第四十一話 話の続きがなくても ―コロンダム―
水車小屋は、町の外れを流れる川から、細い水路を引いた先にあった。
本流との分かれ目には木の水門があり、水車へ向かう水路と、そのまま川へ戻る水路が並んでいる。
「水の多い日は、こちらを閉じるのですか?」
アザフォード嬢が、水車へ向かう方の水門を指した。
「全部は閉じません」
水車小屋を預かる男が、門の横についた長い取っ手へ手をかける。
「水車へ入る量を減らし、余った水を隣から川へ戻します。雨のあとに全部こちらへ入れたら、速く回りすぎますから」
「では、水が少ない日は?」
「こちらを開きます。ただ、川の水があまりに減れば、粉を挽く量も減らします」
取っ手の脇には、いくつもの切り込みがあった。
男が棒を一段上げると、水門の下が少し開く。流れ込む水の量が増え、水車の回る音も変わった。
「速くなりました」
アザフォード嬢が、水車を見上げる。
「ええ。今は石を外してありますから、軽いのです。粉を挽くときは、上の石を回します。その重さも考えて、水を入れます」
「子供の頃は、いつ来ても同じ速さで回っているように見えました」
「親父の頃ですな。毎朝、水を見て調整しておりました」
「水車が勝手に同じ速さで回っていたのではなかったのですね」
「勝手に回られたら困ります。速すぎても遅すぎても、粉がうまく挽けません」
アザフォード嬢は手帳へ書き込み、そのあとで私の方を見た。
「私が不思議に思っていたのは、水車の仕組みではなく、水車小屋の方が毎日調整していた結果だったようです」
「その調整も、水車の仕組みの一部でしょう」
「人がすることも?」
「ええ。水門だけ作っても、川の水は毎日同じではありません。誰が、何を見て動かすかまで決まっていなければ、使い続けられませんから」
男が取っ手を元の段へ戻した。水の量が減り、水車の音も先ほどまでと同じになる。
「音で速さが分かるのですか?」
アザフォード嬢が尋ねた。
「だいたいは。粉を挽いているときなら、石の音でも分かります。あとは、粉を触りますな」
「細かさを確かめる?」
「細かすぎれば熱を持ちます。粗ければ、石の間を少し狭めます」
「石の間も変えられるのですか?」
「見ますか?」
「はい」
返事をしたのは、私とアザフォード嬢が同時だった。
水車小屋の中には、二組の挽き石があった。一つは今も使われており、もう一つは修理のため、上の石を外してある。
男は外した石の横へ私たちを案内した。
「下の石は動きません。上だけが回ります。こちらの棒を動かすと、上の石がほんの少し上がったり下がったりします」
「これだけ長い棒なのに、石は少ししか動かないのですね」
「大きく動いたら、粉が揃いませんから」
アザフォード嬢は、棒の先から石の下へ続く仕掛けを順に見た。
「この棒が、直接石を持ち上げるのではありませんね」
「下にもう一本あります。床を開ければ見られますが、埃が多いですよ」
「服が汚れるほど?」
「裾は上げた方がよいでしょうな」
アザフォード嬢は自分の外出着を見下ろした。
石切り場へ向かった昨日より軽い服だが、床下へ入るためのものではない。
「どのくらい見えますか?」
「入口から覗くくらいなら」
「では、入口からにします」
男が床板を一枚上げる間に、彼女は裾を踏まないよう少し持ち上げた。私も隣へしゃがむ。
床下では、水車から延びた軸にいくつもの木の歯車が組み合わされていた。
「昨日の石切り場にあった巻き上げ機より、歯が細かいですね」
「回す速さが違うからでしょうか」
「それもあります。ただ、こちらは回り続けますから、力だけでなく、歯の減り方も考える必要があります」
私が答えると、水車小屋の男が頷いた。
「欠けたところだけ取り替えられるよう、歯は一本ずつ入れてあります」
「輪ごと作り直さなくてもよいのですね」
「ええ。水車を止める日は短い方がよいですから」
アザフォード嬢の手帳へ、また一つ書き込みが増えた。
「それは、昨日のお話にも似ています」
「冬の間に、町の作業場で石を整える話ですか?」
「はい。使う場所が止まっている間に、別の場所で直しておくところが」
「水車の場合は、替えの歯を先に作っておくのでしょう」
男が床板を戻しながら答える。
「よく減る大きさのものは、何本か置いてあります。すぐに合わない時は、木工職人を呼びます」
「その木は、この近くのものですか?」
「固い木は領内の森から。軸へ使う太い木は、別の領地から買うこともあります」
「すべて領内で揃うわけではないのですね」
「水車一つ作るにも、石工と木工職人と鍛冶屋が要りますからな」
アザフォード嬢は、今の話を短く手帳へまとめた。
その横から頁を見る。
水門――戻す水路――毎朝の調整――石の間――取り替えられる歯――領内で作るものと、外から買うもの。
昨日まで私の手帳に増えていたものが、今日は彼女の手帳へ並んでいる。
「コロンダム様は、ほかに何かお尋ねになります?」
「今は、ありません」
「本当に?」
「見ているうちに増えるかもしれません」
「やはり」
私たちは、水車小屋の中をもう一度回った。
穀物を入れる箱から、挽き石の中央へ少しずつ落とす仕掛け。挽かれた粉を受ける木の囲い。袋へ詰める前に、粉の粗さを確かめる場所。
アザフォード嬢が尋ね、私も分からないところを続けて聞いた。男が答えられないものは、次に来る木工職人へ確かめてもらうことになった。
水車小屋を出る頃には、彼女の手帳が四頁進んでいた。
「子供の頃は、外から水車を見ていただけでした」
アザフォード嬢は、水路沿いの道を歩きながら言う。
「中へ入ったことは?」
「あります。でも、粉が舞っていて、くしゃみが止まらなくなりました。それからは母に、入口で待つよう言われていたのです」
「今日は大丈夫でしたね」
「床下を覗いたときは、少し危なかったです」
「裾ではなく、くしゃみが?」
「はい」
心配されていたのは、服の方ではなかったらしい。
水車小屋のあとは、町の古い橋へ向かった。
橋の土台には、石切り場で見たものより色の薄い石が使われている。百五十年以上前から残っているが、上の木組みは何度も取り替えられていた。
「石の橋だと思っていました」
アザフォード嬢が、欄干へ手を置く。
「土台だけが石ですね」
「子供の頃は、下まで見ませんでした。上を渡れば、それで橋だと思っていたので」
「普通は、そうでしょう」
「コロンダム様は、橋を渡るときに下を見るでしょう?」
「初めて来た場所なら」
「やはり」
「アザフォード嬢も、今は見ています」
「御案内するために調べたからです」
橋の横から川岸へ下り、土台の石を確かめる。
何度も水へ洗われた石は、表面が丸くなっていた。継ぎ目には補修した跡があり、新しい石だけ色が濃い。
「これも、屋敷の階段と同じですね」
「古いものと、あとから替えたもの?」
「はい。今まで、色が違うことにも気づきませんでした」
「次に別の橋を見たときは、気づくと思います」
「では、そのときは御手紙に書きます」
アザフォード嬢は、ごく普通にそう言った。
次に何かを見つけたとき、私へ手紙を書く。
石切り場の質問は、昨日ですべて終わった。水車小屋についても、今日知りたかったことは聞けた。それでも、彼女の中では、手紙が終わることになっていない。
「私も、こちらへ戻ってから何か見つけたら書きます」
「大学で?」
「大学でも、王都でも」
「空箱から定規が出てきたお話でも?」
「あれは、見つかった場所をお知らせする必要がありました」
「定規を探していると、前の御手紙に書いてありましたものね」
「次は、なくす前に書きます」
「なくしたことを書かなくてもよいのでは?」
その通りだった。
橋を渡り終え、町の広場へ戻る。
午後は、共同倉庫の中を見た。穀物を置く床が地面より高くなっていることや、石の土台と木の柱の間へ別の板を挟んでいることを、倉庫を管理する者から教わった。
そのあとは、菓子屋へ寄った。
姉君が屋敷への土産を選ぶ間、アザフォード嬢は、木苺の砂糖煮を挟んだ小さな焼き菓子を見ていた。
「アメージュへ持ち帰りますか?」
「日持ちするでしょうか」
店の者へ尋ねると、二日ほどなら大丈夫だという。
「では、こちらを一箱。ラピス殿下は木苺の種がお好きではないから、林檎の方がよいかしら」
「以前の御手紙に、そう書いてありましたね」
「覚えていらしたの?」
「ええ」
アザフォード嬢は林檎を煮た菓子も選び、最後に同じものをもう一箱頼んだ。
「御家族の分ですか?」
「コロンダム様がお帰りになるときに、お持ちください。以前、我が家で召し上がったものとは違いますけれど」
「ありがとうございます」
「大学へ着く前に食べてしまわないでくださいね」
「気をつけます」
私が食事を忘れることも、覚えられているらしい。
*
翌朝、領地を発つこととなった。
アザフォード嬢と家族が玄関まで見送りに出ている。
「水車小屋の方が、木工職人へ確認してくださるそうです」
アザフォード嬢が、折り畳んだ紙を渡した。
「歯車へ使う木について、分かれば我が家へ知らせてもらうことになりました」
「その答えも、御手紙で?」
「はい。ほかにも何か分かれば、一緒に書きます」
「お待ちしています」
馬車へ乗る前に答えると、彼女は一度頷いた。
「私も、お待ちしております」
何の返事を待つのかは、決めていない。
水車小屋から知らせが届くより、私が王都へ戻る方が早い。今のところ、彼女から私へ尋ねることも、私が調べて返すことも残っていなかった。
それでも、次の手紙を出すことは、互いに決まっていた。
*
大学へ戻った翌日、石切り場で取った記録を整理した。
道の傾き、荷車の幅、切り出す石の種類、水路の使われ方。研究室へ持ち帰ったものだけで、報告書を一つ作れる。
昼を過ぎる頃には、最初の九つの問いを別の紙へ写し終えた。
その下へ、現地で増えた七つを加える。
すべてに答えがある。
「次に調べるものは?」
向かいの机で試料を分けていた助手が尋ねた。
「石切り場については、これで終わりです」
「水車は?」
「そちらは研究のために見たのではありません」
「では、何のために?」
「アザフォード嬢が、面白いと思っていた場所だからです」
助手は手元の試料を一つ箱へ入れ、私の机を見た。
「それも、報告書へ入れるのか?」
「入れません」
「では、その頁は?」
石切り場の記録とは別に、水車小屋で書いたものが開いたままになっている。
水門の段――余った水を戻す水路――挽き石の間を調整する棒――一本ずつ替えられる歯車の歯。
報告書には使わない。
けれど、閉じてしまう前に、もう一度読み返していた。
「アザフォード嬢へ手紙を書くときに使います」
「水車について質問が残っているのか?」
「今はありません」
「では、何を書く?」
すぐには答えられなかった。
以前なら、何について説明するかを先に決めた。図を選び、必要な本を開き、最後に質問への答えが抜けていないか確かめる。
今回は、返すべき問いが届いていない。
まだ、アザフォード嬢から次の手紙も来ていなかった。
「届いてから考えます」
「いつ届く?」
「早ければ、四日後です」
「分かっているのか」
「領地から王都までの日数は分かります」
「そうではなくて」
助手はそこで話を切り、試料の箱へ札をつけ始めた。
*
四日後、午前中の便には手紙がなかった。
領地から屋敷へ知らせが届くまでの日数を考えれば、早すぎたのだろう。そう考え、午後は大学の裏庭にある排水溝を見に行った。
春先に一部を直した場所へ、落ち葉が溜まっている。
取り除く必要があると管理係へ伝えたあと、庭の端に咲いている小さな青い花を見つけた。
名は分からない。
アザフォード嬢なら、知っているだろうか。
そこで、花を尋ねるために摘むのは違うと思い直した。形と葉のつき方を手帳へ描く。説明の図なら、もっと正確に寸法を取るところだが、花の大きさは指の幅と比べて書けば足りた。
翌日の便で、アザフォード嬢から手紙が届いた。
封筒は、以前より薄い。
――水車小屋の男から、歯車に使う木について返事があったこと。
――領内で取れる固い木を乾かし、何年か置いたものを使うこと。軸に使う木は太さが必要なので、外から買う場合があること。
そこまでで、水車小屋についての話は終わっていた。
次の頁には、彼女が屋敷へ戻った日のことが書かれている。
――姉君が石切り場の帳面を家令と確かめ直していること。
――アメージュへ渡す菓子を、母君が一つ味見したこと。ラピス殿下のために選んだ林檎の菓子を、父君まで食べようとしたこと。
最後に、短く一行あった。
――学院へ戻りましたら、次は何についてお話ししましょう。
返事を書くため、便箋を出す。
水車小屋からの知らせには礼を述べた。木を何年乾かすのかは気になったが、それを新しい質問として送れば、また答えを調べてもらうことになる。
裏庭の花の図も添えた。
けれど、それだけでは、最後の一行への返事にならない。
次に会うための話題を、私はまだ持っていなかった。
鉱山のことなら、いくらでも話せる。新しく届いた試料も、直した排水溝もある。何か一つ選べば、学院へ面会を申し込む理由にはなる。
しかし、アザフォード嬢が尋ねたのは、私が次に説明できるものではない。
何について、二人で話すかだった。
便箋の最後へ、続きを書く。
――次にお目にかかるときは、先に話題を決めずに伺いたいと思います。
そこまで書き、もう一行加えた。
――話の続きがなくても、アザフォード嬢にお会いしたいのですが、よろしいでしょうか。
*
返事は、三日後に届いた。
封筒を開く前から、差出人は分かっている。机へ座り、二つに折られた便箋を開いた。
水車小屋の木は、三年以上乾かすこと。
林檎の菓子は、結局父君も一つ食べたこと。
裏庭の青い花は、おそらく春星草だが、葉をもう少し詳しく見なければ確かではないこと。
そして最後に、私が書いたものと同じくらい短い返事があった。
――私も、話の続きを作らずに、コロンダム様にお会いしたいです。
その手紙を持ったまま、研究室を出た。
学院へ面会を申し込むなら、今までと同じ大学の紹介状では足りない。
今度は、アザフォード侯爵へ私から願い出ることになる。




