第三話 わたくしは心細くありません ―ラピス―
シトリン・アザフォード様へ話した翌日、わたくしは食堂へ入るなり、男子側の席を確かめた。
見たくて見たわけではない。
見ておかないと、また向こうから来るからだ。
「本日もいらっしゃいます」
隣を歩くベリルが、小さな声で教えてくれた。
「どこに?」
「男子側の奥から三列目。マーチモンド令息と、いつもの三人です」
わたくし――ラピス・ラザリエ・ロルカは、ベリルが示した方向へ目を向けた。
広い食堂の中央には、男子側と女子側を分ける通路がある。その向こうで、ジャスパー・マーチモンド様が三人の男子生徒と食事を取っていた。
ディアモン様、ルビアス様、ペリド様。
三人ともジャスパー様と同じ男子部四年生で、それぞれ上位貴族家の令息だ。彼らは身分が低くて強い相手に逆らえず、仕方なく従っているわけではない。
むしろ、ジャスパー様を心から立派な人物だと思っているらしい。
こちらを見つけたディアモン様が何か言うと、四人が一斉に顔を上げた。
まだ食事が始まったばかりだというのに、もう見つかった。
「……座りましょう」
「はい」
女子側では、長い卓ごとに四年生の席がまとまっている。わたくしはベリルと向かい合い、配られた昼食を確かめた。
今日の献立は、鶏肉と根菜のスープ、黒パン、茹でた卵、それから小さな焼き菓子だった。
身分によって食事の内容は変わらない。王女のわたくしも、公爵令嬢も、平民出身の特待生も同じものを食べる。
ロルカの宮殿にいたころとは、もちろん違う。
けれど、わたくしはこの食堂が嫌いではなかった。
スープの味が薄ければ皆で薄いと言い、焼き菓子が美味しければ、早く食べ終えた生徒が名残惜しそうに空の皿を見る。翌週の献立に好物があれば喜び、苦手な野菜があれば、誰かがこっそりパンの下へ隠そうとする。
宮殿の食卓ではできない話が、ここにはたくさんある。
「殿下。卵をお召し上がりになるなら、先に殻を割っておいた方がよろしいかと」
「なぜ?」
「マーチモンド令息がこちらへ歩き始めました」
卵を卓の端へ軽く打ちつける。
細いひびが入ったところで、女子側の空気が少し変わった。
近くの生徒が話を止め、こちらへ目を向ける。振り返る者もいるので、ジャスパー様たちが近づいてくるのだと、見なくても分かった。
せめて昼食くらい、温かいうちに食べさせて欲しい。
卵の殻を半分ほど剥いたところで、四人がわたくしたちの卓の前へ来た。
「ごきげんよう、ラピス殿下」
「ごきげんよう、マーチモンド様」
立っているジャスパー様を見上げる。
制服は今日も隙なく整えられていた。上着の釦は上まで留まり、襟元にも乱れがない。その斜め後ろには三人の令息が並んでいる。
四人とも、自分たちが女子側の食事を止めていることには気づいていないらしい。
「本日は午後から、一斉集会がございますね」
「ええ」
「終了後、女子部までお送りいたします」
わたくしは剥いた卵を皿へ置いた。
「必要ありません」
「遠慮なさらず。集会後は大勢の生徒が一度に移動します。普段の回廊とは状況が違いますから」
「ベリルがおります」
名前を呼ばれたベリルが、椅子へ座ったまま一礼する。
「アマンド護衛官お一人では、対処しきれないこともあるでしょう。我々も人の流れを整理いたします」
ジャスパー様の後ろで、ディアモン様が大きくうなずいた。
「殿下のためでしたら、我々も喜んでお力になります」
「アルヴェインで万一のことがあれば、国の恥ですから」
ルビアス様が続け、ペリド様も同意するように胸を張る。
三人いれば、三倍よく聞くようになるのかと思ったことがあるが、実際は逆だった。
一人がジャスパー様を褒めると、残りの二人も褒める。三人に褒められたジャスパー様は、自分の考えが正しいと確信する。
……そうして四人で同じ話を繰り返すうちに、わたくしやベリルが何を言ったかは、どこかへ消えてしまう。
「わたくしは、あなた方に人の流れを整理するよう頼んでおりません」
「殿下が直々にお命じになるようなことではございません。我々が気づいて動くべきことです」
「そういうところです」
「は?」
ジャスパー様が、少しだけ首を傾げた。
わたくしは昨日、シトリン様へ事情を話した。
彼女が婚約者へ何を伝えるのかは分からない。婚約関係は家同士の事情も絡むので、わたくしが口を出すことでもない。
それでも、せめて今日一日くらいは、様子を見るべきだったのではないか。
シトリン様から手紙が届いたと聞いているのなら、なおさらだ。
「昨日、シトリン・アザフォード様へお話ししました」
ジャスパー様の顔が明るくなった。
「やはり、殿下もシトリンへお心を配っておられたのですね」
「どうしてそうなります?」
「私が殿下へ付き添うことで、彼女が心細く感じているのではないかとご心配なのでしょう。ですが、ご安心ください。シトリンは物事をよく理解する女性です。私からもきちんと話します」
ひどく嫌な予感がした。
「シトリン様から、どのような手紙を受け取ったのです?」
「今日の放課後、殿下の護衛について話したいとのことでした」
「護衛について、ですか?」
「私の活動を、より目立たない形にした方がよいと考えたのかもしれません。シトリンは侯爵家の令嬢ですから、周囲への見せ方にもよく気がつきます」
ベリルの指が、卓の下で一度だけ動いた。膝の上へ置いた手を握り直したのだろう。
わたくしも、昨日シトリン様が書いていた手紙の内容までは知らない。
けれど、彼女がジャスパー様の活動を手伝おうとしていたとは考えにくかった。
「シトリン様には、あなたの行動が迷惑だとお伝えしました」
今度は、ジャスパー様の後ろにいた三人も動きを止めた。
「殿下が、そうおっしゃったのですか」
「ええ。あなたが食堂へ迎えに来ることも、女子部まで送ろうとすることも、必要ないと申しました」
ジャスパー様は卓の上へ目を落とした。
ようやく伝わったのかと思ったが、彼の視線は、わたくしの皿に載った卵とパンの間を少し動いただけだった。むしろその表情には、うっすらと笑みが浮かんでいる。
「……殿下がシトリンへ、そこまで率直にお話しくださったことには感謝いたします」
「感謝?」
「彼女も、私が不誠実な気持ちで殿下へ近づいているのではないと理解できるでしょう。殿下が私に恋情を抱いておられないことも、直接お伝えいただけたのなら安心です」
……話がまた、シトリン様の嫉妬へ向かっている。
そのような話は一度もしていない。
「わたくしは、あなたとシトリン様の間を取り持つために話したのではありません」
「承知しております。ですが結果として、誤解は解けます」
「わたくしが迷惑していることは?」
「殿下は、周囲の噂をお気になさっているのでしょう。今後は、もっと目立たない方法を考えます」
方法を考えてほしいのではない。やめてほしいのだ!
先ほどよりはっきり言ったはずなのに、ジャスパー様は、聞きたいところだけを拾って話を作り直している。
――自分は王女を守る。
――婚約者は理解する。
――王女は噂を気にしている。
どうやらその三つが彼の中では決定しているため、わたくしの言葉は空いているところへ押し込まれるらしい。
ベリルが椅子を引いた。
大きな音ではない。それでも立ち上がった彼女を見て、ジャスパー様の後ろにいたペリド様が半歩下がった。
「殿下は、お食事の途中です」
「もちろん、承知しております」
「では、男子側のお席へお戻りください」
ベリルはジャスパー様より少し背が低い。それでも、正面から相手を見る姿には、護衛官として命令を出し慣れた人の強さがあった。
ジャスパー様はわたくしへ一礼する。
「長くお引き止めして、申し訳ございませんでした。集会後のことは、改めて考えます」
「考えなくて結構です」
「殿下のお気持ちは、よく分かりました」
……分かっていない!
四人は男子側へ戻っていった。近くの女子生徒たちも、止めていた手を動かし始める。
けれど声は小さい。皆、わたくしたちの会話を聞いていたのだろう。今日の午後には、学院中へ話が広がっているかもしれない。
ベリルが椅子へ座り直した。
「殿下」
「何?」
「次回は、文章でお伝えする方法もございます」
「あの方は、読んだ文章まで、自分に都合よく書き直しそうです」
「……可能性は高いかと」
わたくしはスープの皿へ匙を入れた。
湯気はもう消えている。根菜の上に浮いていた油も、薄い膜になって表面へ集まっていた。
「冷めてしまいました」
「温かいものと取り替えさせましょうか」
「いいえ。皆と同じもので結構です」
固くなり始めた黒パンをスープへ浸す。
せめて焼き菓子だけは、四人が来る前と同じ味であってほしかった。




