボールを口に運びながら思った。だって猫って高い所にいると落ち着くっていうし。

こちらとしては、声さえ届く場所にいてくれれば、無理に近付こうとは思わない。陽千香は自分に向けられた警戒の目にはお構いなしで、黙々と弁当を食べ続けた。そうしてみせるうちに、陽千香が近寄ろうとしてこないことを悟ったのか、蒼真もビニール袋の中を漁り始めた。暫くお互い、無言でそれぞれの食事に専念し――。

「ごちそうさまでしたー……」

弁当箱の蓋を閉じて手を合わせてから、ちらりと横目で蒼真の様子を窺い見る。自分より後に食べ始めたのに、もう昼食は済んでしまったようだ。彼は立てた片膝の上に腕を乗せながら、先ほどと変わらず陽千香の監視を続けていた。

「お昼、パンだけってお腹空かない?」

蒼真の手元で丸まっているビニール袋を見やりながら訊ねる。当たり前だが、返答はなかった。陽千香は軽く息をついて立ち上がると、なるべく自然体で塔屋の方に歩き出した。陽千香が一歩近付くごとに、蒼真の表情が険しさを増す。陽千香は構わず進んで行くと、声を張らずとも会話ができる位置で立ち止まった。蒼真を見上げ、微笑みかけながら言う。

「昨日はありがとう」

一瞬、蒼真が怪訝そうに目を(すが)めた。真意を測るように陽千香の顔を凝視し、やがてついと視線を逸らす。その表情は淡白で、陽千香の言葉に対する動揺は見られない。とぼけているのか、本当に覚えがないのか、まるで判断が付かない。何とも徹底したポーカーフェイスだ。

「もう暫くここにいても良い?」

どうせ返事がないのならと、一方的にそう宣言してフェンスの方に向かう。網目の向こうに見える街並みを少し眺め、それから肩越しに振り返って様子を窺う。陽千香が距離を置いたからだろうか、蒼真はこちらに興味をなくしたようにそっぽを向き、例のごとく上空に視線を投げてしまっていた。

横顔がやけに寂しげに映るのは、陽千香の気のせいだろうか。正面に向き直りながら、(まぶた)に残るその表情の意味を考える。

いつも屋上に一人でいて、誰とも喋らず、時折やって来る不良達とケンカばかりしている。どういう思いでそんな日々を繰り返しているのだろう。単に反抗期で悪ぶりたいだけなら、あの三人組のように仲間くらいはいても良さそうなものだが、そんな様子もなさそうだ。よほど鬱屈した何かを抱え込んでいるのかもしれないが、それが何なのか陽千香には見当も付かなかった。

――私で良ければ、聞くんだけどな。

挨拶すらしてもらえないうちは到底無理だろう。向こうから近付いて来てくれるまで、根気強く待つしかない。

昼休みも後半に差し掛かった。これ以上進展もなさそうだし、今日はもう引き上げようかと時計を見た時、ふとどこからか人の話し声が聞こえた。扉の向こうからだ。不良達に絡まれた先日の光景が脳裏に浮かび、陽千香は慌てて周囲を見回した。塔屋の裏が死角になりそうなことに気付き、咄嗟に身を滑り込ませる。直後に金属音が響き、誰かが屋上に踏み込んで来るのが分かった。

「……そこにいたか、志筑」

息を潜めて耳をそばだてると、大人の男性の声が聞こえた。どこかで聞いたと思えば、どうやら担任の守山(もりやま)の声だ。生徒指導も受け持つ彼がわざわざこんな場所に姿を現したことに嫌な予感を覚えながら、陽千香は会話の内容に集中する。

「こいつに見覚えがあるだろう?」

蒼真は守山に対しても何も答えない。ここからでは向こうの様子が見えないが、顔を出せば陽千香がいることがバレてしまう。

「お前にやられたと言っている」

やられた? いったい何のことだろうか。陽千香は眉を寄せながら、少しでも気配を探るべくぎりぎりまで壁の端に寄る。

「降りて来い。訊きたいことが山ほどある」

威圧的なその声が命じると、塔屋の上に変化があった。梯子を下る足音、次いで着地の音。ひっと微かな悲鳴が上がり、「大丈夫だ」となだめるような守山の声。守山の他にもう一人誰かいるようだ。話しかける調子からすると、そちらは恐らく生徒だろう。少しの沈黙を置いて、再び守山の声がした。

「付いて来い。事と次第によっては停学を覚悟しろ」

今何と言った? 守山は停学と言ったのか? 足音が遠ざかるのを待って表に飛び出した陽千香は、屋上に誰の姿も見えないことに頭が真っ白になった。

「どうしよう……」

事情は分からないが、蒼真は何かまずいことの疑いをかけられてしまったらしい。心臓の脈打つ音が徐々に大きくなっていく。とにかくまずは、何が起きたのかを確かめなければ。

こういう時に生徒が連れて行かれる場所といえば――陽千香は階段を駆け下りて、二階の職員室へと急いだ。

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