第四話 気づいた者が動くべきだ ―ジャスパー―
シトリンからの手紙が届いたのは、午後の歴史の授業が終わった直後だった。
男子部の教室へ入ってきた事務員が、教師の机へ何通かの手紙を置いていく。宛名を確認した教師から名前を呼ばれ、私は前へ出た。
「女子部からだぞ、ジャスパー」
「ありがとうございます」
四つ折りの便箋には、シトリン・アザフォードの名がある。
席へ戻る途中でディアモンが気づき、こちらを振り返った。
「シトリン嬢からか?」
「ああ」
「何だろうな」
封をした手紙ではない。学院内で交わす短い連絡なので、折り畳んだ紙の端を差し込んであるだけだ。
私は席へ座り、紙を開いた。
『ジャスパー様。あなたがラピス王女殿下のところへ通っている件について、お話があります。明日の放課後、中央談話室へいらしていただけますか』
簡潔な文だった。シトリンらしいと思う。
彼女は必要なことを回りくどく書かない。私が話しているときには最後まで聞き、分からないところがあれば質問する。軍の話にも、祖父の話にも、嫌な顔をしたことがない。
王女殿下のところへ通っている件。
つまり、殿下の護衛について相談したいのだろう。
「何だって?」
隣のディアモンが身を乗り出した。
ディアモンは伯爵家の次男で、父親と兄が軍務に就いている。私が祖父から聞いた軍の話をすると、もっとも熱心に続きを求めるのは彼だった。
「王女殿下の護衛について、明日の放課後に話したいそうだ」
「シトリン嬢も、殿下の身を案じているんだな」
後ろの席から、ルビアスも顔を出す。彼は侯爵家の三男で、家を継ぐ予定はない。卒業後は軍か官吏か、まだ決めていないそうだが、最近は私とともに士官学校を目指すと言い始めている。
「お前が毎日動いているのを見て、何か手伝えることがないか考えたんじゃないか?」
「その可能性はあるな」
シトリンは侯爵令嬢だ。女子部の事情にも詳しく、殿下の近くにいる生徒へ声をかけることもできる。
正直なところ、彼女がもっと早く協力を申し出てくれてもよいとは思っていた。
外国から来た王女殿下を守ることは、アルヴェインの貴族全体に関わる。シトリンにも、その重要性は分かるはずだ。
「……でも、『殿下の護衛について』とは書いていないぞ」
横から紙を見ていたオーパスが言った。
彼は一つ前の席で、授業に使った本を革の鞄へ入れているところだった。
教室の隅では、次の授業に向かう生徒たちが立ち始めている。机の蓋が閉まり、椅子が動く音の中で、オーパスは私の手元をもう一度見た。
「『王女殿下のところへ通っている件』だろ。何か注意されるんじゃないのか」
「同じことだ」
「同じかな?」
「私が殿下のところへ伺うのは、護衛のためだ」
ペリドが教室の後ろからやって来た。
彼は伯爵家の嫡男で、馬術と剣術の成績がよい。四人の中では一番口数が少ないものの、一度決めたことは黙って最後まで付き合う。
「どうした?」
「シトリン嬢が、ジャスパーに相談したいらしい」
ルビアスの説明に、ペリドは手紙へ目を落とした。
「王女殿下のことか」
「ああ。明日の放課後だ」
「なら、午前中に一斉集会の移動経路を確かめておいた方がいい。女子部へ戻る道を説明できる」
「そうだな」
「だから、相談とは限らないだろ」
オーパスだけが、まだ鞄を閉じずにこちらを見ている。
全く、彼は何事にも慎重すぎる。
家格に関係なく成績で一組へ入った生徒なので、授業では頼りになる。だが教師から教えられた範囲を外れると、急に動きが鈍くなる。
すでに起きている問題へ、誰かの指示を待ってから対処しても遅い。
「オーパス。君は、アルヴェインへ留学中の王女殿下に何かあった場合、誰が責任を取ると思う?」
「学院だろ。学院の警備と、王女殿下の護衛官だ」
「それだけでは済まない。この国の貴族すべてが、外国の王族を守れなかったと見られる」
教室を出ようとしていた生徒の何人かが、足を止めた。
聞かれて困る話ではない。むしろ、皆が考えるべきことだ。
「殿下には正式な護衛官がいる」
「一人だ」
「アマンド護衛官が一人でいいと判断されているから、一人なんだろ」
「万一の事態は、平時の人数では対処できないこともある。先日の講義でも習ったはずだ」
軍事史の教師は、大使館襲撃事件について説明した。
日常の警備では足りない人数が押し寄せ、現場にいた軍人や警官が急遽対応したという話だ。あのときも、命令を待たずに動いた者がいたから、大きな被害を防げた。
私の祖父も同じことを言っていた。
――危険へ最初に気づいた者が動け。
――軍人になる者は、常に自分がその一人になるつもりでいろ。
「でも、ここは学院だぞ」
「学院だから安全だと決めつけるのか?」
「男子生徒が女子側へ四人で押しかける方が、よほど問題になってる」
ディアモンが机を指で叩いた。
「押しかけているとは何だ。俺たちは殿下へ挨拶しているだけだ」
「毎日?」
「お姿を見かければ当然だろう?」
「男子側から女子側へ行って?」
「広間は同じだ」
オーパスは何か言いかけ、結局、鞄の留め具を閉じた。
「……シトリン嬢と話せば分かるよ。たぶん」
「もちろん、そのつもりだ」
私は便箋を折り直し、制服の内ポケットへしまった。
シトリンなら話は通じる。
彼女も最初は、私がラピス殿下へ特別な感情を抱いているのではないかと心配したかもしれない。学院で妙な噂が流れていることは、私も知っている。
だが、私が殿下のそばへ行くのは恋情のためではない。シトリンとの婚約を軽んじてもいない。
彼女は自国の侯爵令嬢で、家族にも使用人にも守られている。学院を出た後も、私の妻としてマーチモンド伯爵家へ迎えられる。私が常に付き添わなくても、困ることはない。
だが、ラピス殿下は違う。
母君の祖国とはいえ、御本人にとっては外国だ。王女という身分では、寂しいとも怖いとも簡単には口にできない。正式な護衛官がいるからこそ、それ以上の助けを求めづらい場合もあるだろう……
シトリンなら、それを説明すれば分かってくれる。
*
翌日の昼食時、私たちは予定どおり女子側の席へ向かった。ラピス殿下へ、一斉集会後の護衛を申し出るためだ。
殿下はまた断られた。
しかも今回は、昨日シトリンへ私の行動が迷惑だと伝えた、とおっしゃった。
思いがけない言葉ではあった。
だが、王女殿下がシトリンへ直接話してくださったことで、私と殿下の間に恋愛感情がないことは明らかになった。これならシトリンも噂に心を乱されずに済む。
殿下は周囲からどのように見えるかを、気にしておられるのだろう。
私たちが殿下を守ろうとするたびに注目が集まる。護衛が必要だと周囲へ知られることで、ロルカ王国の警備が手薄だと思われる可能性もある。
……ならば、もっと目立たないように動けばいい。
*
男子側へ戻ると、ディアモンが声を潜めた。
「驚いたな。まさか殿下がシトリン嬢へ先に話しているとは」
「それだけ、シトリン嬢に気を遣っておられるんだろう」
ルビアスは納得したように何度もうなずく。
「王女殿下にまで心配していただけるとは、ジャスパーも果報者だな」
「その話だったか?」
ペリドが自分の席へ座りながら、首を傾げた。彼は先ほどから、いつもより言葉が少ない。
「殿下は、はっきり迷惑だとおっしゃっていたように思う」
「だから、人前で目立つやり方は控えなくてはならない」
「やめろ、という意味じゃないのか?」
オーパスがパンを皿へ置いた。
彼は女子側へ来なかった。男子側の席に残り、こちらの様子を遠くから見ていたらしい。小心者め。
「殿下は、頼んでいないと言った。アマンド護衛官がいるとも言った。それでも続けるのか?」
「実際に危険が起きたとき、あの場で退いたことを後悔しても遅い」
「危険が起きたら、護衛官と学院の警備が動くよ」
「私たちも手を貸せば、より安全だ」
「勝手に入ったら邪魔になるかもしれないだろ」
「状況を見て判断する」
オーパスが私の顔を見た。
「なあジャスパー。君は何と言われたら、やめるんだ?」
質問の意味が、すぐには分からなかった。
「殿下の安全が確認できれば、必要なことはしない」
「そうじゃなくて、殿下から何と言われたら、だよ!」
「殿下御自身は、危険があるかどうかをすべて把握できる立場ではない」
「じゃあ、殿下が何を言っても同じじゃないか?」
オーパスは残っていたパンを紙へ包み、鞄へ入れた。
「……僕は、一斉集会の後は先に帰る。君たちにも、女子部までついていくのはやめた方がいいと言っておく」
「ああ、君はそれでいい」
危険へ備えることを、全員へ強制するつもりはない。
覚悟のない者を連れていても、いざというときには動けない。ディアモン、ルビアス、ペリドの三人がいれば十分だ。
午後の授業を終え、私は中央談話室へ向かった。
男女どちらも使える区画だが、婚約者同士でも二人きりにならないよう、扉の上半分には透明な硝子が入っている。
室内には、すでにシトリンがいた。
いつも一緒にいるアメージュ嬢は廊下側の長椅子へ座り、本を読んでいる。シトリンの前には茶も本もなく、昨日送ってきた手紙だけが開いたまま置かれていた。
「待たせたね、シトリン」
「いいえ。私も今来たところです」
向かいの椅子へ座る。
シトリンは挨拶を終えると、卓の上の手紙をこちらへ向けた。




