赤いキノコは食べられるか?(1)
「昨日はごめん。不愉快な思いさせて」
開口一番、良一はバツが悪そうに言って頭を下げた。
もちろん、昨夜の界境世界でのことだろう。だがあの一件は、別に良一に非があるわけではない。謝罪を受ける謂れのない相手に頭を下げられることほど、居心地の悪いものはない。まして相手が先輩となればなおさらだ。
「気にしないでください。飛鳥先輩のせいだなんて思ってないですし、昨夜久我先輩に会ったおかげで、ただ待ってるだけじゃ仲間は揃わないってことに気付けたんですから」
陽千香が言うと、良一はまだ少し申し訳なさそうな表情をしつつも、ようやく頭を上げたのだった。
校舎の三階北側。生徒会室の隣にある、資料室でのことだ。新たに良一を迎え、神子の仲間は三人となったが、人数が増えることによる問題が一つあった。神子に関わる話題を気兼ねなく持ち出せる場所である。
圭介と二人だけであれば、新聞の打ち合わせと言って何とかごまかせるが、学年の違う三人が揃っている絵面というのはさすがに目立つ。しかも、うち一人は立っているだけで人の目線を集める良一ときている。下手な場所を選んでしまえば、周囲にいる女子という女子の視線を引き付けてしまい、話し合いどころではなくなってしまう。どこか良い場所はないかと相談したところ、良一から提案されたのがここだった。歴代の生徒会が作った会報誌や各種企画の準備に使う資料などが収められた、要するに生徒会専用の物置なのだが、簡易な机と椅子はあるし、座って話すだけなら広さも申し分ない。良一から他の生徒会メンバーには話を通してくれたらしく、生徒会で用がない限りは好きに使って構わないという。これからまだ人数が増えることを考えると、これ以上良い会議場所は他になかった。
「それにしても、どうしましょう……あんなもの見せられた後じゃ、考えなしに会いに行っても、相手にしてもらえませんよね……」
顎先に指を添えながら、陽千香は俯き加減に呟いた。武器も出さずに悪魔を一掃してしまった貴則。良一のことを足手まといと言い切るだけのことはあるようだ。もし彼に手伝ってもらえれば、心強い味方になることは間違いない。何とかして協力してもらいたいものだが、彼のあの性格はどう考えても一筋縄ではいかなそうだった。
「正直言うと、昨日のアレは失敗だったと思ってるよ。久我君がああいう性格だってこと、事前にちゃんと教えておくべきだった。そうすれば圭介君ももっと冷静でいられただろうし、久我君を怒らせることもなかったかもしれないのに……」
痛恨の極みといった風に、良一がため息混じりの言葉を漏らす。陽千香は訊ねた。
「やっぱり昨日、久我先輩って怒ってましたよね……?」
「と、思う。オレ一人で会いに行ってた時は、あそこまでコテンパンにされたことはなかったし。というか、もしされてたらとっくに心が折れてるよ……」
「……ですね」
肩を落とす良一に、思わず苦笑しながら頷く。貴則の発言に怒った圭介が暴言を吐いた後、貴則の言動は明らかに苛烈さを増していた。単に陽千香達を迷惑がっていた最初とは打って変わり、こちらの神経を逆撫でするような言い回しをあえて選んでいるようだった。しかも、陽千香達がそれに反論できないであろうことを見越したうえで、だ。口では気にしていないと言っていたが、実際には結構腹を立てていたのではと思う。貴則の、陽千香達への第一印象はきっと最悪だろう。ここから巻き返すためには、よほど貴則が食いつく作戦を練らなければならない。
二人して頭を捻っていると、勢いよく廊下を駆けてくる足音が聞こえた。それはやがて資料室の前まで到達すると、元気の良い声と同時に部屋に飛び込んでくる。
「リョウ先輩、陽千香先輩、見つけましたよっ!」
「け、圭介くん?」
「見つけたって、何を?」
目を丸くして訊ねる良一に、圭介は『何をとぼけたことを』とでも言いたげに眉間を寄せながら答えた。
「決まってるじゃないですか、久我センパイですよ! 今、図書室に来てるんです。突撃して捕まえましょう!」
「つ、捕まえるって言ったって……何か、話を聞いてもらうための作戦でもあるのか?」
良一が訊き返すと、圭介は至極当然のような顔をしてのたまった。
「ないですよ」
「……ええと……」
呆気に取られた様子で固まっている良一の横から、陽千香は助け舟を出した。
「昨日あんな接触の仕方しちゃったから、久我先輩怒ってるんじゃないかって話してたところなの……今会いに行っても、まともに話を聞いてもらえないんじゃない?」
しかし圭介は、陽千香の言葉に首を振ってみせた。
「それこそ相手の思う壷ですよ。僕達に負い目を感じさせて、簡単には会いに行きにくい雰囲気を作る。上手い口実を思いつくまで僕達は身動きできなくなり、その間久我センパイは悠々と一人で悪魔退治……でしょ?」
「それは、そうだけど……」
圭介の言うことも一理ある。貴則がそこまで狙っていたかは知る術がないが、少なくとも、ここで手をこまねいていれば圭介の言ったとおりの展開になってしまう。眉根を寄せて考え込む陽千香に、圭介は明るい声で言った。
「ガードの堅い人を相手に記事を書こうと思ったら、諦めずに突撃あるのみですよ。何度も会ってるうちに、ちょっとずつ打ち解けてくれるケースって結構あるんです。これ、中学の新聞部で身に付けた極意ですから。いくら久我センパイの性格が捻じ曲がってようが、この法則から外れることはないはずですよ! ……多分」
最後に付け足した一言と、さりげなく織り込まれた貴則へのバッシングが不安を煽る。貴則の側だけでなく、圭介の方も第一印象がマイナスになっているようだ。陽千香は隣の良一に対し、小声で内心を囁いた。
「……本当に大丈夫でしょうか……?」
「うーん……久我君は相手を選ぶからなぁ……」
訊かれた良一は、神のみぞ知るといった風に肩を竦めるばかりだった。
ともかく、じっとしていても始まらない。とりあえず話すだけ話してみようということになり、三人は貴則がいるという図書室へと向かった。圭介に誘導されて隣接する準備室の方から入り、新聞部が活動している横をすり抜けて、図書室へと続く扉を薄く開ける。
「ほら、あそこですよ」
声を潜めながら圭介が指差した方を見ると、奥の方の席に座って読書する貴則の姿が見えた。当然ながら、まだこちらには気付いていない様子だ。近付くのは容易そうだが、問題は何をどう話しかけるか、だ。
「なー、圭介さっきから何やってんのー?」
背後から唐突にかけられた声に、三人揃ってびくりとする。振り返れば、新聞部のメンバーであろう男子生徒が不審そうな顔でこちらを見ていた。当然だろう、自分達の活動の横で、妙な三人組が怪しい動きをしていれば。
「しーっ! 今大事なとこなんだから放っといて!」
友人なのだろう、圭介がそう言って追い払うように手を振ると、彼は不審そうな表情をそのままに、首を傾げつつ自分の作業に戻っていった。……ごめんね、邪魔しちゃって。
あまりここに留まっていては新聞部に迷惑がかかってしまう。陽千香達は顔を見合わせると、図書室の方へ踏み出した。こうなったらなるようになれだ。思うまま率直に話してみるより他にない。
「久我先輩」
貴則の席のすぐ脇に立ち、陽千香はいくぶん抑えめに彼の名を呼んだ。本のページを捲ろうとしていた指が止まり、ゆっくりと降ろされた本の向こう側に、貴則の白い相貌が浮かび上がる。
「……ここをどこだと思ってるんだろうねェ。大勢でやって来て、騒いだりしたら迷惑だよ」
ちらとこちらを見ただけでまた本に視線を落とした貴則は、独り言のように零して息をついた。歓迎されていない空気をひしひしと感じるが、だからといって引き下がるわけにもいかない。
「騒ぐつもりはないんです。ただ少し、話をする時間をいただけないかと思って……」
昨日の今日で、彼の機嫌もまだ直りきっていないかもしれない。陽千香はできるだけ丁寧に言って、貴則の反応を待った。
やがて貴則が、「やれやれ」とため息混じりに呟いて本を閉じた。緩慢に席を立ち、陽千香達の横を素通りして、図書室の出口の方へ歩いて行く。立ち去ってしまうつもりだろうかと、慌てて彼の後に付いて行くと、彼はカウンターの前に立ち止まって本の貸し出し手続きを取り始めた。拍子抜けしながらその様を見守ること暫し。手続きを終えた貴則は、図書室を出て少し歩いた先で振り返り、薄い笑みを浮かべながら口を開いた。
「で? 話って何だい? 言っておくけど、協力してくれって話なら何度来ても無駄だよ」
こちらが話題を振る前に牽制されてしまい、陽千香はいきなり言葉に詰まった。困っている陽千香の様子を見て、貴則がくく、とおかしそうに咽喉を鳴らす。
「分かりやすいねェ。まぁ、いきなり人を自意識過剰呼ばわりする無作法者に比べれば、いくらか可愛げはあるけどね」
「む……」
自分のことを言われた圭介が、今にも吠え掛かりそうな顔つきで貴則を睨んでいる。その隣では、良一が必死な様子で「堪えて堪えて」と囁いている。貴則と圭介をあまり長いこと一緒にいさせない方が良さそうだ。陽千香は貴則に向き直ると、話を先に進めるべく訊ねた。
「あの……どうしてもダメでしょうか? 私達と仲間になるの、そんなに嫌ですか……?」
貴則は答えた。
「別にキミ達に限った話じゃないよ。集団行動が嫌いなだけさ。それを押してまで一緒に行動するほど、キミ達に期待することもないしね。これも昨日言ったはずだよ。同じ話を繰り返すのは好きじゃない」
確かに昨日聞いたのと同じ話だ。だが、冷静になって聞いてみると、貴則が協力を拒む第一の理由は"集団行動が嫌いだから"であるようだ。陽千香達に対する期待云々は、煩わしい闖入者を遠ざけるための後付けの理由のようにも思える。陽千香はさらに訊ねた。
「でも、私達の実力を見ていないのは確かですよね?」
それを聞くと、貴則はこめかみの辺りに手を添えながら、憐れむような目で陽千香を見た。
「キミは記憶力に問題でもあるのかな……昨日のこと、もう忘れたなんて言わないだろうね?」
「もちろん覚えてます」
陽千香は唇を尖らせながら言った。
「久我先輩が仰りたいことも分かってるつもりです。私達には、久我先輩がやってみせたようなことはできません。だから、きっと戦闘力では久我先輩に敵わないんだと思います。でも、それ以外のことで力になれることがあるかもしれない。それを確かめもしないまま門前払いされても、納得いかないんです」
そこまで言い切って、陽千香は貴則の目を真っ直ぐに見つめた。貴則は暫くそのまま陽千香の視線を受け止めていたが、やがてついと顔を背け、腕を組みながら呟いた。
「それ以外、ねェ……あるとも思えないけど」
その口調からは、先ほどまで感じた反発心のようなものが薄れていた。代わりに顔を覗かせたのは好奇心。納得いかないと食い下がった陽千香が、どんな結果を弾き出すかへの単純な興味。
「一度だけ、チャンスをもらえませんか?」
あと一押し。そう感じた陽千香は、自分達にとって諸刃の刃ともなり得るその言葉を口に出した。
「私達が役に立つかどうかテストしてください。やり方は久我先輩にお任せします。もしそれでお眼鏡に適うようなら、私達に力を貸してほしいんです」
自分の背後で、良一と圭介が息を呑む気配が伝わった。二人の了解も得ず、勝手に話を進めてしまったが、貴則を仲間に引き入れるためにはこれしかないという不思議な確信が陽千香にはあった。
貴則は明後日の方を見やったまま、押し黙って何か考え込んでいるように見える。彼が結論を出すまで、陽千香はじっと待ち続けた。
やはり無理かと挫けそうになってきた頃、ようやく貴則が動きを見せた。いつも貼り付けている薄い笑みではなく、感情の読めない無表情で陽千香を見下ろしている。緊張しながらそれを見返していると、貴則の顔にふっと理知的な微笑が浮かんだ。
「一度だけ、と言ったね?」
「……はい」
陽千香は頷く。たった一度きり。しくじれば、貴則は二度と自分達を相手にしてくれなくなるだろう。だが、この条件だからこそ、貴則に本気で自分達と向き合ってもらう資格を得られる。リスクを恐れるより、チャンスを掴むことの方がよほど重要だった。
「……良いだろう」
貴則が言った。
「君の挑戦、受けてあげるよ。今晩向こうで会おう。テストの内容は、それまでに考えておくよ」
「っ! はい、よろしくお願いします!」
応えてもらえたことが嬉しくて、陽千香は笑顔で深く一礼した。顔を上げた先には、どこか呆れたように咽喉を鳴らす貴則の姿がある。彼は踵を返そうとしてふと立ち止まり、思い出したように口を開いた。
「そういえば、飛鳥君以外はまだ名前も聞いてなかったね。そっちはボクのことは知ってるようだけど……?」
「あ……!」
うっかりしていた。本人の元々の知名度に加え、良一からある程度話を聞いていたことで、すっかり挨拶したつもりになっていた。
「ご、ごめんなさい! 二年の、綾藤陽千香です」
「……薬袋圭介。一年です」
慌てて挨拶する陽千香に続けて、圭介もぼそりと名乗りを上げる。先ほど言われたことが響いているのだろう、まだ機嫌が悪そうだ。
こちらが名乗り終えると、貴則は満足そうに口の端を歪めた。
「陽千香君に、チビ介君だね? 覚えておくよ」
そう言い残して、今度こそこちらに背を向ける。廊下の角を曲がって行く貴則の背に向かって、とうとう我慢の限界を超えた圭介が吠えた。
「チビって言うなぁぁぁぁっ!!」
……貴則を仲間に誘って、本当に大丈夫だろうか。先行きが不安な陽千香であった。




