特命 名無しの権兵衛を探せ!(7)
良一とともに四人目の神子に会いに行く約束をしたその日の夜。待ち合わせ場所である中庭に踏み込むと、そこには既に二人の姿が揃っていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
二人に駆け寄りながら、そう声をかける。
「大丈夫。オレも圭介君も、今しがた来たばかりだから」
『ぬるいぞ良一。お前なら待っている間に悪魔の一体や二体討伐できただろう。貴重な時間を浪費させたことに対して、説教の一つでも食らわせるべきではないのか?』
優しげな笑みを浮かべて応じる良一の横から、辛辣な言葉の波が押し寄せる。ぐっと咽喉の奥を詰まらせながら思わず立ち止まると、良一の頭上に小さな光が浮かんでいることに気付く。リヒトやミレイと同じ純白の衣装と、背中に負った銀の翼。冷厳そうなアメジストの目を持ったその御使いは、空中で腕を組みながらこちらを見下ろしているのだった。
「ロベルト……挨拶すらしないうちにその言い方はないだろ? 現実世界だっていろいろやらなきゃいけないことはあるんだよ」
『お前はまだ自分に課された使命の重さを理解していないらしいな? 悪魔を放置すれば、お前の身近な人間にも被害が及ぶ可能性がある。現実世界の生活が大切だと言うのなら、なおのこと気を引き締めるべきだな』
眉根を寄せて苦言を呈した良一に対し、御使いはさらに言い募る。冷淡な声音は、怒っているとも呆れているともつかないが、いずれにしても遅れた陽千香を非難していることだけは間違いなかった。
「ご、ごめんなさい。次からは気を付けるわ。ええと、ロベルトで良いのかしら? 綾藤陽千香、光の神子よ。よろしくね」
精一杯の反省と友好を込めて言い、握手の代わりに人差し指を差し出す。が、ロベルトは大した興味もなさそうに陽千香の指を一瞥すると、素っ気ない口調で言い放った。
『挨拶は不要だ。お前達のことは良一から聞いて既に把握している』
「は、はぁ……」
ロベルトの言い種に生返事を返していると、呆れたような笑みを浮かべた圭介が肩を竦めて言った。
「あんまり気にしなくて良いみたいですよ。いつも、誰にでもそうみたいですから」
『ロベルトはカリカリしすぎー』
圭介の頭の上で相変わらず眠たそうに瞼を落としながら、ミレイも同意の言葉を述べる。言われたロベルトは面白くもなさそうに鼻を鳴らすと、切れ長の目を明後日の方に向けてしまった。
「ごめんね。自他ともに厳しすぎるってだけで、悪気があるわけじゃないんだ」
頭を掻き混ぜながら申し訳なさそうに言う良一に、陽千香は苦笑を返すほかなかった。
全員揃ったところで気を取り直し、ガラス戸をくぐって校舎の中へと歩みを進める。良一を先頭に廊下の突き当りを右に折れ、その先にある美術室手前で向きを変える。渡り廊下だ。どうやら外を目指しているらしい。迷いなく歩いて行く良一の様子を不思議に思って見ていると、陽千香の視線に気付いた良一が微笑みながら言った。
「彼を見かけるのは大抵外なんだよ。校庭に行けば会えるんじゃないかと思ってさ」
渡り廊下に面した体育館の脇を抜け、その先に続くテニスコートの方へと向かう。テニスコートはフェンスを隔てて校庭と繋がっていて、行き来に使う扉は内側からの閂式だ。取っ手を掴んで金属の棒を引き抜くと、扉は錆び付いた高音を立てながらあっさり開いた。
『良一』
「ああ」
不意に声を上げたロベルトに、良一が短く応える。その表情に警戒の色を見て取ると、陽千香は手の中に剣を喚び出して身構えた。
昏い空の下。煌々と校庭を照らす照明の柱の上に、黒い影が鎮座している。光に邪魔されてはっきりとは見えないが、その姿は大型の鳥類のように見受けられた。首と思しき部分をしきりに動かし、何かを目で追いかけている。幸い、こちらにはまだ気付いていない様子だ。
「あんな高い場所に止まってたら、奇襲をかけるのは難しそうですね。どうします?」
「大丈夫、任せて」
声を潜めながら問う圭介に、良一が答えた。彼は影に向かって左半身で構えると、左腕を軽く前へかざした。軽く折った指の間に小さな炎が灯ったかと思うと、それは見る間に上下に伸びて緩やかな曲線を描いていく。炎が散った後に残ったのは、良一の身長をも超える長さの弓。反り返った弧の両端に施された装飾の中心で、真紅の石が一際強く煌めいていた。
良一は弦の部分に右手を添わせ、両腕を身体の正面に掲げた。そこから左腕を伸ばし、さらに右腕で引くように弦を引き絞っていく。ひた、と動きが止まった弓と弦の間には、いつの間にか赤々と燃える一文字の矢が現れていた。
良一の集中が極限まで張り詰めた刹那、弦の弾ける音が校庭に響いた。矢が風を裂く高い音が鳴り、気配に気付いて飛び立とうとした鳥型の胴を正確に射貫く。鈍い声を上げながら地に落ちたそれは、穿たれた穴から広がった炎に包まれ、灰塵となって霧散していった。
「やたっ! 命中!」
「すごい……この距離から仕留めるなんて」
ガッツポーズを取りながら声を上げる圭介の横で、陽千香も思わず手を叩いた。構えを解いた良一は、少し困ったように笑って言った。
「相手に気付かれてなかったしね。止まってる的に当てるのは、そんなに難しくないよ。それより……」
最後は真剣な顔つきで、校庭の奥を睨むように言う。
「二人とも、準備は良い?」
その意味するところは一つだ。圭介の方を見やれば、彼もまた表情を引き締めてこちらに頷きを返してくる。
「行きましょう」
陽千香の言葉に応じ、良一が先導して歩いて行く。彼の後ろに付いて歩きながら、陽千香の視線は既にその先へと向けられていた。
照明に照らされた校庭の中央に、見知らぬ人影がぽつりと佇んでいる。胴に巻き付けた左腕の上に右の肘を乗せ、指の背をおとがいに当てて薄く嗤っている少年。彼の視線につられてこちらも上空を仰げば、そこには先ほど良一が撃ち落としたのと同じ種類の悪魔が飛び交っていた。十は下らないと思われるその群れを前に、少年は少しも動じた様子がない。ただ愉しそうな笑みを浮かべたまま、武器も構えずその場に立ち尽くしているのだった。
「……さっきからこうして隙を見せてやってるんだけどねェ。なかなか降りてこないんだ」
会話ができる距離まで近付いて行くと、視線を空に向けたまま少年の方から声をかけてきた。不意を突かれて咄嗟に反応できずにいる陽千香達を前に、少年は緩慢に視線を引き戻し、ゆらりとこちらに向き直る。
「こんばんは生徒会長。良い夜だねェ」
そう言うと、少年は縁なしの眼鏡の蔓を押し上げながら嗤った。
久我貴則。直接会うのはこれが初めてだが、名前だけならこれまでに何度も目にしたことがある。学期毎の試験で、必ず首席に名前を連ねている秀才だ。各学年とも上位者は目立つように掲示されているので、学年が違っても彼の名前は記憶に残っていた。
「さっき一匹逃げたと思ったんだけど……もしかしてそっちに行ったかな?」
眼鏡の奥に覗く切れ長の目。その細面と相まって、理知的な印象を抱かせる造形の顔立ちは、しかし長い前髪に遮られてやや陰鬱そうな雰囲気を纏っている。口元は笑みの形に歪んでいるが、それはまるで仮面を貼り付けたかのように薄っぺらで、感情は伴っていないように思えた。
「……今しがた、向こうで倒してきたよ」
「そう」
硬い声で答える良一にさして興味なさそうな相槌を打つと、貴則は再び上空に目線をやった。彼の言うとおり、これだけの数がいながら悪魔達は何故か襲ってこない。時折警戒するような鳴き声を上げては、空中を大きく旋回しているだけだ。
「そういえば」
ふと思い出したように言って、貴則が再び視線を落とした。
「今日は一人じゃないんだねェ。探してたお仲間が見つかったのかな? 良かったじゃないか」
ついと動いた視線が、陽千香のそれとぶつかった。温和そうな口調に反して、彼の目元は一切笑っていなかった。特に強面というわけではなく、むしろ線の細い感すらある相手を前に、陽千香は竦み上がるような感覚を覚えていた。
「それで? ボクに何か用かい?」
「改めてお願いに来たんだ。オレ達に……協力してもらえないか?」
良一の言葉に、貴則はふぅと呆れたような息をついた。
「こりないねェ、キミも」
呟いて、顎に添えていた手を下ろす。腕を組んだその姿からは、こちらに対する明確な拒絶の意思が感じられた。
「前に言わなかったかい? ボクは集団行動は嫌いでね。他人のペースに巻き込まれて調子を狂わされるのは御免なんだ」
「それは聞いたよ。けど、これから先どんな奴を相手にするか分からないだろ? 仲間は多い方がメリットも大きいと思わないか?」
良一の説得に、しかし貴則はやれやれと首を振った。
「キミの言うメリットってのは、きっとチームワークってやつのことなんだろうねェ。でも残念。チームに属するメンバーの能力に乖離がある場合、往々にしてチームワークっていうのは成立しないんだよ。だからキミとはチームにはなれない。簡単な理屈だろう?」
随分な言い種だった。さすがにムッとした陽千香だったが、良一の手前もあり、それを口に出すのは何とか思いとどまった。
しかし、圭介は違った。
「初対面の相手に随分言ってくれますね。僕達が戦ってるとこ見てもいないくせに。もしかしてアレですか? 自意識過剰ってやつですか?」
「ちょ、圭介くん……!」
声を抑えながら圭介を諫めるが、圭介はすっかり頭にきているようで、不機嫌も露わに貴則の方を睨みつけている。この場をどう取りなせば良いのか分からず良一の方を窺えば、彼はどこか諦めたような顔で、黙ってこちらを見やっていた。
くく、と。小さく咽喉を鳴らす音が聞こえた。視線を向けると、貴則が口の端を一段高く歪めて嗤っていた。その様子は遠目には愉快そうにも見えたが、やはり彼の目は笑っていないのだった。
「そうだねェ……そこまで言うなら、例えば――」
そこで一度、貴則が言葉を切った。つと目線を上に向け、猛禽類を思わせる鋭い目付きで悪魔の方を睨む。刹那、耳障りな悲鳴とともに悪魔の数体が体勢を崩し、そのまま勢いよく地面に落下してきた。
「なっ……!?」
「い、今、何が……?」
目の前で起きたことが理解できず、陽千香と圭介は呆然と地に落ちた悪魔を見つめる。地面に激突した拍子に折れたのだろう、悪魔の首や翼はあらぬ方向に捻じ曲がっている。だが、それが致命傷でないことはすぐに見て取れた。悪魔の胴体には、刃物で斬られでもしたかのような大きな切れ目が残されていたからだ。
悪魔の残骸が夜闇の影に吸われるようにして消えた頃、沈黙を割って貴則の声が届いた。
「今と同じくらいのことが、キミ達にもできるって言うんなら、少しは考えてあげても良いんだけどね」
「っ……」
悔しそうに俯く圭介に対し、陽千香はかける言葉が見つからなかった。
今の出来事が貴則の手によるものであることは、彼の台詞からも明白だった。だが、いったい何をどうしたらあんな芸当ができるというのか。貴則はその場に立ったまま、攻撃らしい動作は何もしていなかった。それどころか、彼は未だに武器を出してすらいないのだ。能力を使ったのだとしても、上空高くを飛んでいる相手に気配もなくあんな傷を負わせるような技など、陽千香には想像もつかない。
今になってようやく、悪魔達が無闇に襲ってこない理由が理解できた。彼らも恐れているのだ。貴則の、あの得体のしれない攻撃を。仲間を撃ち落とされ、怒りの声を上げながらも、悪魔達はただ無意味な旋回を続けていた。
「……気分を害したなら謝るよ。彼らはオレと違って、まだ君の力を見たことなかったから。今日のところは大目に見てやってくれないか?」
押し黙ってしまった陽千香達の隣で、良一が静かに口を開いた。落ち着いたその声音には、諦観の響きが多分に混じっていた。
「大目に見るも何も、別に気にしてないよ。これからも気にすることはないだろうしねェ」
再び小さく咽喉を鳴らした貴則が、憐れむように良一を見た。それきり興味を失くしたように背を向けると、また上空を飛び交う悪魔の方へ意識を集中させる。
断続的な悪魔の悲鳴と、落下音。最後の一体が地面に融けて消えるのを見届けると、貴則が「さて」と声を上げた。
「今日の仕事はこれでお終い。せっかく来たのに無駄足だったねェ……ああ、一匹は倒したんだっけ?」
こちらを小馬鹿にするような台詞にも、言い返せる要素が見当たらない。
「それじゃ、ボクはお先に。できることなら、もうこっちでは会わないことを願ってるよ」
どこからか、風船の割れる乾いた音が響いた。貴則の姿が掻き消えた後、残された三人は一言も発することなく、彼の立っていた場所を見つめ続けていた。




